第31話 無駄な努力のクソ涙

観念的な話になりますが、

「無駄な努力のクソ涙」ってのは何者かになろうとする上で、必ず付いて回るものだと思っています。


まぁね、私なんかアタマも要領も悪いから結構流してきたと思いますよ、無駄な努力のクソ涙はね。


今でこそ私は左右のミドルと膝蹴り、首相撲で戦う防御型のスタイルですが、最初はやっぱりどこにでもいるパンチ&ローキックで相手をどつき回すだけの凡百以下の攻撃型のファイト・スタイルでした。


22歳の時、初めて入門したAジムは昭和のキックボクシングのジムでしたからね、そりゃ技術面では酷いもんでした。その上、私は誰にも相手にされなかったので何も教えてもらえず、格闘技通信とか見て練習していました。


今、在籍してるDジムがあの時にあったら、仮に私が若い頃にDジムの会長の指導を受けられたら、どうでしょうかね。


たぶんダメだったと思いますよ。

私がDジムに入会した時にぶちのめした、「会長がデキるから、オレもデキるんだZEEEEEEE~!」みたいな、「はじめの一歩」が大好きで、気位だけ高い口先だけのイケ好かない奴になっていたでしょうね。ハァあん時は本当に腹が立って、片っ端から調子こいてそうな奴を捕まえてボコボコにしました。反省してます。でも謝りませんからね。


でも、そこは技術だけではありません、それまでの練習で培ったガッツとか、痛い思いや悔しい思いをして学んだ経験がモノを言うのです。

そういうの、全て含めて「強さ」です。


途中、あまりの無駄な努力に途方に暮れて、みんな途中で止めてしまったけど、私は投げ出さなかっただけの話です。

(私も何度も辞めよう思ったから、やめた奴の気持ちも分かります。

私には彼らを非難はする事はできません。そして私にも、いつかやめる日が来ます)


今の指導者に出会うまで、私も散々遠回りしてきましたが、そのおかげで近道して楽して技術偏重型の実力の伴わない口先だけのアホ共!みたいにならずに済んだのだと思います。

私もアホですからね、本当にそこだけは。

キックボクシングは愚直に努力することの意味を私に教えてくれました。


なんて言うのでしょうか。

「あしたのジョー」ってあるじゃないですか。私のバイブルです。

今はやってる事の意味が分からないかもしれないけど、きっとあしたになれば分かるんじゃないか。

全ては、「あした」なんだと思います。


あの頃は、無駄でも何でもガムシャラにやるしかない時期だったのでしょう。

私はそう信じています。


ただ…あの頃、自分の未来がどうなるか分からなかったように、今後の事も分かりません。

そして、格闘技はその人の人生に恵みをもたらす事を保証するものでもありません。


引退した格闘家の末路をみていると、報われない事の方が多いですから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る