第192話 確定



「青蛇」

 五尊の一つで、人に崇められて消えたという種。

 それは実際見てみると、蛇眼以外は普通の子供に見える。

 ただし、目の前で急に成長したことと、人の斬られた腕を再生させたということを除けば、だが。

「まずはお詫びを。知らぬこととは言え、申し訳ない対応をしてしましました」

 応接室に通され、深々と頭を下げてきたのはカミナという名の女だ。

 コヘリオの古い巫の家系だという彼女は、今は「蛇様」の世話係についているらしい。

 シシュはテーブルを挟んで自分も深く頭を下げた。

「こちらこそ。牢を斬ってしまった。申し訳ない」

 脱出するためとは言え、洞窟に嵌めこまれていた鉄格子を斬ってしまった。あれは修理が大変かもしれない。

「よければ修理を手伝わせて頂きたいが――」

 そう口にした瞬間、ぷっと笑われる。

 驚いて顔を上げると笑っているのはカミナだ。彼女は口元を押さえて少女のようにくすくすと笑った。

「相変わらずですね、シシュさん」

「え?」

 言われて改めて女の顔を見る。

 その顔。その名。

 十年前にコヘリオを案内してくれた少女の面影が、女に重なって見える。

「……あ」

「お気づきになりましたか」

「気づ……きはしたんだが」

 それはつまり、相手にも尋常な人間ではないとばれているのではないだろうか。

 いや、子供ならともかく大人なのだから、十年くらい外見が変わらないこともあるのではないのか。

『何を考えているのか大体分かりますが、そういうのを悪あがきというのですよ』

「…………」

 耳に痛い黒蛇の言葉に、シシュは改めて姿勢を正した。

「十年前は大変お世話になった。きちんと申し出ずにすまない」

「いえ、ご無理もないでしょう。今も奥方様のために旅をなさっているので?」

「……ああ。そのために人外を探して『心界』というものを覗いているんだ。心界は人外だけが持っている固有の精神世界みたいなものなんだが、そこに妻が眠っている場所へと続いているものがあるはずなんだ」

 正直に事情を口にしたのは、自分が尋常な人間ではないと割れている以上、下手に隠さない方がいいと思ったからだ。

 カミナの方は突然の情報開示に目を丸くし、次いで不安げな目で隣を見た。

 そこには青蛇の少女が座っている。伸びた背丈にあわせて着替えた少女は、青い蛇眼をまたたかせてシシュに返した。

「それは、わたしにも心界があるということですか」

「おそらく。差支えなければ確認させてもらえるとありがたい。眠っている時に触れるので、抵抗があるだろうが……」

「構いません」

 即答は幼い子供らしからぬ意志に溢れていた。

 彼女は、驚くシシュに少し翳のある笑みを向ける。

「わたしがお役に立てることはそう多くありませんので……」

「蛇様! そんなことは――」

「いいのです。この国の役に立ったのは姉様で、わたしは守られているだけなのですから」

 きっぱりと、変えることのできない事実を読み上げたかのような言葉。

 そこには吐いていない溜息が混ざっているような気がする。

 途端に重くなった空気に、部外者のシシュは何を言っていいか分からない。

 ただ言うべきことはあるので、もう一度頭を下げた。

「協力してもらえるなら助かる。不安なことがあればなんでも言ってくれ」

「はい」

 青蛇の少女は頷く。

 その彼女に向かって、カミナは静かな、雪の降る夜のような声で言った。

「蛇様……それでも、私の腕を戻してくださったのはあなたなのです」

 蛇眼が大きく見開かれる。

 けれどそこから先、青蛇の少女は、シシュが退出するまでうつむいて一言も口をきかなかった。




「なんというか、複雑な事情がありそうだな」

 とりあえず与えられた客室で、シシュはそんな感想を漏らした。

 城の一室であるこの部屋は元は貴賓室らしく、シシュは「そこまでしなくていい」と固辞したのだが、黒蛇に『あなたが目の届かぬ場所にいる方が、相手は不安なのですよ』と言われて納得した。

 ――青蛇の少女は、己の心界に入らせてくれるという。

 けれどそのためには彼女の就寝時間まで待たなければならない。広い寝台に腰掛けているシシュの隣で、黒蛇が綺麗にとぐろを巻いた。

『あの蛇を名乗る蛇ではない少女は、相手の体を以前の状態に戻すことができるようですね』

「以前の状態?」

『厳密には治癒ではない、というのは腕が増えていることからも明らかです。腕を斬られる前の状態に戻したのでしょう。その代償として蛇でない少女は歳をとる、というわけです』

「ああ、そういう感じか」

 少女が成長したのは力を使った反動だろうとは思っていたが、だとすると力を使いすぎれば寿命を削ることになるのではないか。

「だから治癒を願ってきた旅人は投獄されるのか」

『余所者に対して力を使わせたくないのでしょう。あの力を使っていけば短命種になることは確実です。外洋国において人に崇められて消えた、とは人に消費されたということでしょう』

「それは……投獄もされるな」

 実際のところ、シシュがこうして再投獄されていないというのは、蛇の少女の危機を救ったからというより、求めているのが治癒ではなかったからだろう。

「なら、『灰』が来たのはあの力目当てか」

『そうでしょうね。近くに置いておけば相当の痛手を食らっても取り戻せます』

「あの『灰』、今までほとんど表に出ていなかったのに、何かするつもりなんだろうか」

 シシュは、部屋の壁際を一瞥する。

 そこに敷かれた布の上に横たわっているのは、レノスの遺体だ。腐敗しないよう氷漬けにして布でくるんである。青蛇の少女の心界を確認し終わったら、一度トルロニアの王都に連れ帰って彼を埋葬するつもりだ。今あるレノスの墓は、空っぽのままなのだから。


 死人となった友人を何とかしたいとはずっと思っていて、けれど結果はこれだ。これにしかなりようがなかった。考え出すと気鬱になるが、自分は人でなくなった時に妻のために生きると決めた。それは彼女以外を選ばなかったということでもある。

 だから自分だけは決してサァリを諦めないのだ。たとえこの旅が百年を越えたとしても決して。


「あの虫をどうするか考えねばな……」

 別の心界からサァリに辿りつけるなら問題ないが、あの「灰」を経由するなら虫の排除は避けられない。現実では圧倒できても、死者の国では「灰」の方が優勢なのだ。

『虫への使役を外せればいいのでしょうが』

「―― 一度使役下に入ったものは外せないよ?」

 唐突な声。

 初めて聞くそれに、シシュは立ち上がると同時に柄に手をかける。

 寝台と並ぶ場所にある窓。そこにいつの間にか、一人の少女が腰かけている。彼は驚きの消せない呟きを落とした。

「どうやって……」

「窓から」

「いや、そうではなく」

 ――自分がこの距離に入られるまで気づかないなどあり得ない。

 シシュは内心愕然としながら少女を観察する。


 年のころは十五歳前後だ。肩までの黒髪に蒼い目の、美しい顔立ちの少女。

 顔だけ見れば深窓の令嬢のようだが、着ているのは旅の軽装だ。

 そしておそらく……普通の人間ではない。気配がない。


 赤い牡丹の髪飾りをした彼女は、悪戯をする子供のように笑った。

「安心して、味方だから。あなたを助けてあげてって言われて来たの」

「……誰に?」

「ひみつでーす!」

 明るい。得体が知れない。ただ敵意は感じられない。

 シシュは少女から意識を逸らさないようにしつつ、黒蛇を窺う。シシュよりよほど渡世に長けている蛇は、首をもたげてじっと少女を見ていたが、ふっとその緊張を緩めた。

『助けてもらいましょう。彼女は大丈夫です』

「知っているのか?」

『初対面です』

「駄目じゃないか」

『人を見る目はあるつもりです』

「それはそうだろうが……」

 自分が騙されやすいという自覚はある。あるから用心しているのだが、黒蛇がそう言うなら彼女の助力を期待してもいいのかもしれない。

 シシュは何から聞こうか迷って、青蛇の少女に問うたのと同じ、けれど彼女からは「ないのです」と言われたことを尋ねる。


「名前をうかがってもいいだろうか」


 その質問に、黒髪の少女は何か楽しいのかはしゃいだ笑い声を上げた。

 窓枠から飛び降りると嫣然と微笑んで膝を折る。


「『冬の巫』のミリヤです。よろしくお見知りおきを」


 滑らかで隙のないその仕草は美しく、けれどそれ以上に邪気のない愛らしさに満ちていた。

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