第190話 邂逅



 コヘリオの城は、王族がいた頃の名残として存在している。

 元々は百三十年ほど前に、近隣の戦争から領民ごと逃げ出した貴族が、ここで細々と暮らし始めたのが始まりだそうだ。そこから森を切り拓き集落が生まれ、領主一族が王族となるにあたって城が作られた。

 そんな由来のせいか、城と言うより大きな屋敷くらいの建物は、高い塀で周囲を囲まれているだけのあっさりした作りだ。十年前は自由に中を見学することさえできた。

 だが今は、巡回の兵が塀の内外を回っている。それら巡回の目を潜り抜けて城の二階に侵入したシシュは、警備兵が回っている庭を見下ろした。

「十年前とは大分違うな。ここが当たりか」

『その可能性は高いですね。建物内に探査をかけますか』

「そうだな……頼む」

 シシュの頭の上で蛇の輪郭がぶれる。それと同時に、空気の中を無形の波紋が広がった。

 心界を持つもの、つまり人外を探すための範囲探査。そう広い範囲には届かせられない、ということと、相手によっては探査をかけられたことに気づかれる、という欠点はあるが、それで相手がこっちに向かってくるなら話は早い。

 二階の廊下、柱の陰に隠れながらシシュは蛇の報告を待つ。

 頭の上で蛇が身じろぎした。

『これは……建物内に二人いますね。同じ場所です。一つ上の階の北側の部屋です』

「当たりか。ありがとう。行こう」

 階段はどこにあったか、シシュは記憶を探りながら駆け出そうとした。

 その直後、どこか遠くで女の悲鳴が響く。

「なんだ?」

『探査にかかった方向ですね』

「向かう」

 今の悲鳴で位置は特定できた。

 廊下を走りだすと、前に見回りの兵士が見えてくる。兵士はシシュに気づいてぎょっとした顔になった。

「お前、どこから――」

「窓から」

 足は止めない。兵士が剣を抜こうか一瞬逡巡した隙に、シシュはその脇を駆け抜けた。駆け抜けながら、兵士の肩を掴んで捻る。それだけで兵士の体は宙に浮いて、背中から床に叩きつけられた。

「が……ッ!」

 悲鳴を置き去りに、シシュは目の前に見えた階段を駆け上がる。その途中、上階から熱のこもった空気が流れてきた。パチパチと木の爆ぜる音が聞こえる。うっすらと煙が流れてくる。

「火か!」

 さっきの悲鳴はこれだったのか、と得心しつつ、シシュは刀を抜く。

 冷気を纏わりつかせた刃。それを手に上階にのぼったシシュは、正面の扉が開かれていることに気づいた。十年前見学に来た時には入れなかった部屋。そこはかつて王族の居室として使われていたはずだ。

 幼い悲鳴が聞こえる。

「やめて! 離して!」

 煙の中から聞こえる声。シシュは迷わず部屋の中に踏みこんだ。黒蛇が頭の上から飛び降りる。

 立ちこめる煙を、冷気を纏う刃で払った。

「――おや、あなたですか」

「お前は……」

 そこに立っていたのは黒服の二人だ。

 一人は長身の男で、腕の中に五歳くらいの女の子を抱え上げている。

 もう一人は冷ややかな目に薄い笑いを浮かべた少女だ。

 二十五年前の最後に見た時は侍女服を着ていた「灰」の少女。そしてもう一人は彼女の傀儡となってしまったシシュの友人だ。

 「灰」の少女ヨアは、薄い肩を竦める。

「見つかってしまいましたか。あなたとは出くわさずにいたかったのですが」

 その言葉に、かっと激情が全身を駆け巡る。

 視界が赤く染まるような錯覚。絞り出す声が自然と震えた。

「……お前を探していた」

「でしょうね。わたしは会いたくありませんでしたが。人外を殺して回っているのですって? こわいこわい」

「お前が――」

 無数の言いたいことが溢れて喉につかえる。

 そもそも【地の気】が目覚めたのも、ヨアがこちらの大陸にわたってきて蠕動したのが一因なのだ。おまけにシシュの友人のレノスを殺して連れ去った。

 以前とまったく変わらぬ姿のレノスに表情はない。ただ腕の中にもがく子供を捕らえているだけだ。

 ――何をしているのか。何をしようというのか。

 問いただしたいことも、それ以上の恨み言も尽きない。それは二十五年の間まったく色褪せなかった「怒り」だ。

 けれどシシュは、その感情を口にしかけたままのみこむ。


 サァリを失った時、一番怒りの対象であったのは、殺したかったのは、自分自身だ。

 彼女を守るための存在であるにもかかわらず、それを果たせず彼女を失った。

 彼女の喪失を悲しむことさえおこがましいと思った。

 自分の愚かさで彼女を守れなかったのに、どんな顔をして悲しむというのか。

 だからあの日から彼は、己の中の青焔に焼かれ続けている。

 己の抱えるこの青焔が、溢れ出でて大陸を焼いてしまわぬように。


「……灰」

 これは好機だ。逃がすことはできない。

 レノスがこれ以上使われるのを止め、「灰」の心界を確認する。そのためには冷静さを保っていなければ。

 シシュは煮立った感情を、深い息と共に吐き出す。

 そして改めて、場の状況を確認した。

 床の上に、一人の女性が這いつくばっている。彼女は肩から切り落とされた左腕を押さえて、荒々しい息をついていた。彼女は怒りのこもった目でレノスを睨んでいる。

「その方を放しなさい……!」

 彼女が言っているのは、レノスが捕まえている幼い女の子だ。彼女は涙目で床の上に女に向かって手を伸ばしている。火は奥の部屋から上がっているようで、開かれたままの扉から煙が外に漏れだしていた。

 

 分かりやすい状況だ。

 ヨアとレノスはここに押し入ってきて女の子を連れ去ろうとしているのだろう。それを止めようとした女性を斬っての今だ。捕らえられた子供が悲痛な声を上げる。

「カミナ! カミナ!」

「眠らせておきなさい。力を使われても面倒ですから」

 レノスが頷いて少女の目元に手を伸ばす。けれどその手に、シシュの投擲した針が刺さった。

 煙は溢れ続けている。シシュは言葉を弄することなく踏みこんだ。冷気を纏う刃を振るう。

 広く、部屋全体を薙ぐような斬撃。

 本気を出せば建物自体を吹き飛ばせるほどのそれは、けれど範囲を抑えて鋭さを増したものだ。

 燃え広がりつつあった奥の部屋の熱気が、冷えた斬撃によってねじ伏せられる。

 それと同時に斬撃は、ヨアとレノスの首と肩口をも狙っていた。

 レノスは咄嗟に身を屈めて避ける。それができたのは、彼が元士官であり今でも鍛え上げられた肉体を維持しているからだろう。

 一方ヨアは、避けられず首を跳ね飛ばされた。

 驚きの表情のまま宙を飛んだ首は、けれどすぐに黒い砂となって崩れる。切断されたままのヨアの体から少女の笑い声が零れた。

「参りましたね。あなたと事を構える準備はしていないのですが」

「お前の心界を覗かせてもらう」

「心界なんて、人に見せるものではないですわ。――レノスさん、退いてください」

 命令を受けて、レノスが子供を抱いたまま大きく飛び退く。背後の窓硝子を割って脱出しようというのだろう。かつての友人に対し、シシュは更に踏みこんだ。

「すまない」

 吐き出した言葉に返答はない。子供を抱いたレノスよりも、シシュの方が圧倒的に速い。

 シシュの振るった刃は、レノスの肩口から首を斬り上げる。

 血飛沫は上がらない。

 斬られた箇所はそこから黒い砂に転じかけて、だがそれより早い速度で凍りついた。シシュは取り落とされそうになる子供の体を支えて床に下ろす。

 右肩と首を失ってぐらついたレノスの体を無視して、シシュは「灰」の少女に向き直った。

 その胸元に左手を伸ばして掴む。

 ――心界に踏み入れるのは、相手の意識が揺らいでいる時だけだ。

 だから眠っている時か、重傷を与えた時に、踏みこんでその精神に触れる。

「見せてもらうぞ」

 首を失った「灰」の少女にそう宣言して、シシュは彼女の中に己の意識を送りこむ。


 そうして気づいた時、彼は暗い……熱気に包まれた岩場に立っていた。


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