第189話 贈り物



「妻を目覚めさせる手立てとして、人外を探している」

 彼はそう言っていた。もう十年も前の話だ。

 不思議な空気を持つ青年だった。澄みきった気配を纏い、時折沈痛な目を覗かせていた彼。

 諸国を旅しているという彼は洗練された文化の街をいくらでも知っているだろうに、この山奥の国で不便な在り方に直面しても不平一つ零さなかった。それどころか一人暮らしの老人の家を何軒か回って井戸の水汲みや庭の草むしり、家具の処分や家の修繕など一通りやっていってくれた。

 彼が捜す人外はこの国にはいなかったが、代わりに彼は職人が作った美しい木の化粧箱を一つ買っていった。奥方への土産物にするのだという。彼は旅を続ける間、これというものを見つけては妻のために買い集めているらしい。

 そうやって買われたものは、奥方が快癒するまでトルロニアの王都の屋敷で預かってくれているそうだが、その光景は想像すると微笑ましさよりも物悲しさを覚える。

 きっと何年もの間、彼が旅先で買ったいくつもの品が、その屋敷には積まれているのだろう。受け取り手を待って在り続けるそんな贈り物たちは、彼の想いの深さと……それが届かないまま増えていくだけの年月を象徴しているようで、他人から見ると居たたまれなかった。

 そんな風に印象深い人物だったから、十年を経た今でも覚えていたのだろう。



「脱獄された? 状況を説明しなさい」

 あわてた様子で跳びこんできた知らせに、カミナは問い返す。

「そ、それが鉄格子を斬られていて、気づいた時には当の男の姿はなく……」

「見張りは?」

 彼女がそう聞き返すと、部下の男は短い逡巡の後に「おいていなかった」と返す。思わず叱責したくなるが、無理もない話ではある。投獄される人間自体が稀なのだ。おまけに一通りの荷物を取り上げた状態で、誰がどうやって脱獄できるというのか。

 だが部下を庇いたくとも放置できない状況なのは確かだ。

「どんな男だったの? 蛇様を目当てに来たのでしょう?」

「いたって普通の旅人に見えました。どちらかというと善良で礼儀正しい人間に見えまして……まさか脱獄されるなどとは」

 その言葉にカミナはかすかな引っかかりを覚える。覚えて、けれど気にすることなく重ねて問うた。

「荷物は?」

「牢の近くに保管してあったので取り返されておりまして」

「そうではなく。荷物の中身はどうだったの?」

 荷物からは持ち主の人となりや危険性が多少なりとも窺えるはずだ――そう思って確認するカミナに、部下の男は記憶を探る目でたどたどしく挙げて行った。

「いたって普通の旅の持ち物でした。……武器も刀の他に短剣と長い針が何本かあるくらいで。あとは、妻への土産物だという首飾りや小物がいくつかあったくらいです」

「妻への土産物?」

 引っかかりが大きくなる。過去の記憶が刺激される。


 ――検問での投獄基準は「手立てのない状態への治療手段を探しているかどうか」だ。

 それはすなわち「蛇様」へ接触しようとしているということで、けれど余所者にその恩恵を受けさせるわけにはいかない。数年前にはそれで大惨事になったのだ。二、三日投獄して、相手が翻意したなら国外へ放り出すし、そうでないなら処分する。このご時世、それくらい用心しなければ小さな国はやっていけない。

 だが……妻への土産物を持っていた青年、妻の治療のために旅をしている人間、というところに、十年前の彼のことを思い出してしまったのも確かだ。

 ただ彼は十年前の時点で既に二十代前半に見えた。衛兵たちから聞いた青年の外見もそれくらいだというのだから、やはり別人なのだろう。


「ともかく、捜索して捕縛するように。抵抗するようだったら殺しても構いません」

「はっ!」

 部下の声を聞きながら、カミナは踵を返して奥の部屋へと向かう。

 八角形の広い部屋。

 昼でも全ての窓が布で暗く閉ざされているその部屋の奥には小さな寝所がある。ひんやりと涼しい空気の中、カミナは紗幕の前に立つとその向こうを窺った。

 眠っていればいい、と思ったのだが、どうやらそうではないらしい。息を潜めている気配がして、カミナは諦めると跪いた。

「お騒がせして申し訳ございません」

「……どなたか来た?」

 幼さの色濃い少女の声。不安げなそれに、唯一の付き人であるカミナは平静を保って返した。

「いえ、何もありません。ご心配なく」

「でも誰か困っているのでは……」

「いいえ」

 きっぱりとカミナは断言する。

 それは履き違えてはならないところだ。無償の善意など、人を救うものでは決してない。ただただ人を増長させ傲慢にさせてしまうだけだ。それをコヘリオの民は以前に学んだ。

 おまけに、いつまたあの不気味な少女が来るとも限らない。地上が荒れている今こそ死者のように沈黙していなければ。


 それでもまだ不安げな気配を漂わせたままの少女に、カミナは一瞬迷ったが、重ねて言う。

「よいのです。人は生ききって川をわたる。それが本来あるべき姿なのですから」

 祖母からよく聞かされていた話。死者は最後に川を渡るのだという話は、少女を傷つけるものでもある。彼女の力を、存在のあり方を拒絶するものだ。

 それでも、最後に残った少女をすり減らすよりはずっといい。

 少女の姉である「蛇様」もそれを願い……カミナは確かに彼女の願いを託されたのだから。



                 ※



 コヘリオの集落は、三つの山に囲まれた三日月型の土地に点在している。

 城はその中心部にあるが、王族は存在しない。三つの村の首長との合議制で動いている国だ。

 そんなことをシシュは、集落を見下ろせる崖上に潜みながら思い出していた。頭上の枝に巻きついている蛇が言う。

『どうも十年前とは様子が違うようですね。青蛇のせいなのでしょうが。それを探りに来た旅人を端から投獄しているようです』

「俺は死人判定されたのか」

『そちらではなく。病人の治療法を探している、という方が問題だったようですね』

「ああ……。いや、そういう人間はいくらでもいるだろう。それだけで投獄されていたら困るんだが」

 病気の家族のために旅をする、というのは一般的とまでは言わなくても、年間百人くらいは大陸にいるのではないだろうか。真剣に悩むシシュに、蛇は冷静な指摘を返す。

『そういう人間がいるとしても技術が遅れていそうな山奥の国までは滅多に来ないでしょう。裏を返せばここに来るということは、何らかの特殊事例で腹に一物あると思われても仕方ないのでは?』

「……確かに。いや、一物まで思われても困るんだが。もう少し言い分を聞いて欲しい」

 全ての事情は明かせないが、誤解を解くための努力はできる。

 けれど人間を信じようとするシシュに、蛇は容赦なく言いきった。

『聞かない相手に話すのは無駄な時間ですよ。人間は無視してさっと行って青蛇を見つけて心界を確認しましょう』

「それをしていると、次に来る時は禍根が生まれているんじゃないだろうか」

『人間は代替わりしますので。問題ないです』

 身も蓋もない話だが、ある程度は仕方がない、のかもしれない。努力はしたい。


 シシュは取ってきた荷物を近くにあった茂みに隠す。この中にはサァリに似合うだろうと思って買った翡翠の髪飾りもあるのだ。傷つかないところに置いておきたい。彼は荷物の中から必要な装備だけ取り分けると、崖上に立った。

「検問に手配が回るということは、それなりに権力者が青蛇を匿っているということだろう。城を見て、その後各村の首長の屋敷を確認だな」

『乗せてください。はぐれると後で合流が難しそうですので』

 ぼたりと頭の上に蛇が落ちてくる。慣れきったその感触にシシュは驚くことなく頷くと、おもむろに崖の上から人家のない地上目がけて飛び降りた。

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