第188話 検問
「誰も通さないように。この力には限りがあるのですから」
そう周囲に言い含めたのは、己の終わりが見えてきたからだ。
自分たちは儚い。増えても守られてもすぐにすり減ってしまう。そういう生き物なのだ。
長く生きたいなら人と関わらずに生きていくしかない。でもそれももうできない。
だからただ願うしかない。
どうか誰も、損なわれてしまいませんように、と。
※
コヘリオは、三つの険しい山を有する小さな国だ。
有すると言えば通りがいいが、実際のところ山しかない。外部とは馬車がすれ違うことも難しい街道が一本通っているだけであり、そのおかげで外の情報の変化とも無縁でいられる。栄えてはいないが、貧してもいない。
そうやって細々と存続してきた国に「青蛇」がいるという。
「青蛇か……確か『人に崇められて』という話だったな」
五尊にはそれぞれ『雪歌は人から離れ、赤獏は人に追われ、青蛇は人に崇められ、飛葉は人に喰らわれ、灰は消え去った。かくして五尊を見ることはなくなった』という伝承がある。その意味することは不明だが、絶滅寸前だったということは事実だ。
『崇められた結果いなくなるとはどういうことなのでしょうね』
シシュの後ろ、鞍上にとぐろを巻いている蛇が相槌を打つ。
この蛇は地に属する神ではあるが、こちらの大陸の神だけあって外洋国の知識はない。そのため五尊に関してはいつもシシュと「なんだろう」『なんでしょうね』と言い合いながら捜索している。役に立つかと言ったら微妙だが、この旅路において一人ではないということは純粋にありがたい。
それに、サァリが封じている【地の気】については教えてくれた。「この星の一部そのもので、死者の国の大地。その先には死者が行きつく川があるそうです」とのことらしい。もっとも蛇自体は死者ではないし、死者と繋がりもない。【地の気】の一層上にいる神だ。だから蛇としてはあまり実感に基づく話ではないのだろう。
「向こうの大陸には向こうの大陸の死者の国があるのだろうか」
『そうかもしれません。死者は海を渡れないそうですから』
「知らなかった」
ふと、シシュの脳裏に埒もない畏れがよぎる。
――もし、大陸を渡った先で自分が死ぬようなことがあれば。
その時は永遠にサァリに会えなくなるのかもしれない。
それは起こりえないかもしれない可能性だ。シシュは自分に「死」があるのか分からない。寿命による死は存在しないが、外的な要素での死はあるのか。この長い旅の間、負けたことのないシシュには分からないままだ。
「でも、『灰』は向こうの大陸の生き物なのだろう? どうしてこちらの死の国に繋がる心界を持っているのだろうな」
『これは推察ですが、元はこちらで生まれた生き物なのではないのでしょうか。それが人と共に海を渡って向こうで広がったのだと思います』
「ああ……そういうことか」
実のところ、向こうの大陸に渡ることも何度か考えたのだ。だが、アイリーデを残して大陸を離れる決心がどうしてもつかなかった。自分が離れて街の封印が保たれるかも自信がなかったのだ。
だが、どうしても駄目なら渡航も視野に入れねばならない。
「お前は海を渡れるのか?」
『分かりません。そこまで本体と離れたことがないので。もし消えてしまったらアイリーデにまで拾いに戻ってきてください』
「分かった」
『ただ一度消えてしまうと私はもうまっさらになって私ではなくなってしまうかもしれませんが』
「それはちょっと嫌なんだが。死と同じだろう」
『人の考え方ではそうかもしれませんね』
そんな会話をしているうちに、曲がりくねる山道の先に検問が見えてくる。両脇を切り立った崖に挟まれた細い道。そこにはコヘリオの衛兵たちが槍を手に立っていた。彼らはシシュを見ると声を上げる。
「馬を降りてもらおう! 検問だ!」
言われてシシュは大人しく馬を降りて衛兵たちのところまで歩いていく。そこで彼は簡単に持ち物の確認と目的を問われた。
鞍上にとぐろを巻いているままの蛇は、普通の人間には見えない。だからシシュはいつも通りの目的を口にする。
「妻の容体が思わしくなく、手立てを探して旅をしています」
決して嘘ではないその言い分は、嘘の苦手なシシュにとってはちょうどいい。衛兵たちもすぐに納得の顔になった。
「コヘリオは初めてか?」
「いえ、十年ほど前に一度来たことがあります」
その時は人外らしきものは何も見つからず、化生を数体斬って終わったのだ。衛兵たちは納得顔になると最後に一つ問うてきた。
「で、お前は生きている人間か?」
「……生きてはいますが」
人間ではないがそれを言う必要はない。鞍の上から黒蛇がシシュに言った。
『どうしてそんなことを確認するのか聞いてください』
「どうしてそんなことを確認するのですか」
「何、最近地上じゃ死人が当たり前の面で跋扈しているというからな。念のための確認だ」
死者の軍勢の話はこんな山奥にまで影響しているらしい。衛兵が薄い鉄の腕輪を渡してくる。
「これは通行許可証のようなものだ。外さぬようにな」
「ありがとうございます」
腕輪を左手首に嵌めたシシュは、検問を越えて馬を進める。ここからもう少し登れば最初の集落が見えてくるはずだ。黒蛇が遠ざかる衛兵たちを振り返る。
『その腕輪、つけていない方がよろしいのでは』
「外してはいけないと言われたんだが」
『以前にはなかったでしょう』
「それはそうなんだが」
どの道、コヘリオは小さな国だ。余所者はすぐに分かる。
シシュは腕輪をつけたまま山道を登り、そして無事投獄された。
死者の国には、一本の川が流れているのだという。
それは死者の魂を綺麗に洗い流し、別のところへと送る川だ。その川に浸かったが最後、死者は己が持っていたものを全て捨て去る。記憶も業も罪も功績も。何も残らない。
だからそこを渡るのは、己の生にある程度満足した者、或いは疲れ果てた者だけだ。そうでない者は地上に留まるか、新しく別の生を得る。それは迷いが為せる選択だ。死者は生ききったなら川に向かう。
――そう教えてくれたのは、十年前コヘリオに来た時に会った、巫の老婆だった。
「で、どうしてこうなっているんだろうな……」
『その腕輪のせいだと思いますよ』
シシュが入れられた牢獄は、天然洞窟に鉄格子を嵌めて作られたものだ。
特に何かをしたというわけではない。ただ集落についたところ、街の人間に「よく来ましたね」と案内され、兵たちに引き渡され、気づいたらここにいた。
途中で何かがおかしいな、とは思ったが、逆らって事を荒立てるのも不味いかと思ったらこれだ。黒蛇が「だから言ったのに」という顔をしている気がするが、表情がないので気のせいだろう。
『おそらくあの検問の時点で何かを疑われていたのでしょう。その腕輪は「投獄すべし」という印だったのでは』
「あの受け答えの何が不味かったのか分からないんだが」
『それは確かに。向こうにしか分からぬ何かがあったのでしょう』
投獄にあたって、シシュは持っていた武器を全て荷物と共に預けさせられている。左足に巻きついている黒蛇の他に何も持っていない青年は、岩屋の牢獄を見回した。ごつごつとした床部分は長く座ることもできないだろう。灯りは鉄格子の先に一つ松明があるだけだ。
「このまま放置される感じだろうか」
『外を見てきます』
黒蛇は言うなり鉄格子の隙間を抜けてしゅるしゅると外へ出て行った。とても助かる。このまま放置されるのだとしたら脱獄するし、そうでないなら相手の出方を待つ。
黒蛇はすぐに戻ってきた。
『よく分かりませんでした。でも脱獄しましょう。あの人たちはあなたを出す気がありません』
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