第178話 始末



 ――街のすぐ外で、獣に腹を食われた死体が出た。

 その話は、同日中に伝聞としてサァリのところにまで届いた。


「獣? こんな街の近くに?」


 アイリーデの周辺には獣が寝床にできるような場所はない。街から離れれば野盗が現れることもあるが、こんな間際で人が襲われたことなどないのだ。

 話を持って来た下女は、青ざめて頷く。


「そのようです。腹から下が食われていたと……。ただ不審な点がちらほらとあったそうで」

「不審な点?」


 下女は少し躊躇った後、口を開いた。


「血が、ほとんど流れていなかったと。そして残された歯形が――」


 その先を聞いたサァリは、あわただしく支度をすると夫がいるだろう自警団へと向かった。



                 ※



「最悪の事態ですね……」


 サァリが自警団に辿りついた時には、事態はもう少し悪化していた。

 最初の犠牲者が見つかったことによって自警団が捜索したところ、街の周辺、街道から少し離れたところで同じように「食われた」死体が三つほど見つかったのだ。

 いずれも一人で行動していたらしい彼らは、アイリーデの出入りの商人や客だ。ただ彼らと前後して、「襲われたが命からがら街に逃げこんで自警団に保護された」という客が一人おり――そこで相手の正体が知れた。


「顔の見えないガキに襲われたんだと。どう考えてもこの間のやつだろ。ついてた歯形は『人間』のものだった」


 珍しく自警団の詰め所にいるタギが、お茶を飲みながら吐き捨てる。

 その隣にいるのは鉄刃で、奥の壁にはシシュが寄りかかっていた。

 現在アイリーデで稼働している化生斬りはこの三人だが、全員が揃っていることなど珍しい。

 珍しいが、それだけの事態だ。

 他にも自警団員が緊張の表情で顔をそろえる中、会議机に座る自警団長が、やって来たサァリに問う。


「あなたは相手をご存じなのですか。タギも知っているようですが」

「……二人でいる時に出くわしたのです。街へ入る許可を求めていましたが、それを拒否しました」

「お嬢は『灰』って言ってたか?」

「ええ。元はタール家に昔から軟禁されていた、外洋国の人外です。人の血を求める性質を持つので、血液目当てで人を食らったのでしょう」


 タール家、と口にした途端、シシュを除く全員が嫌そうな顔になったのは、街でのタール家の評判が芳しくないものだからだ。街や店で粗暴にふるまう。他の客の迷惑を考えず、酒に酔って大騒ぎをする。あちこち土足で歩き回り、どこにでも物を捨てる。そんな小さなことの積み重ねで店や他の客からの苦情が溜まっているのだ。自警団員は喧嘩の仲裁に駆り出されることも少なくない。


 今回の死者も、酔って街の通りで用を足そうとしていたのを自警団が注意したところ、自分でふらりと門の外に出て行って、それきり戻らなかったらしい。

 そのいきさつを聞いた時はサァリも頭が痛くなったが、犠牲者はタール家以外にも及んでいる。このままアイリーデを出入りする人間が襲われ続けたらたまらない。


 自警団長が重い口を開く。


「これに関して、ランド・タールは『自分たちで始末をつける』と言っている」

「化生も見られないただの武人が大きく出たもんだな」


 タギがすかさず皮肉を挟むが、タール家から逃げた人外でタール家の人間も殺されているとなれば筋は通る。サァリが溜息をついた。


「あの『灰』はアイリーデの中には入れませんから、必然的に討伐も街の外でのことになるでしょう。外だから自警団は口出しするな、と言われればまあ……通るのかな……無理がありそう……」

「失敗したらこちらで引き取ればいい。その間、住人や客や商人に被害が出ないよう誘導に回ろう」


 鉄刃がそう言って立ち上がる。彼の意見は落としどころとしてほぼ全員の意見と同じだ。

 皆が動き出す中、タギがサァリに言う。


「お嬢も出る気か?」

「一応、様子は見にいきます。あの手の人外と一番相性がいいのは私ですから」

「それは構わねえが、孕んでないだろうな。いざという時、力が使えなくて巻き添えを食ったら面倒だぞ」


 相当不躾な確認だが、アイリーデにとってサァリは血筋を継ぐ必要がある唯一の存在だ。壁際のシシュが軽く眉を顰めただけで、サァリは普通に返した。


「身籠ってないから大丈夫です。ちょっと機を逸しちゃったから……」


 ――これに関しては、シシュだけには説明してある。

 もともと神という存在を継いでいく彼女たちが次代を身籠るには時間がかかるのだ。それを例外的に緩和しているのが客取りの時の「人のやり方で、人の世に留まる」という約で、あの夜を逃してしまった以上、懐妊は普通の女よりずっと手こずる。実際サァリ自身も、トーマとはかなり年の離れた兄妹なのだ。神性を切り離したディスティーラの出産ほどではないが、長い目で見て欲しいことは夫には言っておいた。言わないと彼は勝手に一人で悩みそうだと思ったからだ。


 タギは軽く鼻を鳴らす。


「ならいいが。旦那の傍から離れるなよ」

「分かりました」


 タギは面倒そうに肩を回しながら会議室を出ていく。

 椅子から立ち上がろうとするサァリに、やって来たシシュが手を差し出した。


「巫は月白で待っている、という手もある。俺が始末をつける」

「それはありがたいけど、またあの人に文句言われそうだし」


 ランド・タールの「弟を起き上がらせた『灰』を自分に結びつけろ」という要望を、一度はサァリも受けたのだ。それを反故にするだけの乱暴を、ランド・タールはまだぎりぎりしていない。今の状態でサァリが退けば、後から要らぬ揉め事になる恐れがある。

 サァリは微笑んで夫の手を取った。


「それに、自分の手で何とかしたいって思ってるのはきっと、あの人だけじゃないよ」


 青い瞳が、神の威を孕んで不敵に輝く。


「人を殺した妹の始末を、あの女がどうつけるか――見届けさせてもらおう」


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