第171話 血脈


 問題ばかりを抱えたランド・タールを館内に上げたくはないが、玄関先で出来るような話でもない。

 サァリはこめかみを押さえたいのを堪えて、笑顔を作った。

「どうぞ中にお入りください。お茶をお出ししますわ」

「神の館か。話には聞いていたが入るのは初めてだ。どんな女がいるのか」

「お通しするのは別の部屋ですから。お客様としていらっしゃるのなら後日お願い致します」

 さらりと返して、サァリは下女に部屋の支度を申し付ける。

 月白にはいくつかの客室があるが、そのうちの一つは商談に使う座敷だ。花の間に無頼漢を通して面倒なことになるより余程いい。



 座敷へと先導する彼女に数歩遅れて、シシュは珍客と共に長い廊下を歩き出した。

 楚々とした館主の後姿を見ながら、ランド・タールは彼に囁く。

「お前、あの小娘を買ったことがあるのだろう?」

「…………何故それを」

 しらを切った方がよかったのかもしれないが、顔に出てしまった以上仕方がない。

 愕然とするシシュに、男はからからと笑った。

「話しているところを見れば分かる。気位の高い娼妓ほど、容易く男を近づかせないからな。それより、どうだった? 顔だけは完成品だが、まだ幼いだろう?」

「……お答えするようなことは何も」

 隠し切れない不愉快さでシシュは返す。

 アイリーデの中には、下卑た噂話を好む人間も多いが、それもシシュがただ一人の客と知った上でのことだ。ランド・タールのように、彼女を普通の娼妓と思っている人間に、要らぬ詮索をされたくない。

 いつも苦い顔をますます苦くするシシュに、男は笑った。

「そう嫌な顔をするな。単なる興味本位だ。あの小娘も、あと五年も経験を積めば佳い女になる。おれが買いに来るとしたらその頃だ」

「そのような日は来ないかと思いますが」

「何だ、身請けでも考えているのか? そこまで入れ込んでは妻が黙っていないぞ」

「…………」

 溜息を飲みこむ。

 やはりこの男を月白に連れてきたのは失敗だったかもしれない。

 自分が話に付き合うだけでも疲れるのだ。サァリを同じ目にはあわせたくない。

 無言になるシシュに、ランド・タールは少し困ったような顔になった。

「怒ったのか? 妓館での話など、単なる酒の肴だろう」

「寝所でのことは、人に話すようなことではありませんので」

 サァリは館主として、巫として、そして娼妓として、いくつもの側面を持つ女だが、二人でいる時の彼女は私人としての彼女なのだ。誰に話すようなものでもない。

 きっぱりとそう切り捨てるシシュに、男は目を丸くする。

「娼妓を買う割に、変わった男だな」

「そうですか」

「だが面白い。信が置けそうだ」

 勝手な評価に白眼を向け、シシュは見知った廊下を行く。

 その先ではちょうど下女が、サァリの為に座敷の襖を開けているところだった。



「弟御様が、死した後に蘇られたと?」

「ああ。確かに埋葬したはずだ。それが、女と一緒に歩き回っていた」

 場所を座敷に移しての話。ランド・タールの話に、サァリとシシュはそれぞれ思案顔になった。

 死者を蘇らせるという話は、実際に王都で二人が目の当たりにしてきたことだが、問題なのはそこではない。

「その女性は、ずっとタール家にいたというのですね」

「少なくとも先々代の統領の頃から、離れに住んでいた。軟禁されていたという方が正しいか。話ではずっと昔、当時の統領が若かった時分に、外洋国から連れ帰ってきたらしい」

「外洋国……それは『灰』でしょうね」


 まとめてしまうと、ランド・タールの話はこうだ。

 彼と義兄弟の契りを結んだ青年、トレワ・タールが、ある時仲間内の小競り合いで命を落とした。

 それについては解決したのだが、埋葬された翌晩、トレワが女と歩いているところを何人かが目撃したのだという。

 ランド・タールはその目撃情報を聞いて、女が離れに軟禁されていた人外であると察した。実際、離れはいつの間にかもぬけの殻になっており、そこにはいたはずの二人は忽然と消えてしまっていた。

 ランド・タールはあわててトレワを追ったが、何度か追いついたものの彼らを取り逃し今に至るという。


「あれらは、まるで影のように地に溶け消えてしまうのだ。だからいつまでも殺せない」

「それは分かりますが……」

 だからと言って、化生と同じように灰を縫えるものだろうか。

 考えこむサァリに替わって、シシュが問うた。

「離れにいた『二人』が消えていた、と仰いましたが」

「軟禁されていたのは二人だ。姉妹のように見えたが、何だか分からない。トレワと一緒にいたのは姉の方だが、妹の方が何処に行ったかは皆目見当がつかん」

「妹って……」


 それは先程アイリーデの南門で邂逅した、顔のない女児ではないだろうか。

 姉がいるからといって、やって来た「灰」。

 もしそうなのだとしたら、姉である「灰」は今、アイリーデにいるということになる。


 ぞっと背筋が凍る。

 自分の街に、自分の感知出来ない「何者か」が入り込んでいる。

 それは恐ろしくも―――― 憤らざるを得ないことだ。


 凍りつくサァリを一瞥して、シシュが問うた。

「失礼ですが、弟御を蘇らせた女の目的は何か、分かっているのですか?」

「知らん。トレワの様子も会う度に違うのだ。前のあいつと同じ『自分がまだ生きている』と思いこんでいる時もあれば、人が変わったかのように狂っていることもある。かと思えば、人形のようなこともあった。まるで玩具のように動かされている。理解しようとするのも無駄だ」

「自分はまだ生きている、ですか……」


 言われてみれば、王も似たようなことを言っていたのだ。

『ミヒカ王女は途中まで、嘘を言っているようには見えなかった』と。

 五尊に荒らされる祖国の為にシシュを連れ帰ろうとしたことも、その図り事が露見して窮地に陥った時も、彼女は嘘をついているように見えなかった。人の内心を見抜くに長けた王をして、そう思わせたのだ。それは或いは、彼女がまだ「自分はイスファの王女なのだ」と思いこんでいたからかもしれない。

 ―――― 同時にシシュは、人形のようにしか見えなかった友人のことを思い出す。


 サァリは端整な夫の横顔を一瞥して言った。

「わたくしのところにいらっしゃったのは、弟御様がアイリーデにいらしたとかで?」

「鋭いな。似た人間をこの街で見かけたという話が入ってきた。だが、お前のところに来たのはそれだけではない。単純に興味があったからだ」

「興味?」

 それは神話より来る聖娼を見たい、ということだろうか。

 よく言われる話にサァリが納得しかけると、男は首を横に振った。

「いや? お前が、おれと血が繋がっているからだ」

「…………え?」

 サァリとシシュは顔を見合わせる。

 ランド・タールと彼女の何処に共通点があって、何処に繋がっているのか。

 質の悪い冗談のような話に、男は補足した。

「タールの五代前の統領……つまりおれの先祖が、ここの館主を買った際に子が生まれたらしい。その子が次の館主になったという。つまり、おれたちは同じ男の血を引いているということだ」

「そ、それは……」

 何と言っていいのか。血が繋がっているのは確かなのだろうが、限りなく薄いし、遠い親戚にも程がある。さすがにそこまでサァリも把握していない。

 ―――― だが確かに言われてみれば、あり得る話だ。

 月白の主は歴代一人しか客を取らないが、一方の客たちは、シシュのように一生を相手と添い遂げる人間ばかりではないのだ。

 ただ、ランド・タールの祖は、一族の元に戻っても美しい神について何も言わなかったのだろう。彼はそうして妻を娶り血を残した。

 ほんの一時、床を共にして分かれていった二人にどんな感慨があったのか。

 自分には想像出来ずにサァリは表情を曇らす。それを見ていたシシュが、ぽつりと言った。

「大丈夫だ」

「…………」

 何を言わなくても、彼は常に抱える不安に気づいてくれているのだろう。

 サァリはふわりと口元を綻ばす。花が咲くに似た微笑に、ランド・タールが目を丸くした。

「なんだ、本当に生娘みたいだな」

「あなた様には関係のないことですわ」

 冷ややかに一蹴してサァリは顔を上げる。

 そして言った。

「血の繋がりなど花街には大した意味のないもの。それより、この街で人外が何かをしようというのなら、わたくしは要請にお応えしましょう」


 死者を連れ歩く灰が何を狙っているのか、その意図を知ることに意味はない。

 ただ排除するだけだ。少なくともアイリーデにおいては、他の選択肢はない。


 サァリの言葉に、ランド・タールは不敵に笑う。

「ならば、おれの敵をおれに繋げろ。一生忘れられぬ戦を見せてやる」

「お好きなように」

 冷然と答えてサァリは目を閉じる。

 妻のその横顔を、シシュは眉を顰めたまま何かを考えるようにして見つめていた。

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