第170話 要請
アイリーデにおいて、巫とはただ一人だ。サァリ以外の巫はいない。
ランド・タールもまたそれを把握しているのだろう。だから「巫のいる妓館を」と指定してきたのだ。
ここで断ることは容易いが、それをしても結局、彼は《月白》に来てしまう可能性が高い。
―――― ならば自分の知らないところで妻と彼が出くわしてしまうより、自分が立ち会っていた方がましだ。
シシュは短い間にそう考えると、口を開いた。
「案内をするなら、彼女に無礼は働かないとお約束をお願いします」
「ほう? 面白いことを言う。おれが無礼を働くとでも?」
「誰であろうと関係なく。彼女の存在をご存知なら、アイリーデの神供三家が当主の一人だともご存知のはずです。特に彼女が館主を務める妓館は特殊な場所ですので、その不文律に従うと約束して頂きたい。それが案内の条件です」
淀みなく言いきるシシュに、ランド・タールは面白そうな顔になる。
子供のような好奇心。だがすぐに彼は、剣呑さをちらつかせた目になると、シシュを見返した。
「面白い。おれの振舞いに注文を出す気か」
「誰であっても、と申し上げたはずですが」
相手が大陸に名高い武人のランド・タールであっても、シシュに怯むところはない。平静な態度を崩さぬ化生斬りに、男はにやりと笑った。
「分かった。その条件を飲んでやる。案内を頼もう」
傲岸さを隠さない態度に、シシュは幾許か気の重さを味わう。
そうして彼は桜色の箱に視線を落とすと、改めてそれを大事に懐へとしまった。
※
一通り街の結界を強化して、月白に帰った頃にはすっかり夜更けだ。
まだ客の姿がない玄関に上がりながら、サァリは考えこむ。
「なんか……色々得体が知れないっていうか……」
「灰」が種族名である以上、王都で出会ったヨア以外にも何人かがこちらの大陸に入り込んできているのだろう。
タギが追い払った女児と、ランド・タールの義弟を起き上がらせたという女。或いは探せば他にも怪しい者がいるかもしれない。
「実際、アイリーデで事件を起こした虫は、私のことを知ってたんだから……」
以前この街で起きた一件で、虫に操られた娼妓は、サァリのことを「白月の姫」、シシュを「神配」と呼んだのだ。
王都の事件では虫の正体が分かったことからすっかり混同してしまったが、ミヒカたちはサァリの正体に気づいていなかった。
ならば最初から「灰」は「灰」でも別の「灰」であったか……それとも関係があるとしても相手方の内部で情報の伝達が出来ていなかったかのどちらかだろう。
「まったく……きりがない」
一度は絶滅したという五尊がどれだけ残っていて、どれだけ入り込んできているのか。その数が分からない以上、今はただ「際限がない」と思う。
だがサァリのそんな呟きに、先に玄関に上がっていたジィーアが振り返った。
「全部が悪い生き物なの?」
「え?」
「その、外から来たものたち。全部を殺さないと駄目なの?」
「それは……」
意外な言葉にサァリは美しい眉を寄せる。
別大陸で人に滅亡させられ、この大陸へとやって来た人外たち。
ヨアやミヒカの言い分からすると「こちらで復権を」という野望があるのだろうが、果たして五尊の全員が同じように思っているのだろうか。
今までのような彼らのやり方を彼らが続けていれば、自然と人からの反発も大きくなる。そうなれば待っている結果は、人間との全面対決、もしくは二度目の滅亡ではないのか。
サァリが腕組みをして考える間に、だがジィーアはすたすたと花の間に帰って行ってしまう。
見回りについてきたいと言ったのは一体何だったのか。結局のところあちこちを見て、お茶を飲んでいただけだ。掴みどころがない娼妓に、サァリは溜息をつく。
「まあ、いいんだけど」
「……
下女の顰められた声に、サァリは顔を上げた。見ると門から続く石畳を彼女の夫が歩いてくる。
いつもの帰宅には大分早い時間。それ以上に、彼の後ろからついてくる人物を見止めてサァリは唖然となった。
―――― 昼間、道で出くわしてしまったランド・タール。
出来ればずっと関わり合いになりたくなかった相手だ。それが何故、彼女の夫に連れられてやってくるのか。
招かれざる来客を招いてきたシシュは、ランド・タールを石畳の中程に待たせて自分だけが先にやって来る。
そうして彼は、灯り籠の下へ出てきた妻へ申し訳なさそうに囁いた。
「すまない。巫に用があるらしい。おそらく……五尊に関わる話だ」
「あー……」
タギが言っていた「義弟を起き上がらせた女を探している」という話は、どうやら本当だったようだ。
その上でアイリーデの巫に会いたいというなら、ランド・タールなりに何かしら当たりをつけてのことだろう。
シシュが小声で付け足す。
「話したくないなら断る。巫のいいようにしてくれ」
「大丈夫だよ。その話なら私も気になるし」
アイリーデに留まるサァリと違って、ランド・タールは広く大陸を動き回る人間なのだ。必然的に入って来る情報も多いだろう。それを知りたいと言えば知りたいのだ。
サァリの答えに、シシュは困り顔ながらも頷いた。
「俺が立ち会う。何かあれば止める」
「うん。ありがとう」
「―――― どうした? 紹介してくれんのか?」
尊大な声は、待たされたままのランド・タールのものだ。
シシュとサァリは、一瞬顔を見合わせる。夫婦である二人にこのような時に言葉は必要はない。
サァリが主としての笑顔を作ると、シシュは背後に向き直り己の妻を紹介した。
「彼女がアイリーデの巫です。この妓館の主でもあります」
「サァリーディと申します。先程は失礼いたしました」
頭を下げるサァリの言葉に、シシュは軽く目を瞠ったが何も言わない。
一方ランド・タールは興味津々の目で彼女を見た。
「なるほど、お前が巫だったのか。道理で肝が据わっている」
「勿体ないお言葉ですわ」
サァリは青い双眼に冷えた火を宿して微笑む。
街で会った時には未熟者を演じはしたが、相手が巫に会いに来ているなら話は別だ。
彼女は本来の彼女として相対せねばならない。
この街唯一の巫であるサァリは、アイリーデの象徴でもあるのだ。我が身可愛さで侮られることがあってはならない。
街中とは打って変わって落ち着いた空気の彼女に、ランド・タールは興味深げな目を向ける。
「何だ、小娘。そちらが素か」
「背伸びをしているだけかもしれませんわ。それより、どのようなご用向きでしょう」
中に通してもいいが、まずは相手の出方次第だ。
特別扱いをせぬことで相手の機嫌を損ねるかもしれないが、シシュがいてくれるなら多少の無茶も出来る。
不躾とも言える率直さに、だがランド・タールは、不快に思った風もなく答えた。
「人外の化物を探している。死人を墓場から呼び戻す化物だ」
「それについての心当たりを探していらっしゃるのですか?」
だとしたら、どの情報をどれくらい出すべきか。
内心計算し始めるサァリに、男はにっと笑う。
「いや? 古き街に引きこもっている小娘に、それは少し荷が重いだろう。だから、おれの用事は別のことだ」
「別のこと?」
サァリへの軽口にシシュが嫌そうな顔をしているが、今はまだ口を挟むつもりはないようだ。
ランド・タールは尊大に頷く。
「この街の巫は、化生を化生斬りに縫い付けることが出来るのだろう? なら、それと同じことをおれも頼みたい」
男は己の胸を指で指す。
「―――― 死人を操る人外を、おれに縫い付けてくれ」
「え……?」
剣鬼とも呼ばれる武人、ランド・タールからの意外な要請。
それを聞いた人ならざる二人はぽかんとして、もう一度お互いの顔を見合わせた。
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