第169話 邂逅


 顔のない少女へと振り下ろされた刃。

 それが子供の頭をかち割る未来をサァリは予見しなかった。

 ―――― 想像したのは、もっと別の光景だ。


 化生斬りの刀に触れるか触れないかのところで、女児の体は黒砂となって崩れ落ちる。それは液体のように地面に広がると、たちまち吸い込まれて土の中に溶け消えた。

 後には影も、染み一つも残らない。つい最近、似た光景を見ていたサァリは、口元を押さえて呻いた。

「……灰」

「クソ、逃がしたか」

 舌打ちするタギは、けれど微塵も動揺した様子がない。

 ともあれ、返事をしなかったということは、街には入れずに済んだようだ。殺せなかった以上、またやって来るのかもしれないが、ひとまずの不穏は去ったのだろう。

 刀を仕舞いながら戻って来る男に、サァリは尋ねる。

「今の子供、あなたには普通の子に見えていたんですか?」


 目鼻があるかも分からない子供に、タギだけは普通に返していたのだ。

 巫であるジィーアや自分と違って、化生斬りの男の目にあの子供はどのように映っていたのか。

 驚きから覚めぬままのサァリに、タギは呆れた顔になった。

「お嬢、あれが普通に見えたのか。もう巫をやめてさっさと子供を産んだらどうだ?」

「……普通には見えませんでした。顔が分かりませんでした」

 タギ相手に婉曲な問いをしても、嫌味でしか返されない。

 どう問い直そうか迷う彼女に、タギは冷ややかな一瞥を投げると、団子屋の縁台に座りなおした。

「お嬢、団子」

「……分かりました。ジィーアは?」

「花茶がいい」


 自由過ぎる二人の注文を取りまとめて店に伝えると、サァリは自分も縁台に座った。

 すぐにお茶と団子が運ばれてくる。餡子の乗った串を手に取りながら、タギは口を開いた。

「今朝、化生を斬った。久しぶりに人の実体を持っていたやつだ」

「っ、それは―― 」

「ただ目が赤くなかった。空洞だった」


 タギの話曰く、南門の付近で、顔を隠した女がふらふらと歩いていたらしい。

 痩せ細った体できょろきょろと落ち着かない様子の女を、タギは一目見て「人ではない」と判断した。

 そうして彼女に誰何したのだ。


「お前は何者で、何の為にここにいるのか、と聞いたわけだ」

「それに相手は何と答えたのです?」

「妹を待っている、と。妹も化生か、と聞いたが、俺の言葉が理解出来ないようだった。だから斬った」

「その話は、自警団には……」

「言ってない。ただ化生を斬っただけだ。おまけに今朝の話だぞ」

「そう……ですが」

 タギが化生と言うなら化生だったのだろう。だが聞いた感じ、普通の化生とは明らかに違う。共通する特徴の赤眼がないことからも明らかだ。

 サァリの疑問を感じ取ったらしく、タギが付け加える。

「目が空洞だってところも気になったけどな。どうにも何かから命令を受けているように見えた。だからここで、来るっていう妹を待ってたんだ。そいつが化生を動かしてるんじゃないかと思ってな。だがいざ現れたのはあれだ」

「……あれは、おそらく灰ですね」

「その、灰ってやつはなんだ」


 当然と言えば当然の疑問に、サァリは外洋国に伝わる五尊の話を説明する。

 空想めいた話を聞き終わったタギは、「阿呆か」と吐き捨てた。


「随分アイリーデを空けていると思ったら、おかしな話を持ってきたな」

「私が持ちこんだ訳ではないのです……」

「だとしたらタールのやつらか」

「え?」

 突然の矛先転換に、サァリは目を丸くする。

 タギは次の串を取りながら、誰に憚ることなく言い捨てた。

「あのタールの統領は、この街に来て人探しをしているらしい」

「人探し? この街の誰かをですか?」

「女を探してるって話だ。そいつは今もランド・タールの義弟と共に行動しているらしい」

「あの人の、ですか……」


 先程ランド・タールが街中で揉め事を起こしていたのも、人探しの一環なのだろうか。

 呟くサァリに、けれどタギは違う意味で剣呑な視線を向けた。


「お嬢、何だその言い方。まるでタールの統領を見てきたみたいな口ぶりだな」

「……見てきました。出くわしました。当たり障りなく逃げてきましたが」

「馬鹿が」


 タギがそれしか言わなかったのは、普段の悪態と違って本当にサァリの失態に呆れているからだろう。

 男は思いきり苦い顔になると、それには触れずに続ける。


「まあ、奴が娼妓に言うような与太話だ。何処まで本気かは分からん。そもそもこの街以外では一笑に付されるような話だろうしな」

「一生に付されるって……何故です」


 仮にも相手は、大陸に名高い武門の統領だ。いくらおかしな噂が多々ある人物でも人探しの話を笑われるはずがない。

 だがそんなサァリの疑問に、タギはあっさりと返す。


「単純な話だ。その義弟はとっくに死んでる。つまりランド・タールが探しているのは―――― 自分の弟を女だ」




            ※




 大通りから一歩入ったところの小道は、小さな店が建ち並び、住人たちが多く訪れる道具通りとなっている。

 日常的な金物屋から大きな調度品、或いはお茶や菓子、簪や扇子などの小物まで。アイリーデで暮らしていくなら、この通りで揃わぬものはない。外からの客よりも楽師や娼妓、職人たちの方が多く行き来する、アイリーデの一側面だ。


 そんな通りを休憩時間に歩いていたシシュは、小道具屋の店先で美しい簪を見つけて足を止めた。

 正絹のつまみ細工で作られたものは、つつましやかな薄紅色の花だ。それに真珠をあしらった簪は上品ながらも愛らしい。

 じっとそれを見るシシュに、店の主人が声をかけた。

「よろしかったらお手に取ってください。よい品ですよ」

「ああ、ありがたい」

 手に取って、目の上にかざす。彼は艶やかな銀髪を想像した。

「……サァリーディに似合うだろうな」

「月白さんにつけて頂けるなら、うちとしても鼻が高いですよ」

 この街の姫である彼の妻は、何処にいても人目を引くのだ。

 いい宣伝になるだろうし、そうでなくても飾り小物を扱う店からしたら、自分の店の品が彼女の手に渡るのは光栄だろう。

 だがシシュは、そんなこととは関係なく細工を褒める。

「いい色だ。丁寧な仕事だ」

 職人が聞いたら面はゆく思う率直な言葉に、店主の男は顔を綻ばせた。


 サァリの夫であるこの青年は、いわゆる「アイリーデの人間らしくない」性格なのだが、その実直さを好ましく思う人間も多いのだ。

 特に客商売の人間ほど、彼の性質を貴重に思う。この店の主人もそのクチで、だから彼は「他にもっといいものがある」などと薦めずに、シシュが選ぶに任せていた。結局、彼が自分で選んだものの方が、サァリーディも喜ぶのだ。


 化生斬りの青年はいくつか簪を手に取って比べて、元の一本に戻ってくる。

「これを頂けるだろうか」

「はい。今包みますよ」


 彼がサァリにこうして贈り物をするのは珍しいことではない。

 特に理由はなく、ただ目に付いたものが彼女に似合うと思えば、それを贈る。

 今まで贈ったものは稀少な宝石から小さな植木鉢まで様々だ。だが彼女はその全てに驚き、喜んでくれた。

 そうして嬉しそうな笑顔を見られるのが、彼女と暮らす幸福の一つだろう。


 支払いを済ませたシシュは、綺麗な桜色に包まれた箱を受け取る。

「ありがとう。妻も喜ぶ」

「月白さんによろしくお伝えください」

 丁寧な挨拶を受けて、シシュは店を後にする。そうして通りに一歩歩き出しかけた時、彼は―――― だが思わず呻き声を上げてしまいそうになった。ちょうど店の外を通りがかった人間と目が合う。

「なんだ、また会ったな。この街の化生斬りだったのか」

 暗い赤に染めた革の洋装に目だった顔の剣傷。

 刀ではなく長剣を佩いた男は、今日は馬車ではなく徒歩だ。

 そして―――― 、返り血にまみれてもいない。


 数年前のあの時は、明るい月光の下にいたランド・タールは、今は灯り籠の火を受けながら、興味深げにシシュを見やる。

「どうした? おれが分からぬか。……ああ、顔を見せていなかったからか」

「いえ。少し驚いただけです。街道では失礼致しました。ようこそアイリーデへ」

 それだけ言って、シシュはさっさと立ち去ろうとする。だがその肩をランド・タールが掴んだ。

「それが妻への贈り物か」

「……………………」

 質問ではなく断言なのは、店での会話を聞かれたか何かだろう。

 ちらりと振り返ると店の主人が顔色を失くしているが、商いをしていただけの人間をこんなことに巻きこむのは申し訳ない。

 これはむしろ、ランド・タールの評判に振り回されて、変に身構えない方がいいかもしれない。シシュはあっさりと返した。

「そうです。では、私は仕事がありますので」

「まあ待て。この街の化生斬りは自警団所属なのだろう? なら客の案内してくれてもいいだろう」

「案内は自警団の仕事ではありません」

「少しだけだ。――この街の巫がいるという妓館を知っているか?」

「……………………」


 サァリをあれだけ隠そうとしたのに、自分が問題を連れて行く羽目になったらどうすればいいのだろう。

 シシュはそんなことを考えて―――― 一人、夜空を仰ぎたい気分になった。

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