第168話 顔無



 東部の戦士たちは、荒くれ者で礼儀を解せず、獣のように振舞って憚らない。

 ―――― それは客商売の者たちがしばしば彼らについて揶揄することだが、サァリにとってはあまり関係のないことだ。

 月白では、客は皆が同一の流儀に従う。それが飲みこめぬものは客になれぬのだし、何処から来たのかは関係ない。

 北の館においては、彼女の裁定こそが絶対だ。

 そしてだから……このように館の外で問題人物と出くわしてしまったら、慎重に立ち回らないといけない。


 サァリはランド・タールを見上げながら、娼妓としての微笑みを作る。

 彼に関して聞く噂は様々だ。


 曰く、彼は鬼との混血である。

 曰く、強者との戦いを何よりも好む。

 曰く、人の妻を奪うことを至上の歓びとする。

 曰く、その趣味の為に部下を殺し妻を奪ったこともある……らしい。


 他にも、とある二つの部族の仲裁を頼まれ、首領たちの妻を寝取った話や、東国での戦闘において一人包囲されてもなお、百人を殺して離脱したとの話など、突拍子もない噂話は枚挙に暇がない。

 シシュが聞いたならうんざりと顔を顰めそうな話ばかりだが、サァリの夫はそういった噂話だけで人を決めつけないという側面もある。ならばやはり、ランド・タールとシシュには過去に何かがあったのだろう。


 ともかく、今のサァリがまず気をつけねばならないのは、目の前の男からどう立ち去るかだ。

 当たり障りなく彼女は頭を下げる。

「では、失礼いたします」

 そう言って踵を返したサァリは、けれど次の瞬間、着物の襟首を捕まれ悲鳴を上げそうになった。

 周囲の人間が、月白の主への無礼に顔色を変える。中には反射的に駆けだしかけた若衆もいた。

 だが人だかりの中のそんな反応には気づかず、ランドは転びかけた軽い体を支える。喉を押さえるサァリを悪気の欠片も見えない顔で覗きこんだ。

「待て、小娘。お前は中々気骨があるな。面白い」

「過分なお言葉恐縮ですわ。何分若輩ゆえ物知らずでして」

「何処の店の人間だ?」


 その問いに、周囲が息を飲んだのはサァリの気のせいではないだろう。

 正統《月白》の主、サァリは、もっとも特殊な娼妓でありながら――この街の象徴の一つでもあるのだ。

 それが無法者の手に晒されるとなっては、住人たちは黙っていられない。

 この場を当たり障りなく切り抜けられるかどうかは、サァリの才覚次第だ。

 そして対応を誤れば、他の人間も巻き込みかねない。


 サァリは短い間にいくつもの考えを巡らせる。

 客商売の人間として失礼にならないように。月白の主として嘘をつかないように。

 この街の神として無法を行わせないように。―――― シシュの妻として、自身に興味を持たせないように。


 その結果彼女は……じろじろと品定めをする目で男を見上げた。

「わたくしの店は《北の館》ですけれど。街中で騒ぎを起こされるような方には、古いだけの店は退屈でございましょう」

 若さが先に立つ高慢な態度。人によっては不快に思うであろうそれに、けれどランドはにやりと笑う。

「なるほど。その負けん気は悪くないが、まさしく半人前だな」

「何ですって?」

「幼過ぎるのは興ざめだということだ。あと五年もして男を知ったなら買いに行ってやる」

 顔を引きつらせるサァリに手を振って、ランド・タールは通りを戻っていく。

 その後ろ姿を憤然と睨んでいたサァリは、彼が雑踏の中に消えるとようやく表情を崩した。溜息を一つついて元の優雅な館主へと戻る。事態を見守っていた一同へ丁寧に頭を下げた。

「お騒がせいたしました。……ありがとうございます」



 ランド・タールが去り、場の空気が緩むと、サァリはジィーアを連れて細い路地に入った。街の住人しか使わない裏路地を行く主に、ジィーアは不思議そうな目を向ける。

「さっきの何、サァリ。何か変だった。別の人みたいだった」

「変って。あの人は若い娼妓が好みじゃないだろうなって思ったから、その通りにしただけだよ」

「サァリはわたしよりも年下じゃない」

「実年齢のことじゃないから」


 人妻が好きだというランド・タールの噂は、言ってしまえば成熟した女を好いているということなのだろう。

 ならば、適度に評価されつつ興味を失わせるには、「勝気で青臭い小娘」ぐらいの印象が無難だ。

 最初の様子から言って、彼は物怖じしない意気を喜ぶのだろうが、それでも世間知らず鼻っ柱の強い子供は趣味の範囲外だ。

 だからこそサァリはそのような少女娼妓として振舞ってみたのだが、狙いは無事当たっていたようだ。


 一方、そういう駆け引きがまったく出来ないジィーアは眉を寄せた。

「別に断ればいいだけじゃない? 面倒なことしなくても」

「あの手の人は、『手に入らない』ってなると興味がなくても欲しくなって、むきになっちゃうの。でもそうなったら面倒でしょう? だったら最初から興味持たれないのが平和だよ」


 ランド・タールが人の妻ばかりに興味を示すのも、「手に入れにくいものへの挑戦」という意味合いが強いに違いない。

 だとしたら断ることさえ裏目に出てしまう。サァリは引っ張られた襟首を整えた。


「あんまりこじれてシシュに知られたら大変だから。余所の人なら《北の館》って言われても何処だか分からないだろうし」


 アイリーデにおいて、《北の館》が示す妓館は月白だけだ。

 だが外から来た人間でそれを知る者はほとんどいない。要注意人物にいきなり出くわしてしまったことには肝も冷えたが、結果としては丸く収まった。

 サァリはそのまま細い路地を通って街の外周に出ると、少しずつ結界を補強していく。



 街自体は二階建てやせいぜい三階建ての低い木造屋ばかりが建ち並ぶアイリーデだが、外側はぐるりと高い石壁に囲まれている。

 これは約二百年程前の、戦乱が大陸を吹き荒れた時代に造られたものだが、それ以来アイリーデに戦火が及んだことはない。

 先だっての不穏な情勢においても、街中でいくつか暗殺や襲撃が起きただけで目立った異変は起きなかったのだ。

 出来るならこれからもそうであって欲しい―――― サァリはぼんやりとした願いを抱きながら、白い少女に問うた。


「ジィーア、私の結界ってやっぱり、死人の侵入は防げない、よね?」

「大雑把なことを聞かないで。客についている死人は見えるわ」


 それはつまり、サァリに視認出来ない類の死者は、月白の結界を無視して中に入って来られるということだろう。

 客の後ろにたまに憑いてきているという死人とはぞっとしない話だが、館主たるものそれくらいは鷹揚でいたい。

 ただ問題は――――


「肉体のある死者はどうなんだろ」


 灰の操る起き上がった死者は、はたして月白やアイリーデの結界を越えて来るのだろうか。

 白羽が侵入出来ることは既に分かっているが、五尊全てに素通りされても困る。



 悩みながら外周を回って南門まで来たサァリは、そこに顔見知りを見つけて目を丸くした。

 いつもの着流し姿で団子屋の前に座っているタギは、彼女たちを見るなり思いきり顔を顰める。

「どうしてこんなところにいる、お嬢。人妻は人妻らしく館内にいろ」

「……あなたが言うなんて相当ですね」

 普段、何処かの妓館に入り込んで外に出てこないタギでさえ、今回のタール一族の逗留については知っているらしい。


 ジィーアは苦手なタギを見るなり、嫌な顔をしてサァリの背中に隠れてしまった。

 そんな月白の女たちに、気まぐれな化生斬りは冷笑を見せる。

「不用心も大概にしろ。自分から揉め事を振り撒くな」

「揉め事が起きないように、こうして外を歩いているのですが」

「そう言う戯言は、てめえの旦那を御しきれてから言うんだな。痴情のもつれでタールの統領を殺して戦を引き起こしても知らんぞ」

「……笑えない冗談はやめてください」

 さすがにシシュも余程のことがなければ踏みとどまるとは思うが、余程のことがあれば間違いなくランド・タールを殺すだろう。

 ただ皆大人なのだから、さすがにそこまでのことにはならないと思いたい。

 サァリは頭痛のしそうなこめかみを押さえた。

「それより、あなたはどうしてこんなところにいるのです。仕事はどうしました?」

 いくら最近化生が出なくなったとは言え、ただただ油を売られても困る。

 サァリの釘刺しに、けれどタギは団子の串を振った。

「頼まれ事をされたんだよ。だからここで待ってる」

「頼まれ事? 何ですかそれは」

「別に大したことじゃねえ―――― 」


 そこでタギは言葉を切ると、門の向こうを見る。

 つられて二人が彼の視線を追うと、そこには十歳くらいの女児が立っていた。

 光の加減か緑がかった黒い髪に、粗末な洋装。手には草を編んで作ったランプを提げている。

 何ら変哲のない立ち姿。

 だがそれ以外を見て、サァリは絶句した。団子の串を持ったタギが立ち上がる。


「ほら、あの娘だ。『もうすぐ妹が来るから通してやってくれ』って頼まれた」

「妹って……」


 女児の何がおかしいかと言えば、その顔だ。

 彼女の小さな顔は、まるで靄がかかったかのように造作が分からない。目鼻も口も、あるべきものが視認出来ない。


 自分の目がおかしくなったのか、サァリは後ろを振り返る。

 けれどそこにいるジィーアも青ざめきって女児を見ているだけだ。

 当たり前のように、タギが門の方へと歩き出す。

 門に立つ自警団員は異常に気づいていないのか、顔のない子供に見向きもしない。


 子供は、見えない口を開いて言った。


「いーれーて」


 調子はずれの高い声。耳障りなその声音にサァリは顔色を変える。

「……っ」

 ―――― あれに返事をしては不味い。

 まだあれは街の外にいるのだ。立ち入る許可を与えてはならない。

 無造作に歩み寄っていくタギへ、サァリは手を伸ばしかけた。

「待っ――」

 だがそれより早く、男は顔のない少女に笑いかける。

「よく来たな。ここがアイリーデだ」

「タギ!」

 サァリの叫びに、彼は振り返らない。

 そしてタギは己の刀を抜くと―――― 女児の頭めがけて振り下ろした。

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