第167話 仲裁


 神話の享楽街、アイリーデ。

 トルロニア王都の北西に位置するこの街には、多くの国から様々な客が絶えず訪れている。

 古い享楽街の持つ、何処の国にも、何処の時代にもよらない空気が、束の間の安らぎと慰めを人々に与えるのだろう。だからこの街では、やってきた客の身元を詮索することはない。知っていても知らぬものとして振舞う。

 そうして、夢の中のような郷愁の街は続いていくのだ。この街だけの不文律に基づきながら。


               ※


 夕闇が街を浸し、通りの灯り籠にぽつぽつと火が入り始める時間。

 北の正統《月白》の主、サァリは、花の間にて馴染みの客に白茶を振舞っていた。

 二人の老人たちは、主のもてなしを受けながら話に花を咲かせる。

「この街に来ると落ち着くよ。最近は王都も物騒な事件が多くてね」

「人が大分殺されたそうだな。誰かが飼ってた獣でも逃がしたんじゃないかという話だが」

 その話に、事件の渦中にいたサァリは微苦笑する。

「余所の国でも不思議な人死にがあるとは聞いておりますわ。イスファでも血が抜かれた死体が見つかっているとか」

「ああ、似た事件がアイリーデでもあったね。厭な話だ。近頃は大陸のあちこちで同じような話があるらしい」

「……あちこちとは、何処でですか?」


 それが今、彼女の知りたいことだ。

 何処にあの虫がいるのか。その行動範囲を知りたい。それが分かれば、ミヒカや灰を捕まえられるかもしれないのだ。


 大店の隠居として多くの情報が集まってくるのだろう二人は、心当たりを探して視線を巡らす。

「そうさなあ……大陸のそこかしこから話を聞くよ。流行り病じゃないかって話も出ているくらいだ」

「――最近は東で特に多いな」

 冷えた言葉に、サァリは小首を傾げる。それは老人の言葉に確信めいた芯を感じたからだ。

「東、ですか?」

「ああ。私はあれを、化生の仕業じゃないかと思ってるんだ。東は化生斬りが少ないだろう? そのせいで被害が集中しているんじゃないか?」

「ああ……」


 大陸の歴史を振り返ると、東方は武門のタールをはじめとして多くの戦士を輩出しているが、代わりに化生斬りが少ないのだ。

 それは、化生を見る能力を持つ者が少ない、というより、その能力が軽視されているせいであろう。

 東部出身の戦士は多くが豪胆で、曖昧な存在を嫌う。そのような存在に毒されて道を誤る者もまた軟弱であると、彼らは謗って憚らないのだ。

 だがそれは時に―――― 致命的な結果をももたらす。


「化生斬りは、化生以外にも感覚が鋭い者が多いですから……」

 あの虫の羽音をタセルは聞くことが出来なかったが、化生斬りの勘の強さには個人差がある。人によっては人外の気配を察することも出来るだろう。

 それに何より「そういう人外がいる」という発想が出来るということが、化生斬りやそれに近しい者たちの強みだ。


 東部出身の戦士たちは、その点であやかし相手に不利だ。

 サァリは青い目でテーブルの上を見つめる。澄んだ紅色のお茶の表面に、人には見えぬ波紋が揺らぐ気がした。

 彼女は表面上は笑顔を作って頼む。

「あの、出来れば今後もそのようなお話がありましたら、わたくしに教えて頂きたいのです」

「構わないが、巫よ、あなたも気をつけなさい。アイリーデでも似た話はあったのだからね」

「死者が起き上がるなんて噂もあるくらいだからねえ」

 その言葉に、床に寝そべっていたジィーアが顔を上げる。彼女の目に苛立ちと不安がよぎるのを横目で見て、サァリは視線を戻した。

「何が起きているのだとしても、いずれあるべき姿に淘汰されるでしょう。それが世の習いですから」

 少なくとも、自分はそのようにしてやろうと思っている。

 サァリは微笑むと、二人に断って席を立つ。だがそうして立ち去ろうとする彼女に、老人の一人が言った。

「巫よ。今の話ではないが、タールの人間がアイリーデに来ている。噂は知っているだろうから、気をつけておきなさい」

「……かしこまりました」


 アイリーデに戻る街道にて出くわしたタールの統領、ランド・タール。

 彼は結局、この街に来てしまったのだ。

 アイリーデに帰ってすぐそれを知ったシシュは、苦虫を集めて煮込んだ鍋を飲み干したような顔になっていた。

 もっともサァリ自身は、大して深刻に思ってはいない。どのような男であろうと、《月白》は女が客を選ぶ店だ。その大原則は覆らないし、覆させることはない。

 それよりもどちらかというと、街道ですれ違った時に彼が言っていたこと―――― 「血を啜るあやかし」の方が気になる。

 機会があるなら話を聞いてみたいが、それも自分でなければ出来ないことではない。むしろシシュとランド・タールの間に、かつて何があったのか。そちらの方がサァリの好奇心をそそっていた。


 優美にお辞儀をして、サァリは花の間を辞す。

 白羽を滅して以来、アイリーデに異変は起きていないが、だからと言って油断も出来ない。王都には全体に薄い結界を張ってきたが、アイリーデのそれも強化した方がいいだろう。

 サァリは着物の上から羽織を着ると三和土に降りる。玄関に控えている下女が問うた。

「主様、どちらに」

「買い物がてら見回りに。後はよろしく。夜には戻るから」

「かしこまりました」

「あ、もしタールの人たちが来ちゃったら、無法を働かない限りはいつものように。そうでなかったら私を呼び出して」

「はい、主様」


 今のところ、分かりにくい場所にある月白にまで彼らは行きついていないが、観光目的で来たのならいずれは顔を出すかもしれない。

 その時に自分がいた方がいいのかいない方がいいのか、今のところサァリには判別がつかなかった。

 改めて出かけようとした彼女に、廊下から声がかかる。

「サァリ、わたしも行く」

「え?」

 振り返るとそこにいるのは、真っ白い服の少女だ。滅多に動かないジィーアの気まぐれに、サァリは目を丸くした。

「いいけど。何か欲しいものでもあるの?」

「別に。外を見たいだけ」

 まるで人形のような娼妓は、何を考えているかよく分からない。

 ただ最近の出来事を考えるだに、ジィーアも異変に敏感になっているのだろう。サァリは死口の彼女が、昨今の事件に関しては一番感知能力が高いことを知っている。白羽や赤獏、そして灰もまたそうであるように、彼らの存在は、死や心―――― 物質とは別種の領域に近しいのだ。

 そしてジィーアは、神であるサァリよりもその領域をはっきりと感じ取っている。

 由来を辿れば外から来し神よりも、人間の巫の方が人に近いのは当然と言えば当然だろう。


 サァリは納得して、けれど釘を刺した。

「いいけど、そこにあるの適当に使っていいから草履履きなさいね。裸足のあなたを連れて歩くのは嫌だから」

 一人で出歩くなら裸足でもなんでも好きにすればいいが、自分と一緒の時は困る。知らない人間が見たら、どんなひどい主かと思われかねない。

 けれどサァリの言葉に、ジィーアは胸を張って返した。

「靴、持ってるもの」

「え。いつの間に」

 何か別のものを靴と言い張られるのではないかとサァリは身構えたが、ジィーアは下駄箱からきちんと白い靴を取り出した。花をあしらった美しい靴は、職人が手をかけた逸品だろう。

 無言で驚くサァリの目の前で、ジィーアはぴったりの白い靴を履くと子供のように自信ある笑みを見せる。

「ほら、これでいいかしら」

「上着も着なさい。薄着過ぎます」

 間髪おかずぴしゃりとそう言うと、ジィーアは恨みがましい目でサァリを見た。




「で、一緒に行きたいなんてどういう風の吹きまわし?」

 雑木林の中にある月白から、大通りへと向かう道、サァリが訪ねると白い少女は頬を膨らませた。

「わたしの自由でしょう。うるさいわ、サァリ」

「そうなんだけど……あなたをおかしなことに巻きこみたくないから」

「…………」

 ジィーアが沈黙したのは、ある程度図星を突いたからだろう。

 夕闇に染まる道の先に、徐々に人の姿が見えてくる。軽やかな笛の音。店先に吊るされた灯り籠が奥へと続く様は、まるで常世へ導かれるようだ。

 子供の頃から変わらぬ幽玄の景色を、サァリは愛しげに眺める。

「―――― 何が見えてる? ジィーア」

 死口の巫の目に、何が見えて何を危ぶんでいるのか。

 主の問いに、ジィーアは少し口ごもった。緑の瞳が、サァリとは似て非なるものを見つめる。

「……化生は、この街では実体化するでしょう?」

「うん」

「それに似てるわ。最近たまに、すごく濃い影の死者がいるの。そういう人は、自分が死んでいることに気づいていない感じ」

「それは……」

 中々に異質な事態ではないのか。

 ミヒカやレノスのことと言い、知らぬ間に生と死の境界が危うくなっているような気がして、サァリは不穏を覚えた。

 出来ればもう少し五尊の情報が欲しいが、情報源の一つのミヒカは敵方だ。面倒な事態にサァリは腕組みをする。

「うーん。外洋国にまで跳べればいいんだけど」

「サァリ」

 真剣に考えこんでいたサァリは、くいくいと袖を引っ張られて顔を上げる。

 見ると通りの只中で何やら揉め事が起きているようだ。一人の娼妓を挟んで、二人の男が言い争っていた。

 そのうちの一人、背の低い方の男が刀の柄に手をかけるのを見て、サァリは眉を顰める。対する長身の男は、それを鼻で笑った。

「来るなら来い、臆病者め」

「貴様―――― 」

 刀が抜かれる。それを見て長身の男は、間にいた娼妓を押しのけた。

 一触即発の空気に、通りにいた他の人間からも注目が集まる。


 ―――― そんな中、女の声は全てを貫いて響いた。


「おやめくださいな」


 空気が変わる。

 それは清涼な夜風と同じだ。全てを塗り替え、改めさせる主の命。

 凛と揺るがないサァリの言葉に、居合わせたアイリーデの人間たちは一瞬、眉を緩めた。刀を手にした男が、年若い娼妓の彼女を見てうろたえる。

「あ……いや」

「そのような真似はおやめください。何かご気分を損ねることがあったのでしょうが、お戯れが過ぎればご自身に返って参ります」

 やんわりと窘められ、若い男は我に返ったのだろう。ばつが悪そうに周囲を見回すと、刀を納めて走り去る。間に挟まれていた娼妓はあわててサァリに頭を下げると、男を追って駆けて行った。

 ただ一人取り残された長身の男は、大して未練もないように肩を竦めると、サァリに視線を転じる。


 年はトーマと同じくらいだろう。精悍な顔立ちに鍛えられた体は、世慣れた空気もあって娼妓たちの人気をさぞ集めるに違いない。

 日に焼けた顔で、男はサァリを見て笑う。

「さしでがましい真似をしてくれたな、小娘。おかげで暴れそびれた」

「…………それは、失礼を致しました」

 傲岸な言葉。男に向かって深々と頭を下げながら、サァリは己の失敗を悟る。

 何故なら男の顔には額から左頬にかけて著名な刀傷があったからで――――それがランド・タールのものであることを、 この街の主である彼女は知っていたのだ。

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