第漆譚

第166話 馬車



 王都からアイリーデに戻る街道は、旅人や商人も多く通り、宿屋も点在している拓けた場所だ。

 ところどころ枝分かれしたそこは、場所によっては舗装もされており、行きかう人間も活気に溢れている。これから王都に行き商売をする者もいれば、噂に聞く神話の享楽街を訪れようとする旅人たちもいるのだろう。


 林の中を緩やかに曲がるそんな道を、ヴェールで顔を隠したサァリは夫と二人、のんびり馬で移動していた。

 彼女は木漏れ日の差す道を眺める。

「シシュ一人だとすごく帰って来るの早いけど、いつも全力で馬を走らせてるの?」

「馬を潰れさせない程度には。あまり巫を待たせたくないからな」

 乗り合い馬車で移動すれば二日から三日かかる王都とアイリーデの道程を、シシュは大体一日かそこらで移動してしまうのだ。

 馬自身の能力もあるだろうし、彼自身も騎手として優れているのだろう。

 今は妻にあわせて軽い速度を保っている彼は、愛馬のたてがみを撫でる。

「日をまたぐと宿を取らないといけないからな。そうすると揉め事も増える」

「色んな人いるもんね」

 街道沿いに点在する宿は、安全なところもあるがそれでも面倒事に巻き込まれたりはするのだ。サァリは形の良い指を顎にかけた。

「私も部屋に押し入られたことあるし……やっぱりああいう人って何処にでもいるのかな」

「その話、初耳なんだが」

 夫の声が一段低くなる。サァリはそれを聞いて失敗を悟ったが、ここで変に取り繕っては事態が悪化する。

 彼女は気づかなかった振りをして微笑んだ。

「昔の話だよ。何もなかったし」

「俺がまだアイリーデに着任する前か?」

「そ、その後……」

「…………」

「ほんとに何もなかったの。ヴァスが助けてくれたし」

「…………ああ、あの時か」

 納得したような夫の相槌に、サァリは内心安堵する。

 シシュがアイリーデに来た後で、サァリが王都に行った時、なおかつヴァスが関わっている、とくれば察しがついたのだろう。

 今はもういない青年の話に、シシュは苦笑する。

「やっぱり、危急時と言えども巫を一人でいさせるのは不味かったな。すまない。彼がいてくれてよかった」

「自分のことは自分で出来るよ。貴族のお姫様じゃないんだし」

「巫がそう思っていても、周りもそうだとは限らない」

 釘を刺す言葉にサァリは苦笑する。

 まったくもってその通りなのだ。自分で出来ると思っていることに、他が合わせてくれるとは限らない。時折予想を越えて来る相手もいる。それが人ならざる相手なら尚更だ。

 彼女は、少し前まで王都を襲っていた怪奇を思い出す。

「別大陸で滅びたものを、こっちの大陸で復活させようとか、困った発想だよね」

「人を喰らうものでなければまだよかったんだろうが」


 トルロニアを襲った五尊という存在。

 彼らを擁していたのは、隣国の亡き王女だ。

 死者と、人ならざる五種の怪奇。何処から手をつければいいか分からない取り合わせだが、彼らと再度まみえるのは確定された未来だろう。


 サァリは手綱を取りながらヴェール越しに空を仰ぐ。

「とりあえずは伝手を使って情報を集めて、ミヒカ王女を見つけたら殺害。あの灰の女の子も同様で、五尊の宝珠は回収、かな」

「その通りなんだが、あまり物騒なことを口に出すな……」

「だってもう亡くなってる人だし」

 死人は還るものだ。そうして人は移り変わっていく。

 死してなお妄執を残し虫になることも、人の振りをして人を殺すことも、あってはならないのだ。

 サァリの言葉に、シシュは眉を寄せる。

「おそらく、あの灰が死者を操る類の生き物なんだろう。どういう経緯でミヒカ王女と知り合ったかは分からないが」

「そして灰自身は、人の血を受けて生きている、かあ」


 死者の魂を無視として使役している灰は、それら虫に人を襲わせ、自分に血液を供給させているようだ。

 尋常な生き物ではない以上、その血を断って相手が死ぬのか分からないが、居場所を掴む手がかりにはなる。以前のような怪死事件を探していけば、潜伏場所の見当もつくはずだ。

 それは当面二人にとって、アイリーデが関わらずとも急務である。サァリはそっとヴェールの下で夫の表情を窺った。


 ―――― シシュの同級の士官であったレノスは、今も殺害され灰に使役されている。

 彼にとって知己をそんな目に遭わせていることは、耐えがたい苦痛だろう。或いはレノスが選ばれたのは、シシュの知り合いであったからかもしれないのだ。そのこと自体業腹であるし、同じことを別の人間にやられても困る。

 ミヒカ自身はどうか知らないが、五尊はどうもこの地の「神」に関心があるようなのだ。興味から来る宣戦布告に黙ってはいられない。

 自分たちと争いたいというのなら、回りくどいことをせずに直接来ればいいのだ。その時彼らは、不遜に相応の対価を支払うことになるだろう。


「サァリーディ」

 怒りの滲む思考に気を取られていたサァリは、夫に名を呼ばれ顔を上げた。

 見るとシシュは馬上で背後を振り返っている。つられてサァリが振り返ると、林の入り口にあたる遠くに護衛を連れた馬車が見えた。

 作りの豪奢さからいって貴人を乗せている馬車だろう。サァリは邪魔にならないよう馬を脇に避けようとする。その時、夫の呟く声が聞こえた。

「不味いな……」

「シシュ?」

 彼の表情は苦い。いつも苦いが、それ以上だ。

 怪訝に思うサァリに、シシュは真剣な顔で問うた。

「サァリーディ、走れるか?」

「走るって馬? 多分大丈夫……あんまり早くなければ」

 さすがにシシュほどの速度で馬を走らせるのは無理だ。自分が手元を誤ってしまうか、荷物を落としてしまう。

 サァリの答えに、シシュは考えこんだ。

「巫の速度で走って振りきれるか……いや、まずいな。既に視認されてる」

「シシュ、あれが誰だか知ってるの?」

 馬車は思いのほか速い速度で近づいてきている。サァリにはよく見えないが、シシュには馬車につけられた紋が分かっているのだろう。彼は逡巡したが、サァリに馬から降りるように指示した。

 さっきとは逆の言葉に、彼女は困惑しつつも従う。二人はそうして馬を下りて道の端に避けた。

 シシュは妻を背後に回して言う。

「少しの間堪えてくれ。顔も見せないように。絶対にだ」

「いいけど……」

 一体あれは誰が乗る馬車なのか。サァリが不思議に思う間に、馬車は二人の前に差し掛かる。

 まるで示し合わせたかのように馬足が緩み、ちょうどシシュの隣りで馬車は停止した。

 馬車の中から、重い男の声がかかる。

「旅の人間か。商人か?」

「化生斬りです」

 即答した夫の声に、サァリは居住まいを正す。同時に馬車の紋を見て、彼女は内心の驚愕を押し殺した。


 東国の武門タール。

 双剣をあしらった紋章は、この馬車がタールの統領のものであることを示している。

 タールは国でこそないが、多数の戦士を擁する強力な一族であるがゆえに、時にその力は王族を凌駕する。

 だからこそシシュも、揉め事を厭って本来の身分を名乗らなかったのだろう。


 彼の後ろでサァリは、夫の代わりに頭を垂れた。

 馬車の中から男の声が問う。

「その娘は?」

「私の妹です。新たな働き先へと送るところです」

 夫の言葉に、サァリはあやうく声を上げそうになったのを飲みこむ。


 ―――― シシュは、滅多に嘘をつかない人間なのだ。

 それは彼が己の為の嘘を思いつかない人間だからで……にもかかわらず彼が偽りを口にしたのは、「サァリのために」そう答えるしかないと判断したからだろう。


 彼女は物知らずな少女のように、小さくなって「兄」の背後に隠れる。

 そんな自分に好奇の視線が馬車の中から注がれるのを、サァリは娼妓として察した。

 しばらくの間の後に、尊大な声が聞こえる。

「道中気をつけよ。人の血を啜るあやかしが出ぬとも限らぬからな」

「かしこまりました」

 シシュがそう言うと、馬車は来た時と同じ速度で去っていく。

 サァリはその姿が街道の向こうに消えると、ようやく夫に問うた。

「今の人、多分タールの人だよね。シシュ、知ってるの?」

「…………昔、少しな」

 苦りきった声。

 無言で続きを問うてくる妻に応えて、シシュは嫌そうに言った。

「彼の名前はランド・タール。武門タールの統領で、圧倒的な強さから「剣鬼」として広く知られている男だ」

「あ、聞いたことある。でもその人って―――― 」

 そこまで言って、サァリは夫の反応の理由を知る。

 彼女の知るランド・タールについての無数の噂。その中の一つは、彼のたちの悪い漁色に関するものだ。

 サァリは細い首を傾げる。

「病的な人妻好きって人だよね、確か」

「……どうかしている」

 吐き捨てるような夫の言葉に思わず身を竦めて、サァリは誰の姿もなくなった街道を見回した。

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