第146話 期待


「え、お菓子を贈った? なんでそんなことしたんだ?」

「なんでと言われても……」

 真剣に不思議がるレノスに問われて、シシュは一瞬考えこんだ。考えても目新しい理由はなかったので、そのまま答える。

「彼女が金平糖を好きだからだが」

「え? え? ウェリローシアの当主令嬢だろう? 君の婚約者の」

「そう」

「なんでそんなことしたんだ?」

「…………」

 振りだしに戻ってきた話にシシュは閉口する。



 城の謁見室の隣りにある控室。王とミヒカが会談している間そこに詰めている二人は、小さな机を挟んで向かい合っていた。

 机上に広げられているものは、王都で起きている怪死事件についての資料だ。

 広い王都の地図に打たれた点にはそれぞれ、死体が見つかった日と被害者についての情報が書きこまれていた。

 それを指しながらシシュは「菓子屋に行きながら近くを調べてきたが」と言ってしまったのだ。


 脱線した先の世間話で、シシュの奇行について聞いたレノスは、真剣に考えこむ。

「いやだが、陛下の決めた結婚相手だろう? その相手になんで菓子なんて贈ったんだ」

「……婚約者には贈り物をすべきだと聞いたからだが」

 そう言ったのは、他でもない目の前のレノスだ。「婚約相手に正式に面会するにはどういう手順を踏むべきか」と相談したシシュに、彼は「とりあえず花でも贈ってみたらどうだろう」と言ったのだ。

 気まずい沈黙を経て、レノスは口を開く。

「私の言い方が悪かったな……『花でも』ではなく、『花を』と言うべきだった……悪かった」

 心から失敗を悔いているような年上の友人に、シシュはさすがに苦い顔になる。

「俺が自分で金平糖の方がいいと思ったんだ」


 いつもサァリは、王都土産で彼が金平糖を買ってくると飛び上がって喜んだのだ。

 そうして小さな硝子の菓子壺に開けては、少しずつ大切に食べていた。終わるのを惜しんで淋しそうな顔になるのがいじらくして、だからいつも彼女にちょっとした贈り物をする際には金平糖が真っ先に思い浮かぶ。

 彼女のそんな愛嬌を「子供みたいだ」と言う人間もいるが、シシュは愛らしいと思って――

「…………子供扱い、だったか? ひょっとして」

「ひょっとしても何も、子供扱いされたと思うだろう」

「彼女が、あれを嬉しそうに食べているところが好きなんだ」

「私に言われても」

 レノスの困惑はもっともだ。こういうことは当人に伝わらなければ意味がないし、今回は彼女の保護者にも伝わらなければ不味い。

 だがこの分では、まず「エヴェリ」には当惑され、フィーラには冷笑されているだろう。

 シシュは深い溜息をつきながら、机に肘をついて頭を抱える。

「難しい……」

「君の場合、真面目に取り組むほどずれていくのが問題だろうな……」


 ―――― 真面目には、いつも取り組んでいるのだ。

 昔からそうだった。サァリの兄であるトーマにはしょっちゅう「お前はずれてる」と言われていたが、サァリはいつも笑ってくれていた。

 だが今はまず、彼女の保護者に認められなければ会うこともままならない。


「……手遅れかもしれないが、花を贈りなおすか」

「確かにそれも手だな」

「陛下が信を置いている店に行って、いい鉢を選んでくる」

「待て待て待て! 鉢はやめてくれ頼むから! もっと無難な感じにしよう!」

「無難なものを贈ってどうするんだ」


 大事な相手に贈るものなのだから、誠心誠意考えて相手に喜ばれるものを贈るのが筋だろう。

 花を贈るなら鉢の方が長く持つし、花器を用意しなくてもいい利点もある。

 ―――― と、そう思うのだが、口に出したら出したでまた憐れむような目で諭される予感がした。

 理由は分からないがそう感じる。昔、トーマやヴァスにもよくそういう目で見られていた。


 レノスは小さく溜息をつく。

「政略結婚なのだから、変に余計なことをしない方がいいと思うが」

「政略結婚……というか」

 はたから見ればそうなのだろうが、実情はそうではない。

 彼女は、シシュ自身が望んだ妻なのだ。そのことをどう伝えようか迷っていると、レノスは困ったように付け足した。

「大体君は……内々の女性がいるんじゃないのか?」

「…………ああ」


 言われてみれば、王都でも親しい人間はシシュに決まった相手がいることを知っているのだ。

 と言うより、たまに王都に来ては「待っている人間がいるから」と早々に帰るのだから、察しがつくのも当然だろう。

 実際は同一人物なのだが、それを説明は出来ないし、どう誤魔化せばいいかも迷う。


 シシュは悩んだ末、苦渋に満ちた声で返した。

「……いつの間にか色々あったんだ……」

「そうなんだろうとは思うが。変に向こうの神経を逆撫でするようなことはしない方がいい。適度な距離を保っていれば、向こうにも弁えがある。妾の一人や二人どうこう言われないだろう」

「…………」


 色々と反論したいことはあるが、反論しても墓穴を掘るだけな気がする。

 身に染みついた経験から、口を噤むことが無難だと判断したシシュは、話を元に戻した。

「その現場をいくつか見て回ったが、いずれも薄暗い路地裏だ。目撃者もいないし、当分は見回りで対応するしかないな」

「確かに見回りは効果が出てる。犯人は見つけられていないけどな」

「もし前の事件と同じ犯人なら、普通の人間には見えない可能性が高いんだ」

「化生ってことか?」

「いや……」


 アイリーデでの一件では、化生斬りの能力があったタセルであっても、最初は虫の存在が知覚できなかったのだ。

 のみならずサァリでもその存在を正確には感知できなかった。一番あの存在に敏感であったのは死口であった月白の女で、つまりはそれだけ死者に近い存在だということだろう。

 ただ問題は、それが「死者の魂」と関連しているということだ。


「早く止めないと、増えていくかもしれないな……」

 サァリは以前の事件で虫について「相当殺してきたから増えた」と言っていた。同じように、王都で人を殺して増えられたらたまらない。実際今回の事件に対し、「疫病の一種ではないか」と恐れる民も多いのだ。

 離れた場所で同時に死人が出ているからこそそういった意見も出るのだろうが、アイリーデの事件では複数の虫球が動いていた。

 今回はそれら虫球の殲滅と、使役する者の割り出しが課題だ。


 シシュは少し考えて、ペンを手に取る。

「もし、使役している者がいるなら――」

 死亡日と現場を頼りに、シシュは緩く地図上の点を分けていく。

 広い王都だが、それでも多少の偏りは存在する。見回りの範囲を考慮に入れながら選り分けると、それはおおよそ七つの塊になった。

 レノスが地図を覗きこむ。

「これは?」

「今の事件が誰かが使役してるものなら、ある程度法則性があるんじゃないかと仮定してみた」

「……七日に一人か」

「みたいだ」

 無作為に断続的に起きているように見える事件も、仮に大まかな範囲で区切ってみればその動きは明らかだ。

 七日に一人、それも範囲内を円を描くように起きている。シシュは出来上がった図を前に悩んだ。

「白羽は他にもいるのか……?」


「―――― 五尊の話をしているのかしら」


 謁見室に続く扉から女の声が問う。

 考え事に集中していたシシュとレノスは、即座に立ち上がると出てきた二人に頭を下げた。

 王の隣りに立つミヒカは、嫣然と微笑む。

「お待たせしてしまった?」

「いえ」


 本当は、王族であるシシュも同席していいとは言われたが、彼自身がそれを固辞した。

 二人の会談は国交の場なのだ。厳密にはもうアイリーデの人間でしかないシシュが関わるべきものではない。

 あくまで一線を引いた態度を崩さない彼に、王が何も言わないのも互いの領分を弁えているからだろう。


 シシュは顔を上げると、ミヒカに問う。

「五尊とは、なんのことでしょう」

「あら、ご存知ないのね。外洋国の言い伝えですわ。あちらの大陸には、古くは不思議な力を持つ五つの種族がいたのですって。今はもういなくなってしまったり、人との争いで滅ぼされたりしたそうなのですけど。白歌鳥は、その古き血を継いでいると言われているみたいですわ」

「古き血……ですか」

 この大陸で古き血と言うと、真っ先に思い浮かぶのはサァリーディだが、別大陸には別大陸で古き存在がいるのだろう。

 シシュ自身、かつてそうして外洋国から持ち込まれた対人外の道具を見たことがある。

 ―――― もし先日の白羽が、今は残り少ない「五尊」の一つだったのだとしたら。

 御伽噺のような、だが聞き流すにも抵抗があるそんな話に、シシュは内心悩んだ。



 王は弟の様子を見て微笑する。

「気になることがあるなら、好きに調べなさい。お前はそういう性分だろうからね」

 その言葉に、反射的に非難の目を向けたのはミヒカの方だ。

 だが彼女が何かを言うより先に、王は付け足す。

「ただし離れていても守りは損なわないように。今のお前なら出来るだろう?」

「可能です」

「では行きなさい。ああ、婚約者嬢への機嫌伺いにも寄るといい。花を用意しておいたからね。持って行きなさい」

「ありがとうございます」

 何事にもそつのない王は、弟が墓穴を掘らないように手を貸してくれるようだ。

 その前に既に墓穴を掘ってしまったことは伏せて、シシュは頭を下げる。

 だがそこで……ふと先程の会話が引っかかった。彼は顔を上げて確認する。

「ちなみに陛下、それは鉢植えでよろしいでしょうか」

 そう言った瞬間、三人からすごい目で見られて―――― シシュはアイリーデに帰りたくなった。



                ※



 フィーラは金平糖を取り上げたそうにしていたが、「自分が貰ったものだから」と言いはって何とか手元に残してもらえた。

 小さな硝子の器にあけた金平糖を、エヴェリは一粒摘まんで口に入れる。

「つめた……甘い」

 かり、と音を立ててかみ砕くと、ひんやりとした甘味が口の中に広がる。

 エヴェリは頬に手を当ててその味を楽しんだ。今は自室に一人とあって、ヴェールもつけていない。子供のように部屋でお菓子を摘まんでいると、ひどく自由を感じる。


 彼女は器を持って窓辺に移動すると、外の景色を眺めた。

 よく晴れた青空は、いつもと何ら変わりがない。三階の窓から見える塀の向こうはまるでおもちゃの街に似て現実味がなかった。

 ―――― もっとも現実味がないと言えば、自分についてもそうだ。

 変わり映えのない毎日を送っていた自分が、もう結婚をするのだということもあまり身に染みていない。

 こんな風に菓子をもらうあたり、まだまだ半人前だと相手にも思われているのだろう。


「そう言えば私、あの人のことほとんど知らない……」

 知っているのは王の異母弟であるということと、士官学校を出ているということくらいだ。

 人となりや評判、素行については何も分からない。普通のお見合いなどではない以上、知らなくてもいいのだろうが、ちょっとだけ興味もある。

「でもフィーラに頼むと、あることないこと書かれそうだし」

 よく知らない婚約者の肩を持つわけではないが、それはさすがに気の毒だ。

 彼のことが知りたいなら、もっと別の機関に頼まなければならないだろう。


 エヴェリはまた器から青い金平糖を摘まみ上げる。

 窓からの光を受けて、それは宝石のようにきらきらと輝いた。目を細めて淡い光を見つめていたエヴェリは、だがふっと視界の隅に赤い何かがちらついているのに気がついた。

 見ると窓の外、入り組んだ路地のずっと向こうで赤い光が点滅している。何処からか漏れていると思しきそれは、いやに鮮やかに存在を主張していた。

「……何だろう」

 何が光っているのか見に行きたいが、屋敷からは出られない。頼んでせいぜい、馬車の窓越しに見るくらいだ。そしてそれでは時間がかかりすぎる。

 だが―――― 門まで行けば、もう少しよく見えるかもしれない。

 エヴェリは短い間に決断すると、ヴェールを手に取った。そっと自室を出ると見咎められないよう屋敷から出る。


 ウェリローシアの屋敷は、門番がいない。

 屋敷の中から見つかるまでは、鉄格子から外を眺めていられるはずだ。

 そう思ってそっと塀から顔を覗かせたエヴェリは、だが目の前に見えるものが、外の景色ではなく大輪の花であることにぎょっとした。

 鮮やかな花々を上品にまとめた花束。豪奢としか言いようのないそれから、エヴェリはおそるおそる視線を上げる。

 そして硬直した。

「……どうしてこんなところにいるんだ」

「う」

 驚きと苦味が混ざった顔で彼女を見下ろしているのは、素行不明な彼女の婚約者だった。

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