第145話 贈物


 自分以外の皆が自由に生きている気がするのは、本当に皆自由に色々やってくれるからだろう。

 王の前から辞したシシュは、頭を抱えたまま城の廊下を戻る。

「何を考えているんだ、サァリーディ……」


 ―――― 夫の演技が下手だからと黙っていたのは分かるが、だからと言って彼に神性を預けてしまうとは無謀にも程がある。

 つまり今の彼女は、ただの人間に等しい存在だ。それが怪死事件が起きている王都にいるというのだから心配で仕方がない。常に目の届くところにいて欲しいし、出来れば第一に守りたい。

 だが、今の状況ではそれも難しいだろう。自分はミヒカの護衛をしなければならない立場の上、サァリにとって、もはや自分は礼儀を弁えない婚約者だ。


「いや……婚約者なだけマシなのか」

 巫と化生斬りではないが、役割が間を繋いでいるだけ、まだ可能性はある。

 王はこの婚約を彼女への返礼と言っていたが、こうなってみると実際はシシュのためのものなのかもしれない。

 ただ難があるとしたら、既に彼女には大分警戒されてしまったということで……神性を返せるかはかなり怪しくなってしまった。

「ずっとこのままだったらどうするんだ……」

 そうなれば、アイリーデは主不在のままだ。

 以前のサァリとシシュの婚姻には、出会ってから一年以上を必要としたが、もう一度同じだけの時間がかかったならさすがに各所に申し訳が立たない。それどころか、下手をしたら月白の次代が生まれない可能性さえあるのだ。


 ただ、一応そうならないよう安全策として婚約がある。

 シシュの立ち回りがどうしようもなくて墓穴を掘り続けた暁には、「政略結婚だから仕方なく」という理由で、彼女は彼のところに嫁ぐのだ。

「…………それは、さすがに」

 夫として不甲斐ないにも程がある。戻ったサァリに愛想をつかされそうだ。

 それに―――― やはり望んでいないのに結婚をするような思いを、彼女にはさせたくない。

 存在が変わっているとは言え、サァリはサァリなのだ。

 月白の主である彼女は、自らが選んだ相手とのみ添う。それに反するような目に遭わせるのは、彼女の夫として本末転倒だ。

 シシュは廊下の窓から夜空と、そこに浮かぶ月を見上げる。

「王都の流儀で、か」

 やはり、無粋で不興を買うとしてもやってみるしかないだろう。

『もう一度恋をさせて』と言ったサァリは、きっと彼のことを信用して己を預けたのだから。




 ミヒカに割り振られた城の部屋は、彼女の使う賓客用の三室の手前に護衛や召使が使う二部屋がある。

 その手前側の部屋に戻ったシシュは、待機していたレノスの顔を見て軽く手を上げた。

「戻った。遅くなって悪かった」

「特に何もなかったから平気だ。ただ……」

 レノスがそこで奥の部屋への扉を一瞥したのは、人目を気にしてのものだろう。

 今は控えの部屋には二人以外誰もいない。レノスは軽くかぶりを振った。

「あの王女、本当に普通の人間か? 近づくと妙に肌寒いんだが」

「ああ、それは俺のせいだ」

 あっさりそう言って、シシュは軽く手を払う。自分が離れる間ミヒカの周りに張っていた冷気が、ふっと掻き消えた。

 シシュが何をしたか分からなくても、空気の変化は感じ取ったのだろう。レノスが辺りを見回す。

「なんだ……?」

「寒いのは放っておいていい。俺の都合なんだ。変わりがないようならよかった」

「王女の機嫌はよくないけどな」

 そうレノスが言ったと同時に、奥の扉が開かれる。


 ―――― 現れたのはミヒカと、彼女についてきた召使の少女だ。

 ミヒカはシシュを見るなり、皮肉げな笑顔になった。

「あら、ずいぶん遅いお戻りでしたのね。もうわたくしのことはお忘れになったのかと思いましたが」

「そのようなことはありません」

「でも、婚約者の方にお会いに行かれたのでしょう? さぞ大切な方なのね」

「ええ」

 即答した後に、シシュは「ですが任務に変わりはありませんので」と付け加える。


 サァリが大事であることなど、彼にとっては当然のことだ。そして仕事はそれとは別だということも。

 だがシシュは、ミヒカが唖然としているのを見て軽く眉を寄せた。後ろにいるレノスが強張った声で囁く。

「今の言い方は不味いだろう……」

「不味かったか?」

 そう言われても、今から言い直すのも不自然だ。

 迷っている間に、ミヒカは不快を隠しもせずシシュを睨んだ。

「政略結婚の相手をそこまで仰れるなんて素敵ですわ。結局は貴方様も血からは逃れられないということでしょう」

「血は別に関係が――」

「王女殿下、何かご入用のものなどおありではないですか」

 シシュの言葉を遮ったのはレノスだ。本来ならば王族同士の会話に割り込むなど許されぬ行いだが、このままでは事態が悪化するだけだ。現にミヒカの後ろでは召使の少女がほっと安堵の表情になる。


 王女自身、場を仕切りなおす意図を感じたのだろう。

 苛立ちのまま何かを口にしかけていた彼女は、ぐっとそれを飲みこむと美しく笑いなおした。

「特には……何もありませんわ。明日もよろしくお願いいたします」

 そう言うと、彼女は優美に踵を返して奥の部屋に消える。誇り高い後姿が見えなくなると、レノスは肩で息をついた。

「危なかった……」

「……悪い」

 場の空気が緩むと、残っていた召使の少女が頭を下げる。

「あの、ありがとうございました」

「いや、こちらが失礼をして申し訳なかった」


 改めて振り返ると、確かに問題ある対応をしてしまった。私事と仕事を混同されたので否定したが、外交的には言葉を濁した方がよかったのかもしれない。

 少女は困ったような笑顔を二人に向ける。

「ミヒカ様は、本当はすごく真面目な方なんです。厳しい態度をお取りになることもあるんですけど……」

「大丈夫だ。分かってる」

 自国のために少ない供と一緒に特使としてやって来るなど、それなりの覚悟がなければ出来ないことだ。

 彼女には彼女の譲れないものがある。それはよく分かっている。

 シシュが頷くと、少女はぱっと笑顔になった。

「ありがとうございます。あの、私、ヨアと申します。何かあったら御用をお申しつけください」

 屈託なく笑顔を見せる彼女は、まるで町娘のようにも見えるが、王女付ということはそれなりにいい家の出なのだろう。だがそんな素振りも見せず、ヨアは二人にぴょこんと頭を下げる。そして彼女もまた奥の部屋に消えた。


 部屋に静寂が戻ると、レノスは興味津々の顔でシシュを見た。

「で、突然婚約発表したって本当か?」

「本当」

 結局問題は、そこに戻って来るのだ。


    ※


 広い屋敷の中は、今日もいつもと変わりがない。

 生れてから十七年、ずっと見続けてきた景色。外はよく晴れているにもかかわらず、何処か薄暗くも思える廊下に、エヴェリは曖昧な閉塞感を覚えた。

 思わず足を止めて溜息をつくと、先を歩いていたフィーラが振り返る。

「どうしたのかしら、エヴェリ。昨日のことで気分でも悪いの?」

「……そんなことは」


 突然の婚約発表も、その相手に馬車まで押しかけられたことも、驚きはしたがそれだけだ。

 古い貴族の家に生まれた以上、政略結婚については覚悟はしている。

 ただそれでもあまりに寝耳に水で、呆気に取られていると言った方がいいかもしれない。


 エヴェリはヴェールごしに頬に手をついた。

「でも、王の異母弟なんて面倒な相手じゃない?」

 ウェリローシアは、古き血を継いでいく家柄なのだ。それはアイリーデという特殊な街を維持していく為の家であり、いざと言う時は国を裏切ってでもアイリーデを守らなければならない。

 そんな家の当主が、あまり国と深い繋がりを持つのは得策とは言えないだろう。

 エヴェリの懸念に、フィーラはにこやかに返す。

「そうね。あなたが嫌なら断るわ。別の人間を選びましょう」

「早すぎない!?」

「少しでも気に入らないところがあるのなら仕方ないわ。気の利かない求婚者なんて、あなたにふさわしくないのだし」

「気が利かないって、まだ昨日会ったばっかりなのに」

 しかも彼は、婚約について何も聞いていなかったようなのだ。

 それで馬車にまで押しかけてくるのは確かに驚いたが、彼自身も驚いたのだろうから仕方がない。

 まだ「気が利かない」と言われるほどではないはずだ。もっとも、これから先は分からないが。


 弁護のようでそうでもないエヴェリの言葉を聞いて、フィーラは顔を斜めにした。

「昨日の今日で、非礼を詫びて花の一つも贈って来ない求婚者なんて、充分に気が利かないわ」

「別に花が欲しいわけじゃ……」


 ただの政略結婚なのだ。普通の令嬢が夢見るように、胸躍る恋をしたいわけではない。

 それでも―――― ヴェール越しにではなく彼の黒い双眸を見た時、何かが始まるような気がしたのは気のせいだったのだろうか。

 あれが屋敷から出ずに育った娘の夢想だというなら、立場を弁えない自分がただ恥ずかしい。現実は物語ではないのだ。好きでもない相手と、家の関係で結婚する辺りが落としどころだろう。

 余計な期待をしても落胆するだけだ。そう自分に言い聞かせて、エヴェリは廊下を歩き出す。


 背後から声がかかったのは、その直後だ。

「エヴェリ様、贈り物が届いております」

「え?」

 振り返ると、屋敷の召使が白い紙袋を持っている。

 両手に収まるくらいの小さな袋は、どこかの店の印が箔押しされた上質のもののようだが、それでも花束にはまったく見えない。大方、婚約を知った何処かの家からのものだろう。密かに落胆しつつ、エヴェリは袋を受け取った。

「どなたから?」

「王弟殿下からです」

「……え?」

 一体何を贈ってきたのか。こんな贈り物など今まで受け取ったことがない。

 困惑七割でエヴェリは紙袋を開けて中を覗きこむ。

 そこに入っていたのは、色とりどりの花と同じ色をした―――― 金平糖の包みだった。

「…………変な人」


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