第143話 初耳


 城の広間は、華やかながらもざわざわと落ち着かない空気に満ちていた。

 煌々とした明かりがいくつも灯されているにもかかわらず、何処か薄暗い印象を覚えるのは、そこがお互い腹を探り合う場だからだろう。囁きあう声には多分に虚飾が混ざっている。真剣に聞いていれば気分が悪くなるだろうそれらを、シシュは意識の上から遮断した。

 勿論、怪しい動きがあるなら別だが、人に気を取られ過ぎていて、それ以外に気づけなくなっては元も子もない。

 そうして意識を研ぎ澄まし、虫の羽音に似たざわめきの中にいた彼に―――― ふっと白い手が伸ばされる。

 だがシシュはその手が触れる前に、自分の手でそれを遮った。


 相手は、まるで目を閉じているような彼が突然動いたことに驚いたのだろう。まじまじと彼を見やる。

「眠っていらっしゃるかと思ったわ」

「さすがにそのような失礼はしておりません」

 きっぱりと返す声に、女は皮肉げに笑った。


 どこか威圧的な美貌が第一印象の彼女が、この宴席の主賓だ。

 イスファの第三王女、ミヒカ・トキ・イスファ。シシュと同い年だという彼女は、だがその物腰のせいか年上にも思える。

 己の価値をよく知り、それにふさわしい自信を持ち合わせた王族の一人。

 彼女と異母兄である王との会談は、さぞうすら寒いものになるだろう。

 出来ればその場には居合わせたくないとシシュは思いつつ、任務である以上我儘も言えない。


 護衛らしく無言を保つ彼に、ミヒカは不満げな目を向けた。

「殿下は寡黙でいらっしゃるのね。今の大陸の状況についてご意見を聞きたいと思いますのに」

「特にお話することはありません」


 王と血が繋がっているからと言って、自分の意見に何らかの意味があるわけではない。

 むしろ意味を持たれては困るのだ。シシュは現在アイリーデの人間であり、発言をトルロニア要人の意見として受け止められては甚だ問題だ。

 そのせいもあって、ミヒカが到着してから大体無言の彼に、彼女は黄色の目を細めた。


「わたくしは別に構いませんが、これからお話を伺う時間はたっぷりあるのでしょうし」

「貴女のお相手は陛下が務めます。私が持つものは血だけで、それ以上ではありませんので」

「その血が重要ですのよ」

 ミヒカの両眼が、明かりを受けて朱色に見える。彼女はどことなく自嘲的な、陰惨な笑みを見せた。

「わたくしたちに必要とされるのは血だけ。それが大事なのです」

 女の目が、シシュを見据える。

 刃を吐くように言葉が吐かれる。

「わたくしたちは、己の血から逃れることはできない。―――― 義務をおはたしくださいな、殿下」


 それはどういう意味なのか。シシュは僅かに眉を顰める。

 もし彼女の言葉が、イスファとの婚姻を示しているのだとしたら、自分にそれを受ける気はない。

 たとえ形だけの結婚になるとしても、或いは国に障るとしても……決して承諾はしないだろう。


 だが曖昧なまま放置しておいて、後から問題になっても困る。

 一応口に出して断っておこうと、シシュが言葉を返しかけた時、広間の奥でざわめきが起こった。

 見ると王が酒杯を手に立ち上がっている。場の視線を集めながら若き王はシシュたちを手招いた。

 当然のようにミヒカが歩き出すと、シシュは護衛としてその後に続く。

 二人が隣に来ると、王は客たちに穏やかな笑顔を向けた。

「今夜は皆、よく集まってくれた。イスファからの客人を迎えられて、非常に有意義な会になったと思う」

 王がミヒカを手で示すと、彼女は膝を折ってにこやかに挨拶する。

 シシュはその後ろで、表情を動かさぬまま無言を保った。


 宴席に出席している客たちの中から、密やかなざわめきが聞こえる。

 隣国の王族がこの国にとってどういう位置に座するのか、計算高くも興味の入り混じった視線がミヒカに集中した。

 貴族の少女たちが顔を寄せて囁き合う。その中にはヴェールで顔が見えないが、冷静に状況を値踏みしていると思しき令嬢もいた。


 王は形式的な挨拶を終えると、シシュを一瞥する。

 ―――― 何か不審なものでも見つけたのだろうか。

 そう思ったのは一瞬、異母兄である王は笑顔のまま口を開いた。

「ついでと言ってはなんだが、この場を借りて別の発表をしたい。余の臣であり、弟でもある者についてだ」

 場に大きなざわめきが走る。

 それは彼らにとって、予定調和の報告が来たというだけの話だろう。

 予定調和でないのは、シシュ本人だけだ。

「……は?」


 自分について何かの発表があるなど、まるで聞いていなかった。このような場で一体何の話があるというのか。

 心当たりがなくても察しがついてしまう。昼間レノスとした会話が、嫌でも脳裏に蘇った。

 シシュは王を止めようと一歩踏み出す。だがその時、ミヒカが振り返って勝ち誇ったような笑顔を見せた。


 ―――― 『義務を果たせ』とは、このことを意味していたのか。

 反射的に顔を顰めかけた時、王がシシュを見た。その笑顔は真意を見通せない仮面の笑顔だ。

 王はよく通る声で告げる。

「お前の結婚相手が決まった」

「陛下、それは」

 シシュがどの立場をとっても、口に出させてはいけない言葉だ。看過できない話だ。

 不敬で罰されようとも止めなければならない。シシュは足音をさせずもう一歩を詰める。体温が急激に下がるのを感じ――――


「紹介しよう。エヴェリ・サリア・ウェリローシア。―――― この大陸でもっとも高貴で古い血を継ぐ彼女が、お前の花嫁だ」


 王の手が、居並ぶ貴族たちの中の一点を指し示す。

 そこに立っているのは青いドレスにヴェールで顔を隠した……シシュの妻だった。




 王の言葉は、集まった出席者全員にとって予想外なものだった。

 イスファ王女ミヒカも唖然とした顔で、王と彼の指す女を順に見比べている。

 虚を突かれたのは当事者のシシュも同様で……そして、ヴェールで顔を隠した彼女もまた、驚いているようだった。

 単なる列席者のつもりでいたらしい彼女は、隣に立つ女に囁く。

「フィーラ、そんな話、私何も……」

 非難の混ざる声音に、フィーラは無言の笑顔で返す。黙るよう示す従姉に、彼女はヴェールの下で口を噤んだ。

 驚きで静まり返っていた広間も、徐々にざわめきを取り戻していく。

 多少の困惑を漂わせつつ、だが次第に拍手と祝いの言葉が上がり始めた。それはすぐに大きなうねりとなって広間中に広がる。

 そうして熱されていく空気の中で、シシュはまだ……今がどういう事態か全くつかめないでいた。



             ※



 ―――― 事情を聞き出すとしたら、王とサァリのどちらを先にすべきか。

 うやむやに終わった宴席の後、シシュはまずそれについて悩む。

 だが……聞きだすのはさておき、話さなければならないのはサァリだ。今回の発表が万が一、王の独断専行だとしたら、先に彼女を押さえなければ不味い。

 いつの間に王都に来ていたのか、広間にいたサァリは何も知らない様子だった。あれが演技だという可能性もあるが、だとしたら彼には事情を教えてくれるだろう。


 そう考えたシシュは、ミヒカの護衛を他の士官に任せると、サァリの後を追う。

「ウェリローシアの馬車は……」

 城の裏手にある石畳の広場には、いくつかの馬車が停まっている。

 シシュは帰ろうとする出席者たちの間を縫うと、その中の一つを見つけ扉に手をかけた。御者の制止を無視して中に踏みこむ。

「サァリーディ」

 王都において、彼女の巫名を声高に呼ぶことは出来ない。

 だからこそ囁くように呼んだその名に―――― 馬車の中にいた女は、びくりと震えた。

 従姉であるフィーラを待っているのだろう、一人いた青いドレスの彼女は、固い声で返す。

「殿下……一体何を……」

「サァリーディ?」


 何かがおかしい。

 ちりちりとした違和感は拭い難いものだ。

 だがその正体が何かはつかめない。

 シシュはそれが、妻の目を見ていないがためのものではないかと思った。


 別人がサァリのふりをしているとまでは思わないが、彼女の顔を見たい。

 シシュはヴェールに手を伸ばす。

 サァリはその手を避けるように後ずさろうとしたが、馬車の窓にぶつかってかなわなかった

 彼女のそんな態度も怪訝に思いつつ、シシュは女のヴェールを上げる。

 そうして彼を見上げる貌は、ぞっとするほど美しい神のもので―――― だが青い両眼には紛れもない困惑と怯えがあった。


 艶やかな銀の髪も青い双眸も、月光の如き清冽さを宿している。

 施された薄化粧は古い家の当主らしい上品なもので、人の手を拒む繊細な花のようだ。


 その装いも雰囲気も、妓館の主である普段の彼女とは違う。

 だがもっとも違っているのは、彼を見る眼差しだ。

 愛情を隠さない、甘えるようないつもの視線ではない。むしろその目は、知らない人間を見る目だ。

 まるで家同士の約束で突然決められた婚約者を窺うような目。

 それはつまり――――


「サァリーディ?」

「……わたくしは、そのような名ではございません」

 震える声で、だが決然と彼を睨む彼女には、貴族の当主としての矜持が感じられた。

 たとえ相手に権力や暴力を振るわれようとも、支配されまいとする意志。

 彼がよく知っている彼女の姿、だがそれとは明らかに違う今の様子に、シシュは言葉を失くす。

 何を言って、何を聞けばいいのか、答えを出すより先に彼はヴェールから手を放した。

「失礼した……無礼なことをした」

 どんな事情があったとしても、彼女を怯えさせることは本意ではない。

 ましてや自分が彼女を脅かすことなどあってはならないのだ。


 混乱を押し隠して表面を取り繕うシシュに、サァリは非難の滲む目を向ける。

 だがそのまま彼女はヴェールを戻すと、ふいと横を向いた。

「お話は日を改めてと、陛下より伺っております」

「……その話だが、俺は初耳なんだが……」

「わたくしも初耳ですので」

「それは一体―――― 」

 どういうことなのか、と続けかけたシシュに、だが背後から涼やかな声が聞こえる。

「あら、わたしの姫に何をしているのかしら」

 覚えのある、毒と力に満ちた女の声。

 シシュは反射的に頭を抱えたくなるのを我慢して、馬車の外を振り返る。

 そこではサァリの従姉であるフィーラが、何もかもを楽しむような笑顔で立っていた。

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