第133話 死口
北の正統、月白。
その意味するところは、娼妓が客を選ぶ場所であるということだ。
神に捧げられた聖娼の館は、今なお特異な流儀を持っている。
だが―――― 望んでもいないのに客に選ばれてしまった時は、どうすればいいのか。
目の前の事態についていけていないタセルは、主の女を見た。
「彼女がここの娼妓? 本当に?」
「本当だってば。あなたは花の間に入ったことないでしょう」
花の間とは、月白の娼妓が客を品定めする為の広間だ。
それだけでなく、客がお茶を飲んだりするのにも使ったりするらしいが、タセルは入ったことがないから知らない。
だからそこに……彼女がいるのかも分からないのだ。
非現実的な、人形めいた美貌の少女。
淡い金髪も緑色の瞳も、繊細な硝子細工のようだ。
儚く、高貴にさえ見える姿は彼の知る娼妓の印象とはあまりにも違う。
そもそも年も十五、六歳にしか見えないのだ。
思わず眉を寄せたタセルに、サァリは補足した。
「ちなみに、ジィーアは私より年上だから」
「は!? 君より!?」
主君の妻であるサァリは、確かもうすぐ十八になるという話だった。
その彼女より年上なら、娼妓としてはごく一般的な年齢だ。が、全然そうは見えない。
これは化粧のせいか違うのか。この街に来てもっとも娼妓という存在の底知れなさを知ったタセルは、唖然としてジィーアを見た。
緑色の瞳がじっと彼の頭上を見つめている。
その目に映るものは何なのか。彼は、あの白い鼬の存在を思い出しぞっとした。
―――― あの鼬を飼っていたのが彼女なら、やはり彼女は一連の怪死事件と関係あるのではないか。
タセルは乾いた喉を鳴らす。白い少女は細い首を傾げた。
「どうしたのかしら。あなたはわたしの客になりたくないの?」
「断ってね、それ。というか許可しません」
「うるさいわ、サァリ」
「うるさい!? 私、一応館主なんですけど!」
「いや、あの……なんで俺が客に……」
女同士の口論にまったくついていけない。このままでは話も聞いてくれなそうだ。
もう何だか逃げ出したくなったタセルに、サァリは鋭い視線を向けた。
「あなたの為に忠告してるから。彼女の客の選び方は特殊なの」
「特殊?」
聞き返すとサァリは形の良い眉を寄せる。
透き通る青い双眸が、一滴の困惑を以て白い少女を見た。
「そう。ジィーアは―――― 死期が近い人間を、客に選ぶのよ」
※
とにかく絶対駄目! と押し切って、サァリが彼を連れてきたのは花の間だ。
まだ火入れ前とあって娼妓の姿は多くないが、中には既にお茶を飲んでくつろいでいる者もいる。
タセルはそんな眺めをぐるりと見回して、勧められるままにテーブルについた。
サァリは手ずから淹れたお茶を彼の前に置く。
「それで、詳しく話を聞きたいのだけれど」
「ああ……」
彼女が聞く態勢になってくれたことは有り難い。正直自分だけではどう整理していいのか分からなかったのだ。
タセルはここに来るまでの間、白い鼬を見つけたこと、それを追って逃げ出した男に出くわしたこと。男の言葉、その死に様、そして白い鼬を斬ろうとして鳥に変わったことを順に伝えた。
サァリは眉を顰めてそれらを聞く。
「―――― 『白羽よ』って、そう言ったんだよね?」
「ああ。男の死因はまだ不明だ」
道に放置してきてしまった遺体は、サァリの連絡により自警団が回収に行っているはずだ。
シシュにも連絡が行くだろうし、そうすれば事態の解明も進むだろう。
サァリは自分のお茶のカップを、整えた爪で弾いた。
「白羽。白羽かあ。鳥の姿が本体ってことなのかな」
「外洋国から入ってきた嗜好品の中に、白歌鳥という鳥がいるそうだが」
「雪歌のことだね。実物を見てみないと分からないけど、ひょっとしたら雪歌のふりをして違うものが紛れ込んできたのかもしれない。あれって珍しいから、本物を見たことがない人も多いんだよね。ただ白い鳥を見せられて『雪歌だ』って言ったら信じちゃう人もいると思う」
「それに加えて相手は姿形を変えられるか……まるで化生だな」
「化生……」
サァリは白い指先に軽く歯を立てる。
そうして考えこむ姿は、美しくあったがそれ以上に何故か恐ろしかった。
早くシシュが来てくれればいい――そんなことを考えている自分に気づいて、タセルはあわててかぶりを振る。
サァリはそんな彼の存在に気づいていないかのように、ぶつぶつと呟いた。
「どちらか片方がってわけじゃなくて……両方が……つまり……」
その時、広間の扉が開いて娼妓が一人入ってくる。
白い薄衣を重ねた洋装姿の女。ジィーアは二人を一瞥すると、ふいと視線を逸らした。何も見なかったかのように床の上に寝そべると、持っていた瓶をさかさまにして中からビー玉を転がす。
まるで幼児の手遊びのように遊び始める彼女を、タセルは唖然として見やった。
「―――― ああいう娼妓なの。別に鼬とか飼ってないよ。月白は動物持ち込み禁止だから」
考え事に集中していると思っていたサァリから、見透かされたようにそう言われ、タセルはぎょっとする。
見るとサァリはいつの間にか、じっとタセルを見つめていた。
「私は忠告したからね。あと主としても許さないから」
「……死期が近い人間を客に選ぶって言ってたな」
「それ脅しじゃなくて本当だから。ジィーアは《死口》の巫の血筋なの」
「死口?」
巫には先視や遠視を始めとして、様々な種類があるのだとは聞くが、死口とは初めて聞いた。
サァリは白い女を一瞥する。
「死口っていうのは、すごく古い巫の一種だよ。死人と話が出来る」
「……え?」
「ほら、口寄せとか座下ろしとか聞いたことがない? 自分の身に死人を降ろして話すっていうやつ。昔はああいうことを出来る人がいたの。ジィーアもその血筋で、死人が見えてある程度言葉が分かるらしいの。で、人によっては憑いている死人から分かるらしいんだよね」
「つまり、その人間もまたもうすぐ死ぬ……と?」
「そう」
―――― 死人が警告する死期。
それが、自分にも振りかかっているのだ。
タセルは息を飲んで……自らの背後を振り返った。何もいないそこを見上げる。
サァリの静かな声が聞こえた。
「見えないよ、普通の人には。正直私にも見えないし」
「君も駄目なのか。巫なのに?」
「巫って言っても色々いるんだってば。特に私は特殊だし……。死んだばかりの魂とかは見えることもあるけど、それだって私に縁が深い人のしか無理だよ」
眉を寄せるサァリに驕るところは見られない。無理なものは無理だとただ言っている。
自分の知らぬ世界、だがその中に半分囚われているような気分にタセルはかぶりを振った。
「俺に憑いているのは……姉さんなんだろうな」
「それは分からないけど。ジィーアも教えてくれるか分からないし」
「どうしてもうすぐ死ぬ人間を客に選ぶんだ?」
「そんなの私が聞きたいです。昔から問題児で有名なんだから」
「昔からって……」
本当に彼女は何歳なのか。聞きたくはあったが、女性相手にそれを聞くのも躊躇われる。
サァリは小さく溜息をついた。
「正確には、彼女の母親が問題児だったの。客がみんな死んじゃうから……。彼女に関してはだから、主が基本的に客取りを止めてる。それで死を回避できる人もいるし、やっぱり死んじゃう人もいるんだけど」
「死を回避できるのか」
それは、死期というものは絶対ではないという意味だろうか。
サァリは腕組みをして「うーん」と唸った。
「止めても死んじゃうのはお年寄りが多いからなあ。実験とかしてみたらいいのかもしれないけど、それに人の命を賭ける気にはなれないかな。―――― 特にあなたは」
「俺は?」
自分が王都から来た人間だから、遠ざけておきたいと思うのか。
だがそう顔を顰めかけたタセルは、青い瞳に射抜かれてぎょっとした。
月を閉じ込めた氷を思わせる目。小さな唇が宣告する。
「あなたが、シシュの知り合いだから」
「殿下の……」
「だからついでに守ってあげる。絶対死なせない」
―――― 静かに断言する声音は、既に決まっていることを告げているだけだ。
自分の命を、盤上に置いてそれを高みから見下ろす目。
「死なせない」と言っても、それは彼を思っての言葉ではない。彼女が見ているのは自分の夫だけからだ。
その異様さに、無意識のうちに気圧されていたタセルに、サァリはくすりと微笑む。
「もっともあなたは、何処か死にたがってるみたいだけど」
「……そんなこと、は」
「だから、どうしても死にたいのなら、シシュの知らないところで死になさいね」
美しく、残酷な。理解しがたい微笑。
まるで―――― 人ではないようだ。
己の直感に、タセルは戦慄する。
指摘された自分の死よりも、目の前の女を畏れた。
それは確かに……死にたがっていると思われても仕方ないのかもしれない。
何も言えなくなってしまった彼を前に、サァリは不意に立ち上がる。
その直後、扉が開いて下女が入ってきた。
「主様、ミディリドスの方々がいらっしゃいました。明日の巫舞のことで……」
「今、行くわ。火入れは代わりにお願い」
席を立つサァリは、タセルを振り返ると釘を差す。
「私は用事があるから、後は適当に。あ、でも彼女を買っちゃ駄目だからね。多分あなたに払える額の花代じゃないし」
「さすがにそこまで馬鹿じゃない……と思う」
「この部屋でなら好きに話していいけど。でも、あんまりお勧めしないよ。死者に気を取られ過ぎると、自分も死に近づくから」
先程の異様さはすっかりなりを潜め、年相応の気安さで不吉なことを言って、サァリは部屋を出て行った。
他に女しかいない花の間で、一人部外者のタセルはのろのろと立ち上がる。
彼は、床に寝そべるジィーアの前まで来ると、胡坐をかいてその隣に座った。女は緑の目だけを動かし、彼を見上げる。
タセルは単刀直入に言った。
「君が見えている死者は、殺された僕の姉か?」
「……どうしてそんなことを知りたいの?」
「姉の知り様を知りたい」
幸せになって欲しいと願っていた家族が、どうやって喪われたのか。
それをまだ自分は知らないままだ。ただ憶測と推測だけを積み上げている。
だから知りたいのだ。自分が次の一歩を踏み出す為に。
―――― その一歩は、はたして己の死へと繋がるものなのか。
彼の疑問に、ジィーアはうっすらと目を細める。表情に乏しい目が洞のように彼を覗きこんだ。
「そんなもの、わたしにはわからないわ」
「……なら、何が見えるんだ」
「口元が」
女は自分の唇を指差す。
艶やかな紅色が、まるで墓場の土のように見える。それが姉のものに重なって思えて、タセルは息を止めた。
ジィーアはそして、無垢に語る。
「言葉を語る口が見える。ほら、あなたが死んでしまうからだわ……とても悲しそうね」
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