第103話 傀儡


 サァリの術がかかった鈴は、人々の目につきにくい場所、転がってしまわない場所を選んで街中に置かれた。

 だが、逃げた刺客たちは一向に尻尾を掴ませない。

「鈴の音が聞こえた」などの情報を聞いて駆けつけてみても、そこにはもう誰もいない。自警団は空き家になっている建物をしらみつぶしに調べてはいたが、人が入り込んだような形跡や、新しい血痕が見つかることはあれども、肝心の不審者を捕まえることはまだ出来ていなかった。


 見回りをしていて、たまたま同じ化生斬りのタギに声をかけられたシシュは、火入れも近い夕闇時、大通りを行きながら辺りに注意を払う。一応鈴の音がしないかと気をつけてはいるのだが、混ざりあう楽の音や喧噪で、どうにも聞き取れそうにない。

 濃紺の着物を着崩したタギは大きく欠伸をする。

「ここんとこ化生が出ないのはいいが、代わりに新顔の客がぽつぽつ死んでるときてる。雑兵を戦場に向かわせといて、お大臣様だけが遊びに来ているつけだな。ざまあない」

「…………」

 辛辣な嘲弄はだが、アイリーデとしてはいささか頭の痛い問題を含んでいる。

 戦時に間諜や刺客が入り込むのはいつものことだが、今回はいささか死人の数が多すぎる。要人が暗殺されることこそそう多くないが、彼らについている護衛たちが殺されることは後を絶たないのだ。

 路地などで襲われるのならまだしも、妓館の中で騒ぎになることもあれば、アイリーデとしてはいい迷惑である。


 普段は適当な妓館に潜り込んで出てこないタギは、猛禽に似た目を行き交う人々に走らせた。

「ま、化生を斬るより人を斬る方が手応えはいい。こそこそしない相手ならなおいい」

「隠れない相手が来るなら、それはもう戦場と同じことだと思う」

「そりゃ面白れえ」

 飄々と笑うタギは、シシュからすると何を考えているのかよく分からない相手だ。サァリに対し皮肉げな態度を取っているところは何度か見たが、彼女はそれを気にしてもいないらしい。アイリーデの化生斬りに癖があるのは、彼女にとっては当たり前のことなのだろう。

 特に理由なくタギと並んで歩いているシシュは、内心の懸念に眉を寄せる。


 ―――― 確かに今は月が満ちている時期だ。


 だが、化生が出なくなるにはまだ早い。むしろ人死にで街に血が流れている分、化生の力が増してもおかしくない状況なのだ。

 にもかかわらず化生の出現がないということは、以前のように何らかの力に押し込まれているということではないのだろうか。


 シシュは、人混みの中に見知った貴族の青年の姿がないか視線をさまよわせた。しかしその目は、別の男を捉える。

「あの男は……」

 一度見ただけだが間違いない。月白でサァリを買いたがっていた男だ。

 身なりのよい洋装姿のベントは、行き過ぎる妓館の格子窓に視線を走らせながら、のんびりと人混みの中を歩いている。シシュはその足取りと人を避ける体捌きを見て、無意識のうちに男の力量を計った。確信までは出来ないが、おそらく勝てる相手ではないかと見積もったところで我に返る。

 まるで彼の内心を見透かしているように、隣でタギが鼻で笑った。

「あの男が気に入らないのかよ」

「いや別に……」

「お嬢にこっぴどく振られたらしいな」

「…………」


 どうしてそんなことが知れ渡っているのか。

 シシュは我が身を省みて数日前のことをしみじみと思い返したが、タギが指しているのは彼のことではなくベントのことであるらしい。人波の中を行く青年の三軒分程後ろを歩きながら、化生斬りの男は笑った。

「あいつ、銀髪が好みだな。銀髪の娼妓ばっか見てやがる」

「…………」

 波のような苛立ちが瞬間沸き起こる。だがシシュはすぐにそれを噛み殺した。何かを吐き出したくなるが形にならない。むしろ形にしない方がいいと思われる。色々な平和の為にはそれがいいと思う。


 しかしタギの方は遠慮なく口を開いた。

「ありゃ、お嬢が銀だから似たのを探してるのか?」

「サァリーディに似ている者などいない」

「そりゃ自分にとっちゃ、って話だろ。―――― でも、まぁ違うか。あいつ月白に行く前から何人か銀髪の娼妓ばかりを買ってるらしいからな」

「……は?」

 それは初耳だ。

 だが妓館によく出入りしている男の話だ。嘘ではないのだろうし、こんな嘘をつく意味もない。シシュは自分の内で苛立ちの密度が増してくるのを感じた。

「巫と他の娼妓を並べて比べようとでもいうのか」

 吐き捨てるような彼の呟きに、タギは口の片端だけを上げて皮肉げに笑んだ。

「てめえのやり方を客に押しつけることはできないさ」

「サァリーディは一人しか客を取らない娼妓だ」

「だからって客の方まで、女を一人に絞らなきゃならないわけじゃない。嫌ならお嬢がそういう男を選ばなきゃいいだけの話だ」


 タギの正論に、シシュは押し黙る。

 確かに、他の人間が口を挟む話ではないだろう。全てはサァリと、相手の男の問題だ。

 ――――ただ彼女は、あの男がそういう男であるのを知らないのではないか。

 サァリを買う男は、ただの客ではない。この街の主に捧げられる神供だ。それが、己の不誠実さを隠して彼女を求めるような男では、同じ人間の恥としか思えない。


 シシュは人混みの向こうに見える男の後頭部を睨む。

 赤い灯に照らされた男の顔は、穏やかな表情ではあったが何処か物憂げにも見えた。

 タギが、険しい目の青年を揶揄する。

「一年経って、あんたも大分アイリーデに毒されてきたくちか? 巫をありがたがる神供三家じゃあるまいし。お嬢はただの娼妓だろ」

「……分かっている」

 誰よりもサァリーディ自身がそう振る舞っているのだ。

 むしろ彼女を娼妓以外の存在として扱うのは周囲の人間たちで、シシュもまたその一人かもしれない。場違いな求婚に、いつかヴァスから聞いた話が影響していないと言えば嘘になるだろう。

 ただシシュは、彼女の意思を尊重したいと、おそらくこの街の誰よりも思っている。だから徒に、私情で彼女の領域に踏み込むべきではないのだ。


 平常心を唱える青年の横で、タギは当然のように嘯く。

「口出ししたいなら、自分でさっさとお嬢を買えばいい。それで解決だろ?」

「既に断られている」

「まじか」

 シシュの答は、珍しくタギの意表を突いたらしい。男は目を丸くしてシシュの顔を覗き込んだ。

「え? 断られたってまじで? どうしてそうなった」

「求婚したら無粋で不興を買った。月白に出入り禁止になった」

 黙っておきたいことの気もするが、変に隠して後で面倒なことになっても厄介だ。シシュが噛み潰した苦虫をじっくり味わっていると、一拍置いて隣からは噴き出す声が聞こえてきた。続く遠慮のない笑い声に、シシュはより一層平常心を唱える。笑い転げている男が異様なのか、行き過ぎる客たちが振り返ってきた。


 それらの視線を他人事のように無視しているシシュは、だがふと思い出すと何かを言われる前に訂正する。

「出入り禁止ではあるが、要請はきちんと通ると思う。まだ要請をかける状況にはなっていないが……」

「そりゃ当然だ。にしても相変わらずお嬢は馬鹿だな。所詮懲りないガキってことか」

「サァリーディは悪くない」

「ならずっとやってろ」

 どうでもいいような答を最後に、二人の間には沈黙が流れる。

 タギは見るともなしに、店の軒先に並ぶ灯りに視線を走らせた。何処の国でもない空気の神の街に、男の声は静かに響く。

「ま、あんたがそんなだから、お嬢にとってもあんたの代わりはないんじゃねえのか」

 それは、何の感情も込められていない、ただ話を打ち切るだけの言葉だった。




 前を行くベントは、自分の後方にいる二人の会話になど気づきもしていないのだろう。ただの遊客のように目を細めて辺りを見回している。

 シシュは、男が右手の妓館の二階を見上げたのに気づいて、その視線の先を追った。うっすらと笑っているベントが、誰か娼妓でも見ているのかと思ったからだ。

 だがそこには誰の姿もない。シシュが肩透かしに思った時、けれど館の中からは女の悲鳴といくつかの怒号が上がった。

 ぎょっとした顔で辺りの人間たちが足を止める中、タギが真っ先に走り出す。化生斬りの男は刀に手をかけながら、館の中へと駆け込んだ。僅かに出遅れたシシュは、その後を追いつつ人の波を振り返る。

 ―――― だが集まってくる人々の間にはもう、楽しそうに笑っていたベントの姿は見えなかった。




 騒ぎは二階で起こっているらしい。

 シシュは靴を履いたまま、一足飛びで艶やかな階段を駆け上がった。

 短い廊下の先、開け放たれた襖の向こうからは、剣戟の音が聞こえてくる。先に行ったタギが敵と交戦しているのだろう。シシュは連続して聞こえる金属音の中に、ちりちりと小さな音が混じっていることに気づいて眉を顰めた。澄んだその音は、上に幕でもかぶせられたようにくぐもってはいたが、彼の耳には何故かしっかりと届く。覚えのある音の正体を、青年はすぐに理解した。

「鈴か!」

 言いながら軍刀を抜いたシシュは、広い座敷へと踏み込む。

 そこは既に、鮮血が天井にまで届く惨劇の場となっていた。畳の上には護衛らしき二人の男が切り伏せられて動かず、部屋の隅には娼妓を盾に蹲っている中年の男がいた。

 彼らを背に立つタギは、招かれざる三人の客を前に笑っている。

「この街で調子に乗るとはな。いい度胸だ」

 低い恫喝にも、相手方は怯む気配がない。


 それぞれ刃物を携えている三人のうち、一人は顔色の悪い痩身の男だ。

 そしてもう一人は着物姿の少年。

 最後の一人は小柄な若い女だ。


 黒づくめではない彼らは、揃って何処にでもいる通行人のような服装をしている。ただ表情だけは面を付けているかのように平坦で、感情が窺えなかった。

 シシュは三人のうちの一人、短刀を手にした女が左手に摘まんでいるものに気付く。

 鈍く光る銀色のそれは、間違いなくサァリが術をかけた鈴の一つだ。今にも飛び跳ねていきそうな鈴を血濡れた指で押さえて、女は口を開く。


「――――お前たちの中に、冷たい血を持つ者はいるか」


「何だそりゃ」

 呆れたように返事したのはタギで、けれど突然の問いの意味を理解したのはシシュの方だ。

 軍刀を抜いた青年は、一瞬で思考が冷えたのを自覚すると、前に進み出る。

「そのようなことを聞いてくる者に、こちらも聞きたいことがある」

 外見こそ先日の者たちとは異なるが、今いる三人もおそらく「同種」だ。

 捕えて吐かせて、誰が背後にいるか確かめねばならない。

 シシュが軍刀を構えると、女もまた片手で脇差を構える。薄く細められた黒い目は、傀儡のそれと同じものだった。

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