第99話 血飛


 間のいい時と悪い時、どちらかと言えば自分が出くわしやすいのは後者だ。

 とは言え、今回はそのどちらであるのかよく分からない。シシュは抜いた刀を手に、夜の路地を走りながら辺りの気配に意識を研ぎ澄ました。

 ―――― 遠く、弦の音が聞こえてくる。

 他に音はしない。自分以外の気配も感じない。

 そこまでを確認すると、彼は足を止め息を殺した。

 冴えた月が生み出す足下の光と影を見つめる。



 敵は、全部で五人。シシュが確認した人数はそれだけだ。

 夜陰に紛れる黒尽くめの刺客たちははじめ、大通りからすぐの水路の傍で貴人らしき男を取り囲んでいた。そこに通りかかった化生斬りのダナイと見回りの自警団員が割って入り、苛烈な戦闘になったのだ。

 シシュ自身は途中で他の自警団員に応援として呼ばれたのだが、駆けつけた時には既に辺りは血塗れだった。

 広がる血溜まりには死傷した自警団員が倒れ伏し、大きな鉤爪をつけた黒服の刺客がそれを踏みつけているという異様な光景。それだけではなく、十人以上の自警団員の包囲をもってしても、刺客の一人さえ倒すことが出来ていない状況に、シシュは瞬間唖然とした。

 しかし、さすがに相手も三人もの化生斬りが加わった状況を不利と判断したのだろう。抑えきれない騒ぎが大通りにまで及び、辺りが騒然となるのと前後して、敵はようやく貴人の殺害を諦めると逃走に転じた。


 シシュとタギは逃げ出した刺客たちを追い、鉄刃は事後処理に残ったが、状況は不透明だ。

 少なくともシシュはほんの少し相対しただけだが、顔を隠した刺客たちが普通の人間とは思えなかった。立っている人間の頭上に飛び乗るなど、獣に似た体捌きはどちらかと言えば化生に近いものだ。

 ―――― だが、化生ではない。

 敵は五人ともに特徴である赤い目が見られないし、何よりもシシュはその異様さに近いものを何処かで知っている気がするのだ。



 彼は自身の気配を消す。

 体の中から余分な力を抜いた。そして闇と同化する。

 ここは夜の街だ。彼女が治める街。だから暗闇は何ら恐れるものではない。



 そうして待っていたのは二十秒ほどのことだ。

 不意に彼の背後、闇の中から白刃が突き出される。

 斜め上から首を串刺そうとしたそれを、シシュは一歩右に動いただけで避けた。振り返りざま背後を薙ぐ。

 長屋の屋根から逆さにぶらさがる黒尽くめは、その一閃を咄嗟に己の短刀で受けた。だがシシュの軍刀は防がれた上から黒尽くめの体を弾き飛ばす。痩身の体は、道端に積まれた桶の山へと叩きつけられた。人気のない路地に派手な音が響き渡る。

 だが、それで長屋から誰かが出てくる様子もない。この辺りに住む人間は、夜は大通りの店に出ている者がほとんどなのだ。

 シシュは桶の中に埋もれている黒尽くめへと一息で距離を詰める。立ち上がろうとする相手に向け、音も無く軍刀を振るった。

 けれどそれは、割って入った二人目の黒尽くめによって防がれる。金属同士のぶつかる音が鳴り、シシュは舌打ちしたい気分で己の軍刀を捻った。今まさに彼の刃を絡め取ろうとしていた鉤爪から、巧みに刀を引き抜く。


 ―――― 状況としては二対一だ。

 しかしシシュは肌身に染みついた経験から「近くにもう一人いる」と感じ取っていた。

 元々五人いたのだから、そのうちの三人が彼の方に来たということなのだろう。残る二人はタギが相手しているのだろうか。

 シシュはしかし、目の前から一瞬離れかけた思考を引き戻す。振りかかってきた鉤爪を左に弾いた。間髪置かず突き込まれる剣先から、飛び下がって距離を取る。


 短刀を持つ黒尽くめは長身の痩身で、鉤爪の方は小柄な体つきだ。

 シシュは、ゆっくりと構えを取る二人を正面から睨んだ。

「お前たち、何者だ?」

 本来であればアイリーデは中立の街だ。余所の揉め事に対し、どちらか一方を利することはしない。

 しかし自警団員から死人が出ている以上、この刺客たちをもう見逃すことは出来ない。それ以上に彼の本能がこの五人を「放置は出来ない」と断じた。

 シシュは最後の一人の気配を探りながら、軍刀を構える。

 ―――― 長引かせては負ける。

 次の一撃で少なくともどちらかは仕留めたい。シシュはそれを、俊敏な鉤爪の方が先に突っこんでくるだろうと見積もった。余計な隙を作らぬよう、呼吸を整え待つ。



 月の光が地面に注ぐ。

 前触れはない。鉤爪の刺客は軽く地面を蹴ると、長屋の壁を横に走りだした。それに合わせてもう一人の刺客が正面から向かってくる。

 同時に違う方向から接近してくる黒尽くめたちに、シシュはけれど怯むことなく自ら踏み込んだ。壁を走る鉤爪へと研がれた刃を打ち込む。

「……っ」

 鉤爪の方がのけぞって地面に落ちる。鼻先を掠めたのか顔を押さえる相手に構わず、シシュは素早く軍刀を引き戻した。腹を狙って突き出された短刀をすれすれで弾く。そのまま振り切られた刀は、黒尽くめの首に深く食い込んだ。鈍い感触と共に鮮血が飛び散る。

 だが直後、シシュの背後に新たな気配が生まれた。

 そこまでを予想していた青年は、崩れ落ちた刺客の上を飛び越える。間に一人を挟んで、新手へと振り返った。

 ―――― そして唖然とする。


 すらりとした刀を携えた黒尽くめの刺客、その後頭部を、後ろから白い手が無造作に鷲掴みにしているのだ。

 地面から僅か上に浮かんでいる白い着物姿の女は、美しい貌に冷気を漂わせている。青い瞳が氷そのものの温度で黒尽くめを見上げた。

「……お遊びが過ぎますわ」

 凜と響く声は、この街の主のものだ。

 シシュは思わず彼女の名を呼ぶ。

「サァリーディ」

「シシュ、何これ?」

「何だろうな……」

 刺客たちが普通の人間ではない、ということは、彼女も同意見らしい。サァリは自らが掴んで留めている黒尽くめをじろじろと見やる。

「何かこれ―――― 」

 空気が動き出したのは直後のことだ。

 シシュはサァリを見たまま軍刀を振るう。

 その刃は、最後の力でシシュの足を掴もうとしていた刺客を斬り捨てた。彼はそのまま、サァリを振り返ろうとする三人目へと駆け出す。

 神に抑えこまれながら、それでも抗おうとする刺客は、まるで出来の悪い操り人形のようだ。サァリは軽く眉を顰める。

 しかし黒尽くめの刀が彼女に向けられるより先に、シシュがその体を斬りつけた。彼は刺客の左肩を掴むと、サァリから引きはがして後方に投げ捨てる。そのまま女の体を抱き込むようにして庇うと、振り返りながら自身の後ろに回した。


 立ち上がった鉤爪と、投げ捨てられた一人がシシュを睨む。

 得体の知れない二人のうち鉤爪を携えた一人を見て、青年は軽く目を瞠った。

 先程の突きが掠めたのか、顔を覆っていた布が切れ落ちている。その下の顔は、年端もいかない少女のものだ。

 人形を思わせる白皙の小さな顔。そして氷のような青い瞳に、シシュは既視感の正体を直感した。言葉がひとりでに口をつく。

「サァリーディに似て……」

「―― っ」

 息を飲む音。シシュが背後にそれを聞いた時、サァリは既に彼の隣に踏み出していた。神の眼差しが、向かってこようとする黒尽くめ二人を見据える。冷気の渦巻く気配がした。

「この……愚か者どもめが!」

 激しい一喝が、力の波となって二人の刺客に叩きつけられる。

 刀を手にしていた一人は、剥き出しになっていた両眼から血の飛沫を上げて倒れた。もう一人の少女は、路地の向こうへとはね飛ばされる。

 サァリは更に彼女を追って前へ出る。小さな足が音も無く宙を蹴り、白い手が冷気を帯びて上げられた。十数歩の距離を一度の跳躍によって詰めた彼女は、逃げようとする少女に向けて右手を振るおうとする。

 だがそこで、追いついてきたシシュがその手を掴んだ。彼はサァリの体を後ろに引き寄せる。

「シシュ!?」

 批難の混ざる声を無視して、青年は彼女の前に軍刀の刃をかざした。正面の闇の中から飛来した青光が、刃に当たって飛散する。

 ぎょっとした顔になるサァリを嘲笑うように空気が揺れた。

 暗がりから透けた体の少女が現れる。細い体に銀の布を巻き付けただけの彼女は、二人を見て軽く笑った。

 シシュがその名を呟く。

「ディスティーラ……」

 少女は首肯するように目を閉じる。

 ―――― そしてそのまま、何を言うこともなく消え去った。




 夜の中に静寂が戻ってくる。

 いつの間にか鉤爪の少女も見当たらない。路地に残るのは刺客二人の死体だけだ。

 シシュは腕の中の女を見下ろす。

「サァリーディ、怪我はないか?」

「うん。シシュは?」

「平気だ」

 二人は頷きあうと、どちらからともなく溜息をつく。

 シシュは彼女の髪が乱れかけているのに気づくと、何となく手で撫でつけてやった。他の人間が来る前に問う。

「あれらが何なのか分かるか?」

「分かるっていうか……」

 歯切れも悪くかぶりを振って、サァリは死体の一つを見やる。両眼から血を流して死んでいる刺客は、どういう状態であるのか溢れ出す血が止まらないようだ。大きな血溜まりが出来つつある中に目を見開いて没している。その様子を、シシュは警戒を崩さずに見やった。

 サァリは同じものを睨んでぽつりと呟く。

「ああなってるってことは、多分、私の血を取り込んだんだと思う」

「血?」

「他の体液でも可能だとは思うけど。……いつ採られたのかな」

 女の細い指が、シシュの服の袖をぎゅっと握る。

 そこで初めて青年は、彼女を抱き寄せたままであることに気づいて手を放した。

 だが表情を曇らせたサァリは、他の人間が追いついてくるまで彼の袖から手を放そうとしなかったのだ。




 ※ ※ ※ ※



 息せき切って走る。

 何度か振り返ったが、あの二人は追ってこないようだ。

 化生斬りの男と、何だか分からない女。特に女の方は、酷く恐ろしいものだ。得体の知れない何かだ。

 黒い装束に身を包んだ少女は、拠点の一つである空き家に駆け込むと、壊れかけた茶箪笥の中に潜り込んだ。膝を抱えて息をつく。

 その時、ふっと目の前に透き通る手が現れた。

「……ひっ!」

 反射的に少女は後ずさろうとするが、後ろに余裕はない。

 白い手は、お構いなしに彼女に向かって伸びるとその額に触れた。腕の先が、細い体が、そして美しい顔が何もないはずの宙に浮かび上がる。

 先程の恐ろしい女に何処か似通った、けれど不気味に透き通る少女は、蹲る彼女を見て微笑んだ。

「丁度良い体だ。吾らの血に支配されておる。これならば使いやすい」

 何を言っているのか、意味は分からないまでも、彼女は首を横に振った。

 だがそれに構わず透けた手が、額の中へと潜り込んでくる。まるで氷水を注ぎ込まれているような感覚に、彼女は硬直して喘いだ。気が遠くなりかけた時、新たな声が荒れた座敷に響く。

「ようやく存在をかき集めて動けるようになったと思ったら、早速依代探しですか。本当に貴女はろくなことをしませんね」

「―――― もう来たのか。おぬしは本当に嫌な男だ」

 震える少女から手を放し、ディスティーラは振り返る。

 そこには金色に光る直剣を携えた、皮肉げな目の青年が立っていた。

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