第87話 流水
馬に乗って二人が向かった先は、アイリーデから少し南下し、街道からも外れた広い草原だった。
既にそこにはヴァスが待っており、やって来た二人を見て軽く手を上げる。
トーマとシシュは近くの木に馬を繋いでしまうと、ヴァスのいる草原の中央へと踏み入った。腰の左右に二振りの剣を帯び、戦闘を意識してか軽装の青年は、薄白い空を見上げる。
「本当は新月まで待ちたかったんですけどね……」
「そこまで待っちまうと化生が出た時に困る。昼間だってだけで充分だろ。今だってネレイの後釜がアイリーデをうろついてるかもしれないからな。さっさと済ませて戻るに限る」
「さっさと済ませられればいいんですが」
不吉な発言をするヴァスは、ふとシシュの佩いている軍刀に目を留めた。
「いつもの刀じゃないですか。それでいいんですか?」
「平気だ。一回斬ったことがある」
「何をですか」
「ディ……彼女を」
危うくその名を呼びそうになって、シシュは言い直した。二人からは呆れた視線が突き刺さる。
「なんだそりゃ、実体ないって話だろ?」
「ないんだが、この刀なら多分いける。一応予備策もあるが」
神の血がついた刀は、おそらく実体がない彼女をも斬ることが出来るのだ。もっともいつまでも刀をそのままにしては傷みそうである。今回の件が終わったら研ぎ直しに出した方がいいだろう。
ヴァスは怪訝そうな顔のままだったが、それ以上追及するのも面倒なのか軽くかぶりを振った。
「ならいいですね。あなたが使うかと思って得物を取り寄せていたのですが」
「得物?」
「もう来ますよ、ほら」
ヴァスは後ろ手に草原の入り口を指さす。
そこに現れた人物を見て、シシュは目を見開き、トーマは渋面になった。馬上の男もあからさまに嫌な顔になる。
馬から下りたアイドは、二人を無視してヴァスの前まで来ると、布に包まれた長物を差し出す。
「頼まれていたものだ」
「ありがとうございます」
ヴァスは長物を受け取ると、巻かれていた黒布を解いた。
そうして中から出てきたものは二振りの刀である。黒塗りの鞘には螺鈿細工が施されており、一見して儀礼刀のようにも見えた。トーマが螺鈿の紋章に目を留めて驚きの声を上げる。
「何だこりゃ。ウェリローシアと月白の紋が両方入ってるのか」
「屋敷の蔵からの持ち出しです。門外不出の刀ですね。この鞘だけでも誰かに見られたら大問題です」
アイリーデの正統「月白」と古き王家の血を継ぐ「ウェリローシア」は対外的には無関係ということになっているのだ。
このような刀が存在すること自体、余所に知れたら面倒なことになる。取り扱いには細心の注意を要するであろうそれを、しかしヴァスは軽く確かめると、一振りをトーマに、もう一振りをアイドに差し出した。
「では、あなたたちはこれを使ってください。昔、ウェリローシアの当主が双子の女児を産んだ時に作られたものです」
「双子? そんなことあったのか」
「待て。なんでオレが使うんだ。頼まれ物を届けに来ただけだぞ」
トーマは刀を受け取りながら、アイドは手を出さぬまま憤然と、貴族の青年に言い返す。
癖の強い二人に挟まれたヴァスは、けれどまったく動じる様子なくそれぞれに答えた。
「双子の両方に一対の刀を与えて、その勝敗で次の当主を決めたそうですよ。いわば神殺しの刀ですね。あとあなたの方は私を動かしてアイリーデまで来させたんですから、それくらいは働いてください」
「……動かして?」
シシュが驚いて隻眼の男を見ると、アイドはさっと目を逸らす。
その反応は「誰が先日の一件でヴァスを月白に寄越したのか」を如実に示していた。今まで気にもしていなかった引っかかりが、シシュの中で連鎖的にささやかな疑問として呼び起こされる。
少女の兄が、旧知の相手に心底呆れた目を注いだ。
「お前、人の忠告をまったく聞かないのな。いつか本当に死ぬぞ。っていうか今日死ぬな」
「刀を届けに来ただけだと言ってるだろう!」
「ま、来たなら働いてけよ。人数が増えれば死人も少なくて済むだろ。ついでにこっそりお前を始末出来るからな。ちょうどいい」
「だからオレはやらないと!」
叫ぶアイドをよそに、血族の男たちはさっさと準備を始めている。シシュは、かつて自分が左目を潰した男に同情めいた気分を抱いた。
だがそんなことを口にでもすれば、ディスティーラと戦う前に刃傷沙汰になりかねない。青年は自分も支度に取りかかる。懐にしまったものを密かに服の上から確かめた。
抵抗を諦めたのか、アイドが文句を言いながらも刀を受け取ると、トーマ・ラディは全員を見渡す。精悍な顔立ちから戯れが消えた。
「んじゃ、一応確認しとくが、今回の相手は実体のない神な。三十年前に月白の巫になるはずだった女から切り離されて封じられたものだ。一応今回の件があったから、どういう封印だったかを聞いてきたんだが、巫名を呪にして王都の池に封じてあったらしい。元々巫になる前に王都へ退いた女だから、名が他に知られてなかったんだな。そのまま名前を知る人間が全部死に絶えたら封印は永久に作用したんだろうが―――― 」
「俺が呼んだ」
冷たい視線を覚悟してシシュが申告すると、ヴァスは左目だけを顰めて、アイドは唖然とした目で彼を見てくる。
確かに自分でも意味不明な話なのだから、呆気に取られるのも無理はない。トーマがどうでもいいように付け足した。
「しかし先視ってどういう仕組みなんだろうな。お前が名を呼んでる未来を視て、それをお前に教えたわけだろ? だからお前は名前を知ってって……これどっちが先なんだろうな。鶏と卵みたいだぞ」
「よく分からない。巫曰く『人の歴史は、先視が使われるということ自体、含んで流れている』のだそうだ」
「分かるような分からないような話だな。その巫もあくまで人だからってことか」
トーマが首を捻ると、ヴァスが薄ら寒そうに空を仰ぐ。
「あまり突き詰めて考えたくはないですね。視るか視ないか、それを人に言うか言わないかまで決まっているのだとしたら、これからの勝敗も既に決まっているということでしょうから」
「そこまで全てが決まっているわけではないらしい。大きな流れはあるが、細かいところは流動的なのだと」
「小さな石の一投で流れが変わることもあるさ」
それでも、特に不透明であるのが神の関わる歴史だ。
彼らは人でないがゆえに、人の歴史の枠内には収まらない。
―――― もしかして、だからこそアイリーデは国の興亡に関わってこないのだろうか。
シシュは街のある方角を振り返る。古き神話の時より変わらぬ享楽街。流れる川に留まり続ける岩は、この国が滅びた後も悠然と在り続けるのだろう。
だとしたら尚更、彼女を煩わせることはしたくなかった。
トーマは黒塗りの鞘から神殺しの刃を抜く。
傷の一つもない刀身は、それ自体が月を思わせる冴えた銀色だった。神の血を引く男は不敵に笑う。
「ちなみに俺としては、今でもサァリに任せた方がいいと思ってる。が、こいつが自分でやるっていうからな。恨むならこいつを恨め」
顎で指されたシシュは、残りの二人―― 特に不本意そうなアイドに向けて言った。
「手伝って貰えるならありがたいが、命の保証は出来ない。無理だと思ったら離脱して欲しい」
アイリーデから追放された男に、色々と思うところが無いわけではないが、死んで欲しいとはまったく思っていない。トーマやヴァスが何と言おうとも、戦うかどうかは彼の判断次第だ。
隻眼の男は理解しがたいものを見るようにシシュを凝視したが、不意に視線を外すと忌々しげに手の中の鞘を睨む。
「……今回が最後だ。次は王都を出るからな」
「そりゃお互いにとって朗報だ」
不機嫌さを漲らせるアイドと、それを煽るトーマは、一瞬だけ唾棄せんばかりに相手を見やったが、すぐにそれぞれ踵を返すと広い草原の中で距離を取る。ヴァスがシシュにだけ見えるように肩を竦めた。
「そろそろ始めますか」
「そうだな」
四人だけで顔をつきあわせていては、長引けば長引くだけ余計な揉め事になりそうだ。
シシュは自身も抜刀すると、三人の様子を確認する。問題ないと判断すると月の見えない空を見上げた。
そして、神の名を呼ぶ。
「ディスティーラ―――― 神供より申す」
飾り気のない言葉を、彼女が聞き留めるかどうかは半ば賭けだ。
だがシシュは、かなりの確率で彼女は来るだろうと考えていた。
人に拒絶され切り離された―――― そんな彼女が孤独を厭っていないはずがないのだ。
あれだけ人に囲まれて生きているサァリでさえ本能的に孤独を嫌がっていた。ましてやディスティーラなら尚更だろう。
風が広がる青草を揺らす。
遠くの森から鳥の声が聞こえる。
静寂が彼ら四人に意識される一歩手前で、シシュの目前に透き通る少女が現れた。
宙に溶けいる銀髪の彼女は、刀の届かぬぎりぎりの高さから青年を見下ろす。彼を睨もうとして―――― だが耐えきれなかったのか、すぐに口元を緩めた。
「なんだ。この前のことを詫びる気か?」
人懐こい嬉しそうな表情は、少し前のサァリを彷彿とさせる稚いものだ。
シシュはそのことにまた罪悪感を覚えて、けれどかぶりを振った。
「あなたが、俺の望みを聞き入れるというのなら詫びよう」
「うん? 言ってみろ」
「元の通り封印されて欲しい」
はっきりとした拒絶の言葉。
それを聞いてディスティーラは、ぽかんと口を開いた。
言った瞬間、戦闘になることも予測していたシシュは刀を握り直す。透けた少女の体越しに、対面にいるトーマが顔を顰めたのが見えた。
ディスティーラが震える声で聞き返す。
「何故だ」
「理由はない」
―――― それを言えば、サァリの名を出すことになってしまう。
そんなことをして万が一逆上されて月白に向かわれたら困る。第一トーマにはこの勧告自体止められていたのだ。現れてすぐ不意打った方がいいと言われて、だがシシュ自身が封印を勧めることを主張した。
たとえ完全に切り離されているのだとしても、ディスティーラは彼らの母なのだ。殺さないで済むのならその方がいい。
けれどシシュは、己のその考えが甘いものだということもまた知っていた。
ディスティーラは小さな唇を噛みしめる。
「おぬしも、吾を拒絶するのか」
「あなたの神供にはならない」
「何故拒む。吾の存在を必要としたのは人であろうに。今更それを……」
「シシュ」
彼の名を呼ぶ声はトーマのものだ。
刀を手にした男は、流れからはぐれてしまった神へと一歩踏み出す。情味のない視線が、母だったかもしれぬ女を貫いた。
「交渉決裂だ。始めるぞ」
広い草原に道は見えない。
シシュは首肯する代わりに少女を見上げると、黙って己の軍刀を構えた。
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