第49話 写し身


 昼のアイリーデも大通りまで行けば、行き交う人々で賑わっていた。

 化生を探してやって来た二人は、建物の影から人の流れを注意して見やる。まだシシュの腕にしがみついたままのサァリが目を細めた。

「写し取られたのって、この前シシュと一緒に月白に来た子、だよね?」

「ああ。テテイと言ったな」

 その時も確かトーマの紹介でやって来たのだ。サァリは少年の風貌を思い出すと頷いた。

「ちょっと実験してみていい?」

「元々実験なんだろう」

「そうなんだけど、違うやり方試してみようかって」

 サァリは青年の左腕をますます力を込めて締め上げる。それについて今まで黙っていたシシュが、ついに口を開いた。

「なんで今日はそうなんだ……」

「肩に担がれるよりましだから」

「俺が悪かった」

「本当は気配を染み込ませてるの」

「……は?」

 目を丸くする青年に、サァリは人波を睨んだまま説明する。

「今、蔵から持ってきた昔の巫の手記を読んでるの。その中にあったから。よく身につけてるものを媒介として結界を張るって」

「俺がどうして『よく身につけてるもの』になると思ったのか、聞いてもいいか?」

「だってよく一緒にいるし」

「実験は失敗になりそうだな」

 熱のない、というか疲れきってしまったようなシシュの反応に、サァリはむっと唇を曲げる。

「そんなのやってみないと分からないし! いいからやるからね!」

「……任せた」

 諦めたような声音は「駄目なら駄目で走るからいい」という考えが滲み出ていた。サァリは更に言い募ろうとしかけたが、そんなことをしている時間はない。諦めて呪言を紡ぎ始める。

 シシュにとってそれは、意味の分からぬ音の羅列に聞こえるのだろう。彼女は言葉を意識に、意識を力に、連動させ染み渡らせて、己の望む「檻」を作り上げた。頭の中から波が引いていくように、「檻」は彼女から切り離され、シシュの周囲に残る。

 彼もその気配を感じ取ったのか、己の周りを見回した。

「何をしたんだ?」

「シシュを中心にうすーい結界を張ってみたの。円状で大体、あそこくらいまでの距離が半径」

 言いながらサァリは通りの真ん中辺を指差す。この大きさならば大体、通りを歩けば左右に洩れが出ないはずだ。

 距離を目測していたらしいシシュは、サァリを振り返った。

「結界ということはひょっとして、化生を寄せ付けなくなるのか?」

「それだったらずっと斬れないでしょ。薄くしてあるから、化生も中に入れる。ただ入った瞬間あなたも向こうも違和感を覚えるはず」

「ああ。そうやって炙り出すのか」

「うん。あと範囲内に入ったら教えて。『閉じる』から」

 サァリは両手を組み合わせて中にものを閉じ込める仕草をする。今度はシシュもすぐに意味が分かったらしい。「範囲内から化生が出られなくできるのか」と感嘆の声を上げた。

「閉じ込めちゃえば、後はあなたが動くのに引きずられる……と、思う」

「どうして推測なんだ」

「やったことないから」

 だから実験なのだ。どういう使い道があるのかは、また後で考える。今はとりあえず上手く行くかどうか試したい。


 シシュも諦めたか納得してくれたのか、探索に出るつもりらしく腰に佩いた刀を確かめた。いつもきっちりと制服を着ている青年は、他の自警団員よりも硬質な空気を纏っているせいか、端正な顔立ちと相まっていささか目立つ。サァリは彼の横顔に自然と見入った。

「サァリーディ? どうした?」

「あ……ええと、じゃあ私は、シシュの少し先を行ってるね」

「後ろじゃないと合図に気づかないだろう」

「前にいた方が、シシュに気づいて逃げ出した化生を捕まえられるかもしれないし。いつもそれで走る羽目になるでしょう?」

 事実を指摘すると彼は嫌そうな顔になる。サァリからすると、あの大柄な鉄刃よりも見つかりやすいのはどうしてなのか、原因をつきとめたい気もするのだが、まさか当の化生に聞く訳にもいかない。もうそういうものとして計算に入れるしかないだろう。だからあえてシシュに先行するのだ。

「合図はどうする?」

「私の名を呼んで。きっと小さくても気づく」

 その声だけはきっと雑踏の中でも聞き分けられる。

 不可視の細い糸が通っているように、ささやかに震えてサァリにまで届く。

 叶わぬ夢から目覚めた朝と同じく、彼女は裏づけのない確信をもって微笑んだ。シシュは何かを言いかけて、だが目を逸らすと難しい顔になる。

「分かった」

「うん。じゃあ行くね」

「サァリーディ」

 通りに踏み出しかけていた少女は、びくりと飛び上がって振り返る。鞘を左手で押さえている青年はいつものように居心地が悪そうで、アイリーデから少し浮いて見えた。

 彼一人だけ色の違う景色。サァリは漆喰の壁に手をついて、乱れかけた動悸を整える。

「何?」

「もし何か来たら声をかけろ。すぐそっちに行く」

「……嬉しいけど、その忠告嫌な記憶が蘇る」

「知るか」

 いつも通りのそっけない彼にサァリは落ち着きを取り戻して、「大丈夫」と答えると一人通りへと出た。



 昼の大通りは、サァリの見る限りいつもよりも幾分人が少なく見えた。

 これはお互いにとってお互いが見つけやすいということで、もしかしたらいつものやり方の方がよかったのかもしれない。

 サァリは迷いながらも通りを南に向かって進んでいく。途中一度だけ振り返ると、人波の向こうにシシュの姿が見えた。やはりどことなく目立つ彼に、サァリは口の中で笑いを噛み殺す。

 そんな風に周囲への注意が逸れていた少女は、突然横から話しかけられぎょっとなった。

「何か愉しいことでもおありですか? サァリ様」

「あ……」

 そこにいたのは神供三家のうちの一つ、ミディリドスの長おさだ。朱色の衣を纏い、口元を黒い紗布で覆った女は、脇に笛を入れる箱を抱えている。

 彼女が外を歩いていることなど珍しいが、楽器を持っているところを見ると仕事でもあったのだろう。一人で笑っているところを見られてしまったサァリは、気まずさを押し隠して誤魔化そうとした。

「なんでもないんです。あの、ちょっとだけ色々……」

 支離滅裂になった。

 サァリは誤魔化すことを諦めて話を変える。

「今日は舞台でもあったのですか?」

「少し若い者たちに稽古をつけていたのです。わたくしも後継者を育てねばなりませぬから」


 ―――― 神供三家の中で、唯一血統による継承を行わないのがミディリドスだ。

 芸楽一座である彼らは、孤児を弟子として育て、己の技術を伝える。その一生において血を分けた子を持つことはない。結婚もしない人間がほとんどだ。彼らは自らの全てを芸に注ぎ、だからこそそれぞれが他の追随を許さない腕を持っている。大陸の何処の街であっても「ミディリドス」を名乗れば、彼らをお抱えにしたいと望む人間は出てくるだろう。

 だがミディリドスは誰の下にも入らない。彼らの奏でる芸楽は全て神のものであるからだ。



 長の弟子とは、つまり次代の長を意味する。

 サァリは自分と同時代を生きることになるであろうその相手に興味を抱いたが、ミディリドスはとかく「未熟」を表に出すことを嫌う。向こうがいいと言うまでは、望んでも会わせてはもらえないだろう。

 サァリはそこで、もう一人のことを思い出した。

「新しい化生斬りの人にはもう会いましたか?」

 化生斬りは不文律ではあるが、神供三家への面通しが必要であるとされている。

 ならばミディリドスの長も、あの男に会ったはずだ。密かに緊張して様子を窺うサァリに、女は頷いて見せた。

「ええ。少し変わった人ですね」

「ああ……」

 やっぱり、という言葉をサァリは飲み込む。自分が感じている不安と長が感じている違和感が同じものか、更に突っこんで確かめようとした。

「あの―――― 」

「サァリーディ」

 青年の声は大きくはなかったが、違えることなく真っ直ぐ彼女へと届いた。

 サァリは迷わず右手を上に挙げ―――― 握る。

「縛」

 張ってあった結界の外周を流された力が走っていく。それは一秒にも満たない間に円環をなぞると、青年を中心とした檻を作り上げた。

 素早く振り返ったサァリは更に化生を狙い打とうと左手を上げた。しかしそこで虚を突かれる。

「あれ……どっち?」

 刀に手をかけているシシュは、まだそれを抜いてはいない。

 そしてその前には同じ格好をした二人の少年がいる。

 彼らは前後になっており、前に立つ一人が後ろのもう一人を庇っているようだった。


 サァリの位置からはそれぞれの目の色は見えない。化生特有の気配も感じ取れない。どちらを打てばいいのか彼女が逡巡しているうちに、後ろの一人が両腕を上げた。その手を前の少年越しに青年へと伸ばす。

「っ、シシュ!」

 もし後ろ側の少年が化生なら、前の少年が邪魔になって斬れない。その間にシシュは攻撃を食らってしまう。

 サァリは彼が血を流す一瞬先の未来を予想して力を練り上げた。二人の少年を共に打ち倒そうとして―――― だが前にいた少年が動きを止める。その眼は後ろから伸びたもう一人の両手によって覆い隠されていた。

 何が起きているのか、サァリは当惑して力をそのままに留める。シシュは二人に何かを囁いたように見えた。そして彼は軍刀を抜く。

 二人の少年は抵抗しない。

 シシュの振るった刃は滑らかに弧を描くと、音もなく前にいた少年を掻き消した。



 大通りで抜刀したことで周囲は一瞬騒然となりかけたが、ミディリドスの長が上手くそれを収めてくれた。

 場所を変え、茶屋の個室に移った三人は改めて少年の話を聞く。テテイは潤んだ目を擦り鼻を啜りながら、これまでのことを話し出した。

 ―――― 写し身は、数日前突然彼の前に現れたらしい。

 最初は自分と同じ姿の化生に驚き怯えたテテイも、相手が何もしてこないと分かると安心した。何でも写し身は、テテイのことを心配して困ったことはないかと訪ねて来たのだ。それまで王都からアイリーデに来て、慣れない丁稚奉公に苦労していたテテイは、戸惑いながらも己の悩みを話した。それをよく聞いて相槌を打ち、解決策を提案してくれる写し身は、まるで本当の親友のようであったそうだ。


「けど……今日いきなり、『もう行かなきゃいけない』って言い出して……」

「行かなきゃいけない? 何処へ?」

「どこかへ、っていうか……もう消えてしまうんだ、みたいな感じでした。元々弱く生まれたから長持ちしないとか」

「元々弱く……」

 サァリはその言葉を反芻したが、テテイが鼻を啜り上げる音を聞いて我に返った。三人の中で一番年が近いからということで、主に聞き取りを担っている少女は、落ち着いた声で確認する。

「それで、あなたは彼を追いかけてきた?」

「はい。なんとか出来ないかと思って……でもそこで化生斬りの人に会って……」

 どうすればいいのか分からなかったテテイは、写し身の両目を隠そうとした。赤い目さえ分からなければ、と思ったのだ。

 最後まで話した少年は「すみません」と頭を下げる。

 彼の声は震えていたので、三人はそれ以上何も言わなかった。



 テテイを先に返してしまうと、三人は改めてお茶を頼みなおした。一口飲んで顔を顰めたシシュが、重い空気に口火を切る。

「ああいう風に人を助ける化生もいるのか?」

 素朴な問いに答えたのはミディリドスの長だ。サァリよりもずっと長い間アイリーデの街を見てきた女は微笑んだ。

「おりましたよ。昔も今も。極稀にではございますが」

「人の想念に影響されて姿を取るってことは、人の影響も受けるってことだから。そういう変わった化生は娼妓の姿に多いんだけどね」

「そうなのか……」

 感心したような複雑な声音は、よく磨かれた黒檀の卓に溶け去る。

 彼は二人の少年に相対して、庇いあう彼らの姿に同情したのだろう。同情して、だが己の責務を捨てることはしない。その頑なさは彼の美点だとサァリは思っていた。たとえアイリーデに合わずとも、彼の持つような実直さが必要なこともあるのだ。



 三人がそれぞれの感情を消化してしまった頃、サァリは気になっていたことを思い出す。

「あの写し身、少し変わってたよね。凄く気配が薄かった」

「ああ、元々弱く生まれたからとか言ってたな」

「それなんだけど、長持ちしないって自然消滅しちゃうってことでしょう? どうしてそんな状態に生まれたんだろう。これの方が聞いたことないよ」

 問いかけは、ほとんどが自分で考える為のものだ。シシュに聞いても分かるわけがないし、ミディリドスの長が知っているとは思えない。

 サァリは卓の表面に映る己の顔を眺めた。

「どうしてなんだろう……」

 巫の少女は答えない。サァリはまた這い寄ってくる不安を感じて、沈み込むように目を閉じた。

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