第48話 不安
倒れている男は、顔を見る限りシシュと同年代であるようだ。
金に近い茶色の髪に、愛嬌のある幼めな顔立ちをしている。まるで子供のようだ、と思ってしまうのはその表情のせいだろうか。男は気を失っているにもかかわらず、うっすらと笑顔を浮かべていた。シシュは放っておきたくなって来た方向を振り返る。
トーマの姿は見えない。真面目に森の中を見て回っているのだろう。青年は身を屈めると、男の首に触れて脈を取った。
「生きてる、な」
死んでいなくてよかった、と言うべきなのだろうか。淡い緑の着物は、既にぐっしょりと夜露を吸い込んでいる。素足に草履だというのに、裂傷一つないことこそ幸運かもしれない。それか余程肌が丈夫なのか。シシュは男の肩を叩いた。
「おい、起きろ」
いくら街道からそう遠くない場所とは言え、このままここで寝ていては獣に襲われる可能性もある。
化生斬りならそれくらい自分で何とかしろと言いたいが、そもそも行方不明者を探しに来たのだし、万が一まったく関係ない人間であったら困る。
シシュは男の佩いている刀を確認して、叩く手に力を込めた。
「起きろと言ってるだろう」
それでも男は目覚める気配を見せない。
余程いい夢を見ているのだろう。へらっと寝顔が緩むのを見て、シシュは青筋を立てたくなった。
このまま起きるまで付き合い続けるのも腹立たしい。彼は注意して男の刀を外すと、その体を肩に担ぎ上げた。そう大きくもない男の体は軽くはなかったが、運べないという程でもない。足場の悪い中、歯噛みしながら道に戻ると、ちょうどトーマが反対側の森から出てくる。
「お、今度は何担いでるんだ」
「知るか。その辺で寝てた」
シシュは男の体を小道へ放り投げる。
一応頭には気をつけて放ったのだが、豪胆なのか鈍感なのか、眠る男はそれでも目を覚まそうとはしなかった。
トーマがその顔を見てじっと考え込む。
「……こいつかな」
「断言出来ないのか」
「いや俺も実際会ったことはないし。帯刀してたんだろ? もうこいつでいいか」
「いい加減極まりない……」
「お前がうるさすぎんだよ。アイリーデの人間が皆そんなだったら、とっくの昔に不文律は法規になってる」
もっともらしいことを言いながら、トーマは先ほどのシシュと同じく男を起こそうと試みたが、まったく反応はない。諦めの早い彼は、寝たままの男を馬の鞍に上げると、落ちないよう釣り糸で縛り付けた。軽く引っ張って固定されていることを確認すると頷く。
「よし、釣りしていくか」
「帰れ」
兄が月白の館に人を連れてくるのは、珍しいことではない。
それはほとんどが神供三家への面通しという意味合いをもってのことだが、極稀に何だかよく分からない理由でよく分からない人間を連れてくることもあった。
これもそういった類であろう。サァリはぼさぼさの頭でにこにこ笑っている男を、初めて見る生き物のように眺めた。男の後ろではシシュが立ち去りたそうに顔を顰めている。
「……で、この方が新しい化生斬りであると?」
「ネレイ・ファトと言います。アイリーデの巫っていうからどんな女性かと思ってたけど、やあ可愛い可愛い」
「…………ありがとうございます」
なんだか調子が狂ってしまう。やたらと明るい様子が、シシュと違う意味でアイリーデに似合わない。
表面上は笑顔を浮かべているが、内心困惑している妹に気づいてか、トーマが助け舟を出した。
「まだ本決まりじゃない。試験はこれからだ。けど、森で行き倒れて何も食ってないっていうからな。適当にちゃんとしてやってくれ」
「かしこまりました」
染み付いた主としての笑顔でサァリは答える。本当は「何でも拾ってきちゃ駄目」と言いたいところだが、化生斬りが相手ではそうも言えない。
それに―――― 何処となく逆らいにくいような、放っておけないようなものを相手に感じるのだ。
サァリは自分がそう思ってしまうこと自体をどこか落ち着かなく感じた。彷徨わせた視線がシシュのものとあう。
「どうかしたのか?」
「あ……ううん、なんでもない。ありがとう」
普段は鈍感で通っている青年だが、彼女の不安や不調は欠かさず見て取ってくれる。そんなところが嬉しくて、だがサァリは自分でも何がおかしいのか分からないでいた。
その間に草履を脱いだネレイが落ち着きなく辺りを見回す。
「ここが月白かぁ。へえ」
「空いている部屋にご案内いたしますわ。食事が出来るまでの間、湯浴みをなさってください。着替えはご用意いたします」
「いや、すみません。お世話になります」
「サァリ、適当に追い出していいからな。自警団の場所は教えてある」
「失礼を勧めないで」
少しの冷ややかさを声音に込めると、兄は笑いながらシシュを連れて帰って行った。
玄関にネレイと下女だけになってしまうと、サァリはまた不思議な息苦しさを感じる。
だがしかし、主として巫として無様な姿は見せられない。彼女は男を案内して階段を上り始めた。ついてくる男が暢気な声を上げる。
「月白といえば、娼妓が客を選ぶと聞きましたが、皆さんはどちらに?」
「下の広間におります。ご希望なら後で案内いたしますわ。ただ着替えをお済ませになってからの方がよろしいでしょう」
「やあ、確かに。嫌われちゃいそうだね」
その感想に、サァリは無言で微笑むに留める。
一応彼女が主ではあるのだが、正直言って月白の女たちの好みはよく分からない。外見で選んでいると思しき女もいれば、まったく関連性のない相手を選ぶ女もいる。中には甚だ問題な選び方をする娼妓もいるのだが、今のところすれすれで大問題にはなっていないので放置している。
とかく神の側女たちは自由なのだ。だがサァリは、彼女たちが化生斬りを選ばないこともまた知っていた。
サァリは艶やかに磨かれた廊下を行きながら、後ろの男に尋ねる。
「それにしても、森で何をなさっていたのです?」
「いやあ、それがよく覚えてなくて。折角だから湖見てこうって思ったんだけどね。気がついたらこの街にいた」
「不思議なお話ですわね」
―――― 聞けばネレイが消息を絶ったのは二週間前のことらしい。
二週間のうち、どれくらい森で彷徨っていたのか。得体の知れない話にサァリはまた不安を覚えた。
そこでしかし、男は何かを思い出したらしく、ぽんと手を鳴らす。
「そういえば、なんか不思議な生き物を見た気がするな」
「え?」
「とても大きな金色の……あれなんだったんだろうな……」
男の考え込む気配に、サァリは足を止めて振り返った。鳶色の目から初めて笑いが消えている。そこに漂う鋭さは、確かにこの男も化生斬りなのだという実感を少女にもたらした。これはアイドと同じで、表裏がある性質の人間かもしれない。出来ることならその裏までを見せてくれるか、完璧に覆い隠してくれるかすればいい、とサァリは願った。
ネレイは彼女の視線に気づいて顔を上げる。
「夢かな。まぁよく覚えてない」
男はまたそこで、愛想よく笑った。
※ ※ ※
あんなにあっけらかんとした人間で化生斬りが務まるのかと何人かは思ったようだが、ネレイは無事審査に合格して化生斬りとなった。
久しぶりに五人が揃ったアイリーデだが、巫はそれと入れ違いに休みの時期に入る。満ちてきた月が力を増大させる為だ。
ウェリローシアの蔵から持ち帰ってきた帳面を寝所に広げ、サァリはそれに読みふける。火入れの時間まではまだ余裕がある。その間に出来るだけ目を通してしまいたかった。
広範囲結界の張り方について読んでいたサァリはしかし、自室の戸を叩かれ顔を上げる。
「はい?」
「主様、要請を頂いてます」
「あ、行きます!」
慌てて飛び上がったサァリは、部屋の姿見を確認した。誰の要請など考えるまでもない。少し乱れていた髪と着物を直し、紅を引きなおすと小箱から腕輪を取り出す。
そうして小走りに玄関へと向かうと、そこには気まずそうな青年が待っていた。
「シシュ」
「悪い。面倒をかける」
「いいの。実験台だもんね」
「その言い方、不安が増すんだが……」
刀を佩いた青年の腕を取って、サァリはどんどん外へと歩き出す。本来夜の街だけあって、まだ日が上にあるこの時間は人通りもそうない。
少女は彼の腕にしがみついたまま小声で問うた。
「風貌は?」
「十代半ばの少年。ラディ家の見習い職人と同じだ」
「あ、写し身かあ」
アイリーデの化生は、人の想念に触れてその中にある人へと変じる。
だから稀に、実在する人間と同じ姿形を取る者もいるのだ。これは目の色以外の外見は本人と変わらない為、対処が遅れると面倒なことになる。
シシュも進んで要請をしたかったわけではないだろうが、放ってはおけなかったのだろう。半月を越えてからサァリに要請を出せる化生斬りは、今のところ彼女の正体を知っている青年だけだ。
サァリは半月からの日数を数える。
「まだ三日だから、多分行ける。今、力の使い方勉強してるし」
「分かった。信用している」
「そんなに信用されても不安になるから、ちょっとは疑ってて」
「……やっぱり一人でやろうか」
「駄目。練習台になって」
シシュは他の化生斬りより勤勉に働いているだけあって、サァリの力に慣れている。繊細な力の制御を試す相手としてはうってつけだ。むしろ他にはいない。彼女は念の為二つつけてきた腕輪をちらりと確認した。
大通りへと向かいながら、サァリは先日の男について話題にする。
「そういえば、こないだの新人さんはどんな感じ?」
「知らない。一緒に行動していないからな」
「アイリーデって新参に厳しいよね。基本放置っていうか」
「それで俺も困ったから一応最低限は伝えた。もっとも見回りついでに妓館や賭博小屋によく顔を出しているらしい。馴染むにも時間はかからないだろう」
「さぼってるんじゃないの? それ」
確かに前からの化生斬りの中には基本妓館に棲んでいる男もいるが、だからといって遊び歩いていていいわけではない。自警団のことについて口出しする権限はサァリにはないが、目に余るようなら何らかの注意がなされるだろう。
サァリはそこまで考えて、ふっとよぎった不安に眉を曇らせた。
「シシュ、あの人のこと平気?」
「何がだ?」
―――― 彼には分からないらしい。
サァリは自分でもよく分からない気鬱に、首を小さく横に振った。
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