第44話 結



 謁見の広間には相変わらず花ばかり置かれている。

 大陸のあちこちから取り寄せたという大輪の花々は、それぞれの鉢の上で、今が盛りとばかりに己の色の華やかさを誇っていた。

 雪宝石と異名を取る白い可憐な花や、真紅の蔦花。王が財宝よりも大事に扱っているそれら鉢の中で、しかし中央の台座に置かれた小さな鉢植えだけは、香りが洩れないよう半球状の硝子の蓋を被せられていた。

 白い蕾は、サァリが見たものより大分小ぶりではあるが間違いない。覗き込んでいた顔を上げると、彼女は頷いた。

「これで間違いないと思います」

「そうか……。お前もこれだと思うかね?」

 主君から話を振られて、別のことを考えていたシシュは一瞬反応が遅れる。

 とは言え、大して間もおかず「そうだと思います」と答えたのだが、返ってきたのは人の内心を見透かしたような笑顔だった。思わず歯軋りしたくなる。


 昨日の一件において、シシュの記憶は途中で断絶している。

 料亭の主人に誘われ、地下への階段を下りていったことは覚えている。その際に白い花を渡され―――― そこから先がよく思い出せないのだ。

 気がついた時には城の一室に戻っていて、サァリが彼を心配そうに覗き込んでいたのだが、事情を聞いたシシュは絶句してしまった。

 人の欲を解放する花に支配されていたという彼は、自分が何をしたのかまったく覚えてない。

 サァリに聞いても苦笑するばかりで、はっきりとは教えてもらえなかった。ただガラク侯やネドス男爵が関わっていたことと、地下に檻があって捕らえられていた人間がいたこと、それらのうち主だった人間は既に救出されたと聞いただけだ。

 シシュは本当は、彼女の着物が酷く乱れている原因に自分が関係しているのか否か、心の底から確かめたかったのだが、少女は一通りを説明するとさっさと自分の部屋に戻ってしまった。結局そのまま翌日の今まで、機を逸して詳しいことを聞けないでいる。


 どうしてこのようなことになったのか、シシュは無言で拳を握った。

 誰よりも自分のせいだとは分かっているが、王の笑顔を見ると知らぬうちに謀られていた気もする。己の巫を横に従える王は、もっともらしく頷いた。

「シシュは知っているだろうが、ここのところどうにも不穏な動きをしている者たちが王都にいてね。調べさせていたのだが、どうやらそのほとんど全員が、この花の中毒状態にあるようだ。程度に差はあるが、花に指嗾されなければ大人しく暮らせた者もいたのだろう。残念なことだ」

 一見穏かにも聞こえる王の言葉は、しかしよく聞けば「でも処分する」としか言っていない。

 この主君にとっては結局、今回の珍事件は潜在的な敵対者を一掃出来るいい機会となったのだろう。処分者たちを憐れと思わなくもないが、いたしかたないことだった。


 シシュは色々気になる私事を押し込めると、王に向かって問うた。

「花の出所は判明しているのですか?」

「お前に回ってもらった花市場だ。ちょうどあそこを取り仕切っている男の行方が、昨日から知れない。その舅である古料亭の主人もだが」

「あの男が……」

 シシュが思い出したのは、彼を地下へ案内した料亭の主人の方だ。

 確かテセド・ザラスという名の老人で、王都の内外を問わず顔が広かったと記憶している。

 だが彼は、今まで特に問題を起こしたことのない人間のはずだ。今回の件で名前が挙がってくるまでは、極々無害な人間と思われていた。

 そこにどういう繋がりがあったのか、考え込むシシュに、遠慮がちなサァリの声が聞こえる。

「実は私たちが地下にいた時、扉の向こうで誰か一人様子を窺っている者がいたのです。助けに来た誰かかと思っていたのですが、後から確認したところ、誰も知らないとのことでして。殿下を地下に連れて来た人間が、事態を確認していたのではないかと……」

「やはりテセドか」

 花自体、サァリは「南部の花」と聞いたそうだが、本当にそうかは調べてみなければなるまい。この花が王都にもたらされたということ自体、誰かの意図が働いているのかもしれないのだ。


 王はねぎらいの言葉をかけると、二人を下がらせようとした。―――― そこにシシュが口を挟む。

「お話があります」

「言ってみなさい」

 間髪おかずの返事は、完璧な笑顔と共にもたらされた。

 王にとってはとっくに予想していたことなのかもしれない。だがシシュは、それに気づかぬ振りをして続ける。

「私の失態のせいで、昨日はご命令を遂行することが出来ませんでした」

「それについては既に聞いた。が、問題はないだろう。結果としては充分であるのだし、後のことは今からでも取り返しはきく。既に朝から何件か問い合わせが来ているよ。昨晩はあんなことになってしまったが、改めて自分の娘をお前に会わせて欲しいとね」

「…………」

 分かってやっているのなら腹立たしいが、まず間違いなく分かってやっている。

 いい性格の王に対し、シシュは平静を装う為、全力を要した。表情を消し、頭を下げる。

「その件ですが、ご命令通りにいたしますと、もう一つのご指示に支障が出かねません。未熟者で恐縮ですが、より重要事に専念させて頂きたく―――― 」

「彼女の方が大事だから優先したいのか。なるほどなるほど」

「…………」

 どうしてわざわざ言い直すのか。

 シシュは目の前の鉢植えを何処かに投げつけたい衝動に駆られたが、いつものように我慢した。隣にいるサァリが何故か若干青ざめているが、それを気にしても精神が削られる気がしたので無視した。多くを飲み込んで、シシュは「左様でございます」と一礼する。


 しばらく頷いていた王は、やがて気味の悪いほど機嫌がよさそうに首肯した。

「分かった。お前の思うとおりになさい」

「ありがとうございます」

 これはサァリが退席した後、散々からかわれるに違いない。

 しかしその辺りはもう諦めがついている。シシュは忍耐という言葉を意識しながら顔を上げた。その時、隣で少女の声が上がる。

「あの、私からも少しお願いがあるのですが、よろしいですか?」

 真っ直ぐに背筋を伸ばしたサァリは、横顔からは表情が読めない。

 シシュが訝しく思って眉を寄せると、少女は彼に向かって苦笑した。

「ごめん、ちょっと先出ててくれる? すぐ私も行くから」

「先に?」

 席を外せ、と言われてシシュは驚いたが、王を見ると彼も頷く。

 そう言われては不安も残るが、居座る訳にもいかない。シシュは苛立ちさえも挫かれた気分で、もう一度礼をすると謁見の広間を後にした。




 青年の姿を見送ったサァリは、改めて王に向き直る。

「―――― あの人と同じことを、私もお願いしたいのです」

 透き通る声は、玉座に届くと美貌の王を微笑ませた。シシュに向けていた胡散臭い笑顔とは違う表情に、サァリは若干面白くない気分を味わう。

 いつも王は、こうやってシシュに鬱憤を溜めさせているのだろう。昨晩見た痛い目が、棘のある声を彼女に出させた。

「あまり意地悪をなさらないでください。いつか御身に返ってきますよ」

「主嬢は既に身に返ってきたようだが、その上での忠告かな」

 くすくすと笑われたサァリは、しかしそのことで唇を曲げたりはしなかった。青い瞳が冷ややかに力を持つ。

「冗談で言っているのではありません。真面目にお聞きを。―――― 彼を化生斬りとして頂けるなら、あえて婚姻を勧めるような真似はおやめください。悪戯も度が過ぎると、放ってはおけません」

 細く長く、彼女は息を吐く。

 その足下を中心に、冷気が部屋の中に漏れ出した。

 空気の変化にまず気づいたのは王の巫で、彼女は顔色を変えて王の肩に手を添えた。王もそれで気づいたのか、サァリの目を見直す。


 巫がもっとも弱体化する新月の前の日、けれど彼女の存在には揺らぎもない。人ならざる気配が、ゆっくりと頭をもたげた。

 しなやかで、だが重い声が、王とその巫を打ち据える。

「―――― 神供によって私の歓心を買おうというなら、余計なおまけは不要。他の女など近づけさせるな。癪に障る」

 広がる夜の気が、次々咲き誇る花々を萎れさせていく。

 王はそれを見てぎょっとし、みるみる顔色を失くした。丹精込めて咲かせた花たちの憐れな姿に彼は泣きそうになる。先程までの笑顔は何処へやら、嗚咽をもらしそうな王の隣で、巫が深々と頭を下げた。

「申し訳ありません。以後このようなことはないと、お約束いたします」

「そう。次は気をつけてください」

 サァリは若干の溜飲を下ろすと、己の気を収めた。軽く眩暈がする頭を振って踵を返す。

 廊下に出るとシシュが待っていて、心配そうに彼女を覗き込んだ。

「何の話をしていたんだ?」

「ええと、園芸相談かな」

「園芸? まぁいいが……。それより昨日の夜、俺は巫に何を」

「聞かないで。あんまり思い出したくないの」

「…………」




 明日の蔵開けに備えて帰るサァリは、城の部屋で黒いドレスに着替えた。

 ウェリローシアの屋敷に戻るのだから、顔も見せることは出来ない。ヴェールを被った彼女は、裏に用意されていた馬車へと向かう。

 既にそこにはシシュが待っていて、彼女を見ると「送っていく」と馬車の扉を開けた。

 礼を言って乗り込もうとした少女はしかし、何処かから駆けてくる足音に気づく。まもなく城の廊下から一人の女が姿を見せた。

「殿下! 探しましたわ!」

 若草色のドレスを引いて現れた女は、サァリよりも少し年上に見えた。身なりから言って貴族令嬢だろう。

 隣の青年を、サァリは見上げる。

「誰? 知ってる人?」

「釣り書きで……」

「ああ」

 ということはつまり、シシュの妻候補であった誰かだということだ。

 彼に抱きつかんばかりの勢いで走ってきた女は、間近まで来てようやくサァリの存在に気づいたらしい。足を止めると不快を隠しもしない目で、顔の見えない少女を睨んだ。

「どなたですの? わたくし、殿下にお話があるのですけれど」

 邪魔だから立ち去れと、はっきり分かる物腰に、シシュはげんなりしたようだ。口を開きかける青年を、けれどサァリは留めた。手袋を嵌めた手を伸ばして彼の顔に触れる。

「私がお相手しますわ」

「は? 何、あなた。何処の家の人間?」

 女はじろじろと遠慮ない視線でサァリを値踏みする。シシュは何か言いたげだが、何を言っていいのか分からないらしい。彼の腕に自分の両腕を絡めて、少女は笑った。

「初めまして。ウェリローシア当主、エヴェリ・サリア・ウェリローシアと申します。陛下よりお許しを頂いて、殿下と親しくさせて頂いております」

「…………え? ウェリローシア?」

 唖然と女が凍りつく様は、サァリの目になかなか面白いものに映った。

 今までウェリローシアの名を表で名乗ったことはない。だがこの王都の貴族で、もっとも古く高貴な家名を知らぬ者はいないだろう。

 時にその名は、実情以上の効果をもたらす。女は困惑と苛立ちに顔を歪ませた。

「まさか、ウェリローシアなんて……ど、どうせ適当な嘘なんでしょう。当主の顔なんて誰も知らないのだし―――― 」

「あら、わたしの姫を侮辱するなんて。いい覚悟ね」

 艶やかな声は、馬車の向こうから聞こえた。サァリがヴェールの下で溜息を飲み込む。

 堂々たる足取りは、いつもの従姉のものだ。馬車の影から現れたフィーラとヴァスは、それぞれの高圧さを以って貴族令嬢を眺めた。

 彼ら二人の顔は、女も知っているらしく、明らかに顔色が悪くなっていく。ヴァスの呆れた視線が、サァリの上で止まった。

「体が弱いもので日頃表には出ておりませんが、彼女がウェリローシアの当主であることは私が保証いたしましょう。……信用ならない、というのなら別の手段を考えますが」

「い、いえ。いいわ。もういいの」

 日頃彼らは王都で何をしているのか。傲然たる二人の姉弟に、令嬢の気はすっかり挫かれてしまったらしい。彼女はシシュに「失礼致しました」と頭を下げると、走り去るように城の中へ消えた。

 ややあってシシュの手が、サァリの頭に乗せられる。

「いいのか? あんなことを言って」

「これくらい構わないでしょ。昨日の鬱憤が溜まってるし」

「だから俺は一体何を」

「よし、帰りましょう! フィーラとヴァスは?」

「屋敷の馬車がありますよ。あなたが逃げ出さないよう迎えに来たんです」

「逃げませんから……」

 軽くかぶりを振って、サァリは馬車に乗り込む。シシュが黙ってその後に続いた。

 澄んだ空気。花の香りはしない。蔵開けも今はさほど重荷に感じない。

 向かいに座る青年を、彼女はヴェールを上げて見つめる。

 空よりも青い瞳は嬉しそうな光を湛え、まるで普通の少女のようにあどけなく微笑んだのだった。



【第弐譚・結】

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