第42話 駆除


 広間にある檻のいくつかは、中に「商品」を閉じこめたままだ。サァリはそれら檻を見渡す。

 開けられなかった檻は、先程のならず者たちのように、解放したら周囲に害を及ぼすと判断されたものばかりである。大蛇や猛獣など、どういう層に需要があるのか、それとも何かの道具代わりに置いてあるのかは謎だ。

 金色の巨大な狼が檻の一つで眠っているのを、巫の少女は何とはなしに眺めた。その間にもシシュは、巨大な影球と駆け引きをし続けている。

 近づけば牙や角などが突き出てくるそれは、ゆっくりとサァリの垂らした血に向かって近づいてきており―――― そして少しずつその大きさを減じてもいた。


 巧みに影球に近づいて攻撃を誘っては、突き出た部分を斬り落とす、ということを続けているシシュは、冷めた目で刀を払う。彼の体を串刺そうとしていた虫の足が、刃の触れた場所から空中に霧散した。

「きりがないな」

 小さな感想に、サァリは目をまたたかせる。

「でも縮んできてるよ。このまま行けば消せると思う」

 サァリの見立てでは、かかる時間はあと十分弱といったところだろうか。思っていたよりもずっと危なげがない。正気を失っている方が刀筋に容赦がないのではないかと思える程だ。

 そんなことを考える少女に対し、けれど彼は首を横に振った。

「面倒だ。時間がもったいない」

「もったいないって言っても」

 もしかしたら城の手が入る前に、彼は上へ突入して暴れようなどと考えているのではないか。だとしたら、ここで出来る限り時間稼ぎをした方がいい。サァリはさりげなく彼の足を引っ張るかどうか悩んだ。

 しかし彼女の不穏な企みが分かったわけでもないだろうに、シシュは影球に向かって踏み出す。

「え、シシュ?」

「もうさっさと終わらせる」

 言うなりシシュは、飛びかかる巨大な虫顎を斬り払った。かき消される化生の先端に目もくれず、更に前へと歩を進める。ぼやけた影球が彼の眼前に迫った。何をするつもりなのか、サァリは声もなく彼の姿に見入る。


 ―――― そしてシシュは、何もしなかった。


 足を止めぬまま彼の体は、影球の中に音もなく飲み込まれる。

 止める間もない。あっと言う間のことに、サァリは声を上げることも出来なかった。彼の姿が見えなくなってまもなく、少女は口の中でうめく。

「あれ……嘘?」

 現実を疑う呟きに、肯定も否定も返す者はいない。サァリは自分へと変わらず自分へと近づいてくる影球を、愕然として見上げた。体温が狂って倒れそうになる。

「ええと……」

 殺さなければならない、と自然に思った。

 殺して、シシュを取り戻さなければ。彼はまだきっとこの中にいるのだろうから。

 サァリは深く考えず、近づいてくる化生へと左手を上げる。力の組み方など考えるまでもない。それは半ば己の存在に根ざしたものだ。

 白い指先に光が灯る―――― その時床の上で蛇の頭が動いた。青黒い大蛇は、影球だけを見据える少女に向かって首をもたげる。サァリがそれに気づいて不気味な姿を一瞥した時、蛇は彼女へと飛びかかった。

 驚きはしたが恐れはない。サァリは左手を大蛇へと一閃する。大きく開かれた顎から上が吹き飛び、けれど蛇の体はそのまま彼女に巻き付いた。化生の影響を受けているのか、死を拒絶する妄執に締め上げられた少女は、苦痛の声を上げる。

「この……!」

 影球は、サァリのすぐ目の前に迫っている。

 ひんやりとぬめる感触は、彼女の嫌悪を誘ってやまない。顔のすぐ横に、半分が吹き飛んだ蛇の頭がある。薄紅色の肉が割け、ぬらぬらと表面が光っていた。

 鼻をつく生臭さに、サァリはけれど煩わしさ以上のものは感じない。右手が爪を立てて青黒い鱗を掴む。少女が立つ周囲の床に、薄く罅割れが走った。


 しかし、その手に力を込めるより先に、蛇の体はぼとりと地に落ちた。何があったのか、理解しきれないサァリの視線の先で、巨大な影がふっと晴れる。

 そこに立つ青年は、不機嫌そうな目でサァリを見た。

「何か来たら言えと言ったろう」

「……シシュ」

 横たわる蛇の首には、深々と一本の針が刺さっている。巫の術が施された針なのだろう。鱗の隙間から見える銀には、細やかな紋様が刻まれていた。

 彼自身には傷の一つもない。サァリは化生の気配もなくなった広い空間を見回す。

「あれ平気だったの?」

「繋がりの中心を断てば、あとは四散するだけだ」

 ―――― そのように簡単なものだったろうか、と。

 サァリは首を捻りたくなったが、ただ小さく頷いた。シシュは刀を鞘に戻すと、真っ直ぐ歩み寄ってくる。何を言う間もなく、また肩の上にかつぎ上げられた。

「ぐえ。またこれ?」

「城に戻る。陛下にお話がある」

「被害拡大?」

 ややこしいことになりそうだ、と思ったが、あえて止める気にはならない。この際連帯責任だ。王は王でシシュの血縁なのだから、これくらいの面倒は被ってもらおう。大体、妻を探すよう彼に言ったりするのが悪いのだ。婚姻を結ぶわけではない神供に妻帯する権利はあるが、だからといって同時進行を指示されて面白いわけがない。シシュの八つ当たりを受けるくらい、我慢してもらいたかった。




「サァリーディ」

 呼ばれれば力を持つ名であるのは、それが巫名である為か、それとも彼が呼ぶからか。

 サァリはびくりと体を震わせて、彼の後頭部を見上げた。

「何?」

「俺は、今のところ妻を娶るつもりはない」

「うん」

「陛下のご命令が不条理なのは、いつものことだ」

 言い捨てる彼の意思が、何処にあるのかは分からない。ただ、彼が言うからには事実なのだろう。サァリは小さく頷いた。

 けれどすぐに、違うことが気になって聞きたくなる。

「……私とのことも不条理? 王都に帰りたい?」

 率直に聞いてしまったのは、不安より好奇心が勝ったからだ。こういうところが自分は子供なのかもしれない、とも思ったが、今聞かなかったらきっとずっと聞けない。サァリは両手をつっぱって体を起こした。シシュは足を止めぬまま少女の横顔を見上げる。

「不条理ではないと思うか?」

「思わない。シシュの意思がないと意味がないし」


 いくら月白においては女が客を選ぶと言っても、それは客の意思を無視することと同義ではないのだ。相手の同意がなければ契約は発生しない。それは、主であるサァリも例外ではない。

 第一、反抗的な神供を貰うなど、その由来からいっても本末転倒だろう。もっともサァリは、歴代の巫の記録に全て目を通している訳ではない。普段は蔵の中にしまわれている書物には、彼女の想像もつかない過去が記されているかもしれなかった。


 つい思考を脱線させていたサァリは、しかし自分の中で段々憂鬱さが増していくことに気づく。いい加減疲れが出たのかもしれない。疲れたから垂れてしまおうかと考えた時、シシュの声が耳を打った。

「王都に戻る気はない」

「え? いいの?」

「巫を守らなければならないからな」

 それは、王の命を守ってのことだろう。サァリはほっとする反面、小石のような割り切れなさが身のうちを転がっていくのを感じた。釈然としないと言ってもいいかもしれない。アイリーデの化生斬りは化生を斬る為の存在であり、巫を守る為の者ではないのだから。

「別に守ってくれなくてもいいのに……」

「何か言ったか?」

「何でもないです」

 早く元のシシュに戻ってくれないだろうか。いつお仕置きされるかと挙動不審になってしまう。

 次からはもっと彼の苦言を真面目に聞くことにしよう。そう思ったサァリは、ずり落ちかけた体を揺すり上げられ閉口した。

 半分垂れてしまったサァリを抱えて、シシュは階段を上り始める。


「それにしてもだ、サァリーディ」

「何?」

「今の話では、俺を選ぶつもりでいるように聞こえた」

「……っ」

 言葉が出ない。血が瞬間で沸騰する。真っ赤になったサァリは、何も言うことが出来ずただ、あうあうと口をわななかせた。

 ―――― そうすっかり決めてしまったわけではない。

 彼を選ぶかもしれないと思っていた。けれどそこまで断言しきれる程、決めていたわけでもないのだ。

 そもそも客を選ぶなど、まだ自分には早いと思っていた。そう思っていたからこそ、アイドとの間はこじれてしまった。

 けれど言われてみれば―――― シシュにその意思があるなら神供で迎える気はあるのだと、そうとしか聞こえない言い方だ。サァリは自分でも意識していなかったことを、よりによって彼自身に指摘され、身も捩れる恥ずかしさに悶絶した。青年の背に爪を立てて喘ぐ。

「そ、そんなことは……言葉のあやっていうか……」

「言葉のあや? それで勘違いする者が出たらどうする?」

「謝る……」

「謝られてないが」

「ごめんなさい」

 これは更に怒られる羽目になるのだろうか。サァリは彼の顔を覗きこみたかったが、体勢的に難しい。後で筋肉痛になりそうだ。

 完全に垂れてしまった彼女はシシュの服を引っ張る。

「怒った?」

「別に」

 青年の答は淡白だ。人の欲をさらけ出すという花は、どうやら知りたいことまでは教えてくれないらしい。

 サァリはもし自分に花の香が効いていたら、どうなったのかちらりと考えたが、素面でも今恥ずかしい目にあったというのに、もっと恥ずかしい目にあう未来しか思い浮かべられない。

 シシュの方は正気に戻ったらどんな感想を漏らすのか。少しだけ想像出来て、サァリは「自分でなくてよかった」と思った。


「シシュ、このまま皆殺しとかに行かないよね?」

「それをしたがっているのは巫の従姉だ」

「うちの血族がごめんなさい……」

「巫が謝ることじゃない」

 彼女を持ち運ぶ青年は階段を登りきると、細い通路を歩いていく。その振動に目を閉じて、サァリは理由の分からぬ安堵を感じた。

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