第41話 誓約


 上では乱闘が起きている、と言われても何をしようもない。

 今出来ることは、せいぜいこの場から捕らわれた人間たちを連れて逃げることくらいだろう。

 だらんとシシュの背にぶら下がっていた少女は、気力を奮い立たせると体を起こした。自分を担いだままの青年の肩を叩く。

「シシュ、下ろして」

「下ろすほど信用していない」

「謝ったのに……」

 これは危険物隔離兼、逃走禁止ということで確保されているのだろうか。

 でろりと垂れなおすサァリに、レセンテが明るい笑い声をかけた。

「可愛いねえ、あんたたち」

「どこが……」

「いい加減、遊んでないで逃げたらどうです」

 姉の腕を掴んで引きずってきたヴァスが、地上を指差す。

 早く離脱しよう、とのもっともな提案に、サァリはけれど首を縦に振ることは出来なかった。檻の方を見やると、アイドが娼妓たちを動かすのに苦労している。いくら人手が増えたといっても、花の香を吸い込んだ人間たちをうまく動かすことが出来ないのだ。

 レセンテがアイドを手助けに行くと、シシュもサァリを担いだままその後を追った。途中に転がって動かない大蛇は生きているのか死んでいるのか分からない。サァリは考えたくなかったので目を逸らす。

 檻から出された娼妓の少女は、先程の一人と同じくアイドの腕にしがみついて震えている。秀麗な顔の男はそれを煩わしげに、だがほんの少しだけ困ったように見下ろしていた。

 追いついたレセンテが、軽く少女の頬を打つ。

「ほら、さっさとお行き。あんまりもたもたしていると、この男も狂っちまうよ」

「……飲まされた薬が効くというのは嘘なのか?」

「効くよ。多少は」

 嫌そうな顔のアイドを軽く流して、レセンテは入り口を指し示す。

 のったりとした口調とは逆に、その行動はきびきびとしており、少女たちは染み付いた躾のせいか、つられて動き始めた。

 その間にアイドは、隣の少年ばかりが入れられた檻を開ける。

「裏口知ってるからそっちから出すよう。しばらくは香抜きに時間かかりそうだけど」

「じゃあ後は、上だけが問題かな……」

 サァリがそう呟くと、従兄が嫌そうな顔になった。

「それはあなたには関係のないことでしょう。自業自得です」

「地上の人たちは違います」

「変わりませんよ。機会があったかなかったかの違いだけです」

 冷ややかに指摘するヴァスは、一刻も早くここから立ち去りたいという意思を隠しもしていない。その後ろにいるフィーラは怪しい笑顔を見せていて、隙あれば上に乱入して暴れ回りそうだった。確かに彼女を早くここから移動させないと、事態は混迷しそうである。加えて出来るならシシュとは引き離しておきたい。


 サァリは少し考えて―――― アイドを見る。

「ね、上の様子って酷い?」

 話しかけられた男は、無視したそうに顔を顰めた。だがレセンテの視線に窘められてか、口を開く。

「酷い。化生に唆された人間は、他を憎み傷つけようとするからな。アイリーデの化生の方が余程始末がいい」

「ああ……」

 化生に影響を受け人が刃物を振るったとしても、人自体を片端から斬る訳にはいかない。

 確かにアイリーデの人間からすると、一度事態が悪化してしまえば余所の化生の方が面倒だ。乱闘の中で天井に張り付いている化生を狙う羽目になったりなど、考えるだけで苦労がしのばれる。

 サァリは自分を担いでいる青年を見下ろした。

「化生だけでも何とかしたら、被害は抑えられるかな」

 この酒宴は、元々王がサァリに勧めたものだ。そして同様に王は、シシュに妻を探して来いとも指示している。

 ということは、この酒宴で何か起きれば王に伝わると思っていいだろう。地上にまで騒ぎがはみ出しているなら間違いない。あの王は抜け目のない人間だ。

 天井を見上げるサァリに、ヴァスが呆れた目を向ける。

「何をするつもりですか。まさか上にいって化生を一体ずつ始末するなんて言い出しませんよね」

「それはさすがにしません。けど」

 ―――― この場所に化生を集めることなら、きっと出来る。

 アイリーデでの事件の際に、化生である無数の蛇は、サァリに襲い掛かってその血を啜ったのだ。

 あの時は蛇代が関わっていたから、とも言えるだろうが、化生の性質はアイリーデでも他でも変わりがない。サァリの縫い止める力が効くことからもそれは明らかだ。きっと彼らにとって、サァリの血は誘蛾灯のようなものなのだ。

 この大陸でもっとも特異な巫である少女は、己の結論に頷く。

「助けられる人を助けて、先に上に行っていてください。他の檻は危険だから閉めたままで。ここで化生を消滅させます」

「は? オレは手伝わんぞ」

 普通の人間は、化生を視認することさえ出来ない。サァリと血が繋がっているフィーラやヴァスでさえ、見ることが出来ないのだ。

 だからアイドがそう釘を刺すのも無理からぬことだ。サァリは当然の返答に頷く。

「うん。この人たちを誘導する人手もいるし、あんまりここにいてアイドまでおかしくなっても困る」

「分かっているなら……」

「でも、シシュは出来るよね?」

 自分を捕らえている青年の広い肩を、サァリは両手で掴む。

 その下に感じるものは、鍛えられ絞られた肉体だ。王の異母弟であり、忠実なる臣。まだ若い化生斬りは巫を見上げる。

「出来る」

 期待していた答に、サァリは微笑んだ。



 シシュがサァリを下ろしてくれたのは、避難がおおよそ終った後のことだ。

 ヴァスは最後まで彼女をここに残すことを渋り、アイドは「馬鹿か」と散々罵ってきたが、そのどちらもをレセンテが言いくるめて連れ出してしまった。加えてフィーラの面倒まで見てくれているのだから、彼女には頭が上がらない。有能な館主とはああいう人間のことを言うのだろう。サァリはまだまだ未熟な己の身に思いを馳せた。

 向かい合って立つ青年を、彼女はじっと見上げる。

「大丈夫?」

「ああ」

 未だ花の影響下にある彼は無表情で、何を考えているのか分からない。

 だがとりあえず彼女の皮を剥ぐ気はないようであるし―――― 彼の腕を、サァリは誰よりも信用していた。

 今は経験不足が影響することもあるが、将来的に彼はどの化生斬りよりも強くなる。その確信が、アイリーデで育ち、何人もの化生斬りを見てきたサァリにはあった。

 彼女は帯の中から小刀を取り出す。

「シシュも手、貸して」

「何をする?」

「私だけの血じゃ濃いし、向こうの力になっても困るから」

 だから、彼の血と混ぜ合わせて化生を呼ぶのだ。


 サァリはまず自分の掌に、すっと刃を走らせる。みるみる浮き上がってくる赤い筋を確認して、彼女はシシュの左手の平も同様に切った。お互いの傷を合わせるように、指を絡めてきつく握る。

 温かで確かな感触。滲んでいくものが、少しずつ触れ合い混ざり合っていくのが分かる。それは艶かしい感触を伴って肌の上をゆっくり這っていき、指を伝ってぽたりと落ちた。サァリは細い息を吐いて床に落ちた血滴を見下ろす。胸の中にざわめきが生まれ、顔を上げた。

 端正な顔立ちの青年は、感情のない目をしたままだ。

「シシュ、まだ怒ってる?」

「怒ってる」

「ぐう」

 日頃一体どれだけ憤懣を溜め込んでいたのだろう。サァリは自分もその一端を担っていることに、申し訳なさを抱いた。今となって思えば、どうしてくだらないことで苛々してしまったのか、ただ反省するだけである。

 うなだれるサァリに、青年は静かな声をかけた。

「次からはまず話し合いを」

「うん……」

「あとは、傍を離れるな」

 血塗れた手が、固く握り直される。

 ぬるい温度と微かな痛み。そんなものだ。今ここにあるものは。

 サァリは睫毛を揺らし、青年を見上げる。

「それは私も言いたいことだよ」

「そうか」

 ならどうして離れてしまうのか。不思議にも思うが、それがきっと人の性なのだろう。

 サァリは少しだけ母の気持ちが分かった気がした。掠れた声をそっと零す。

「―――― 傍にいて。そうしたら何にも傷つけさせない」

 何によっても喪われることがないように。加護よりも強い力を相手に贈る。そうして月白の巫は、客たる男に礼を返す。

 古の夜の街においては、婚姻の誓いよりも強い誓約だ。しかしシシュはそれを聞いて、心底怪訝そうな顔をした。

「何を言ってるんだ」

「だって……」

「守るのは俺の方だ。サァリーディ」

 絡めていた指をほどくと、シシュは少女を背後に押しやる。

 いつの間にか、天井が暗い。

 明かりが消えたわけではない。サァリの血の臭いに引き寄せられた化生たちが、そこには蠢いているのだ。 蛇の形をしたもの、蜘蛛や蟻、鳥などの姿を取ったそれらは、しかし集まり過ぎている為か輪郭が溶けて混ざりあっている。

 やがて己の重みに堪えかねたのか、溶けあった化生たちは、中央からたわんで下に垂れてきた。床につくと不定形の粘りとして、二人の方へと這ってくる。白い床を進む化生は、次々垂れてくる影を加えて、急速に大きさを増していった。最終的に、部屋にある檻一つを丸々飲み込める程の巨大で曖昧な固まりになる。

 醜悪というより、なんだかよく分からぬものになってしまった化生を見て、シシュがぽつりと言った。

「確かにこうなると、アイリーデの化生の方が始末がいい。人型なら大きさも限られる」

「シシュも大分感化されてきたね。縛する?」

「いい。血を止めていろ」

 抜いた刀を手に歩を進める青年に頷いて、サァリは傷口を押さえた。彼の邪魔にならぬよう距離を取る。

 恐れはない。彼を信用している。そしてサァリは、彼に傷を負わせる気もなかった。神である少女は、二人の血に塗れた指先を見つめる。

 ―――― たとえ死が、避けられぬ人の運命だとしても。

「その時を決めるのは、私だ」

 他の誰かに奪わせる気は、微塵もなかった。




 アイリーデの化生は、人を模した実体を持ち、個体によっては人間離れした膂力と脚力を兼ね備えている。

 一方、他の街の化生は鳥獣の姿を取った影であり、その形通りの動きをすることが多い。

 それでは、大きくぼやけた影球はどんな動きをするのか。

 若干の興味を持ってサァリが見守っていると、シシュはまったく頓着なく影球に向かって踏み込んでいった。持っていた刀でそれを薙ごうとする。

 しかしその刃は、化生の表面に触れるすれすれのところで、持ち主の手によって引かれた。

 卓越した反射神経で刀を手元に戻したシシュは、顔を狙って突き出された穂先を払う。影球から唐突に生まれたそれは、鳥の嘴のようでもあった。

 続けて牙を持った顎が向かってくると、シシュは牙を避けて後ろへと跳ぶ。

 一連の動きを見ていたサァリは、予想外の攻撃に目を丸くした。

「それ、色々出てくるの?」

「元が多くの化生の集合体だからな。それくらいは出来るんだろう」

「シシュ、大丈夫? 手伝おうか?」

「必要ない。自分の身を守れ。何か来たなら声をかけろ」

「うん」

 青年の声には気負うところは感じられない。もし正気だったとしても、それは変わらないだろう。

 サァリは背後の扉を振り返り、誰も来ていないことを確認すると、シシュに視線を戻した。青年は刀の柄を握り直すと、影球に向かって足を踏み出す。その綺麗に伸びた背を、サァリは信頼の目で見守った。


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