第38話 欲


 均整の取れた身体を傲然と逸らし、婦人を見下ろすフィーラは、他を圧する気配を以て場の空気を支配していた。彼女の後ろにはこの館の主人であるガラク侯が立っていて、状況に困っているのかおどおどと両者の上に視線を送っている。

 サァリの着物を掴んでいた女は、手を下ろしてフィーラへと向き直った。

「邪魔をするつもり? このあばずれが」

「品のない物言いね」

 嘲笑を隠しもせず言い放つフィーラに、女はすかさず掴みかかろうとする。しかしフィーラは一歩退いてそれを避け、生まれた隙に婦人の背後からネドス男爵が彼女を羽交い絞めにした。暴れる女に、男爵は声音だけは落ち着いて言い繕う。

「とりあえず部屋へ行きましょう。彼女は無理ですが、他の娘がいますから」

「このこがいいのよ! きれいになれるわ、このこならきっと」

「彼女は駄目です。彼女は……」

 その後の言葉を男爵は切ったが、サァリには「利用価値がある」と言いたいようにしか聞こえなかった。フィーラを一瞥すると、彼女は軽侮の目を婦人に注いでいる。女王然とした立ち姿に、サァリは身に染み着いた苦手意識を飲み込んだ。


 今この場においては、従姉妹である彼女とは他人として振舞わねばならない。

 フィーラはフィーラでガラク侯に招かれて地下へと来たのだろう。胸には客の証である白い花の飾りがつけられている。

 揉め事の気配を感じてか、近くの長椅子から赤い髪の娼妓が、興味深々の目で彼らの様子を窺っていた。

 男爵は女を何とか引き離すと、ガラク侯に目配せする。慌ててやって来たガラク侯は、男爵と協力して左右から婦人を押さえ込むと、何処かへ連れ出そうとした。フィーラがそれを顔を斜めにして見やる。

「あら、わたしを放ってお行きになるの? それともついて来いということなのかしら」

 振り返った男爵は一瞬苛立たしげな目でフィーラを見たが、その隣で首を傾げているサァリに気づくと思案顔になった。

 男二人は何事かを小声で相談する。結論が出たのか、ガラク侯がフィーラに向かって頷いた。

「わ、わかった。来たまえ」

「男爵様、わたくしは? 綺麗になれる、なんて気になるお話ですわ」

「ああ……君も来るといい」

 サァリの物言いに男爵は苦笑する。


 ―――― 気が狂ったかのような婦人の有様には呆気に取られてしまったが、これはおそらく「当たり」だ。

 サァリは困惑顔を作ったまま、フィーラと並んで彼らの後に続いた。男二人は婦人をなだめながら奥の扉へと向かう。

 招かれている他の貴族たちは興味をなくしたのか、それとも最初から些細な揉め事などどうでもいいと思っているのか、彼らを気にする様子はない。周囲を確認しながら歩いていく少女に、フィーラが自分の薄いショールを無言で手渡した。

 サァリは目礼でそれを受け取ると、胸元が大きく見える程に開かれてしまった襟元を隠して羽織る。




 扉の先は、広い通路になっていた。

 奥に伸びる通路の先は鍵のかかった扉がもう一つあり、更に地下へと階段が続いている。

 それら回りくどい道程を経て、男爵はようやく一つの部屋の扉を開けた。婦人を先に室内へと入れながら、彼はサァリを振り返る。

「最初は驚くかもしれないが。他言無用だよ」

「承知しております」

 微苦笑しつつ頷くサァリを、男爵は中へ手招いた。彼女はフィーラと共に扉の先へ足を踏み入れる。むっと濃い花の香りが全身に押し寄せ、思わず顔を顰めたサァリは、部屋の中を見て息を止めた。


 ―――― その光景は、半ば予想していた通りのものだ。

 先程の空間と同程度のだだっ広い部屋に、いくつもの大きな檻が置かれている。黒い鉄格子をはめ込んだそれらは壁に沿って並べられ、一方部屋の中央には何もない空いた場所が確保されていた。

 その場所は他よりも一段床が高くなっており、人一人が横になれる程の直方体の台座が置かれている。黒い石の台座はサァリの見る限り、まるで供物を捧げる為に置かれたもののようだ。台座の側面には大振りの刃物をはじめ、三つの刃物が専用の溝に収められていた。


 男爵が手を離したのか、婦人が檻の一つに走り寄る。その中にはサァリと年の変わらぬ少女が数人入れられており、肌の透ける薄衣だけを着せられた少女たちは、鉄格子を掴む婦人の形相に身を寄せあって後ずさった。恐怖に震える目は、これから自分たちに何が起こるか、よく知っているようだ。

 婦人は目を血走らせて、少女一人一人を舐めるように吟味する。

「どどどのこに……しようかしら」

 婦人の興味は、すっかりサァリから檻の中へと移っている。他の檻は、少年ばかりが入れられたものや、屈強な男が入れられたもの、また中には大蛇や獣が入れられたものも混ざっており、その分類ぶりは商品棚を思わせた。


 今まで無言で室内を眺めていたフィーラが、ガラク侯に皮肉な笑いを向ける。

「わたしに見せたかったのは、こちら? よい趣味をなさっているわ」

「いや、これは……」

 狼狽して両手を顔の前で振る男を、サァリは微塵も見ていなかった。彼女はただ、婦人の視線に怯える少女たちを注視している。その様子に気づいて、男爵が彼女の肩に手を置いた。

「どうかしたのかね?」

「彼女たちは何なのです」

「売り物だ。君とは違う」

 そう言う間に、婦人は一人の少女に目標を定めたようだ。太い腕を鉄格子の間に割り込ませる。一番隅で縮こまっている小柄な少女を指さした。

「あああのこにするわ」

「分かりましたよ」

 男爵が手を上げると、入ってきたドアとは別のドアから、三人の男が入ってきた。下男の服装をした彼らは、男爵の指示を受けて少女たちの檻へと向かう。

 悲鳴を上げて引きずり出された少女は、そのまま中央の台座へと連れて行かれた。

「い、いやっ、たすけて……!」

 悲痛な金切り声は広い空間に響いて、今この場が悪夢の只中であるような錯覚をもたらす。

 台座に上げられた少女に、男たちが次々手枷足枷をはめていった。その傍で食いつかんばかりに待っている婦人は、言いようもなく醜悪な「獣」そのものだ。サァリは隣の男爵に真意を問う目を向けた。

「何をなさるのです」

「君も綺麗になりたいのだろう?」

 そう言って覗きこんでくる視線は、またもや医師が向けるようなものだ。

 少女に何かの変化がないか窺おうとする目。男爵は、じっと自分を見返してくるサァリに一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに底知れぬ微笑を見せた。

「まぁ見ていたまえ。すぐに終わる」

「いいえ、お待ちを」

 サァリは肩に置かれた手を払った。台座の上の少女を目で示す。

「男爵様―――― 不当にあの娘を傷つけるつもりなら、わたくしは黙っておりませぬよ」


 声色が変わる。

 その変化に気づいたのは、男爵とフィーラだけだ。狼狽えるガラク侯を冷笑であしらっていたフィーラは、表情を変えサァリに意識を戻す。

 少女は従姉妹のその視線を知って、口を開いた。

「娼妓が売るものは夜であって、彼女たち自身の血肉ではありません。それを違えるつもりなら、私にも考えがあります」

「―――― 娼妓?」

 サァリの言葉を聞きとがめたのは、台座にかぶりつかんばかりになっていた婦人だ。

 婦人は首だけをぐるりと回して、ネドス男爵を見た。

「娼妓? 処女ではないの?」

「私より彼女の言うことを信じるのですか?」

「信じなくても結構」

 サァリは言いながら左手で、男爵を軽く押しのける。

 大した力を発揮できるはずもない細腕に、しかし男は声もなくのけぞった。彼女はそれを見もせず、台座へと歩き出す。

 少女を台座に拘束していた男たちが、訝しむ目をサァリへと投げかけた。

 足を止めぬまま、彼女は左手を挙げ男の一人を指差す。

「縛」

 呪の言葉は、見えぬ矢として男の胸を貫いた。

 男爵と同様弾かれたように蹲る男を見て、他の二人も顔色を変える。うちの一人が彼女を拘束しようと進み出た。

 しかしサァリへと伸ばされた太い手を、横から細い金属の棒がしなって打ち据える。

「ぐ……」

「汚い手で気軽に触らないのよ」

 伸縮式の金属杖をくるくると回して、フィーラは嘲弄した。

 その間にサァリはもう一人の男と婦人に向かって、次々己の力を打ち込んでいく。新月に程近い今、細心の注意を払わずとも、射られた人間たちは死ぬことはない。ただしばらく動きにくくなるだけだ。


 男たちを無力化したサァリは床に落ちた枷の鍵を拾うと、それで台座の少女を解放した。涙で顔をぐしゃぐしゃにした少女は、サァリへと縋りつく。

「た、たすけて……」

「大丈夫」

 ―――― もう充分だ。これ以上装って探りを入れる必要はない。

 後は捕らえられている娘たちを解放して、城に告発すれば終わりだろう。

 サァリは抱きついてくる少女の背をさすりながら、残る檻を見回した。鉄格子の中にいる者たちは、何処となく鈍麻した目で外の揉め事を窺っている。彼らのその様子にサァリはまた、微かな違和感を抱いた。上の「遊び場」で感じたと同じ、気持ちの悪さが広がる。


 床に手をついて立ち上がった男爵が、台座の傍にいる二人を皮肉な眼差しで睨んだ。

「これは困った……あてられすぎかね。まさか娼妓の君に、そのような《欲》があったとは思わなかった」

「別に、綺麗にならずとも今のままで充分ですわ」

「それは事実だろう。だが……いや、効きが悪いのか?」

「何のお話です?」

 下男たちはまだ立ち上がっていない。金属杖を携えるフィーラは、嗜虐的な微笑を浮かべて彼らを見下ろしていた。―――― その横顔にもサァリは、いささかの不安を覚える。彼女はしがみついたままの少女の腕を解こうと、傷だらけの手を軽く叩いた。しかし少女はますます力を入れてサァリに縋りつく。


 何かがおかしい―――― その懸念を濃くするサァリに、男爵は演技がかった仕草で肩を竦めた。

「一人だけ取り残された気分を味わっているのだろうね。髪に挿したりするからそうなるのだ」

「髪に……? あ、花?」

 慌てて自分の髪に手をやったサァリは、簪ごと白い花を引き抜いた。爽やかな香りが鼻をつくが、ただそれだけだ。何がおかしいようにも思えない。

 だが、思い返せば客たちの胸飾りだけでなく、「遊び場」のあちこちにあの花はあったのだ。サァリ自身も白い花弁の浮かんでいる酒を飲んだ。彼女は、この部屋に充満している甘い香りも、同じ花の香を濃くしたものだと気づくと、反射的に簪ごと花を床に投げ捨てた。男爵のゆったりとした声が響く。

「その花の香は、人の欲望を解き放つ力を持っている。誰しも胸に秘めた欲の一つや二つはあるだろう。それを、少しずつ本人も気づかぬうちに自由にさせていくのだ」

「自由に、って……」


 それが本当なのだとしたら、サァリが平気でいる理由は、おそらく単に「人間ではないから」だ。

 精神か、欲望か、或いは肉体かが、普通の人間ではないからこそ、自覚出来る程の異常が芽生えていない。

 サァリは横目で従姉妹の様子を窺う。鋭い杖の先を倒れた男の顎に向けているフィーラは、いつも以上に愉悦の笑みを見せていた。

 彼女が正気であるのか、それとも花の影響を受けているのか。確かめたいのだが、確認するのが恐ろしい。

 絶句してしまったサァリは、改めて男爵を見やった。

「そんなことをしても、私は―――― 」

「誰かの助けを待つつもりなら無駄だ。君もそのうちに助けなど要らなくなる」

「……そうでしょうか」

「本当のことだ。何故なら」

 男の言葉を遮って、背後の扉が開く。

 その先に立っている人物を見て、サァリは一瞬安堵した。紺色の正装に佩かれた飾り刀―――― 同伴者であった青年の名を呼びかけた少女は、しかしすぐ相手の様子がおかしいことに気づく。

「シシュ?」

 黒い双眸は、初めて見る冷え切った昏いものだ。普段の彼の苦さは何処にもない。感情のない表情は作り物めいて、彼が本当に整った顔立ちをしているのだと見る者に再確認させた。

 青年の胸に白い花飾りがあるのを見たサァリは、眩暈を覚える。

「これって……、ひどい……シシュの馬鹿」

 小さくそう呟いても、事態は少しも変わらなかった。


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