第25話 約束
あまりの意外さに夢かとも思ったが、抱きついている感触からして本物らしい。
そんなことを頭の片隅で冷静に考えていたサァリは、シシュに引きはがされてようやく、まじまじと青年を見上げた。
見覚えのある顰め面は、何処となく気まずそうな雰囲気をも湛えている。
「一体なんなんだ……」
「どうしてこんなところにいるの?」
アイリーデにいないとは聞いていたが、王都に来ていたのだろうか。
しかしその質問にシシュが答えるより先に、ヴァスの棘のある声が割って入る。
「廊下でそのような真似はおやめください。―――― あと、彼女をその名で呼ぶことも」
苦言の後半はシシュへ向けられたものだ。言われた青年が怪訝そうな顔を見せたので、サァリは彼の袖を引く。
「シシュ、中で話そ」
「自室に男を入れる気ですか? ここは館ではないのですよ」
「なら部屋を用意なさい」
従兄弟の小言を叩き落すと、サァリはヴェールの下で溜息をつく。
口論の数歩手前に似た空気。お世辞にも仲がいいとは言えないウェリローシアの二人を、シシュは不可解げに見下ろしたのだった。
「サァリーディっていうのは巫名なの」
廊下から小さな応接室に移るなり、サァリはシシュにそう説明する。
よく磨かれた丸テーブルが置かれた部屋は、厚いカーテンが引かれており、先に入ったヴァスがそれを開けているところだった。
椅子を勧められたシシュは、彼女の説明を聞いて得心の顔になる。
「ああ、そういうことか。すまない」
「私にとっては巫名が本名みたいなものなんだけど。こっちではエヴェリ・サリア・ウェリローシアってなってるの」
もっとも、当主としての名を名乗ることは稀だ。屋敷の召使達は彼女を「当主様」と呼ぶ為、この名を使うのは従姉弟の二人くらいである。
そのうちの一人であるヴァスは、険の目立つ視線でシシュを一瞥すると、あえてサァリへと尋ねた。
「どういうご関係の方か聞いてもいいですか」
「え? シシュはなんて言って来たの」
「これを預かったと」
言いながら、シシュは懐から一通の封書を取り出す。
見覚えのある白い封筒は、宛名が「ウェリローシア当主」になっており、差出人のところには剣の意匠の印が押されているだけだった。
サァリはそれを見て、軽い声を上げる。
「あ、国王陛下から?」
「そうだ」
こんなものを持ってこられては、さすがにヴァスも通さざるを得ないだろう。
納得して封書を開けようとしたサァリは、従兄弟の視線に気づいて手を止める。そういえば質問に答えていなかったと思い出した。
「この方は王の縁者の方でアイリーデの化生斬りです」
「ああ、話には聞いております」
「……どういう話をしているんだ」
「私は何も言ってないよ」
おそらくヴァスが独断でアイリーデの情報を仕入れているのだろう。
サァリは従兄弟を睨んだが、彼は「お茶を用意してきます」と応接室を出て行ってしまった。
扉が閉まると、シシュは改めてサァリに尋ねる。
「あの男は、本当に巫の血縁なのか?」
「そう。従兄弟。私の母と彼の父が姉弟なの。感じ悪くてごめんね」
「いや、俺が不審だから仕方ない」
そう言ってくれるシシュの気遣いはありがたいが、ヴァスは不審なはずもないサァリに一番冷ややかなのだ。
しかしあえてそのようなことを言って話をややこしくする必要もない。
サァリは開けていいか断りを入れて、受け取った封書を開いた。中からは手紙が一枚と、招待状らしきものが出てくる。
彼女はまず招待状の方を手に取った。
「何これ?」
「何が入ってたんだ?」
聞いてくるシシュに、サァリは招待状の方を示す。
ガラク侯が開くという酒宴は、確かヴァスの姉が確認に行っていたはずだ。
サァリは二日後の日付になっているそれをテーブルに置き、手紙の方を開いた。
そこには少し癖のある手書きで、「折角祭りもあることだし、王都を楽しんで欲しい。必要な物や手配は弟に申し付けるように」といった内容が書かれていた。
サァリは手紙から顔を上げ、シシュをじっと見つめる。
「……何だ。何が書かれていた?」
「シシュに甘えていいよって」
「は?」
うろたえて招待状を取り落とした青年に、サァリは代わりに手紙を渡す。
シシュは食い入るように手紙を読んでいたが、最後には疲労感たっぷりの顔で頭を抱えた。サァリにはよく分からないが、お勧めの場所と回る順序が事細かに書かれていたことが原因かもしれない。
心底手紙を破りたいらしく、震える指で、けれどシシュはきちんと元通りそれを畳んで返してくる。
サァリは王からの手紙を封筒に戻した。
「でも、気持ちはありがたいけど、屋敷の外には出られないから」
「何故だ?」
「ウェリローシアの当主は、顔を見られちゃ不味いから。月白の主と同一人物って分かったら困るの」
古き名門の家が、神話正統とは言え妓館を擁していると知られれば、とんだ醜聞になる。
そのようなことになれば、屋敷の人間は余計な衆目を浴び、王都で暮らしにくくなることは確実だ。フィーラやヴァスになんと怒られるか想像もしたくない。
だがそれ以上に―――― 月白は、神の館である。
ウェリローシアとの繋がりが割れて、月白に物見遊山の客が増えるようなことがあってはならない。
そもそも王都にウェリローシアの館があるのも、月白を支える為のものなのだ。情報や金銭の提供をはじめ、有形無形の雑役行うことこそがウェリローシアの人間の役目であり、彼らは円滑にそれらをこなせるよう貴族という立場を利用している。
いわばこの状態は、神の館を保つ為の分業制度であり、迂闊な行動でそれを崩してしまうことは、サァリには出来なかった。
少女の苦笑を見たシシュは、しばらく何かを考え込む。
「外に出られないということは、しばらく屋敷の中に引きこもるのか?」
「うん」
「アイリーデに来る前はどうしてたんだ。王都と向こうと行き来して暮らしてたんだろう」
「こっちにいる間は基本屋敷から出なかったよ。って、前に言わなかったっけ」
「ここまでとは思わなかった」
信じられない、とでも言いたげな口ぶりに、サァリは首を傾げる。
自分が普通ではない育ちをしているとは分かっているが、普通ではない存在なので仕方がないだろう。
彼女は出されたままの招待状を手に取った。
「そういうわけで、折角だけど……」
「アイリーデの巫としてなら外に出られるのか?」
「え」
突然の質問に、サァリは目を丸くする。
―――― そのようなことは考えたこともなかった。
王都にいる自分は、ウェリローシアの当主であり、アイリーデの人間ではないと、そればかりを言い聞かせてきたのだ。
その発想を裏返すような問いに彼女が驚いていると、シシュは彼女の手の中から招待状を抜き取る。
「これも別にウェリローシア当主宛になっているわけじゃない。巫が巫として行っても問題ないだろう」
「え、え。でも、アイリーデの人間が貴族の酒宴になんて入れない……」
「俺と一緒なら平気だ」
王の異母弟である青年は、当然のようにそう言って立ち上がる。
整った顔立ちはいつもと同じく苦いものであったが、いつもとは少しだけ違う気もした。
話についていけずぽかんとしたままのサァリへと、青年は手を差しのべる。
「王都を案内してやると、約束した」
白い手袋を嵌めた手。
見慣れているはずのそれを、サァリはまじまじと見つめなおす。
自分が今、月白にいるのか王都にいるのか、瞬間境界が曖昧になった。溜息よりも小さな呟きが落ちる。
「……覚えててくれたの?」
―――― きっと後で酷く絞られることになるだろう。
だがそれでも彼の手を取った時、サァリは不思議な期待感に微笑せずにはいられなかったのだ。
「やられた」
当主と彼女を訪ねてきた客の部屋に、召使を入れるような無用心な真似は出来ない。
そう思って自らの手でお茶を用意してきたヴァスは、空っぽの応接室を一目見るなり舌打ちした。
テーブルの上には空っぽの白い封筒だけが残されている。
その宛名の下にはサァリの字で「蔵開けまでには戻ります」と走り書きがされていた。
ヴァスは王の印が捺された封筒を、手の中で握りつぶす。
「王の縁者如きが……うちの姫を気安く連れ出しやがって……」
まったくもって世間知らずなサァリだ。貴族の男にとって言いくるめて連れ出すのは造作もないことだったに違いない。
その背後には、一筋縄ではいかない策略家と噂がある王もいるだろう。
だがヴァスは、ウェリローシアの姫を現王の駒になどさせる気はなかった。
持ってきたお茶を盆ごと乱暴にテーブルへ置くと、青年は身を翻す。廊下に出たところで、ちょうど通りがかった姉にぶつかりそうになった。
ガラク侯の屋敷から戻ってきた姉、フィーラは、弟の形相に驚いた顔になる。
「何。どうしたの。わたし、エヴェリに挨拶に行くところなんだけど」
「行ってもいない」
「え? 来てないの?」
「来てたけど連れ出されたんだよ」
「え?」
いまいち飲み込みの悪い姉を無視して、ヴァスは駆け出そうとする。
まだそう遠くには行っていないはずだ。今ならきっと捕まえられる。
しかしそう意気込んだ彼の襟首を、後ろからフィーラが掴んだ。前方へ向けての勢いがそのまま喉にぶつかったヴァスは、悶絶して転びそうになる。
「何すんだよ!」
「事情を説明して欲しいなー」
「王の異母弟がエヴェリを連れ出したから捕まえる」
「危害が加えられそうなの? 相手の生死は問わず確保?」
「いやそれは……」
気分的には殺しても問題ないのだが、現実的にはさすがに支障がある。
言い淀む弟の様子から大体を察したのか、フィーラは怪訝そうな表情を改めると、うっすら微笑んだ。
サァリやヴァスが苦手としているその顔は、獲物を睨む蛇の目によく似ている。
弟と同じ灰色の髪を払って、フィーラは笑った。
「それなら別に放っておいてもいいんじゃないかな? お仕置きと埋め合わせは後でさせればいいわけだし。あー愉しみ」
「…………」
これは、サァリを放置して時間が経てば経つほど、後が面倒なことになる。
姉の嗜虐趣味から少女を救う為には、自分が先に確保するしかない。
ヴァスは姉との会話を打ち切ると、再び廊下を駆け出そうとする。のんびりと間の抜けたフィーラの声が、廊下に響いた。
「そんなに必死になったって、割に合わない思いするだけじゃない?」
「……知ってるよ」
噛み潰した言葉は、子供の頃と同じく酸味を伴って、青年の気分を無音でちりちりと焼いていった。
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