第14話 頭蓋
月白の裏門から出た時は道に迷いかけたが、すぐに知っている通りに出ることが出来た。
シシュはまず、宿舎にある自分の部屋へと戻る為、裏通りを選んで駆け出す。
アイリーデから王都までは、全速で馬を走らせても二日はかかる。
だが彼は、最初の事件があった際にちょうど王に定期の連絡を入れていた。
もしかしたら、今頃何か帰ってきているかもしれない。期待をし過ぎるのはよくないだろうが、シシュはまずそれを確認してみるつもりだった。
昼過ぎの裏通りは窓や戸を閉めている店も多い。事件を警戒しているのだろう。
だが変わらず開けている店も多くあるようで、時折角の向こうにちらりと見える大通りは、余所からの客で賑わっているようだった。
中にはこんな早い時間から開いている妓館もあり、シシュはいささか暢気さに呆れる。標的になっているのは神供正統の三家であるのだから、自分たちは関係ないとでも思っているのだろうか。
そんなことを考えているうちに青年は、特に何の問題に行きあうこともなく、宿舎へと帰り着いた。ほとんどの人間が出払っていることを確認しつつ、自分の部屋へと戻る。
一間しかない彼の部屋は、だが越してきて日も浅い為、まだあまり物が多くない。
そのような中で、戸を開けてすぐ転がっていた箱は、さすがに異彩を放っていた。
大きさ自体はそれ程でもない。両手で軽く抱えられる程だ。
しかし杭打たれた箱の表面には下手糞な字で「弟へ」と書かれており、それがやけに目立つ。
とは言え、この一言だけでシシュのところに届くはずがないので、下にはきちんと女の字でシシュの名が書き添えられていた。
まったく悪戯が過ぎるとは思うが、今は中身の方が気になる。彼は役に立つものが入っていることを願いつつ、箱を開封した。杭を抜き、蓋を開ける。
まず一番上にあったのは王からの手紙だ。と言っても署名もなければ内容もない。
ただ「新しい土地で苦労はあると思うが、頑張るように」とだけ書かれていた。
まるで普通の兄が書くような手紙に、シシュは脱力感でこめかみを押さえつつ、更に奥を見る。
そこには黒い布に包まれた赤子の頭程の何かが鎮座しており、女の字で「お役に立つかもしれません」と書かれた小さな紙が、針で止められていた。
筆跡から察するに、王の腹心である巫が入れたものだろう。サァリとはまた違う種の巫だが、
シシュは慎重に黒い包みを取り出す。袋状になっている黒い布の中を覗いた。
「……っ!」
思わず声が出てしまったのは、中身に驚いてしまったからだ。
袋の中に入っていたもの。それは動物の白い頭蓋骨である。
形からして犬か何かだろう。袋の中からそれを取り出したシシュは、頭蓋の眉間部分に刃物で傷がつけられていることに気づいた。
そしてこれが、何処から来たものかようやく思い出す。
「あの事件で使われたものか……」
問題の呪術師が化生を生み出した一件で、利用された動物たちは揃って首を刎ねられ、頭蓋を触媒とされていた。
その眉間には共通して何かの印が刻まれており、シシュ自身が報告に添えて犬の頭蓋を一つ、王へと届けたのだ。
王の巫はそれを彼のもとへ送り返してきたのだろう。ひょんなことから戻ってきた頭蓋を、シシュは手早く包みなおして小脇に抱える。
箱の中を覗いたが、中にはもう何も入っていない。彼は王からの手紙だけを文箱にしまうと、すぐに部屋を出た。
「にしても、どうやって使うんだ……?」
化生斬りは巫でも呪術師ではないのだ。この犬の骨をどう役立てればいいのか、すぐには見当がつかない。
シシュは、サァリに聞きに行こうかとも思ったが、今の彼女に巫の力はない。下手に接触して、また「ついて行きたい」などと言い出されては困る。
その上……彼女といるのは不快ではないが、妙な落ち着かなさがあるのだ。
あの不思議な力を持つ青い瞳に見つめられると、反射的に視線を逸らしたくなる。
「……馬鹿馬鹿しい」
埒もない思考に捕らわれかけていたシシュは、気を取り直すと、ひとまず骨を持って街を回ってみることにした。
宿舎の建物を出て―――― だがそこで、思わぬ人物に出くわす。
「なんだ、ここにいたのか」
化生斬りの中でも、もっとも大きな体と揺るがない威を持つ男。
通称「鉄刃」と呼ばれる彼は、丸い目を瞠ってシシュを見下ろした。見回りから一旦帰って来たのだろう。青水晶を帯びた軍刀をシシュは一瞥する。
―――― 可能なら、当たり障りなくやりすごしたい。
ただでさえ自分が疑われやすい状況にあることは分かっている。
おまけに今は、犬の頭蓋という怪しさ極まりないものを抱えているのだ。これを見られたら即座に犯人扱いされてもおかしくない。シシュは平静を保って返した。
「少し休みに来た。また出てくる」
「ほう。また何処かにこもるのか? しばらく姿が見えなかったらしいが」
「トーマと話していた」
「ああ……」
鉄刃はそこで言葉を切った。納得したのかと思ったら、どうやらそうではないらしい。
男の視線はシシュの軍刀に向けられており、青年はそこで初めて飾り紐のことを思い出した。―――― 同時に致命的な失策に気づく。
サァリ自身は知らないことだが、彼女が無事見つかったという話は、月白以外には知らされていないのだ。
それは彼女が目覚める前に、「何処の誰が敵だか分からない」とトーマが判断し、指示した為だが、この飾り紐を持っていては、彼女が戻ってきていることが分かってしまう。シシュは、力を使えない巫をどう庇うか迷った。
けれど、彼が何か言うより先に、鉄刃は重く頷く。
「なるほど。巫は無事か。ああ、言わなくていい。また狙われては困る」
よくは分からないが、悪い方には取られなかったようだ。シシュが黙っていると、鉄刃は続ける。
「巫の年からすると若干早いとは思うが、先代の娘は早逝であったからな。この方がいいだろう」
それは、トーマとサァリの母親のことだろう。
実際は生きているという彼女がどんな人間なのか、シシュは少し気になっていた。
男の為に全てを捨てたという生き方が、男に微塵の未練もなく城を去った母と、対照的に思えるからかもしれない。
シシュは話題を逸らしがてら、一人で納得しているらしい鉄刃に話を振る。
「母親と言えば、トーマの母親はどんな人なのか知っているか? 俺も王都の出だが話を聞いたことがない」
「ああ、ラディ家の夫人か。古い名門の出じゃないか」
「古い名門?」
―――― ひょっとして、それが月白の巫の家なのだろうか。
サァリは家名を名乗らなかった。王都で暮らしていた時もほとんど外出しなかったということは、おそらく祖母が、彼女の顔を外に見せることを嫌ったのだろう。後に月白の主になった時、その出自が割れないようにだ。
シシュは何らかの予感を抱く。
トーマの伝えたかったことは、彼女との血の繋がりではなく本当はこちらの方だったのではないのか。
考え込む青年に、鉄刃は苦笑混じりに言った。
「今の王都の人間にとっては、知らない家かもしれんな。だがアイリーデにとっては名門だ。聞いたことはないか? この家名を」
そうして鉄刃が口にした家名は、シシュも知っているものだった。
確かに古い、とても古い歴史を持つ家。月白とその家の繋がりを知ったシシュは、口の中で疑問を転がす。
「どういうことだ……?」
聞いてみれば、その家は確かに月白を管理するに充分な由来を持っている。
だが何処か違和感を覚えるのだ。このちぐはぐさは何なのか、考えようとしたシシュは、鉄刃の声に思考を中断された。
「しかし、今回の件が収まらなければ中々落ち着かないだろう。……ああ、その飾り紐、しばらくはアイドに見られぬようにな。この面倒な時に機嫌を損ねられると鬱陶しい。まったく、どちらが年下なのやら」
「サァリーディにも同じことを注意された」
どうやらこの飾り紐は、かなりの特権を意味するものらしい。サァリに執着している男にとって、それは確かに腹立たしいことだろう。
シシュは、アイドの気持ちが分からない、と思いつつ、だがそれは自分への嘘であるような気もした。鉄刃の手が青年の肩を叩く。
「ただこれでお前も、アイリーデの人間に受け入れられることになるだろう。巫の客とはつまり夫と同義だからな」
「…………」
どうして見られてはいけないのか、この上なく理解した。
そしてシシュは納得すると同時に、巫の少女に向かって「他に方法はなかったのか……」と内心呟いたのである。
この飾り紐は諸刃の剣だ。
ということを遅ればせながらシシュは把握した。
確かに巫の客となれば、正統のお墨付きをもらったと同じことだ。だがそれだけでなく、彼女との関係性というものが実際はないのに発生してしまう。
鉄刃と別れてから、道中飾り紐に目を留めた街の人間三人に、興味津々の態で話しかけられたシシュは、げっそりとした気分で裏道へと入る。
これは、後で誤解を解くのがさぞ大変になるだろう。
それを思うと頭が痛いし、今でも充分「美しい少女に手を出した人間」と思われて頭が痛い。中には、にやにやと笑いながらあからさまに揶揄してくる男もいて、シシュはその辺の壁を蹴って回りたい衝動に駆られた。
「どうして問題を潰す為に問題が増えてるんだ……」
まるで同じところで足踏みしている気分になるが、とりあえずこの事件が解決されれば、今の膠着状態も少しずつ解消されるだろう。
裏通りのある一角に着いたシシュは、辺りを見回す。
人影がないことを確認すると、小脇に抱えていた包みを開き、中から犬の頭蓋を取り出した。それを地面の黒い染みの上に置く。
この染みは昨日の事件で流された血の痕だ。シシュは呪術については無知と言っていい人間だが、何となく頭蓋についてはこう使うのではないかと思いついた。
そもそも化生は気の淀みから生まれるのだ。ならば淀んでいそうなところに持ち込めば、何かが起きるかもしれない。違っていたなら違っていたで、また別の手段を考えれば済むことだ。
だが、変化はすぐに起こった。
黒い染みから、じわりと同じ色の液体が湧きだす。それらは湧いた端から頭蓋にまとわりついて肉となり、白い骨は覆われて次第に見えなくなっていった。
やがて出来上がった一匹の犬が、ゆっくりと頭をもたげる。
「……白い目か」
犬の眼窩に嵌っているものは、白濁した水晶のような眼だ。
姿自体は他の街での化生に似ているが、それよりも幾分実体寄りである。おそらくアイリーデの性質や、呪術師が刻んだ印などが影響してこうなっているのだろう。
ただ主となっているのは王の巫の術だ。シシュは犬の白い眼が、その証であることを知っていた。
犬は一度首を振ると、とぼとぼと歩き出す。生気のないその姿はついてくるよう促しているようであり、青年は大人しく犬の後を追うことにした。
一人と一匹は、アイリーデの裏道を進んでいく。事件の結末を意味するその先に誰が待っているのか、シシュは既に見当がついていた。
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