第13話 飾り紐


 王が関係ないのならば、他に可能性があるのは誰なのだろう。サァリは眉を寄せて、別の心当たりを探る。


「―――― そういえば、あの人ってどうなったんだろ」

「どいつのことだ」

「アイドが尾行してた人のこと。ただのお客だった?」

「ああ、月白に来て色々聞いてったって奴か。知らないな。アイドは逃げられたって言ってたぞ」

「ええ……」


 あのアイドが逃がしてしまうとは、どうしたことだろう。

 サァリは不思議に思ったが、ひょっとして自分が襲われたことが足を引っ張ったのかもしれない。

 ともあれ、ひとまずアイドが無事であることに彼女は安心した。その代わり、次に会った時には相当絞られそうだ。割と頭が痛い問題である。


「やたらと目立つ人だったんだけど、その後も目撃されてない?」

「目立つ? そんな話は聞いてないぞ。どんな奴だったんだ」

「なんか人形みたいな人。すごく綺麗な顔」


 サァリは言いながら、頭の中に例の男の顔を思い描いた。「作り物のように美しい」とはああいう顔のことを言うのだろう。

 だが、そう思って二人を見ると、男二人は両方が呆れた目でサァリを見ている。トーマが彼女の額を小突いた。


「何だそれは。そんな理由で探してるのか」

「違うって! 綺麗なんだけど人間味がなくておかしいの! 同じ綺麗でもシシュとは違う感じ」

「俺を引き合いに出すな……」

「だから、人形っぽいんだって! よく出来てるお面を被ってるみたいな!」

「面?」


 シシュの声が訝しげなものに変わる。

 サァリはそれを、化生の被っている面と結びつけてのものかと思ったが、どうやら違うらしい。彼は綺麗な顔を顰めて呟いた。


「心当たりがある、かもしれない」

「本当?」

「ああ……違っている可能性もあるが。どんな顔だったか知りたい。似顔絵を描けるか?」

「絵……?」


 トーマが書類を裏返し、ペンを渡してくれる。

 仕方なくそれを受け取ったサァリは、悩みながらも一生懸命白い紙の上に男の似顔絵を描いていった。輪郭を描き、目と鼻と口を描き込んだところで、向かいから噴きだす声が聞こえる。


「……シシュ、ひどい」

「い、いや、悪い。絵が苦手とは思わなかった」

「まぁそうなると思った。サァリだしな。子供の頃から成長してない」

「じゃあシシュが描いてみてよ。それ見て、私が似てるかどうか判断するから」

「俺が?」


 狼狽する青年に、サァリは若干溜飲を下ろす。ペンと紙を揃えて彼の方に押し出すと、シシュは渋々ながらも似顔絵を描き始めた。二人は興味津々で青年の手元を注視する。


「……これ、私と大差ないよね」

「絵が得意だと言った覚えはない……」


 これでは、心当たりが同一人物かどうか分からない。

 サァリが諦めかけた時、隣で兄が立ち上がった。


「その男って、イーシアも見てるか?」

「見てる、と思う」

「分かった。ちょっと待ってろ」


 トーマは紙とペンと、更には着物を入れた箱を手に隣の部屋へと消えた。眠っている恋人を起こして聞くつもりなのだろう。

 イーシアには悪いが、サァリは大人しく待つことにする。


 だが話すこともなく二人になると、どうしても先程とんでもない格好を見られたことを思い出してしまう。サァリは赤面しないよう意識しつつ、腰を上げた。


「あの、お茶淹れますね」

「別にいい。起きたばかりで疲れてるだろう」

「大丈夫」


 さすがにイーシアの部屋のお茶を勝手に使うことは出来ない。

 サァリは厨房に行って仕度してこようと、シシュの隣を通り過ぎかけた。しかしその手を青年に掴まれる。


「勝手に部屋を出るな」

「って。月白だよ。私の家みたいなものだし」

「それでも。トーマが戻ってくるまでは待ってろ」


 真面目な顔の青年は、冗談や意地悪を言っているようには見えない。事態はそこまで深刻になっているということだろう。サァリは大人しく元の場所に座りなおした。再び沈黙の時間が流れる。

 静寂を破ったのは、或る意味沈黙よりも静かなシシュの声だった。


「―――― 嫌になったことはないのか」

「え?」

「生まれた時から自分の道が決められてたことを。嫌だと思ったりしないのか?」

「別に」


 月白の主に、巫になる為に生まれたのだ。

 物心ついた時からそう言い聞かせられてきた。不満を感じたことはない。自分しか出来ないことなのだから、当然のことだと思う。


 しかしシシュは、彼女の返答を聞いて眉をひそめた。

「他人を見て羨ましいと思ったことは?」

「あんまり……。王都にいた頃はほとんど外に出なかったし、アイリーデしか知らない」


 だからサァリの知る人間とは、家族以外にはアイリーデで暮らす者たちと、客たちしかいない。そして彼らを羨むこともないのだ。むしろ彼らが平穏に日常を楽しめるよう、自分は自分の役割を果たそうとだけ思う。


 サァリは首を傾げて青年を見た。

「なんで急に? 母の話を聞いたから?」

「あの話は、巫だけに損が押し付けられているように思えた」

「そっか……」

 確かに外から見れば、そう見えるのかもしれない。サァリは座卓の上で十指を組んだ。薄紅色の爪は、寝付いていた為か幾分乾いている。


「私、前に娼妓じゃないって言ったよね」

「ああ」

「あれ、本当だけど、本当じゃないの」

「どっちだ」

「私もいずれ客を取る。ただ一人を選んで、次の巫を生む為に」


 それは厳然と変えられない事実だ。違えることは出来ない。

 正統月白は、アイリーデの核そのものだ。


「本当のこと言うと、私、母の話を聞いた時、『そんなに好きな人だったら、その人を客にすればよかったのに』って思ったの」

「ああ……なるほど」

「でもトーマが言うには、それは違うんだって。あの人は、役目を負った主と巫を生む為の客じゃなくて、父と夫婦になりたかったんだって。ずっと一緒に暮らして、共に老いて死ぬような……分かる?」


 上手く伝えられているか、自信がなかったサァリは、シシュを見つめた。

 黒い目の青年はその黒の中に不分明な感情を宿す。


「分からないでもない。単なる想像だが」

「うん。私もちゃんとは分からない。けど本人は分かってるんだと思う。たとえば祖母とかは、母のそれは勘違いだって言ってた。巫も恋をするんだって言うの。巫だけじゃなくて、月白の女は皆恋をする。恋をするから客を選んで、夜を捧げる」


 イーシアのように、変わらぬ一人だけを選ぶ女もいる。恋が破れるまで決まった客から動かない女も、気に入った男であれば気軽に遊ぶ女もいる。

 ただ彼女たちは総じて、自分の意志で自分の相手を選ぶ。それを強いられることはない。だから月白は「正統」なのだと、祖母は言った。


「けど私は、まだそういうのが分からない。いつか客を選ばなきゃとは思ってるけど、どういう基準で選ぶのかとか、その人とどういう関係を築きたいのかとか、全然定まってない。――こういう風に、自分が知らないから、他の人が羨ましくないんだと思う」


 無知であれば、きっと幸福でいられるのだろう。

 そしてサァリはそれを、悪いことだとは思っていなかった。

 余所から来る客たちは、日常の苦労や疲れを束の間この街で洗い流して忘れ、心を休める。それは面倒なことから目を背けているということではない。人には、それぞれの物事へ向き合うにふさわしい時というものがあるだけだ。


 サァリ自身もきっとそうだ。自分の役目だけを見つめて追って来た少女は、まだ大人になりきってさえいない。今から焦っては、きっと主にも巫にもなりきれない。

 彼女はシシュに向かって微苦笑した。

「こんな感じ」

「……そうか」

「うん」


 彼女が頷くと、青年は子供の無知を気の毒に思ったのかもしれない。「いつか気が向いたら、王都を案内してやる」と言った。

 飾らない言葉が、サァリには嬉しかった。




 しばらくして戻ってきたトーマは、一枚の似顔絵を手に持っていた。座卓の上に置かれたそれを、サァリとシシュは覗き込む。


「あ、上手い。そうそうこんな感じ」

「―――― やはりこいつか」

「誰?」

 どうやら心当たりは当たっていたらしい。青年は忌々しげに自分の髪をかき回した。


「さっき言った呪術師。化生を作って操っていた奴だ」

「え……」


 結果としては最悪の答だ。頭上から大きな溜息が降ってきて、サァリは顔を上げる。立ったままのトーマが、残っていた書類を拾い集めた。


「分かった。それを通達して対策を取る。俺は自警団のところに行くから、サァリは月白にいろ」

「だ、駄目だって! 神供が狙われてるんでしょ! トーマとか危ないに決まってる!」

「だからってこもってちゃ好き放題やられるだけだ。化生が作られてるなら、その男一人を捕まえれば収まる」

「じゃあ、私も……」

「駄目。またお前に何かあったら、寿命が縮まる。―――― シシュ、こいつを館の外に出すなよ。で、お前も出るな。例の噂のせいで殺気だった奴に何されるか分からない」

「おい、俺は化生斬りだぞ……」

「駄目。二人とも月白にいろ。離れにでも行っとけ」

「わ、私の部屋に人なんて入れられないよ!」

「片付けしろ」


 身も蓋もなく切り捨てて部屋を出る兄を、サァリは慌てて追いかけた。

 後に続くシシュが丁寧に戸を閉めているが、それにも気づかず少女はトーマの腕に縋る。

「トーマ! 待って!」

 精一杯体重をかけて引っ張ると、ようやく男は足を止めた。サァリは必死の思いで彼を見上げる。


 ―――― 祖母の他にはただ一人家族である兄。

 彼以外に、サァリにもう肉親はいない。血の繋がった人間はいても、彼らは違うのだ。


「私も行く……役に立つから、だって私」

「サァリーディ」


 サァリは反射的に体を強張らせる。兄の声音は厳しくなかった。

 ただその名を呼ばれる時、彼女は単なる少女ではなくなる。


 サァリは主として背筋を伸ばした。トーマはそんな彼女を穏かな目で見下ろす。

「お前はここにいるんだ。自分の役目を思い出せ。無茶をするな。子供の頃のことを忘れたのか?」

「……覚えてる」

 そう言うのが精一杯だった。

 トーマは彼女の頭を撫でて、白い頬に口付ける。

「愛してるよ、サァリ」

 優しい声に、彼女は腕を解く。


 それから兄の姿が廊下の先に消えるまで、サァリは身じろぎもせず、自分が子供であることを噛み締めた。項垂れて溜息を飲み込んだ時、背後から声をかけられる。


「裏口を教えてくれ」

「シシュ。でも、あなたも」

「あんなことを言われて素直に従う奴はいない」

 青年はそう言った後、しかしすぐに不味いと思ったのか「巫は別だ」と付け足した。

「それに、あの呪術師を知ってるのは俺だけだからな。俺が出た方が手っ取り早い」

「そうかもしれないけど……」


 シシュの身を危うくしているという「例の噂」は、王によるアイリーデの解体という話だろうか。異様な事態に見舞われた街の人間たちが過敏になっているのかもしれない。

 サァリは彼が提げている軍刀の、朱色の紐に視線を留めた。ある考えが思いつく。


「そうだ! あれがあったんだっけ」

「ん?」

「ちょっと、こっちこっち」


 サァリはシシュの袖を取って月白の廊下を走り出す。店が休みのせいか、部屋の外に女たちの姿はない。

 彼女はそのまま、青年を引っ張って自分の部屋がある離れへと向かった。部屋の戸の前まで来て、ようやく手を放す。


「ごめん、ちょっとここで待ってて」

「ここは―――― 」

「私の部屋だからちょっと待ってて。散らかってはないけど! 色々置いてあるから……」


 片付けはしてあるが、人を入れることを想定していない部屋なのだ。見られたら何となくだが恥ずかしい。

 幸いシシュはあっさりと了承してくれた。


「分かった。待ってる」

「すぐに戻るから!」


 部屋の中に駆け込んだサァリは、古い小物戸棚を探り始めた。小さな引き出しをいくつも開け、中のものをひっくり返す。

「あれ……何処にやったかな」

 当分使わないだろうと思っていたせいで、何処にしまいこんだか分からない。

 焦ったサァリは、ついに一番大きな引き出しを引っ張り過ぎて床に落としてしまった。派手な音と共に、中に入っていたものが散らばる。


「あああ、やっちゃった……」

 これは後が大変だ。しかしその代わり、サァリは飛び散ったものの中に、薄い白木の箱を見出した。

「あった」


 これを手に取るのは、祖母の葬儀の時以来だ。サァリは散らかしたものはそのままに廊下へと戻った。そこにいたシシュに白木の箱を見せる。


「これで、街の人はなんとかなると思う」

「何だそれは」

「刀見せて」


 箱の中から取り出したものは、白と黒の飾り紐だ。上質の絹で作られた紐は二本合わせて縒られており、その先端にはそれぞれ黒い石で作られた半月と、白い石で作られた半月が結わえられている。


 サァリはしゃがみこむと、それを元々軍刀につけられていた朱色の紐に重ねて、結びつけた。

 じっとその様子を眺めていたシシュが問う。

「それは何なんだ?」

「月白の主が持ってる紐。これをつけてれば、アイリーデの人間はあなたを敵とは思わないはず。……新参の人とかは知らないかもしれないけど」

「それ、持っていって平気なのか? 俺が盗ったとか思われないか?」

「思われないよ。盗る意味がないし。皆、私が渡したって思うはず」

「ならいいが」


 紐が解けないことを確かめて、サァリは立ち上がった。視線を上げ―――― シシュが部屋の方を見ていることに気づく。そう言えば、急いでいたので戸をちゃんと閉めた記憶がない。サァリは嫌な予感に振り返った。無残なまでに散らかった床が見える。


「確かに片付けが必要そうだ」

「ち、違う! 今ああなったんだって!」

「裏口は?」

「……案内する」


 改めて戸を閉めると、サァリは敷地の裏にある門へとシシュを連れて行った。

 雑木林の中にある錆びて小さな門は、月白の女でさえ存在を知らない者がほとんどだ。サァリは古い鍵で門を開けると、シシュを振り返った。


「私も行きたいって言ったら、連れて行ってくれる?」

「駄目だ。俺はもう一度水路に潜る気はない」

「三回目になっちゃうもんね……」


 兄にも通らなかった我儘を、他人の彼に強いることは出来ない。サァリが残念そうに微笑むと、青年は気まずく思ったのか、真面目くさって返した。

「そう心配するな。少なくとも今回の件に王は関係ない。アイリーデの解体など単なる噂だろう。俺が保証する」

「あ、そうなんだ……。うん、ありがとう」


 サァリは門の外に出て行く彼を見送る。不安と希望を込めて手を振った。

「気をつけてね。あ、あと、その飾り紐、アイドには見られないようにして」

「何か問題あるのか?」

「彼に限っては少し」

「分かった」


 黒髪の青年は彼女を振り返るとじっと見つめてくる。少し苦い表情を、サァリは既にそういうものとして受け止めていた。彼女は動かない青年を、首を傾げて見上げる。

「シシュ?」

「いや、なんでもない。ちゃんと隠れていろ」

 化生斬りの青年はそういい残すと、踵を返した。すぐに角の向こうへと見えなくなる。


 一人になったサァリは門を閉め、元通り鍵をかけた。昼なお暗い雑木林を仰ぐ。

 化生を生み出している人間が何を企んでいるのか、疑問は募れども答は出ない。神供を全て潰した時、この街もまた意味を失うのだと知らないのだろうか。


「とにかく、捕まえてみなきゃ分からないよね」


 人を殺して化生を生み、更に化生を使って人を害しているのなら、それは放置出来る所業ではない。

 サァリは青い瞳を沈ませて空を睨む。誰にも侵すことの出来ないその目の奥に、冷えて燃える戦意を湛えて。

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