第11話 秘密
殺人事件で呼び出された時も驚きはしたが、ここまでは驚かなかった気がする。
何しろアイリーデに来て日の浅いシシュは、よくも悪くもまだこの街の常識が身に馴染んでいないのだ。化生の動きがおかしいと言われても、「実体を持つくらいなのだから、そういうこともあるだろう」くらいに思っていた。
だがさすがに、巫が三日前の夜から行方不明と言われては驚く。それは「化生が巫を害するはずがない」という常識ではなく、彼女個人を知っているが為の驚愕で、シシュは自分が衝撃を受けているということにも、少なからず意表を突かれていた。改めてトーマに聞きなおす。
「行方不明? 家出とかじゃなくてか?」
「あいつが月白を出るわけがない。三日前の晩にアイドと見回りをしていて、いなくなったんだ。知らなかったのか?」
「今聞いた。というか、一緒にいた奴が犯人じゃないのか? 誰だか知らないが」
「同じ化生斬りの名前くらい覚えとけ。―――― アイドが言うには、怪しい男を追いかけて目を離してる隙にはぐれたらしい」
「怪しい男? 化生ではなく?」
そのような話は初耳だ。シシュは、理想よりも大分苦く淹れられたお茶のカップを手で避ける。
他に人のいない花の間で、テーブルの向かいに座るトーマは重く首肯した。
「三日前、月白に来ていた奴らしい。サァリや月白のことを色々聞いて帰って行ったんだと」
「ただの客じゃないのか?」
「知るか。女たちは怪しく思ったらしいけどな。アイドも結局逃がしたっていうし、どんな奴かは分からないままだ。ったく、何やってんだか……」
吐き捨てる男は相当苛立っているようだ。
知り合ってから初めて見るトーマのそのような姿を、シシュは若干意外に思った。
元々ラディ家の次期当主と言えば、王都でも「飄々としていて真意を見せない切れ者」という評判だったのだ。
だが彼にとって、妹同然という少女は日頃の表層を繕っていられないくらいには大事な存在であるらしい。
トーマはテーブルを指で叩く。
「うちの職人たちには総出で探させてる。けど正直、闇雲に探すのが一番かは分からない」
「と言っても、探すしかないだろう。街の外に出たってことはないのか?」
「化生の事件のせいで、街の出入りには自警団員が目を光らせていた。人を運び出したりすれば分かるはずなんだ」
「ならまだ街の中か」
シシュは壁の飾り時計を見る。
夕刻より少し前の時間、彼がトーマからの呼び出しに気づいたのは、部屋に手紙が届けられていたからだ。
この四日間、シシュは僅かな時間眠る為だけに部屋に戻っており、それ以外は街の見回りに時間を割いていた。
―――― その間に彼女が行方不明になっているなど、思いもしなかったのである。
サァリが消息を経ってから、既にかなりの時間が経っている。
これは、もし事件に巻き込まれているのなら、絶望的と言える状況ではないのか。
シシュは少しずつ膨らんでくる落ち着かなさに、席を立った。
「分かった。俺も見回りを兼ねて彼女を探す」
「それだけか?」
「は?」
他に何があるというのか。顔を顰めるシシュに、トーマは射るような目を向けた。
「他に心当たりはないのか聞いてるんだ」
「心当たりって……別にない。何でそんなことを聞くんだ」
これではまるで、犯人と疑われているようだ。
身構えかけたシシュに、しかしトーマはかぶりを振った。
「お前を疑ってるわけじゃない。ただ、サァリを邪魔に思う奴に心当たりはないのか聞いてるんだ」
「邪魔に? あんな普通の娘を邪魔に思ってどうする」
いくら彼女が特殊な力を持つ巫で、正統である妓館の主でも、それはそれだけのことだ。彼女にいなくなって欲しい者など、それこそ化生くらいしか心当たりがない。
だがそう思ったシシュが聞いたのは、予想外の言葉だった。
「サァリがいなければ、アイリーデに意味はない」
「……え? それは個人的に無意味という」
「そういう意味じゃない。本当にこの街は無意味になるんだ。酒が残っても楽が残っていても仕方ない。肝心のあいつがいなければな」
―――― 神話では、神が王に要求したものは、美酒と音楽と、最後に人肌だ。
その最後の一つである聖娼が失われるということは、どうやら街の存在意義にも関わる問題であるらしい。
そこまでを把握したシシュは、男の蒼ざめた顔を見下ろす。
「だとしても、本当に心当たりはない。何故それを俺に聞くんだ」
「お前が現王の異母弟だからだ。キリス・ラシシュ・ザク・トルロニア」
「……っ」
久しぶりに呼ばれたその名は、背に浴びせられた冷水と同義だった。
咄嗟に反応出来ないシシュに、トーマは苦笑して見せる。
「なんで分かったのか、なんて聞くなよ。お前がサァリに口を滑らせたからだからな」
「口を滑らせたって……ああ」
言われてみれば心当たりはある。
確かに他愛無い雑談につられて「士官学校にいた」と言ってしまったのだ。
「お前の年齢は分かってるからな。修了者名簿を入手してみた。随分優秀だったみたいで、修了年数が短くて探すのに手間取ったが、確かにお前の名前があったよ。当時はまだ平民だったんだな」
「……別になりたくて王族になった訳じゃない」
彼の母は城に仕える女官で、シシュを身篭って城を去った。
そうして生まれた彼は、父親の顔も知らず、だがそれを気にしたこともなかったのだ。
母は城を出る際に王妃から大金を受け取っており、生家に戻った後も生活に困ることはなかった。士官学校に入る際に、シシュは初めて自分の父について打ち明けられたが、感想としては「面倒なことにならなければそれでいい」というものである。
実際、そのままであれば、彼はごく普通に士官として一生を終えることになっただろう。
シシュの立場を変えたのは、父であった先王ではなく、彼の腹違いの兄だ。
今は王である彼は、シシュのことを知って興味を持ち、直接彼に会いに来ると、しばらくして表立って大袈裟にするわけではなかったが、王族としての権利と責を与えてきた。
余計なことをと思ったが、そのようなことは口に出来ない。
弟と認められる前も、その後も、シシュにとって彼は、揺るぎなく主君であった。
だから彼の命を受けて、化生斬りとしてアイリーデまでやって来たのだ。
しかし、隠していたのはそれだけだ。別にサァリの誘拐を命令されていた訳でもない。
そう訂正しようとするシシュに先んじて、トーマは軽く手を上げる。
「最近アイリーデで、妙な噂が広まってる」
「噂?」
「王がこの街を解体したがってるって噂だ」
「は?」
そんなことは聞いていない。王はあくまで、「どんな街だかお前の目で見てきて欲しい」と言っていた。
だがそれが何の為にか、思い返せば彼は何も言っていなかった。
シシュは内心の混乱を表に出さないように意識した。
しかしトーマは、そのような障壁も見透かしているような目で、青年を射抜く。
「聞いてないって顔だな。それは別にいい。俺が知りたいのは、王の望みを叶えようと動く輩がいるかいないかだ。サァリの重要性を知らない奴でも、街の解体の為に神供の三つを潰してやろうってくらいは思いつくだろう。そういう奴らに心当たりはないか?」
「ない」
即答したのは嘘ではない。王がアイリーデに持っているのは私的な興味だ。
だからこそ普通の臣は使えず、シシュに声をかけた。
他にこの事について知っている人間がいるとは思えない。
きっぱりと言い切る青年に、トーマは遠慮ない視線をぶつける。
睨み合いとも言えぬ沈黙は数秒続き……それを打ち切ったのもまた、トーマの方だった。両手を小さく挙げた男は真意の読めない微笑を見せる。
「分かった。疑って悪かった」
「構わない。こちらにも疑われる要素があった」
「じゃあ、何か分かったら教えてくれ」
「ああ。―――― と、一つ聞いていいか?」
「ん?」
知りたいことは大したことはでない。ただ少し気になってしまっただけだ。
シシュは頭の中で、この数日間を振り返った。
「俺が彼女に自分のことを話したのは、事件の話を聞く直前だった。その夜行方が分からなくなったってことは、いなくなる前に彼女と会ったのか?」
だとしたら少しはサァリを探す手がかりにもなるかもしれない。
けれどトーマは自嘲気味に肩を竦めただけだった。
「手紙が残されてて、それを受け取った。お前のことが色々書かれてたよ。調べて欲しいってあった」
「なるほど……色々聞かれた時点で疑われてたのか」
「例の噂が先に立ってたからな」
そう付け足したのは、少女を庇おうと思ってのことだろうか。立ち去ろうとするシシュに、男の声が届く。
「サァリはお前を気に入ってるよ」
―――― 馬鹿げている、とシシュは思った。
だからなんだというのか。何を答えても馬鹿な答になりそうだったので、彼は何も言わずに広間を出た。
この街はおかしな街だ、と思う。
この街に来てから、少しずつ色んなことを知った。
だが常識をそういうものとして蓄えても、街に対しての印象は変わらない。相変わらずよく分からない、おかしな街だ。
勿論化生が実体を持っていることも、不可思議な巫がいることもおかしい。
だがそれ以上に、この街の空気自体が不審だ。華やかな表皮の下に何かを隠している気がする。
月白を出て夕暮れの通りを行くシシュは、今聞いた話を頭の中で反芻した。
サァリが行方不明になっているということ、彼女の重要性、そして王がアイリーデの解体を考えているという噂。
そのいずれもが初耳で、何処かちぐはぐな印象を受ける。まるで断片同士を繋ぐ重要な破片が欠けているかのようだ。
「一旦王都に帰ってみるか……?」
定期的な報告は入れているが、それとは別に王都に帰れば、少なくとも主君の真意を問うことは出来る。そうすれば懸念事項の一つは消化出来るだろう。
だが今この状況で、自分がアイリーデを離れてしまっていいのか、という思いもあった。
王は調査の期限を定めなかった。シシュが途中で帰ったとして、笑うことはあっても怒りはしないだろう。
だから気懸かりなのは、そのことではない。ただ今、この街を離れたくないと感じる。それは知人である少女の行方が知れないからだろうか。
考え込みながら歩いていたシシュは、向こうからやって来る自警団員と目が合う。
人通りはまばらである為、相手もすぐ彼に気づいたらしい。
だが自警団員は一瞬顔を歪めると、彼を無視して近くの角を曲がっていってしまった。露骨な態度に、シシュはしかし、むしろ納得する。
「例の噂のせいか」
そもそも三日前から行方不明になっているサァリの話を、今日になってトーマから聞くこと自体おかしいのだ。逃げたままの化生については「発見次第連絡する」と言われているのに、それと関連がありそうな巫の失踪については伏せられているなど、本来あり得るはずもない。
これが意味することは、彼女の失踪を知る者には緘口が命じられているということであり、なおかつシシュは信用されていないということだ。
無論、王都から来た新参であるからして、疑われるのは無理もない。
しかし彼にとっては身に覚えのないことで―――― ただ、もっと早く知りたかった、と思った。
知っていれば、今まで化生を探しながら、彼女が監禁されていそうな場所をあたることも出来たのだ。
三日の遅れは大きい。この間に取り返しのつかないことになっていてもおかしくない。
そこまで考えたシシュは、自分が苛立っていることに気づく。
「なんなんだ……」
トーマと話すまでは、こうではなかった。早く化生を捕まえなければとは思っていたが、落ち着かなさも苛立ちも感じてはいなかったのだ。シシュは滅多にしない舌打ちを小さく鳴らす。
「―――― とりあえず探すか」
腹が立っても出来ることは他にない。
シシュは次第に暗くなっていく通りを、気配に注意して歩いていった。
それをしながら彼は、この三日で見つけた空き家を回ってみようかと考える。もしかしたらその中のどれかにサァリが捕らえられているかもしれない。
シシュは、今夜が半月であることを忘れてはいなかった。
「ひょっとして……今夜が勝負か?」
街の人間たちは、以前から「彼女が化生に害されることはない」と思っている節があった。それはきっと彼女が巫であるがゆえなのだろうが、その巫の力が失われたらどうなってしまうのか。
彼女の失踪を伝えてきたトーマもまた、彼女が死んでいるとは考えていないようだったが、焦りは感じられた。
むしろ化生が狙っているのは、彼女の力が消えた後のことではないのか。シシュは己の推測にぞっとする。
「不味い」
今夜が期限なのだとすれば、急がねばならない。
シシュはもっとも近い空き家まで近道をしていくことにした。裏に入り、アイリーデに数本流れる水路の一つを横切ることにする。
だが水路沿いの細い道に出た時、彼は異様なものを見つけて眉を顰めた。
「蛇?」
細い黒蛇が五匹、水路の縁に並んでいる。
ぴんと伸ばしても、子供の腕程の長さくらいにしかならなそうなそれらは、どうやら揃って水路の中を覗きこんでいるようだった。中の一匹が首を水の中に突っ込んで、だがすぐに戻ってくる。
滑稽にも見える光景を、シシュはまじまじと眺めた。
「水の中に何かあるのか?」
気になって、シシュは自分も水路を覗き込もうと足を踏み出した。
けれど砂が擦れる音で、蛇たちは彼の存在に気づいたらしい。たちまちしゅるしゅると音をさせ、近くの草叢へ消えていった。
それを見たシシュは、軽い戦慄を覚える。
「赤い目……」
黒い蛇たちの眼は、見間違えでなければ赤く光っていた。
他の街であれば、まず間違いなく化生と断定したであろう色。
アイリーデの化生は人の姿を借りているとは言え、シシュは不吉な予感を覚えた。
軍刀の柄に手を添え、蛇が消えた草叢に近づいてみるが、既にそこには何もいない。
彼は踵を返すと、蛇たちが覗いていた水路を見た。
暗い水面には月が映っている。それ以外には何もおかしなところはない。
シシュは蛇がそうしていたように水路の縁に立った。生えている草を踏んで、中を覗きこむ。
―――― やはり何もない。
そう断じかけた彼はだが、蛇の一匹が水の中に頭を浸けていたことを思い出した。
あれらが窺っていた何かは、水の中にあるのかもしれない。
シシュはその場に膝をつくと、左袖のボタンを外し、肘まで捲くった。
いつでも刀を抜けるよう気をつけながら、腕を水の中へと差し入れる。
ひんやりとした感触が走ったのは、最初だけだった。
水温はすぐに身に馴染む。シシュはそのまま、視界の通らぬ水中をかき回した。
けれど指に触れるものは何もない。彼は諦めて濡れた腕を引き上げる。
「さすがに潜るのはな」
以前一度化生を追いかけて水路の中を泳いだが、この水路はそれなりに深いのだ。
何があるのか確証もない状態で水に入ることは躊躇われる。
それでも先程の蛇たちを無視出来ないシシュは、もう一度だけ水の中に手を伸ばした。
先程よりも更に深く、肘の上までを水に浸す。
何もないはずだ。指は底にさえ届かない。
しかしそう思った時、布のような感触がシシュの手にまとわりついた。驚いて手を引きかけた彼は、思いなおすとその何かを掴む。
そっと水面に手繰り寄せ―――― シシュはそれが、着物の帯であることに気づいた。
濃紺の帯に染め抜かれた白い半月。何の印であるのか、理解した彼は即座に立ち上がる。
そうしてシシュは、上着を脱ぎ捨て水の中へ飛び込んだ。
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