第9話 赤い目


 現場となったのは、大通りを南に外れた街の入り口近くである。

 月白からは街を横断して反対側となるそこに、サァリとシシュは再び走って駆けつけることになった。


 化生絡みの緊急召集がかかる条件は「一度に三人以上が殺傷される、もしくは、連続して五人以上が殺傷される」というものである。

 だが、この条件を満たす事件は実に十五年ぶりだ。

 異例の召集によって呼び出される人間は八人。

 自警団長と化生斬り全員、そして巫と、アイリーデの大半の店が所属する組合の長だ。そのうち組長くみおさを除く五人は、サァリたちが到着した時、既に現場に揃っており、他の自警団員が人払いをした中で、何事かを話し合っていた。


 死体を検分していたアイドは、二人の姿を見るなり眉を吊り上げる。

「どうして一緒に来るんだ」

「遅くなりました。申し訳ありません。状況はどうなってます?」

「サァリ、無視するな!」

 飛びつかれそうになって、彼女は慌てて後ろへと避けた。それを見たシシュが軽く眉を上げる。

 アイドは少女を追いかけようと走り出しかけたが、すかさずもっとも年長の化生斬りに背後から羽交い締めにされた。

 他の自警団員からは尊敬と畏怖をもって「鉄刃」と呼ばれている男は、暴れるアイドを無視してサァリの疑問に答える。

「四人死んだ。化生は逃走中だ」

「四人? どうしてそんな……」

「分からない。いきなり刀を抜いて切りかかってきたらしい」

 遺体は殺された時の位置のまま、上に黒布だけがかけられている。

 地面には夥しい量の血が染み込んでおり、事態の凄惨さを見る者に知らしめていた。


 しゃがみこんで黒布をめくるシシュの隣から、サァリは遺体を覗き込む。

 殺されていたのは中年の男で、正面からばっさりと袈裟がけに斬られていた。

 傷の深さから、普通であれば大人の男の仕業だと思われるだろうが、化生は総じて身体能力が高い。これだけで器の性別や年齢を確定は出来ないだろう。


 遺体全てを調べていくシシュについていったサァリは、最後の布がまくられたのを見て息を飲む。まだ若い死者の顔に見覚えがあったのだ。

「この人、トーマの……」

「ああ、ラディ家の酒蔵で働いていた男だ」

 目を開いたまま死んでいる男は、ラディ家に代々仕える職人の息子だ。

 彼はまた、トーマの親しい友人でもあり、月白にもしょっちゅう酒瓶を届けに来てくれていた。

 知人の死に、サァリは熱くなる目頭を押さえる。事件を知ったらトーマが何と言うか、想像するだに胸が痛んだ。

 黒布を下ろしたシシュが顔を上げる。

「他の三人の素性は?」

「たまたまここに居合わせた者のようだ。一人はラディ家の客らしいが」

「困ったことになりましたね」

 柔和な口ぶりに憂いを乗せて、最後にやって来たのは組長だ。

 アイリーデでは有名な料亭の主人である彼は、一同を見回して会釈をする。

 サァリは年長の彼に、深く頭を下げた。


 全員が揃うと、壮年の自警団長は彼女に確認を入れてくる。


「巫の期限は?」

「あと三日になります」

「そうか……期限間近でここまでの化生が出てくるとは、ついぞないことだ。なんとしてもあと三日のうちに、始末をせねばな」


 団長が化生斬りたちを見回すと、彼らはそれぞれの表情で頷く。

 羽交い絞めにされたままのアイドでさえ、神妙な表情になった。


「自警団は見回りを強化する。不審なものがあった際には近くの化生斬りに知らせる。化生斬りはこの件が解決するまで、化生の探索に回るように。巫は―――― 」

「私も三日間、出来るだけ街を回ります」

「分かった。護衛は好きに選んでくれ」


 団長はそうまとめると、組長を見た。老舗の老主人は苦笑する。


「街の風評に関わりますから、客に表立って通告することは避けたいですな。店の方に連絡して、それぞれが直接、客に用心を促すようにさせましょう」

「肝心の化生の年恰好を、目撃した人間はいないのか?」


 まとまりかけていた空気にシシュが口を挟むと、団長は眉間に深い皺を作った。

 先に来ていた化生斬りたちは既に聞いていたのか、団長はシシュとその後ろにいるサァリだけを見て答える。


「若い男の姿をしていたそうだ。ただ顔は分からない。面をかぶっていた。赤い目だけが見えて、化生と特定された」

「面……?」


 そんなことをする化生など初めてだ。

 唖然とするサァリをよそに、アイリーデに来て日の浅いシシュはむしろあっさりと飲み込んだらしい。「分かった」と手を上げて人の輪の外に出る。



 それを皮切りに、場には解散の気配が漂った。

 自警団員たちが集まってきて、遺体を運び出そうとする。

 黒い布にくるまれ担ぎ出される犠牲者を、サァリは最後まで目を逸らさず見送った。いつの間にか背後に来ていた組長が囁く。

「半月を過ぎたら表に出ないようになさい。貴女を狙ってくることはないでしょうが、何かがあってからでは遅い」


 何かがおかしいと、皆が気づいているのだろう。

 月が膨らんできているにもかかわらず増えている化生。

 街の解体の噂。そして今回の事件。

 不穏な流れはひたひたと住人たちの足下を浸し、いつの間にか水位を上げていくようだ。

 サァリは、祖母はこんな時どうしていたのか、振り返ろうとして思い直す。

 今ここにいるのは自分で、何とかしなければならないのも自分だけだ。

 彼女は組長を振り返って微笑む。

「三日の間に捉えます」

 その言葉を単なる戯言としない為に、サァリは血の痕に背を向け、歩き出した。




 本当はシシュに追いついて、もう少し探りを入れたいと思っていたのだが、サァリが現場を離れた時には既に、彼の姿は何処にも見えなくなっていた。

 事件のことなど知らず賑わう表通りを見ながら、彼女は乱れきってしまった髪を後ろで適当にまとめる。

「とりあえず一旦帰って……汗を流さないと」

「汗を? なんでだ?」

「なんでって―――― うわっ!」

 思わず飛び上がりかけたサァリの手を、男の手が捕らえる。そのまま腰を抱いて引き寄せられた彼女は、半ば強制的に爪先立ちになりながら背後の男を見上げた。

「離して欲しいんだけど」

「なんで髪ほどいてるんだ、サァリ。あいつと二人で来るとか何してたんだ?」

「髪解いたのは崩れたから。崩れて汗かいたのは走ったから。一緒に来たのは途中で会ったから。で、一度帰って着替えたいんだけど」

「送る。一人で歩くな」

 掴んでいた手首を離したアイドは、彼女の隣に並ぶと改めて手を繋ぎなおした。

 諦めて男に手を引かれることにしたサァリは、通る道を指示する。


 先程羽交い絞めにされたまま引きずられていったと思しき彼は、どうやら「鉄刃」を撒いて戻ってきたようだ。

 捕まらないうちに帰ればよかったとサァリは思ったが、「一人で歩くな」と言うアイドの方が今は正しいだろう。

 二人は、広場で芸を披露する一座を横目に見ながら囁きを交わす。

「アイドはどう思う? あれ、おかしいよね」

「あんなことをする化生はいない、というやつか?」

「人を害する化生はいるけど、仮面をつけて凶器を持ってるなんて、今までなかったよ。本当に化生だと思う?」

「サァリは違うと思っているのか?」

「……人間の仕業じゃないかとも思ってる」


 そうでなければ顔を隠す意味が分からない。

 この街では、人の姿を借りているだけあって化生の個体差も激しいが、このように人を積極的に殺しながら、巧妙な保身をはかった者などいなかったのだ。

 人を害する化生は得てして衝動的な性質を持っており、後先を考えない。

 一方人に紛れ混む化生は、派手な騒ぎや身の回りの変化を嫌う。


 だが今回の犯人はそのどちらにも当てはまっていない。

 前例のない事柄から、何かの策略ではないかと疑う少女に、しかしアイドはきっぱりと首を横に振る。

「赤い目は偽れない。新たな化生が出てきたと思った方が無難だぞ」

「そうかな」

「そうだろう。たとえばサァリは、人を殺す時、顔を隠す理由をなんだと考える?」

「誰が殺したか分からないようにでしょ」

 そうでなければ、すぐ捕まってしまう。しかしアイドは、彼女の意見に頷かなかった。

「そうだが、そうではないな。人が顔を隠す意味と、化生が顔を隠す意味は違う」

「どう違うの?」

「お前に見つからないようにだ、サァリ。巫に見つからないように……もう一度人を殺せるように顔を隠すのだろう。かなり狡猾なやつだ」

「……それは」

 予想をしなかったわけではないが、他の人間の口から聞くと、気鬱になるどころの話ではない。

 サァリは今も何処かで誰かが自分を監視している気がして、日が翳り始めた通りを振り返った。


 いつも通りに見える街並み。だがその中に化生が混じっている可能性もあるのだ。

 足取りが重くなったサァリの手を、アイドが強く握った。

「化生斬りから離れるな、サァリ。お前一人では縫い付けられない」

「うん……」

「今日も回るのなら、オレが一緒に行こう」

「うーん……じゃあ、お願いする」

 アイドと一緒というのは避けたい気もするが、そんなことを言っていられる場合ではない。


 男に送られて月白のある通りまで戻ってきたサァリは、夕暮れに染まりつつある空を見上げた。

 高く伸びた木の枝が、門の前に不気味な影を落としている。

 誰にも言ったことはなかったが、子供の頃は月白の館を囲む雑木林が、密かに怖かったのだ。

 あの頃サァリはまだ、自分を普通の子供だと思っていた。懐かしい記憶に少女は現在との齟齬を思う。

「―――― ずっと昔、こうやってアイドに月白まで連れてきてもらったよね」

「昔? ああ、サァリが迷子になってた時のことか」

「そう。あの時はアイド怖かったな」

「人聞きの悪いことを言うな。オレはサァリにいつでも優しいぞ」

 嘯く言葉に、サァリはくすくすと笑う。


 昔のアイドは誰にでも噛み付く少年で、まったく手に負えないと悪名高かったのだ。

 それは彼の母親が娼妓で、父親が分からないという境遇から来ていたらしいが、当時のサァリは当然そんなことは知らなかった。

 ただ迷子の彼女の手を引いて、ぶつぶつと文句を言いながらここに連れてきてくれた少年のことは今でもよく覚えている。

 数年後、街でも有名な問題児が化生斬りになったと聞いた時、大人たちは皆驚いたが、サァリは素直に喜んだのだ。


「なのに、こんな性格になっちゃうとか」

「オレの何処が不満なんだ」

「強いて言えば変な独占欲」


 巫は、要請を受ければどの化生斬りにも同行する。

 それをいちいち不満に思われては身動きが取れない。

 おまけにアイドは、サァリが主として月白の客に対応するのもよく思わないのだ。

 九つも年下の小娘に、何処まで本気で絡んでいるのかは分からないが、巫としても主としてもそれは許容出来る態度ではない。


 門の前で足を止めたサァリは、不服そうな男に手を振った。

「火入れをして仕事してくるから。二時間後にまた来てくれる?」

「ああ、ならサァリの部屋で待ってる」

「やだ。絶対入れない」

 アイドを中で待たせていては、余計な面倒を起こしかねない。

 サァリはそれ以上文句を言われないよう「また後で!」と宣言して門の中へと駆け込んだ。


 火入れの時間が迫っている為、玄関は既に開いている。

 上がり口を掃いていた少女が、サァリに気づいて頭を下げた。

「主様、おかえりなさいませ」

「悪いけど、店を開けたらまたすぐに出ます。皆にもそう言っておいて。―――― ああ、しばらくの間、外出は出来るだけ避けるように。あと新しい客にも気をつけて」

 化生はまず、月白の敷地内には入ってこないはずだが、前例だけに頼っていては足を掬われるかもしれない。

 サァリは、少女に水を持ってこさせると、手だけを清めて灯り籠に火を入れた。続いて少し考えると、上がり口で立ったまま、便箋にいくつか走り書きをする。

 書き終わって封をしたそれを手に、彼女はイーシアの部屋を訪ねた。

 ちょうど花の間に向かおうとしていたらしい彼女は、サァリの姿を見て「あら」と笑う。

「そんな格好でどうしたの?」

「ちょっとあちこち走り回ってきて……。それよりこれ」

「手紙?」

「トーマが来たら渡して欲しいの」

 本当は会って話せたら一番いいのだが、今の状況では化生を探している間に行き違いになってしまうだろう。

 それにおそらく、彼は友人の死を悲しんでいても、サァリの前ではそれを見せない。イーシアと二人だけの方が素直になれるはずだ。


 差し出された手紙に、イーシアは一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに微笑んで受け取った。

「分かったわ。他に伝えることは?」

「トーマに限らずだけど、最近外が物騒だから、お客様たちに、用心するようそれとなく伝えて」

「皆に言っておくわ」

「ありがとう。私はしばらくしたらまた外に出るから」

「これから外に? 一人で?」

「アイドと一緒だから平気」

 その名を聞いても、イーシアがすっきりとした表情にならないのは、トーマから何かを吹き込まれているからなのだろう。

 何か言いたげな女に、サァリはもう一度「大丈夫」と重ねた。

「日が変わる前には帰ってくるから」

「……気をつけてね」

「うん」

 これで月白での用事はひとまず済んだ。


 サァリは自分の部屋に戻ると、ようやく汗を流した。洗った髪を結って、化粧もしなおす。

 ゆっくりしていたつもりはないのだが、仕度が終わった頃には約束の二時間になりかけていた。窓の外を見るとすっかり日が落ちている。

 鏡の中を覗き込んだサァリは、足捌きがしやすいよう少しだけ上げた裾を確認した。

 まるで子供のようだが、また走らなければならなくなった時、この方が楽である。

 着物自体もいつもの白ではなく薄墨を選んだのは、夜陰に紛れられるようにだ。

 最後に銀の腕輪を左手に滑り込ませて、サァリは編み上げの靴を手に取ると、玄関へ向か

 った。


 彼女が渡り廊下から本館に入ると、ちょうど一人の男が戸口を出て行くところである。

 見覚えのない黒い着物と、早い時間に帰る客というところからして、サァリは一見の客に女がつかなかったのだろうと考えた。

 なんとはなしにその姿を見送っていた彼女は、しかし突然振り返ったその男と目が合い、ぎょっと硬直する。


 男は思っていたよりも若かった。シシュと同じか、少し上くらいだろう。

 商売柄、顔のいい人間を見慣れているサァリが、思わず驚くぐらい美しい顔立ちをしており、そのせいか纏う空気にはいささか人間味が薄かった。

 彼女が硬直したままでいると、男は会釈して門の外へと消える。ようやく我に返ったサァリは深い息をついた。

「え、今の人で断られたの? 皆、それはちょっと容赦ないよ……」

「断ってないわよ」

「あれ」

 花の間から続く廊下の壁に寄りかかっているのは、月白では年長の部類の娼妓だ。

 香り煙草を加えた女は、男が去っていった外に向かって追い払うように手を振る。

「あんな顔してるから、最初若い娘たちはまんざらでもなかったの。でもあの男、娼妓を選ばなかったのよね」

「お茶を飲みに来ただけとか、そんな感じ?」

 特定の女を相手にするのではなく、広間だけで戯れて帰る客はそれなりの割合いる。

 一見でそのような客は珍しいが、まるきりいないわけでもない。

 しかし女は肩を竦めてみせた。

「そういう感じじゃなかったのよ。もっとこう薄気味の悪い、っていうか。まず色々聞いてきたわけ」

「色々って何を?」

「月白のこととか、あなたのこととか。みんな適当に返してたけど、そのうち『どんな人がよく来るのか』って聞かれて、さすがにおかしいって思うでしょ?」

「……思う」

「で、イーシアがやんわり女を選んで部屋に行くよう勧めたの。でもそしたら急に帰るって言って出てったから、様子を見に来たわけ」

「それは怪しいかも」

 化生の事件のすぐ後にそのような客が来たとは、何を意味しているのか。

 サァリは悩みかけたが、アイドを待たせていることを思い出すと、ひとまずこの問題を棚上げすることにした。

「とにかく、ちょっと出てくるから、今度あの客が来ても皆に選ばないよう言っておいて」

「分かったわ。何処に行くの?」

「化生斬りと見回り」

「ああ、あの黒髪の彼か。サァリ、彼のこと気に入ってるの? この前、主の間に通してたでしょ」

「……気のせいです」

 下女は口を割らないはずなのに、どうしてばれているのだろう。

 しかし、今それはどうでもいい話だ。

 いささか動揺しかけた心を落ち着けてサァリは靴を履く。

 半月の印を横目に月白を出た時、時間はちょうど二時間になっていた。

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