第4話 娼妓
「どうだった?」
広間に戻ってきた青年に、トーマは人の悪い笑顔を見せた。馴染みの女と長椅子で談笑している友人を、シシュは冷ややかな目で眺める。
「どうだった、と言われても」
「まあ、こっち来いよ。落ち着かないだろう」
手招きを受けて、シシュはようやく自分が女たちの視線を集めていることに気づく。
この妓館は、妓館というわりに彼ら以外の客がいない。
女たちは主の少女が言うように暇を持て余しているらしく、あからさまに好奇の視線を彼へと向けていた。
シシュはげっそりとした気分で長椅子の前まで来ると、近くの壁に寄りかかる。
「この店、これでやっていけるのか?」
「余裕余裕。早い時間に来る客が少ないだけだ。月白の客って言えばこの街じゃ一目置かれるくらいだしな」
――それは、老舗の店の女に認められたという優越感だろうか。
思わず呆れ混じりの溜息をつくと、長椅子に座る女が笑って訂正した。
「この館自体は、そう大したものでもありませんわ。ただここのお客様ということは、街の気風を愉しむ寛容さをお持ちの方ということになるのです。うちは特に、変わった女が多いですから……。それを許せる方は、他の店にとってもよいお客様でいらっしゃるのでしょう」
女の言葉を受けて広間を見回すと、確かにそこにいる女たちは変わっている、気もする。
シシュは、アイリーデの他の妓館を知らないが、床に寝そべって硝子球を転がしているような女は、きっとここだけにしかいないのだろう。
首のない人形を逆さに抱いている少女は何なのか考えかけて、シシュは思考の無意味さに気づいた。
話には聞いていたが、月白とはなかなかに特殊な処であるらしい。
苦い顔をする青年に対し、トーマは話を元へ戻す。
「それで、サァリはどうだったんだよ」
質問にからかうような意図を感じるのは気のせいだろうか。
イーシアを気にして何も言わぬ青年に、トーマは手振りで「問題ない」と示した。
彼女の方はしかし、微笑んで長椅子から立ち上がる。
「お茶の仕度を手伝ってきますわ」
「悪いな」
女の優美な後姿が扉の向こうに消えると、シシュは重い口を開いた。
「――普通の娘に見える」
「普通か。そうか」
おかしそうに笑われ、シシュは元々険しい表情を更にしかめた。
「何か違っていると?」
「いや、大体あってる。主として頑張ってるところが可愛らしいだろう? 自慢の妹だ」
「可愛い?」
どちらかというと、「綺麗」という形容の方が似合う少女だった。
長い銀髪に黒柘植の櫛を挿し、白い着物に薄青の帯を締めていた彼女。
人形のように整った貌は、完璧という単語を連想させるものではあるが、微笑むと彼女がまだ十代半ばであることを思い出させる。
それは、アイリーデの巫と会うということで身構えていた彼を拍子抜けさせるに、充分なものだった。
シシュは、自分よりもよっぽどこの街に詳しい男へ探るような目を向ける。
「本当に彼女が巫なのか?」
「ああ。アイリーデの巫はあいつだけだ。普通の巫じゃ使い物にならん。この街の化生は、人によく化けるからな。数年前にも余所からやって来た巫が化生に殺された」
「化生が巫を? それは凄いな」
「上から聞かなかったのか。ここの化生はそれくらいするんだよ。街の成り立ちが成り立ちだけあって、気が濃いからな」
それは、シシュもこの街に来た時より感じていたことだ。高い城壁で囲まれた、神代からの街アイリーデ。
この街の中は、人の念や欲がもたらす気で溢れかえっている。
ただ余所の享楽街と違うのは、その気を何かが底上げしているように感じられることだろう。
この街に来てからまだ七日、シシュは何がこの街の根底にあるのか見極めようとしているのだが、その正体は今のところまったく掴めていない。
巫だという少女は知っているのかもしれないが、いきなりそのようなことを尋ねるのも憚られた。
何しろこの街では、誰が味方で誰がそうではないのか、まだまったく分からないのだ。
自身の考えに沈みこみかけていたシシュは、男の見透かすような視線に気づいて、体を起こす。
「巫だというなら、それで充分だ。必要になったら力を借りに来る」
「普段から親しくしておくに越したことはないぞ。常連になれば融通もあるだろうしな。お前は新顔だし、その方が動きやすくなる」
「常連? 彼女は娼妓ではないだろう」
協力者である巫本人ならともかく、彼女と繋がりを保つ為に他の女を買うというのは、いささか釈然としない。
元々娼妓が好きでもないシシュはそう切り捨てたが、トーマは悪びれることもなく返した。
「別に来て茶を飲んでるだけでもいいんだよ。常連の中にはそういうご老人だっている。サァリ目当てにだべりにくる奴もな。よくあいつに絡んでるぞ」
「……はぁ」
分かるような分からないような情景だ。
それともこれもまた、アイリーデの常識の一つなのだろうか。
少なくともシシュは、少女が店の主として頑張っているところに邪魔をしに来るような輩を、好意的に捉えることは出来なかった。
彼は軽くかぶりを振ると、広間の出口へと歩き出す。
「茶を飲んでかないのかよ」
「顔合わせは終わった。用事があればまた来る」
まだこの街で調べなければならないところはいくらでもあるのだ。時間を無駄にはしていられない。
扉に手をかけたシシュに、トーマの軽い声が届く。
「じゃあ一つだけ教えといてやる」
「何を?」
振り返ると、男は嘘臭い笑顔を顔に貼り付けていた。
たった数日の付き合いながらも、トーマの食えない性格を知っているシシュは、嫌な予感に眉を寄せる。男はからりとした声で告げた。
「サァリのことだ。月白の主はな、主であると同時に巫だ。そして娼妓でもある。あいつもまた娼妓なんだよ。ただ月白の巫が選ぶ男は――生涯で一人だけだ。巫はその一人をずっと待っている」
「一人……?」
聖娼の血を継ぐ女が待つ相手とは、やはり神のことだろうか。
そんなことを考えながらもシシュは、男の声音にけしかけるような響きを嗅ぎ取って眉を寄せる。
返事はしなかった。廊下に出て扉を閉めると、広間からは男の笑声が聞こえた気がした。
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