第3話 化生斬り



 古き国が滅びてから八百年。かつて大蛇がいたという北の山の麓では、今でも神に捧げられた街が賑わいを見せている。

 アイリーデという名の小さなその街は、現在は大陸北部を占める大国の一部だ。


 とは言え、この街は成り立ちのせいか王の権力さえもあまり及ばない。

 大陸の様々な場所から、人々がわざわざここまで羽を休めに来るのも、アイリーデの「何処の国でもなく、何にも縛られない空気」が人の心に自由を与えるからであり、街の人間もその気風を当然のものとして、何かあろうとも余所に頼ることはしなかった。

 王都で生まれ、生家とアイリーデの両方で育ったサァリも、今は月白にいる時間の方がずっと長い。

 若き主としてこの妓館を切り盛りすることに手一杯で、生家には一月帰らぬことも珍しくなかった。


「――それで結局、紹介状を書いてあげたの?」

 籐の椅子にしどけなく座る女は、サァリの話を聞き終わると、くすくすと笑った。

 口元を隠す白い羽扇が微かに揺れる。結っていない金髪は灰紫の絹服によく映えて煌き、上品な艶やかさをかもしだしていた。

 彼女のすぐ傍で、壁に寄りかかっていたサァリは肩を竦める。

「だって、誰も受けないっていうから。仕方ないでしょ」

 月白の主人である少女は、女たちの控える広間を見渡す。


 中庭に面した大きな窓を持ち、花の間と呼ばれるだだっ広いそこでは、二十人あまりの月白の娼妓たちが思い思いに時を過ごしていた。

 白い絨毯の上に寝そべって本を読んでいる少女や、長椅子にもたれて爪を塗っている女、テーブルについて優雅にお茶を飲んでいる女たちなど、その様子は実に様々である。

 月白を訪れた男たちは、まずこの広間に通されて、女たちと顔をあわせるのであり、そこから女を買えるかどうかは彼ら次第だ。


 そして開店と同時に広間を訪れた二人の男は、どの女からも選ばれなかった。冷たいようだが、月白ではよくあることである。サァリはそうなった場合、希望されれば別の店への紹介状を書くことを常としていた。

「でもそのような方たちなら、断られてあなたに食ってかかったりしたのではないの?」

「そう悪い方たちでもなかったから。どちらかというと南部あがりの店の方が困りものなの。他より早く店を開けるのに、気に入らない客は門前払いして……。夕の六刻以前に火が入っている店を道なりに辿ると、最後にはうちに行き着いてしまうわけ。もう少し考えて欲しいな」

「ああ、それで最近、早くから一見の客が来たりするのね」


 そう大きくはないが、狭くもないアイリーデの街において、月白の館が建っているのは、北のはずれの入り組んだ路地の行き止まりだ。

 その為、半年前までは店の存在を知っている常連以外に月白を訪れる者は多くなかったのだが、南部あがりの店が火入れの時間を変えてからは、今日のようなこともしばしば起きている。サァリにとってそれは、いささか忌々しい問題だった。


「どうやらブナン侯が意図的にそう指示しているらしいんだけど」

「あら、懐かしい名ね」

 女は琥珀色の目をきらめかせる。

 月白ではイーシアと名乗っている彼女の本名は、リディア・ラーズ。

 南部の没落貴族の令嬢だった女だ。父の死後、自ら伝手をたどって月白に来たというイーシアの素性を、サァリは勿論把握はしていたが、かつての交友関係までを知っているわけではない。

 目線だけで詳しいことを問うサァリに、イーシアは微笑んでかぶりを振った。 

「直接知っているわけではないわ。ただ臆病なわりに所有欲がひどい人で、病のようと有名だったの」

「所有欲って……。まさかアイリーデの街を支配したいとか?」

 南の息がかかった店は、少しずつアイリーデの中に増えつつある。

 妓館だけではなく、芸小屋や酒蔵のいくつかも買収されたという話が聞こえてきており、無遠慮な余所の金を、サァリは腹立たしく思っていたとこであった。

 思わず舌打ちをしかけて、だがイーシアの視線に気づくと、それを飲み込む。



 店の玄関から軽い鐘の音が聞こえてきたのはその時だった。

 客が来たことを知らせる音に、少女は壁にもたれていた体を起こす。

 店の主として纏う空気を変える彼女に、イーシアは柔らかい声を投げた。

「あなたもすっかり主様ね」

「そうなるために生まれてきたんだし」

 微笑む彼女に気負いはない。少女は広間の女たちを見渡すと、足音をさせずに玄関へと向かった。よく磨かれた木の廊下を二度曲がり、上がり口へと出る。

 そこに立っていたのは、十年以上も昔から付き合いのある男だ。

 一目見て分かる身なりのよさに、整った顔立ち。鍛えられた体躯は二十七歳となった今、年相応の落ち着きと均整を両立させている。

 女たちの視線を引きつけてやまないその魅力は、半ば天性のものだろう。長身の彼は、薄い外衣を脱いで下働きの少女に渡しているところであったが、サァリに気づくと快活に笑って挨拶した。

「やあ、元気にしてるか?」

「おかげさまで。いつも通りですわ、トーマ様」

「様はやめとけ」

 王都の貴族であるトーマ・ラディは、寄ってきた少女の頭をぐりぐりと撫でる。

 月白の主を継いでからも変わらぬ子供のような扱いに、サァリは思わず噴き出した。

「トーマ、髪が崩れちゃう」

「ああ、悪い。イーシアは空いてるか?」

「彼女があなた以外を選んでいるところなんて見たことない」

「知ってるよ」

 男は悪戯っぽく笑って見せると戸口を振り返った。

「今日はもう一人連れてきてる」

「もう一人?」

「ああ。入って来いよ」

 かけられた声に応じて、姿を現したのは細身の青年だ。

 年は二十を過ぎたばかりだろうか。紺地に金糸の刺繍が入った見覚えのある制服を身につけている。

 サァリは目を丸くして隣の男を見上げた。

「新人?」

「よく分かったな。まさか自警団の顔は全部把握してるのか?」

「大体は。トーマが連れてくるってことは、ラディ家の紹介?」


 トーマの家は王都に属してはいるが、アイリーデにおいても名の通った名家だ。

 それはラディ家の祖が、古き国の王に命じられてこの街に酒蔵を作ったという逸話の為であり、今もその蔵の酒は街随一の美酒と名高い。


 それ程の影響力を持つ家であれば、街の自警団に人を推薦するのも容易だ。だがサァリの予想に反して、トーマは首を横に振った。

「いや、最近知り合ったんだ。王都からこっち来たばっかりっていうしな。おいシシュ、挨拶しろ」

「……シシュ・ザクトルです」

 低すぎない声は、心地よい響きを持っていた。サァリは改めて青年の顔を見る。

 少し険の目立つ顔立ちは、けれど整っていないというわけではない。

 どちらかというと綺麗な造作だ。だが、しかめぎみの表情が彼に近寄りがたい雰囲気を生み出しているのだろう。


 サァリは青年が佩いている軍刀に目を止めた。

 アイリーデの所属であることを示す朱色の紐の端には、小さな黒水晶が結わえられている。

 ――自警団において、水晶の飾り紐を帯びているのは、化生を相手に刀を振るう者だけだ。

「なるほど、それでうちに」

「いずれは顔をあわせることになるだろうからな」

 納得の息を洩らすサァリの肩を、男は軽く叩く。

 一人だけ事情が飲み込めていないらしき青年に、少女は視線を正すと向き直った。流れるような仕草で膝を折って、礼をする。


「月白のサァリーディと申します。どうぞお見知りおきを」


 鈴の音に似た声での挨拶。青年は呈されたその名に、軽く目を瞠った。





 サァリは、産まれた時から月白の主になることを定められた娘だ。

 ラディ家が古き時代から酒蔵を守ってきたように、彼女の家も代々、密やかにこの館を保ってきた。

 月白の先代主はサァリの祖母であり、祖母はサァリが幼い頃からよく彼女をここへ連れてきていた。

 サァリは祖母が仕事をする間、その傍についていることもあれば、美しい女たちと遊んでいることもあり、この館をいわば第二の家として育ったのだ。


 彼女が祖母の死と共に主を継いだのは、半年前のことだが、十六歳という若さでこの役目が務まるのも、祖母の為すことを間近で見てきたせいだろう。

 実際サァリは、今まで何の問題もなく主として館を動かしてきている。時に困ったことがあろうとも、館内やかたないのことであれば年長の女たちが助けとなってくれた。


 ただ一つ――懸念があるとすれば、それは館の外でのことだ。

 月白の主である女は、ラディ家とは異なり、秘された妓館ということもあって、姓を名乗ることをしない。

 主が名乗るのは通称と、《》としての名だけだ。

 今もそうして巫の名を名乗った少女は、顔を上げると広間の方を指し示す。

「お入りください。酒をお持ちしましょう」

「あ、こいつは飲まないんだ。茶でいい」

「承知しました」

 トーマは勝手知ったる店とあって、どんどん先に広間へと行ってしまった。

 サァリは残された青年を置き去りにしないよう、廊下を先導して歩き始める。


 窓のない廊下の左右には、古い絵画や骨董品など目を引く調度品が飾られていたが、青年はそれらには目もくれず、サァリだけをじっと見ているようであった。

 背中に感じる気配でそのことを察した少女は、振り返りたくなる落ち着かなさを堪える。

 商売柄、不躾な視線を浴びることは少なくなかったが、今、背後にいる青年のそれは、剣先を差し込んでくるような鋭いものだ。

 どうしてそのような目で見てくるのか――少なくとも自警団の化生斬りにとって、巫は敵ではないはずだ。

 それとも何か知らぬうちに彼の気分でも損ねてしまったのだろうか。


 サァリは落ち着かなさを募らせたまま、花の間へと着いた。両開きのドアを彼の為に押し開ける。

「どうぞ。すぐにお茶をお持ちします」

 振り返って青年を見ると、彼は黙って目礼した。短い黒髪がさらさらと流れて、サァリの意識を引く。

 そう言えば目は何色だったろうか、と考えかけて、けれど彼女は我に返った。そそくさと廊下に出て息をつく。

「……新人の化生斬りかぁ」

 この街にいる他の化生斬りとは、それなりに面識も付き合いもあるのだが、月白の主となってから新たな化生斬りに会うのは初めてだ。サァリは改めて自分の姿を見下ろす。

「別に変なところない……よね」

 着物は崩れていないし、帯も普通だ。

 挨拶もそうおかしなことは言っていなかっただろう。そもそもそんな多くを口にしたわけでもない。となれば、鋭い視線はきっと気のせいだ。

 ――そう無理矢理片付けてサァリは踵を返した。下女を呼んでお茶を用意させようと思った時、だが何の気配もなく後ろから手を掴まれる。

「――っ!」

「少し、聞いてもいいですか」

 広間にいたはずの青年は、やはり軽く眉を顰めたまま彼女を見下ろしていた。

 髪と同じ黒い目は、若干不機嫌そうに細められている。

 サァリは跳ね上がりかけた鼓動を押し隠して、姿勢を正した。

「なんでございましょうか」

「貴女は巫ですね。神の力を借りて不吉を占い、化生を見抜くという」

「ええ」

「その力は、聖娼としてのものなのですか」

「え?」

 一瞬、虚を突かれたサァリは、しかしすぐに青年の言わんとすることを察した。


 北の街アイリーデの名を知らしめているものは、神話にある「美酒と音楽と聖娼」だ。

 そして古き時代において、神と交わる聖娼はその行為によって神の力の欠片を得ていたと言われている。

 この青年は、巫の力がそうして授けられたものかどうか知りたがっているのだろう。

 サァリは質問を理解すると同時にどう説明すべきか迷った。同じ問いに祖母がなんと返していたか、思い出そうとする。


 だが、青年は彼女の逡巡を不快の表れと思ったらしい。すぐに手を離し、頭を下げた。

「突然失礼しました。どうもこの街は、分からぬことが多く……」

「あ、いえ。別に構いません」

 サァリは慌てて首を横に振った。


 アイリーデは独特の空気を持つ街だ。王都のように整然と律された街から来れば、理解出来ぬことも多い。

 何処の領地にも含まれないこの街はいわば、存在自体が空隙のようなものである。

 様々な人間が出入りし、住みつき、けれど明確な支配者も法もない。

 ただ古くからの不文律によって皆、己の領分を守っているだけだ。

 そのような中で自警団だけは、ある程度明文化された規則によって動いてはいるが、表立って記されていないことも、やはりある。

 新人の青年も、どうやら暗黙の了解につまづいているらしい。そう思って見直すと、険のあるしかめ面は、困ったような表情にも思えた。

「申し訳ない。トーマ・ラディは貴女に会えば分かるとしか教えてくれませんで……」

「私に説明を押しつけたんでしょう。昔からそういう人なんです」

「昔からですか」

「私がほんの子供だった頃から付き合いがあるので。兄みたいなもの、でしょうか」

 いささか癖のある男のことをそう称すると、青年は横を向いて「そんな昔から、あの男は妓館に出入りしてるのか……」と呟いた。

 ぞんざいな口ぶりからして、それなりに仲はいいようだ。サァリは青年の勘違いを微笑んで流す。

「それで、巫のことでしたね」

「……ああ、そうです」

「端的に言ってしまえば、私の力は血によって受け継がれているものです。前の主であった祖母も巫でしたし、更に前の代もそうです。この店は確かに神話からの正統ですので……遡れば血は聖娼に行き着くでしょう。ですが、私自身は客を取ったことがありません。それでも巫としての力はあります」

「普通の巫は、男と交われば力を失います。貴女もそうなのですか?」

「いえ、祖母は死ぬまで巫でした。月白の主は皆そうです。――もっともその分、月の満ち欠けに力を左右される不安定なところはありますが」

 サァリは帯に浮かぶ半月を見下ろす。

 この月を見る度、彼女はいつも自分の限界を自身に言い聞かせるのだ。かつて子供だった頃には、それが分からずに人を傷つけた。

 青年もまた、白い半月に視線を落とす。

「月と呼応する力ですか」

「ええ。私は特に未熟者ですから……。半月より満ちている時は、巫としては使いものになりません。あらかじめご承知ください」

 それを言っておかなければ、いざという時要請を受けてもお互い困ることになる。

 サァリは一息置いて青年を見上げた。

「気になっていらしたのは、それだけですか」

「そう……ですね。今のところは。ありがとうございます」

「ではお茶をお持ちしますので、広間でお待ちください。暇を持て余している女たちが喜びますわ」

 青年は最後の言葉を聞いた瞬間、うっと嫌そうな顔をした。

 ひょっとして娼妓が苦手なたちなのかもしれない。

 しかしサァリは構わず礼をして彼の前を立ち去る。

 話は本当に済んだのだろう。青年へと向けた背に、今度は視線を感じなかった。

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