交錯夜葬曲⑧

○ ◎ ●



 考えてみれば、セシリアは子供の頃に追いかけっこをした記憶が無い。


 そもそも遊び相手が居なかった。幼い頃は屋敷の外に出た事が無いから近所の子供達と交流を持つ事は無かったし、二人の兄達とも年が離れ過ぎていたから対等の目線で遊んだ事は無い。追いかけっこに限らず、かくれんぼも、缶蹴りも、とにかく自分の全ての力を以て誰かと遊んだ事が無い。


 どうしてこんな事を思い出したんだろう。


 思考の九割九分をゼロを追い掛ける為のリソースに割きながらも、残りの一分が頭の隅でそんな塵芥のような雑念を結ぶ。そもそもこれは遊びじゃない。セシリアがゼロを追い掛けているのは捕まえる為で、セシリアがゼロに抱いているのは怒りだ。子供の遊びを思い起こすような余地なんて、全く、一切、無い筈だ。


「——ここに……」


 一体どれだけ走っただろうか。


 人気が多く、照明の光に溢れた客船港の前を通り過ぎ、倉庫街へ。そこで通りから外れ、乱雑にコンテナが積まれて森のようになっている場所へ入った。狭くなったり広くなったり、まるで迷路のような道を幾度も曲がり、たまに本当に迷いそうになりながら、ようやくに辿り着いた。


 一旦停止して息を整えるセシリアの前にそびえ立つ、結構な大きさを持つ倉庫。人気は無く、近くに光源も無い。暗闇の中に聳え立つその様は、寂しくて不気味な印象を受ける。普段はしっかり閉じているのであろう、重厚な作りの鉄の扉は、今は僅かに開いている。セシリアの目が確かなら、ゼロは確かにこの中に入っていった筈だ。


「……」


 関係無いのだが。本当に、全く、関係無いのだが。


 この都市には幾つか都市伝説というものが存在する。”倉庫街の亡霊”というのもその一つだ。


 海上都市ポセイドンは今でこそ世界中の貿易の中継点、独立した一つの都市国家ではあるが、元々は大陸の”はぐれ魔術師”が集まって打ち立てた”避難所”だった。その力や思想を危険視する者、利用しようとする者、色々な思惑が絡まり合って、最初期のこの都市は色々とゴタゴタとしていたらしい。そんな混乱期の真っ只中、物資を運ぶ貨物船に紛れて、とある難民の一団がこの都市に入り込んできた。内乱や種族間戦争から逃れてきた一団だったと言うが、不幸だったのは彼らが潜り込んだコンテナには、ポセイドンの崩壊を目論む者が送り込んだ殺戮人形キリング・ドールが隠されていた事である。起動した殺戮人形キリング・ドール周囲の生命反応難民達を逃げ場の無いコンテナの中で鏖殺し、悠々と外に出ていった。その後殺戮人形キリング・ドールは都市の魔術師によって破壊されたが、悲劇の現場となったコンテナは今でも倉庫街の何処かに残っているのだという。


 倉庫街で子供の泣き声や鬼気迫る悲鳴を聞いたら、その場に留まってはいけない。狭い空間内で惨殺された難民達の無念によって、そのコンテナの中に引き摺り込まれてしまうからなのだと。


「……」


 なんで、よりによって、此処なんだ。


 身震いする程ではないが――いやいや全然怖くなんてないが!――ちょっと泣きそうになりながら、セシリアはそんな事を思う。


 でも、ここで踵を返したら、ゼロはまたセシリアから逃げ切る事になってしまう。彼の馬鹿にしたようなニヤニヤ笑いを思い出せば、セシリアにはもう撤退するという選択肢は残されていなかった。


「うぅぅ……!」


 弱気な自分を奥歯で噛み殺し、セシリアは意を決して前に踏み出した。扉の隙間を音を立てないようにすり抜けて、何もかもが息を潜めているかのような静寂の中へ足を踏み入れる。


 倉庫の中は真っ暗だった。外はまだ何だかんだで都市の光の息遣いがそこかしこに残っていたけれど、倉庫内ここにはもう、それすらも届いていない。


 餓鮫眼がこうがんを強化して周囲の様子を把握しようかと思ったが、止めた。単純な索敵や瞬間的な先読みであればこれ以上無いくらい便利な術式であるが、セシリアは人間、つまり視覚情報を頼りにしている生き物だ。いざという時、特に戦闘になった時、普段に無い感覚頼りでは咄嗟の判断に支障が出るかもしれない。そう思ったのだ。


「……」


 少し考えた後、ずっと展開している餓鮫眼がこうがん術式構成は維持したまま、もう一つの術式を構成。息を吐きつつ、展開、発動。淡い光を放つ魔法陣が闇の中に浮かび上がり、一瞬で弾けるように霧散する。


 少し経つと、倉庫の中の様子が、おぼろげながらも浮かび上がった。


 白式・鬼憑系統第三準位『蛇頬窩だきょうか』。視覚を強化し、人間には本来見えない光線を見る事を可能にする術式だ。今のセシリアは、熱源を視る。完全に普段通りとはいかないが、それでも暗闇のヴェールに隠された世界をある程度見通す事は可能だ。


 例えば、今まさにセシリアに忍び寄って来て、不意打ちをかまそうとしている人影なんかも例外じゃない。


「そこですか」


「!!」


 即座に手元に魔拳銃を召喚、抜き撃ちの要領で影に向けて発砲。


 轟音を伴って魔力光が弾け、人影が大きく吹き飛ばされる。傍から見れば勝負あったようにも見えただろうが、違う。セシリアの魔弾は身体を麻痺させて自由を奪うものなのに、吹き飛んだ影は両の足で地面を踏みしめ、立った。どう見ても弾は当たったようにしか見えなかったが、彼はどうにかして対処してしまったらしい。


 自然に舌打ちが溢れて、そんな自分に少し驚いた。


「……倒れて頭でも打てば良かったのに」


「おうおう。化けの皮が剥がれてんぞ、お嬢サマ?」


 ヘラヘラとせせら嗤うように、影──ゼロは口を開く。


「まさかこんな所まで追い掛けて来るとはなァ。もしかして暇なのか?」


「まさか。貴方を追い掛けるのに大忙しですよ?」


 こんな真っ暗闇の中でも、ゼロは全くいつも通りだ。


 ホッと息を吐いたような心境になりながらも、それを努めて表情に出さないようにしながら、魔拳銃をもう一挺、掌の中に召喚。


「大人しく捕まって頂けますか? 今回はもう、優しくなんて出来ませんよ。最初から全力で――」


「へぇ、?」


 言いつつ、ゼロは脇にあった何かを掴むような動作をして見せた。如何にも其処に何かあるような感じだったが、セシリアの目には何も映らない。


「単純にだけだろ?」


「――!」


 コイツ。


 よくもぬけぬけと。


 多分この瞬間、セシリアはゼロに対する遠慮みたいな感情は綺麗に消し飛んだ。魔力弾を数発叩き込む事に躊躇いなんて無いし、何ならあのニヤニヤ笑いのド真ん中に自らの拳を思い切りやりたい。


 或いは、”キレる”とはこういう感情を言うのかも知れない。


 未体験の心の感情に密かに慄いているセシリアを他所に、ゼロは掴んだ何かを地面から引き抜き、肩に担ぐ。相変わらずセシリアの目には何も映らないが、ドン、と重たげな音は確かに聞こえた。


 何だろう。セシリアの目は今熱源を見ているから、その影響で周囲に溶け込んでいるのだろうか。ゼロの動きや重たげな音からして、あれは相当に大きなものだ。


「ま、なんだ」


 例えるなら、そう。


 大剣、だろうか。


「いい加減、ちゃんと分からせ――」


「ッ!?」


 背筋に悪寒が這い上がって来たのは、まさにその瞬間の事だった。


 明確な理由なんてさっぱりだったし、何ならまだセシリアの意識はゼロの言葉に吸い寄せられている最中だった。


 それでも、身体が勝手に動いた。先の立ち回りなんて一切考えてない、純度一〇〇%の反射から成る横っ飛びの回避。まともな着地すら出来ず、地面の上を転がって受け身を取る羽目になったが、直後に倉庫内を揺るがした轟音が、その反応が正しかった事を教えてくれた。


「——……とくべきだろうな。この先、出くわす度に追い掛け回されたんじゃ堪んねぇ」


「……!」


 から”それ”を引き抜きながら、ゼロが事も無げに言い放ってくる。


 が、セシリアはそれに言い返す事が出来ない。そんな余裕が無い。


 彼がクレーターから引き抜き、再び肩に担ぎ直したものが、のだ。それまで周囲の闇の中に溶け込んで隠れていたものが、開き直って姿を現したかのような印象だ。


 それは一言で表すと、長身なゼロよりも更に大きい大剣だった。大振りな牙が取り付けられたかのようにギザギザした刀身は獣の上顎を模したようで禍々しく、その色はその場の闇よりも深い闇色だ。


 唯一、鍔にある宝石だけが紅く、どういう仕組みなのかまるで目玉のようにギョロギョロと動いている。


 斬ると言うよりは、喰らうといった表現がぴったりな巨剣グレート・ソード


 術式が普及した今の世の中、常人離れした怪力の持ち主というのはそんなに珍しいものではない。それでもあの得物は規格外で、そんなものをガンガン振り回す戦い方をするというのは、ちょっと聞いた事が無い。


 ただ、今はそれよりも、セシリアには驚く事があった。


「……それ、術式ですか?」


「さぁな」


 あの巨剣、直前までセシリアの目には映らなかった。今のセシリアは熱源をみている影響かと思ったが、それなら。意識的に武器を隠せるなら、隠し続ける方が絶対的に有利だからだ。


 ”不可視”ではなく、”出現”。そう見るべきだろう。


 となると、ゼロが術式で召喚なり錬成なりを行ったと考えるべきだが、肝心の術式発動の際の魔法陣も、その構成を組み上げる魔力の動きも、セシリアには一切見えなかった。その二つが無いという事は、あれは術式の産物では有り得ないという事になるが、それはもっと有り得ない。彼は何処からあんな大きな物を取り出したのだろう。


「考え事か?」


 再び、悪寒。


 気が付けば目の前に黒い影。大上段に振りかぶった黒い巨剣を、踏み込みの勢いと共に振り下ろさんとしている所だった。


「——ッ!?」


 理性が声の無い悲鳴を上げる傍ら、本能が身体が突き動かし、横っ飛びに思い切り跳躍させる。


ビョウ、と風を無理矢理引き千切るような暴音。続いて、固いコンクリートを粉々にする破砕音。粉砕され、物凄い勢いで飛び散った床の破片が、セシリアの身体に容赦無くぶつかって来る。


「く……ッ」


 洒落にならない。あんなの喰らったら即死してしまう。


 自身の想像にゾッとしながらも、何とか空中で身を捻ってゼロの方へ銃口を向ける。跳躍の最中では照準も満足に付けられなかったが、それでも勘を働かせて無理矢理狙いを付ける。


(当たって……!)


 セシリアが引鉄を引くのと、ゼロがその場から一歩下がるのはほぼ同時。


 連続した三つの紫弾が虚空を切り裂き、闇に呑まれて消えていく。


「くぅ……!」


 無情な結果に歯噛みする間も無く、地面に肩から接触。慣性の法則で少し滑りつつ、頭部を庇って転がりながら急いで体勢を立て直す。そこにいつの間にか再び接近してきたゼロが合わせるように巨剣を横薙ぎに振るって来るのが見えて、吐き出しかけていた息を慌てて呑み込む羽目になった。


 咄嗟に双銃を交差して、盾に。真っ向から受け止めるつもりは無く、自ら跳んで衝撃を吸収するのが狙いだ。


 とは言え、ゼロの得物はセシリアの物より遥かに大きく、更に言えば本体の膂力も桁違いである。


 多少のダメージは覚悟して、最後の瞬間に小さく深呼吸を一つ。


 ギザギザの黒刃が分厚い銃身に触れたのは、次の瞬間の事だった。


「……ぅあ……ッ!?」


 金属独特のゾクゾクする様な絶叫。それに紛れて、メキ、と自分の両腕が悲鳴を上げるのを聞いた。


「馬鹿が」


 気が付いた時には、横向きに猛烈な勢いで吹っ飛ばされ、何が何だか分からなくなっていた。体勢を立て直す暇も無くコンテナに身体を強か(したたか)にぶつけ、息が詰まる。


 「……痛……ッ……」


 多少どころじゃない。大ダメージだ。


 痛みのせいだろう、一瞬体から力が抜けて、思うように動かない。


 それでも歯を喰い縛り、横に向かって身を投げ出す。


 一拍遅れて、闇の帳を突き破ってきたゼロが、セシリアが今まで身を預けていたコンテナを勢い良く刺し貫くのが見えた。


(うわ……)


 鋼鉄を易々と貫いた凶悪な刀身に血の気が引くのを感じつつ、急いで跳ね起きて体勢を立て直す。


 深々と突き刺さったギザギザの刀身が、鋼鉄の咀嚼音を響かせながらコンテナから引き抜かれるのは、その直後の事だった。


「──!!」


 ギョロリと紅い尾を引く相手の双眸。本能的な恐怖を感じ、反射的に二つの銃口を相手に向けて、間髪入れずに引鉄を引く。


 一回、二回、三回、四回。二発同時の轟音が暗闇の中に連続して響き渡り、マズルフラッシュが周辺を一瞬だけ照らし出す。


 高速で放たれた合計八発の魔力弾は、しかし、何の意味も成さなかった。


「……何だお前?」


 ガン、と鋼鉄がコンクリに突き刺さる音。黒い獣の上顎が相手の前に深々と突き立てられ、持ち主の姿を完全に隠す。


 一拍遅れて紫の魔弾が喰らいつくが、分厚い刀身の腹によって弾かれてしまい、全て虚しく散ってしまうのが見えた。


「まさかコレで戦ってるとか言うつもりか?」


 ダン、と恐らくは勢い良く床を蹴り付ける音。次いで渇いた破裂音のような盛大な音を立てて、巨剣が突き立てられている場所から破片が飛び散る。


 但し、引き抜かれた訳ではない。相変わらず床に刺さったままだ。


 突き刺さって鉄壁の盾となったまま、それは初めの一瞬はゆっくりと、次の瞬間に急加速して、猛烈な勢いでセシリアに向かって突進してくる。


 体当たりだ、と直感した。あれなら此方の銃撃は一切受け付けずに、一方的に攻撃出来る。


 ついでに言えば相手の剛力。捉えられようものならセシリアは木の葉のように跳ね飛ばされて、勝敗は決するに違いない。


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Black Requiem ~For the girl~ 罵論≪バロン≫ @nightman

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