交錯夜葬曲⑦
○ ● ◎
レンはゼロからレンと呼ばれるようになった。どうしてゼロがレンをレンと呼ぶようになったのかレンには分からないし、言葉を上手く喋る事が出来ないレンにはその理由を聞くことは出来ないけれど、とにかくレンはゼロからそう呼ばれる限りはずっと“レン”だ。そう決めている。
ゼロと一緒にいるようになって、レンは色々と覚えるべき事が増えた。誰かから盗むのではなく、“買う”事で食べ物を手に入れる方法。正直なお店と、嘘吐きなお店の見分け方。安全な
中でもレンが一番熱心に覚えたいと思っているのが、『仲間と一緒』の立ち回り方だ。例えば今みたいに、一旦
今回は、初めての実践だった。レンが嫌いな“黒い服”を着た人間。ゼロが言うにはシュゴキシとかいう名前らしいが、とにかく彼女はレンとゼロを追い掛けて来る怖いヒトなのだ。レンとゼロは二手に分かれてシュゴキシを撹乱し、撒いた所で決められた場所に向かい、合流する。今回はレンではなく、ゼロがシュゴキシに追い掛けられているみたいだが、取り敢えず油断は出来ない。例え見えなくても、絶対に油断するなと言うのがゼロの教えだ。後ろから追い掛けられているつもりで、レンは全力でその場から逃げる。
ゼロの教え、その一。狭くて入り組んだ道は、積極的に活用すべし。
レンは小さい。そしてゼロ曰く、狭くて入り組んだ袋小路の中を駆け抜けるのはかなり上手いらしい。追手がレンよりも大きい時は、先ずはそのような袋小路に入り、細かく道を変えて逃げる事で、追手を撒ける確率はグンと高まるとゼロはレンに教えてくれた。幸い、此処も裏路地が複雑に入り組んだ袋小路だ。単に薄汚れた石畳だけでなく、時には狭い間隔の建物と建物の壁を蹴り、逃げるルートの高低差を作るのは、練習の時にやってみるとゼロからとても褒められた手法だった。
ゼロの教え、その二。時には人混みも活用すべし。
ある程度裏路地を駆け抜けた所で、レンはシュゴキシと出会った通りとはまた別の、ヒト通りの多い大きな道に出た。ゼロと出会う以前のレンだったら、迷わず引き返して別の道を探していただろう(だって、どういう訳かこういう所のヒトビトは、レンよりも追跡者の言う事を聞くからだ!)が、今のレンは迷わず、ヒトの流れの中に飛び込んだ。小さな体躯と四つん這いで走る姿勢を活かしてヒトビトの足下を縫うように走り、ヒトビトの群れの中に完璧に紛れて、シュゴキシの追跡を振り切りに掛かる。時折、レンが足下を駆け抜けた際に悲鳴やら驚いた声やらを上げたヒトも居たが、本来は彼等のような者も出してはいけないらしい。ゼロ曰く、その悲鳴の連鎖を頼りに追い掛けて来るようなカンの良いヤツも居るのだとか。
とは言え、今回はそんな心配は無さそうだけれど。ヒト通りの騒がしさはいつものそれで、蜂の巣を突いてしまった時のような嫌な騒がしさはない。仮に追跡者がレンと同じヒト混みの中に入ってくれば、程度の差はあれ騒がしさの質は変わってくるから、やはりあのシュゴキシはレンではなくゼロを追い掛けていったのだろう。
「……」
ゼロは大丈夫だろうか。彼の強さは勿論知ってるけれど、相手はあのシュゴキシだ。やっぱり、どうしても心配してしまう。
でも、その心配がダメだったらしい。
目の前の事に集中しないまま、レンはヒトの多い通りから外れ、裏路地ではないけれど今までに比べれば細くてヒトも少ない脇道へと入った。そこはレンとゼロが最初にシュゴキシと出会ってしまった場所に繋がる道であり、いざという時にゼロと合流すると決めている場所へ向かう為の道だった。追跡者が居ないレンはその道を抜けて合流地点へ向かえば良いだけだったのだが、脇道に入った瞬間、レンは脇道から出ようとしていた誰かの足に、正面から衝突してしまったのだ。
「……!?」
「おや」
バラバラと何かが撒かれる音。尻餅をついてしまったレンの目に映ったのは、色取り取りの小さな包みだった。飴玉だとすぐに理解出来たのは、ゼロに同じものを買って貰った事があるからだ。
どうやらレンがぶつかってしまったヒトは、飴玉が沢山入った籠を持っていたらしい。レンとぶつかって、驚いた拍子に落としてしまったのか。ゼロと出会う以前の体験を思い出し、飛んでくるであろう罵声に備えて全身を緊張させたレンだったが、予想に反してそんな事にはならなかった。尻餅を着いて視点が低くなったレンの目の前で、黒くて長いスカートの裾がフワリと揺れる。
「――これは失礼を致しました。お怪我はありませんか?」
物凄く静かな人だった。
硝子玉のような緑色の目に、怒ってもいなければ笑ってもいない透明な表情。まるで金色の糸のような長い金髪は、街の様々な光を反射して、淡く七色に輝いている。彼女が着ている黒い服は、よくよく見れば所々に同じ黒い色で刺繍とかが入っていて綺麗なのだが、なんだろう、全体的な雰囲気では不気味というか不吉というか、とにかく何だか近寄りがたい感じがする。
物凄く綺麗なヒト。けれども本当は、“ヒト”ではない何かのような。
初めて出会うタイプのヒトを前にレンが思わず硬直している間に、彼女はその場にしゃがみ込んだ。散らばった飴玉を拾い集めるのだと気付いて、レンも慌ててそれを手伝い始める。
「感謝いたします」
手際よく飴玉を拾い集める手は止めないまま、女のヒトがそんな事を言ってくる。けれど、その声色には色が無い。冷たい訳でもなく、心の中とは別の事を言っている訳でもない。ただ、読めないのだ。
やがて飴玉を全て拾い終わり、女のヒトが立ち上がる。レンもそれに倣って立ち上がる間、女のヒトは硝子玉の瞳でレンをじいっと見下ろしていた。色が無いから、レンはその視線の意味が分からない。悪意や害意を感じ取れないのに怖いと感じるのは初めてだ。でも害意や悪意を感じる訳ではないから、レンにはどうすれば良いのか分からなかった。
「こちらを。皆と仲良く分け合うように、とマスターから言付かっております」
その間に、女のヒトは両腕をレンに向かって伸ばしてきた。その手には、例の飴玉が沢山入った籠が握られている。レンが思わずそれを受け取ると、女のヒトは、まるでレンが偉いヒトであるかのように丁寧なお辞儀をして見せた。
「それでは、失礼致します」
ただそれだけ。それ以上その女のヒトは何かを言うことも無かったし、そもそもそれ以上その場に留まる事も無かった。彼女はお辞儀を終えると同時にしずしずと歩き出し、裏路地から大通りに出て行ってしまう。溶けるように人混みの中へ消えて、それきりレンには見付けらない何処かへ行ってしまった。
「……?」
女のヒトが消えていった方向を暫く呆然と見つめ、それからレンはハッと我に返って両手で持った飴玉の籠に視線を落とす。もしかしたら夢幻の如く消えているかもしれないとも思ったが、別にそんな事は無かった。色とりどりの包み紙にくるまれた、ふっくら丸い粒達は、まるで宝石のようである。つい受け取ってしまったが、貰ってもよかったのだろうか。そんな事を考えて首を傾げながらレンは、再び女のヒトが消えた方角に目を遣った。そんな事をしても、当然女のヒトは見付からなかったけれど。
「……」
取り敢えず、歩き出す。ゼロはもうシュゴキシを撒いて指定の場所へ着いているかもしれない。あんまり遅いと、ゼロにガッカリされてしまう。それだけは避けたかった。
「あゥ……」
ちょっと歩いてから、レンは飴玉の籠に視線を落とした。それはレンからすれば結構大きく、いざという時に本気で走れない。そうでなくとも歩きにくいから、捨てるべきなのかもしれない。
折角歩き出したのに再び止まってしまい、レンは暫く手の中の籠をどうするか逡巡してしまう。色とりどりの包み紙にくるまれた、ふっくら丸い粒達は、やっぱり宝石のようだった。
「……」
結局レンは飴玉の籠を抱えるように持ったまま、合流場所を目指して暗い裏路地を歩き始めたのだった。
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