交錯夜葬曲⑤

 ○ ● ◎



 ポセイドンにおいて、下層は上層よりも夜の足が早い。上層ではまだ夕日が眩しい時間帯でも、下層は既にあちこちが夜のように暗くなっている。


 けれど、下層の中でも外周部に当たる区画だけは、その限りではない。上層から降りてくる柱や外壁、半ば海に沈んだ状態になっている下層を海水から守る為の防御壁の所為で完全とは言い難いが、下層中央に比べれば朝日や夕陽も、空の機嫌も、それらの壁の隙間から良く見える。


 セシリアが通常の帰宅ルートから外れて“唄歌い通り”をぶらついているのも、下層中心では中々見られない夕陽を眺めたくなったからだった。旧海港区の一部である、古い倉庫街の一画。嘗ては積荷を工業区へ届けたり、逆に工業区で作ったものを一時的に保管しておく為に使われていた道は、今は夕陽を楽しむ事が出来る遊歩道として有名になっている。ジョギングや、ウォーキング。セシリアと同じく景色を見る為だったり、或いはデートの為だったり。とにかく集まってくるヒトビトは多くて、そして多彩だ。そんな彼等に自分達の歌を聴いて貰う為だろう、この遊歩道にはよく、一定の間隔で路上ミュージシャン達が並んでいる。そんな光景にちなんで、何時しか付けられた渾名が“唄歌い通り”だった。


 海乙女の憩い場ネレイド・スクエアや、ゼロと出会った屋台村のように、ヒトがごった返している訳ではないけれど、それでも結構な頻度で通行人とすれ違う程度にはヒト通りが多いこの場所で、セシリアは特に目的も無く、夕陽を浴びるようにゆっくりと歩いていた。考え事をしたり、或いは単純に何も考えずにボンヤリしたい時にこの場所を散歩するのは、魔導学院アカデミー時代からの習慣だ。元々は魔導学院アカデミーに入学して最初に出来た友人から教えて貰った気分転換の方法だが、セシリアはこの方法をとても気に入っている。友人達より一足早く卒業し、社会人になった今でも(或いは、今だからこそ、なのかもしれない)セシリアは夕暮れの時間にこの場所を度々歩いている。


 「……お」


 何度かこの通りを歩いていれば、それなりにミュージシャン達の顔や、その歌声もそれなりに覚えてくる。行く先に歩道を塞がんばかりのヒトだかりが出来ているのを見付け、更にその中心から聞き覚えのある歌声が響いてくるのを聞いて、セシリアは自然と足を止めた。何の伴奏も伴わず、ただ一人で、夕日を背景に空に向かって歌い上げる、水晶を思わせるような透き通った声。それは夕陽の光を透かしてキラキラと光り輝きながら空に向かって伸び上がっていき、けれど上層の基盤に阻まれて空に届く事は無い。霧散してキラキラと輝きながら、夕陽に融けるように消えていく。そんな歌声だ。


(アリルイヤさんだ……相変わらず凄い人気)


 ヒト集りの中心。恐らくは壇上に登っているからだろうが、ヒト集りより頭二つ分程抜けている人物が居る。大まかには人間に似ているが、その白っぽい灰色の髪は、人間の髪というよりは鳥の羽毛に近い。今のセシリアの位置からではヒトの壁に阻まれて見えないが、仮に彼女が両手を上げれば、それが人間の腕ではなく大きな翼である事が確認出来るだろう。


 ハーピー、若しくはハルピュイヤと呼ばれる種族である彼女アリルイヤは、この唄歌い通りでは最も注目されている存在だった。思わず聞き惚れてしまう透き通るような声質に、繊細さと力強さを巧みに使い分ける歌唱力。常に顔に浮かべている何処か物憂げにも見える無表情に、「アリルイヤ」と言う名前以外は一切不明なミステリアスな背景バックボーン、ついでに若くて華奢な美少女と来れば、注目されるのは必然だろう。セシリア自身、彼女が歌っているのを見掛ければ、思わず足を止めて歌に耳を傾けてしまうくらい、彼女の歌が好きだった。


「……」


 アリルイヤの歌に耳を傾けながら、セシリアは何とはなしに、自分と同じくアリルイヤの歌に聴き惚れている集団を眺める。ポセイドンは種族の坩堝だ。こうしてやや離れた所から眺めるだけでも、様々な種族を見付ける事が出来る。セシリアと同じ人間族に、鱗を持った半魚人。人間に見えるが、肌の色が妙に青白くて目が赤い彼は吸血鬼だろうか。別の所では大きな岩人ノームの足の隙間からヒト集りの前の方へ潜り込んでいこうとしている小さな人猫族ケット・シーの姿も見えるし、その更に後方、歌に聴き惚れているのか瞑目して身体を微かに揺らしている銀の髪と獣耳、フサフサした尻尾を持った獣人の子供の姿も見える。


「……!?」


 我ながらお手本のような二度見をしてしまったセシリアだった。一瞬視線を素通りさせ掛けたが、その子供のシルエットには見覚えがあったからだ。


 銀の髪と獣耳、フサフサした尻尾。今は瞑目しているから見えないが、セシリアの予想が正しければ、その双眸は黄金色である筈だ。


 そう、あの子だ。数日前、セシリアがゼロと出会った時、最後の最後でゼロを助けにやって来た亜人の少女。


 もしかして、と思う前にセシリアの両足は動き出していて、”彼女”との距離を詰めていた。近付いている最中に気付かれるかもしれないという不安はあったが、幸い彼女は瞑目したままで、セシリアの接近に気付く様子は無かった。或いは、アリルイヤの歌声に聞き惚れていたのかもしれない。


「あの」


 亜人の少女は、アリルイヤが歌っている所からは最も離れた、歩道の反対側に居た。建物の壁際に積み上げられた何かの木箱の内の一つに腰掛けて、アリルイヤの歌声のテンポに合わせるように身体を微かに揺すっている。セシリアが声を掛けても、最初は全然気が付く様子が無かった。少しだけ待ってから、セシリアは今度はやや声量を大きくして、もう一度声を掛けてみた。


「えっと……あの?」


「!?」


 今度は反応があった。


 少女は弾かれたように両目を開き、殆ど転がり落ちるように木箱から降りる。と言うか、驚いて跳び上がった拍子にバランスを崩し、文字通り木箱の上から転がり落ちたようにセシリアには見えた。猫のような身体能力で身体を捻り、手足全部を使って地面の上に着地。そこで彼女は初めてセシリアの姿をマトモに捉え、遠慮がちに威嚇するみたいに奇妙な唸り声を上げた。


「……るる」


 初めて会った時からそうだったが、この子はどうしてこんなにセシリアを警戒するのだろうか。セシリア自身がこの子を傷付けようなんて思ったことは勿論無いし、脅えさせるような事をした覚えも特に無い。自慢じゃない(ならない)が、セシリアは威厳や風格なんてモノとは無縁なのである。知らず知らずの内に脅えられていた……なんて事も考えにくい。少なくとも、セシリアはそう思う。


「そんなに警戒しないで下さいよぅ……私、何もしたりしませんから。ね……?」


 尻尾の毛を膨らませ、本物の獣宜しく四つん這いのまま全身の筋肉を緊張させているその様を見る限り、少女はちょっとでも対応を間違えたら即その場から逃げ出してしまいそうに見えた。先程木箱が木箱の山が崩れた音に釣られた何人かの視線に余計緊張を煽られながら、セシリアはどうすれば少女の警戒を解けるか必死に考える。


 ……と。





 忘れたくても忘れられない声が、それを邪魔した。


「どうした。音楽鑑賞はもう良いのか?」


 飄々としていて、何処かヒトをバカにしているように聞こえる声。セシリアの記憶の中では確かにそうなのだが、今聞こえる彼の声は、何だか少し優しいような気がした。


「あんまり派手に動き回んな。厄介事ってのは目立つ奴が好きなんだ。目立つ事してれば、その内要らん面倒を呼ぶ――」


 近くで買って来たのだろうか。が手にしている小さな紙袋からは、何やら美味しそうな匂いが漂ってくる。何が入っているかにもよるけれど、二人分は入っていそうだ。


 何だか随分仲が良さそうだな、とか。もしかしてやっぱりは最初からグルだったんじゃないか、とか。セシリアが様々な思いを頭の中で巡らせている間に、遂には視線を上げて、漸くセシリアの存在に気付いた。


「あ」


 獣の毛皮を思わせる、ボサボサな赤銅色の髪。同じ色の赤銅色の双眸は不機嫌そうに細められ、口元はふて腐れたようにひん曲げられている。服装は相変わらずのファー付きの黒いコートで、夜はともかく、夕暮れや昼間の光の中では結構目立つ。


 ゼロ。セシリアにとっては、忘れるに忘れられない言葉を残していった男。セシリアの印象の中ではヒトを喰ったような余裕な態度が強く残っているが、今は何処となく不機嫌そうな、或いは嫌そうな雰囲気が前面に押し出されている。


 理由は、想像に難くないけれど。


「既に呼んだ後かよ……」


「どうも。厄介事です」


 ほら来た。正直予想は出来ていたけれど、全くなんて言い草だ。


 セシリアが皮肉たっぷりに返してやると、ゼロは一瞬、驚いたように目を見開いた。セシリアが皮肉や厭味の類を返してくるとは思っていなかったのだろうか。だとしたら、随分と買い被られたものだ。やられっぱなしで泣き寝入り出来る程、セシリアは人間が出来ている訳では無い。


「音楽鑑賞ですか。意外に落ち着いた趣味をお持ちですね」


「そうだな。意外に大人びた奴だった」


 ひょい、とゼロが視線を下げる。その間に、亜人の少女はセシリアを視界の中に収めたままジリジリと後退り、やがてスルリと滑り込むようにゼロの背後に隠れてしまう。大した懐きっぷりだった。


「……仲、良いんですね。“レン”さんでしたか?」


「俺が勝手にそう呼んでるだけだ。本当の名前は知らねぇな」


「……?」


 なんだかちょっと、変な会話だ。勝手に呼んでるとか、本当の名前は知らないとか、そんなの。もしかして、彼女は今時珍しく共通語を知らない、未開拓圏から来た種族なのだろうか。けれど、ゼロの背後から顔だけ覗かせている彼女レンを見ている限りだと、今のセシリアとゼロの会話をちゃんと把握しているように見える。無表情を崩さない相手だからセシリアもしっかりとした確信があるわけではないのだが、会話を理解していない者は、もっとこう、所作や雰囲気がフワフワすると言うか、分かっていないが故の迷いや曖昧さが出るというか、とにかくそんな感じになると思うのである。


「で、テメェは俺達に何の用だ?」


 セシリアの視線から逃れるように、レンはひょいとゼロの後ろに頭を引っ込めてしまった。ゼロにはあんなに懐いているのに、どうしてセシリアにはあんな態度なんだろう。


 ……懐く、懐かないの問題の前に、何だか物凄く警戒されているみたいだった。


「見たとこ、今は勤務外みたいだが。それでもいっちょ、この前の続きと洒落込むか?」


「……」


 セシリアとゼロの間にある、緊迫した空気を感じたのだろうか。アリルイヤの聴衆で、セシリア達の近くに居る者達の中には、アリルイヤではなくセシリア達の方をチラチラと気にし始める者達も現われていた。


 ゼロが素直に言う事を聞いてくれるとは思えない。仮にセシリアが屯所に引っ立てようとしても、周りの状況など一切気にしないで抵抗してくるのは目に見えている。流石に、こんな所で騒ぎを起こすのはセシリアとしても避けたい所だ。


 さて、どうするべきか。


 ゼロから視線は外さないままセシリアが思案していた、その時だった。


「……!?」


 唐突に、ゼロが弾かれたように視線を巡らせた。そのあまりに鬼気迫った様子に、一体何事かとセシリアもゼロと同じ方向に視線を向ける。


 実を言えば、ある種の予感のようなモノはあった。と言うのもゼロが視線を向けた先は丁度アリルイヤが歌っている方向であり、アリルイヤは過去に一度歌っている最中に“熱狂的なファン”に襲われた事があったからだ。それはたまたまセシリアも友人と一緒にアリルイヤの歌を聴いていた時で、暴れる“熱狂的なファン”の意味不明なわめき声やら、それを数人掛かりで取り押さえる周囲の聴衆達の怒号やらで、ひどく恐ろしい思いをしたのを覚えている。


(まさか……――)


 あの時は何も出来なかったし、それでも別に良かった。だってあの時のセシリアは、ただの学生に過ぎなかったのだから。けれど、今は違う。あんな事が起こったら、セシリアはいの一番に飛び込んでいかなくてはならない。


 そんな風に半ば気負いながら視線を巡らせたものだから、アリルイヤが相も変わらずのびのびとその歌声を披露しているその様を見た時、セシリアは強烈な肩透かしを喰らったような気分になった。かつて見た阿鼻叫喚の光景は、欠片も見受けられない。いつも通りの、平和そのものな光景だ。


「あの、今のは……?」


 これを拍子抜けと言わないで何というのか。しかしそれなら、ゼロは一体に反応して視線を巡らせたのか。それを確認する為に、セシリアはゼロの方に視線を戻す。


「……!?」


 瞬間、セシリアは固まってしまった。そこに今の今まで居た筈のゼロとレンの姿が、影も形も無くなっていたからだ。


「……ああ」


 妙に凪いだ気分の中、セシリアは、自分が再び騙された事に気が付いた。前回の偉そうなご高説と言い、今回の何かに気付いたような視線と言い、ゼロの流れるように嘘を吐くその様には本当に感心させられる。


 今回もあっさり騙されたセシリアを見て、彼は何を思ったのだろうか。今回も騙されてくれた、儲けものだとほくそ笑んでいたのだろうか。それともやはりコイツは扱い易くて馬鹿なヤツだと、内心で嘲笑っていたのだろうか。


「……ふふ」


 なんにせよ、セシリアはもう乾いた笑いしか出て来なかった。騙された事自体は別に今回が初めてじゃないし、そもそも騙された自分に警戒心が足りなかった事くらいは自覚している。「騙される方が悪い」なんて慈悲の欠片も無い言葉を肯定するつもりは無いが、ゼロがそんな事を平気で言いそうな人種だと言う事は、分かっていた筈なのに。

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