交錯夜想曲③
黒、と言うのは魔術師達が使う術式の分類の略称であり、正しくは黒式と言う。主に物質やエネルギーを扱う系統であり、主に生体に干渉し医療関係に大きな影響を及ぼしている白式とは双璧を成している、言わば術式の王道中の王道である。一般的に”術式”と言う単語を聞けば、魔力の無い、若しくは術式にそう関わりの無い一般人は、先ずはこの系統の術式をボンヤリと思い浮かべる事だろう。
しかし、物質やエネルギーを操る系統だからこそ、この術式には問題がある。言うまでも無く、使い方次第では簡単にヒトを傷付ける事が出来るようになる、という点である。国、都市、自治体毎にその対策は様々であるが、ポセイドンでは魔導具の目的から外れた使用法、或いは攻撃そのものを目的とした魔導具の使用を法で禁じている。
具体的に言えば、ストレンジャーが今手掛けている魔導具――一振りのサバイバルナイフだ。ストレンジャーが刀身に彫っている式文を見る限り、ナイフの刃を媒介に氷の刀身を生み出す感じにしたいようだ――は、明らかにポセイドンの法に反しているという事だ。新人であるとは言え、守護騎士であるセシリアにその事を指摘されれば、ストレンジャーはしらばっくれるなり喚き散らすなり、それ相応の態度を取るに違いない。少なくともセシリアはそうなる事を覚悟して、予め奥歯を噛み締めて怒声と剣幕に耐える準備をしていた。
……が、
「だったら何だ、え? お嬢ちゃん?」
ストレンジャーは再び弄り出した
「世の中がルールだけで回ってると思ってんなら大間違いだぜ。そんなモンを律儀に守ってんのはな、バカと間抜けと弱者くらいなもんだ」
「……!」
昨日までのセシリアなら、咄嗟に何か言い返していたのかもしれない。法や規律は必要なモノだとセシリアは思っているし、そもそもそんな気質でなければ守護騎士なんかになっていない。実際この時も、反論が喉元まで迫り上がり、口を衝いて飛び出しそうになった。
けれどその瞬間、脳裏に蘇ったのだ。昨日の夕方、薄暗い裏路地で、救いようのない愚か者を見る目で此方を見詰めていた、赤銅色の昏く凪いだ双眸を。
――”『ひもじい』ってのがどんなものか、お前知ってるか?”
――”中身が詰まってねぇんだよな。フラフラしてばかりで、テメェが掲げる正義ってもんが見受けられねぇ”
「……」
五月蠅い。
頭の中に蘇った”彼”の言葉を力尽くで捻じ伏せる為、セシリアはその場で瞑目する。
どんなにそれっぽい事を言ったとしても、所詮は口から出るに任せただけの出任せの言葉だ。その言葉を宣った後の”彼”の行動が、何よりその事を物語っている。セシリアがあの言葉を気にする必要なんてないし、ましてや縛られるなんて事はあってはならない。
全然気にしてない。全然、全く、これっぽっちも気にしていない。
気にしてないったら。
「……セシリア?」
「!? はい何でしょうか!? 私は全然気にしていませんよ!!」
「そ、そうか。なら良いんだが」
「……あ、いや違、今のは違くて――!」
気かが付けば、物思いに耽る形になってしまっていたセシリアだった。ヨグからすれば意味不明であろう事を返してしまい、慌てて弁解に走ったが後の祭りだ。そもそも弁解がマトモな弁解になっておらず、セシリア自身その事は自覚していたから言葉そのものも上手く繋がらず、要するに醜態を晒しただけに終わってしまった。
「ケケ」
バカにした風でもなく、純粋に面白いと言った体でストレンジャーが笑うのが聞こえた。
「なんだコイツ、おもしれーな」
「とにかく、話を進めるぞ」
強引に話題に変えるという目的もあったのだろう。ヨグは守護騎士の制服のポケットから何かを取り出し、それをストレンジャーに向けて放った。山なりの軌道を描いて飛んだそれを器用に片手で掴み取り、ストレンジャーはそれをマジマジと見詰める。
「おお。こりゃダグラスに売ってやった指輪だな。あの業突張り、そういや死んだって?」
「知っているなら話は早い。その指輪を売った時、ダグラスは何か言ってなかったか? 他にも、知っている事があるなら残さず教えて貰おうか」
「さてね。なにしろあんな奴だろ。敵は内にも外にも数え切れないくらいいただろうからな」
ここまで来れば、セシリアにも何となく、ストレンジャーが何者なのか察する事が出来た。
違法な商品を取り扱っている工房。その主にわざわざセシリアを紹介したと言う事は、これからも顔を合わせる機会があるという事。ただ、ヨグの最初の脅すような言葉から察するに、仲が良いと言う訳ではない。寧ろ、何だかんだで
多分、ストレンジャーは情報屋でもあるのだ。
「ただの護身用だと?」
「そうなんじゃねぇの? 調べたんならお前らも見ただろ。アイツが身に付けてたアクセサリー、ありゃ殆どウチの商品だ。生き残る成り上がりってのは皆慎重なモンだが、アイツはそれを通り越して臆病だったからな」
「――……それにしても、あれはちょっと異常です」
守護騎士の在り方について考えてみるのは後にするべきだろう。セシリアが今それをしてしまうと、多分話が進まない。
だからセシリアは、敢えてヨグとストレンジャーの話題に乗っかった。ヨグが意外そうに目を丸くしてセシリアの方に顔を向けたが、セシリアは気付かなかったフリをして言葉を続ける。
「”閃槍”だけじゃありません。”灼卵”、”牙風”、”剣爛”もありましたよね。みんな、完全に魔獣とかを殺傷するために考案された術式です。もしもヒトを対象にしたものなら、こんなラインナップにはならないと思います」
「単に、本人がそういう趣味だったってだけじゃねーの? ほら居るだろ? ゲームとかでよ、すーぐ威力の高いバズーカだのミサイルだの使いたがる奴」
「……えっと」
ゲームの話は、正直セシリアには分からない。だからストレンジャーの喩えが今ひとつピンと来なくて、セシリアは不覚にも言葉に詰まってしまった。そういう趣味って、つまりどんな趣味なんだろうか。
そんなセシリアの言葉を引き継いでくれたのは、やっぱりヨグだった。
「俺は術式の事は良く分からんが、報告書に目を通した感じだと、ダグラスが所有していた魔導具は、半分が人間どころか魔獣狩りに持ち出されるような高威力のものだったらしいな。確かにコイツは妙だ。鳥を捌くのに牛刀を用いる奴なんて居ない」
「料理の知識を持ってる奴ならそうかもな。だが素人ってんなら話は違う。奴らは火が出るなら何でもいいやってんで火炎放射器で鳥を炙るぞ。ダグラスもその類の莫迦だった。だから魔力を持ってんのに自前の術式は使わなかったんだな」
そう言って、ストレンジャーは椅子の背もたれに身を預けながらケラケラと笑った。
セシリアからすれば、ダグラス・ダラスは父の知り合いだと言うだけで、特別に深い面識がある訳でも何でもない。彼が善人ではなかったという話もあちこちで聞いた。
だがそれでも、ストレンジャーのように死者を嗤う者の心情はあまり理解出来なかった。だからセシリアは反応に困って口を噤んでいたし、ヨグはヨグで黙ったままだった。結局笑い声を上げていたのはストレンジャー一人で、そんな状態だと流石のストレンジャーも多少居心地悪く感じたようだ。彼の笑い声はその内尻すぼみになり、やがて舌打ちと共に完全に消えた。
「……何だよ、辛気臭ぇな」
「それで?」
舌打ちも毒吐きも聞こえなかったように、ヨグが話の続きを促す。
「他には何か無いか? 例えば、そうだな。ダグラスはいつからお前の所で攻撃系の魔導具を購入するようになった、とか。購入する魔導具の傾向が、何処かで変わったりしなかったか、とか」
「ああ? んなモンいきなり言われても分かるかよ。アイツは二年前にやって来て以来、ずーっと攻撃式の魔導具しか頼んでこなかったぞ。最近はちったぁ落ち着いてたが、最初の頃は威力威力とにかく威力っつってうるせぇくらいだったな」
「……とにかく威力、ね……」
何かを考え込むように、黙り込んでしまったヨグ。もしかしたら早速何らかの仮説を立てたのかもしれないとセシリアは思ったが、彼は直ぐさま思考の海から戻って来た。
「分かった。今日の所はこれで引き上げる。何か思い出したら連絡しろ」
「へいへい」
ストレンジャ-の返事はあまり誠実さが込められているようには思えなかったが、ヨグはその事をあまり気にしていないようだった。あっさりと踵を返し、さっさと工房の出口へ向かい始める。もう少し色々話したりするだろうと漠然と思っていたセシリアだったから、あっさり退いたヨグの行動には些か拍子抜けというか、虚を衝かれる形となってしまった。なんとなく歩き出すタイミングを逃してしまい、その場に置いて行かれる形となってしまう。
「あ……」
殆ど何も聞き出せていないようなのに、こんなあっさり退いてしまっていいのか。もっと何か、聞いたり調べたりしなくてはならない事があるんじゃないだろうか。
そんな思いに囚われ、ヨグの背中にストレンジャーの顔にと視線を右往左往させてしまうセシリアだった。が、元々セシリアはヨグにくっついて来ただけだ。今日会ったばかりでストレンジャーの事は何も知らないし、捜査に関して明確な目的がある訳でもない。ヨグが退くと決めたなら、それに従う他ない。
そんな訳で、一拍遅れてヨグに続こうとしたセシリアだったが、
「おい、嬢ちゃん」
「!?」
何故かそこで、ストレンジャーから呼び止められた。
「は、はい!? なんでしょうか!!?」
「別に取って食いやしねぇよ。つか一々ビビってんじゃねぇ。それより……――」
ストレンジャーは、作業台から目も上げていない。黙々とナイフの刀身に術式の式分を彫り込みながら、感情がいまいち読めない静かな声で言葉を続けてくる。
「お前、アレだろ。二年前、急にファングバイト家から存在を公表された“大天才”って奴だろ?」
「……はい、まぁ……」
「オード・ファングバイトの噂はあちこちで聞いてるぜ。人間の、それも”貴族”のくせに人格者なんだってな。なのにお前は、二年前までは存在自体を隠されてたんだよな?」
「……」
「何でだ?」
「さぁ。父には父の考えがあるんだと思います」
「……ふぅん」
ストレンジャーはナイフから顔を上げ、探るような視線でセシリアをジッと見つめる。セシリアは唇を真一文字に引き結び、意地でも視線を合わせてやるかとばかりに顔を背ける。何でも無いような、けれど何処か張り詰めているような沈黙が、二人の間に降りていた。時間にすればそんな経っていなかったのかもしれないが、少なくともセシリアには、異様に長く重苦しく感じられた一時だった。
「おい、まだか」
入口から聞こえてきたヨグの声が、呪縛のような時間を破るキッカケとなった。その声が聞こえた瞬間、セシリアはストレンジャーと視線を合わせないまま、素早くその場で頭を下げる。
「……すみません。失礼します」
「おう。ま、これから仲良くしようぜ」
さっきまでの雰囲気が嘘だったかのように、ケラケラと笑う軽薄な声を、セシリアは背中で聞いていた。ストレンジャーの返事を待たずに踵を返し、足の踏み場が殆ど無い工房の床の上を小走りに駆け抜けて、入口で待ってくれていたヨグの所へ向かう。
「どうした?」とそれくらいの事は聞かれるかと思ったが、ヨグはセシリアの顔を一瞥しただけで何も聞かなかった。それどころかその場を避けてセシリアの為に道を空けて、先に工房から出してくれた。
「何か、言われたか?」
ヨグが口を開いたのは、少し歩いてストレンジャ-の工房から距離が開いた後の事だった。答えるか否かを迷ってしまった為、若干の空白が生まれてしまったが、「何も無い」と言った所で直ぐに嘘だとバレてしまうのは目に見えている。少なくともセシリアは、ヨグが声を掛けてくる程度には長く、あの場に残ってしまっていたのだから。
「……家の事について、少し」
「む」
セシリアと並んで歩きながら唸ったヨグの声は、驚いたと言うか、どこか意外そうな響きを含んでいた。
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