交錯夜想曲②
○ ● ◎
工房、と言うよりは古い集合住宅の一室にしか見えなかった。
ポセイドンは階層都市であり、半ば波の下に呑まれている下層の下には、完全に水の下に沈んでいる底層が存在する。鉄と蒸気が栄華を誇った時代よりも、更に前の時代に出来上がり、現在の下層の踏み台となって消えていった街並み。底層は光の届かない掃き溜まりだとよく言われているが、この区画はそんな掃き溜まりの入口だ。無闇に乱立し、秩序も計画性も何も無く改造・建て増しされた集合住宅やその他建物は、混沌そのものと言っても過言ではないだろう。
セシリアがやって来ていたのは、そんな混沌の街に立つ集合住宅の内の一つだった。いや、“一つ”という表現は適切ではないかもしれない。この辺りの建物はどれもこれもが好き勝手に改装に改装を重ねられた結果、全ての建物が融合した一つの超巨大な建物のようになっているのだから。
只の集合住宅の一室である筈の扉が、妖しく彩られた奇妙な店の扉に改造されている。扉どころか壁までぶち抜いた肉屋らしき食料店もあれば、その隣には何の変哲も無い只の集合住宅の扉が普通に並んでいたりする。セシリアを此処まで連れてきたヨグが足を止めたのも、そんな普通に見える一室の前だった。
「あの……」
「ん?」
下層や上層に比べれば歩くヒトの絶対数は少ないが、ヒト通りそのものが少ない訳ではない。狭く、閉鎖的な通路の所為で人口密度は却って高く感じられるくらいで、故に体感的にはヒト通りの多さは上の二層とそんなに変わらない。寧ろ、多いくらいだろう。
それでも、セシリアとヨグの周りには、不自然な程の空白が出来上がっていた。それだけならまだしも、距離を空けて遠巻きに二人を眺めているヒトビトは、皆揃って窺うような視線を二人に向けたり、ヒソヒソと互いに話し合ったりしている。端的に言って、セシリアにとっては相当に居心地が悪い状況だった。
「なんか……物凄く見られてるんですけど……」
「警戒されてるんだろ。ここらの連中にとって、この制服は珍しいモンだからな」
セシリアとは違って、ヨグは不躾な視線にも何処吹く風だ。慣れた様子で目的の扉に近付くと、躊躇う素振りも見せずにドアノブを回し、ズカズカと中へ踏み込んでいく。
「えっ、あの、ちょ……!!?」
捜査の一環だとは聞かされてはいたが、それ以上の情報は特に聞かされていなかったセシリアである。ノックも呼び鈴も無しにヒトの住宅に踏み込むという常識の無い行動を見せ付けられて、それなりに驚いてしまった。無意識の内に助けを求めて周囲を見遣り、けれど周りから返ってくるのは疑いと軽い敵意の滲んだ視線ばかりで、慌ててヨグが消えていった屋内へと視線を戻す結果となってしまう。
「ま、待って下さい……!」
結局、セシリアもまたヨグに続いて屋内に踏み込む結果となった。踏み込んだその先は、セシリアの予想通りに薄暗く、そしてセシリアの予想に反して結構広かった。外から見ただけでは分からなかったが、この部屋もまた中身を好き勝手に改造しているらしい。
「おい、”
集合住宅の一室と言うより、工房と言った体だった。
天井から吊り下げられた仄暗い魔力灯の光。壁際に並んだ本棚には専門書やら紙の資料やらがギッシリと積まれていて、中には雪崩を起こして逆に本棚が本や紙に半分埋まっているものまである。本棚が無い壁には、様々な”小道具”が展示するように飾られていた。万年筆やアンティークランプといった見た目は普通のものは勿論、ナイフや拳銃、中には中世の騎士が使っていそうな長剣まで、その種類には統一性が何も無い。その他には、作業台が幾つか。その上には金属の削り滓や革の切れ端、参照したらしい紙の資料や本、そしてセシリアには見覚えのある機材が幾つか乗っていた。
「これって……」
「ストレンジャー。来たぞ」
キリキリ、カチカチと、何かの機械を弄っているような音が聞こえる。そんな中、ヨグの声は、部屋のやや奥まった場所から聞こえてきた。彼の前には一大の作業机があって、どうやらその向こうには誰かがいるらしい。セシリアの位置からはヨグの背中に隠れて何も見えなかったが、ヨグの言葉を聞いている限りでは、どうやら彼の呼びかけに反応していないようだ。
何らかの理由で聞こえていないのだろうか。
それとも……――
「ストレン――」
「あーもう!! 五月蠅いな!!?」
突然、ヨグの言葉を遮るように、第三者の声が広くも窮屈な室内に響き渡った。
子供のように甲高く、けれど同時に老人のように
「ヒトの仕事の邪魔すんじゃねぇよ!! 常識ってモンが無いのか、
床に散乱する資料や本、時々何かの部品や工具を避けながら、セシリアはヨグに近付き、その背後から身を乗り出して作業机の主の姿を覗き込んでいた。
泥色でガサガサの肌。全体の割合に対してその鉤鼻の大きさが目立つ、(人間的な感覚で言えば)あまり整っているとは言えない顔立ち。丁度セシリアが覗き込む直前に、彼は両腕を机に突いて、椅子を蹴立てて立ち上がったらしい。しかしそれでも身長が足りず、ヨグを下から見上げている格好になっているその姿を見て、セシリアは思わず呟いていた。
「ゴブリン……」
「あぁん? 何だこのアマ?」
多くの場合、オークやオーガといった戦闘力に優れた種族と分布地域が重なっている彼等が今日まで一種族として繁栄して来られたのは、彼等自身の知恵による所が大きいだろう。彼等は足りない腕力を鉄と電気によって補い、不足していた膂力を火薬の力で補った。ドワーフが鉄の武器に、エルフが魔力を代表するように、彼等はこの世界において、銃火器や搭乗する機械兵器を代表する種族なのである。
元々は未開拓圏で暮らして居た影響か、彼等は大概の場合荒っぽい。ヨグがストレンジャーと呼んだこの人物も、そんなゴブリンの一般的なイメージから外れない性格の持ち主であるようだった。不愉快そうにジロリと睨み付けられ、セシリアは慌てて口を噤む。
「ったくテメェら人間はいつもそうだ。『何でゴブリンが此処に!?』『うわっ薄汚ねぇゴブリンだ!?』……ケッ ケッ!! ったくお上品そうな面しやがってじゃねぇよ、薄汚ぇ盗人共がよ!!」
初っ端から、とんだ嫌われっぷりだった。ゴブリンが全体的に人間を嫌っているのはセシリアも知っているが、だからと言って真っ向からぶつけられる敵意を上手く受け流したり、ましてや切り返したり出来る程、セシリアは器用ではないし、強くもない。
結局、ただただ硬直して罵声を頭から引っ被る事しか出来なかったセシリアに助け船を出してくれたのは、やはりと言うべきか、強気なゴブリンの態度に全く怯んだ様子の無いヨグだった。
「……そう苛めてやるな。実際、ゴブリンが人間の居る場所に居ることはそんなにある事じゃないだろう? なぁ、
「だから何だ。変わり者だろうが何だろうが、俺だってゴブリンだ。大体、技術を盗むって
「彼女がお前の技術を盗んだ訳じゃあるまい。何十年も前の歴史的事件を、彼女一人に集約させるな。大体な――」
すぅっと、ヨグの声音が低くなった。
「――テメェ、自分の立場を忘れてねぇか? 何なら今すぐこの工房を調べてみるか、あぁ? 叩けば幾らでも埃が出て来そうだからな、テメェはよ」
「……ッ、ぐ……」
もしかしたら、ストレンジャーは咄嗟に何かを言い返そうとしたのかもしれない。吐き出そうとした
とにかく、ストレンジャーは何も言葉を発さなかった。苦虫を噛み潰したような顔をして、荒々しくドスンと椅子に腰を落とす。ギリギリと音を立てて歯を噛み合わせ、そうかと思えばヨグの顔を睨み付けながら深い溜息を吐く。恐らくは、少しでも冷静になろうと必死に努力していたのだろう。次に口を開いた時、彼の声は先程までに比べれば、幾分静かになっていた。
「……で? 今日は何の用だよ?」
“怒り心頭”から、“ふて腐れ”に変わったと言えなくもなかったが。
どちらにせよ、ヨグはそれで良いと判断したらしい。彼は一つ頷くと、背後に庇う形になっていたセシリアを一瞬だけ振り返り、視線で前に出るよう促した。正直セシリアとしては遠慮したかったが、さっきの、低いヨグの声は今もセシリアの耳の奥に残っていた。重い足を無理矢理動かして前に出ると、ストレンジャーはそんなセシリアをジロリと睨み付けてくる。
一悶着あった所為か、それともセシリアの気の所為か。
その視線は、さっきより鋭さが増しているような気がした。
「セシリア・ファングバイトだ。少し前からウチで面倒を見ている。これから顔を合わせる機会が増えるだろう。よろしくしてやってくれ」
「……えっと、その」
顔を合わせる機会が増えるってどういう事だろう。セシリアにとっても初耳だし、ちょっとその話私にも詳しく、というのが本当の所だった。
が、ここでそんな要求をして、場の流れをブチ壊す勇気なんてセシリアにはなかった。取り敢えず紹介された身としては一言挨拶するべきかと考えて、セシリアは咄嗟に軽く頭を下げる。
「せ、セシリア・ファングバイトです。どうか、その、お見知り置き、を……?」
「……」
とは言え相手の様子を見る限り、此処で素直に挨拶をしたところでそ挨拶を素直に受けて貰えるとはセシリアには思えなかった。だから罵声かその類の何かが飛んでくるだろうと予測して、気を張って身構えていたのである。
が、そんなセシリアの予想に反して、ストレンジャーは何も言わなかった。少しの間を置いて椅子から飛び降りると、作業机を回ってセシリアに近付くと、会釈したままだったセシリアの顔を無遠慮に覗き込む。
「……ファングバイトって、あのファングバイトか?」
「ああ、あのファングバイトだ」
「……ふーん……」
ジロジロと見詰められれば、居心地が悪くなる。少なくともセシリアはそういうタイプの人間だったので、会釈を戻すと同時にさりげなく一、二歩ほど後退り、ストレンジャーから距離を取った。少々露骨過ぎて失礼かとも思ったが、幸い、それについてストレンジャーが何か言ってくる事は無かった。
「まぁ、いいや。で、本題は? まさかその新人を紹介する為だけに来たって訳じゃねぇだろうな?」
飽きたようにセシリアから視線を切って踵を返し、ストレンジャーは自らの作業机に戻っていった。飛び乗るように椅子に座ると、再びキリキリ、カチカチと音を立てて作業を始める。
「セシリア、コイツはストレンジャーと言う。見ての通りゴブリンだが、腕の良い
「失礼な事言うなっての。魔導具を扱うゴブリンが居て何が悪い!」
既存の、或いはわざわざその為に特注した様々な道具に、術式文字で式を書き込み、術式の力を持たせる。使用者が式を組めず、そもそも魔力を持たない一般人だったとしても、その道具と何らかの形で動力を確保する手段さえあれば擬似的に術式が扱えるようになる訳だ。
特定の文章を自動的に筆記してくれる万年筆。傷の痛みを緩和し、怪我の治りを早めてくれる包帯。不審者の接近を許さない塀や、子供の善き遊び相手になり、いざという時には護衛にもなる人工精霊。本当に役に立つものから、ちょっと製作した意味が分からないものまで、魔導具には色々ある。
ピンからキリまで様々なものが存在するその中で、唯一共通点があるとするならば、
「あの」
攻撃術式を扱う魔導具は、ポセイドンでは基本的に法で禁止されている点である。
「それ、“黒”の攻撃式ですよ、ね……?」
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