街角交響曲⑥
轟音。
赤毛男が角材を振り下ろし、それから一拍遅れて、折れた角材の先端部分が回転しながらセシリアの直ぐ脇に落ちて、乾いた音を立てる。
「! ち……ッ!!」
赤毛男の反応は素早かった。中程から爆ぜ折れて半分程の長さになった角材をセシリアに向かって放るように投げ付けて、その隙に、更に近い間合い……徒手空拳の領域へ踏み込んで来ようとしてくる。恐らくはセシリアの手の中にあるモノを見て、離れるよりは近付く方が安全だと判断したのだろう。
だがその時には、セシリアは既にその場から後退していた。しゃがみ込んだまま、素早く後転。万が一にも相手の打撃が届かない間合いの外へ逃れ出ると、そのまま手の中のモノを相手に向ける。
「動かないで下さい」
警告の意味も兼ねて指を引き金に掛けてやると、途端に赤毛男はピタリと動きを止めた。
「既に何度も警告はしました。次はもういきなり撃ちます。いきなりですよ?」
「……テメェ」
角材を振り下ろしてくる赤毛男に対する、起死回生の第三の手。
それはつまり、反撃だった。セシリアの手の中にあるのは、一言で言えば魔改造された拳銃だ。近接格闘にも耐えられるよう、鉈の刀身を思わせる程に長く、分厚く肥大化した銃身。ベースは辛うじて自動拳銃だったようにも見えるが、どういう訳か回転式弾倉も付いているので、結局その銃がどんな銃を基にしたのかは分からない。そもそも、銃火器の常識に当て嵌めて考える方が間違っているのかもしれない。その魔拳銃の各パーツの至る所には、それぞれの機能を果たす為の術式文字が刻まれているからだ。見た目からして術式の力をフルに活用した魔導具の一種だと分かるそれは、故あってセシリアが個人的に所有し、守護騎士団から許可を貰って常に携帯している武装である。普段は術式を使って別次元に収納しているし、実生活の中では使う事なんて殆ど無かったが、今回ばかりは本当に役に立った。
振り下ろされた角材を撃ち抜いて破壊し、無効化。つまり、それだけの威力があるのは既に実証済みだ。セシリアの位置は完全に相手の間合いの外で、けれど遠いかと言われればそうでもない。
撃てば、きっと外す方が難しい。
その事を理解しているのだろう。銃口を向けられた赤毛男は忌々しそうな顔をしつつも大人しくなっていた。諦めた、と言うよりは、セシリアの落ち度を必死に探しているか待ち受けているといった感じだったが。
「どっから出した。その銃」
「貴方には関係の無いことです。さぁ、両手を頭の後ろに置いて、その場に膝を突いて下さい」
「テメェ魔術師かよ。くそったれ、ぬかった……」
銃口は向けたまま、セシリアはゆっくりと立ち上がった。ノロノロと指示に従ってその場に膝を突いた赤毛男の周りを慎重に歩き、その背後に回る。手錠は制服と一緒に守護騎士団屯所の中に置いてきてしまったが、その辺はセシリアは自前の術式で代用できる。
「名前は?」
「あ?」
「名前です。名乗らないと、えー……っと、あの。ひどい目に遭いますよ?」
「……」
周囲から聞こえてくる野次馬達の囃し立てる声はなるべく意識しないようにしつつ、セシリアは自らの意識を、術式を使う時のそれに切り替える。一般的に、魔術師の初心者達は通常の意識状態から術式を使う時の意識へ切り替える感覚を、電源のスイッチのON/OFFに喩えて教えられるが、セシリアはどちらかと言えば水中に潜るような感覚を持っている。意識の空間に半分ほど満たされている水。普段のセシリアはその中に頭を出して浮かんでいて、術式を使う時は水の中に潜る。そんな感じだ。
幸い、セシリアの
「はい、結構です。立ちなさい。ゆっくりとね」
「……ゼロ」
「はぇ?」
「何だその間抜けな反応。名前だよ名前。テメェが聞いてきたんだろう、が――」
セシリアの反応を窺うような
どこからともなく飛んで来た、飲みかけの飲料の缶。黒い内容物を撒き散らしながら飛んで来たそれは、偶然か、それとも狙い通りなのか、ゼロの頭に当たって甲高い音を立てた。全く予想していなかった光景にセシリアが呆然としている間に、周囲の野次馬達の間で、さざ波のように嗤い声が広がっていく。
「ざまぁみろクソ野郎!」
「弁償しろ!!」
「土下座して謝れや!!」
「気持ち悪ぃんだよ!!」
「迷惑掛けやがって!!」
「偽善者! ロリコン野郎!」
「死刑にしろ!! 死刑!! そんなヤツ!!」
「あはははは!!」
嗤い声だけじゃない。罵声に、ゴミ。飛んでくるものは、ポツポツとその数を増やしていく。止めようにも、セシリアには止める術が思い付かなかった。声を張り上げようにもこの場は教室や学院の廊下のように狭くないし、ヒトの数も圧倒的に多い。何より、声やモノを飛ばしてくるヒトビトの大半は、嗤っていた。
純粋な悪意である事はきっと間違い無い。中にはセシリアにも理解出来る“怒り”を抱いているヒトだっているだろう。
けれど、けれど。
こんな風に、立場が弱くなった誰かを遠くから長い棒で一方的に叩きのめすような光景を、セシリアはこれまで見た事が無かった。
「おい、もう行かねぇか?」
「……え?」
ウンザリしたようなゼロの声に、セシリアはハッと我に返る。彼に向けていた銃口は半ば外れ掛けていたが、幸い彼にその隙を突こうとする気配は無かった。
「この辺の連中はやる事が豪快だ。今はまだゴミ程度で済んでるが、その内、糞尿やら何やら詰めた瓶とか投げてくるかもしれねぇぞ」
「な……ッ!?」
「汚ぇ目に遭うのが嫌なら、さっさと連行なり何なりしてくれ」
「……ッッ!!」
疲れたように付け加えたゼロの言葉にセシリアが言葉を詰まらせたのは、喉元まで出掛かっていた別の言葉を無理矢理呑み込んだからだ。確かにこの場を収めるには、ゼロの言う通り彼を別の場所へ連れて行った方が早い。怒りに任せて止めろと怒鳴った所で、野次馬達が今の行為をすんなり止めてくれるとは思えなかった。
「……行きますよ」
「へいへい」
銃口を突き付け直してゼロの背中を押し、セシリアは彼の連行を開始した。野次馬達の囲みがなるべく薄そうな場所に予め当たりを付けて、其方に誘導したとは言え、悪意を飛ばしてくる集団の中に自ら向かっていくと言うのは結構勇気が必要だった。
「……は? おいお前、何前に出てんだよ?」
「彼等が狙っているのは貴方です。だったら私が前に出て彼等を掻き分けとかないと、貴方がひどい目に遭うでしょう?」
「いや、そうじゃなくて。銃は。監視は」
「大丈夫です。貴方は悪い事をしたから連行しますが、不当な暴力に晒すような事は絶対させません。守護騎士はポセイドン市民全ての味方なんです」
「聞けよ」
後ろでゼロがごちゃごちゃと何か言っているのが聞こえたが、その時にはもう野次馬の壁がセシリアの目の前にあって、その内容は殆ど聞き取れなかった。そんなことより、やっぱり野次馬達の狙いはゼロで、口々に罵声を浴びせたり、中には腕を伸ばして殴り付けようとする輩まで居た。
だからセシリアは自らの身体を使って、そんな不躾な罵倒や暴力からゼロを守った。確かにゼロは、とんでもない暴力をこの場で振るった。恨まれるのは当然だし、セシリアだって彼をその罪から庇うつもりは無い。
でも、これは絶対に違うとも思うのだ。上手くは言えないし、もしかしたら見当違いな事を言っているのはセシリアの方なのかもしれないが、ついさっきまで遠巻きに見て野次を飛ばしていただけの彼等が、打ち負かされて膝を突いた
「退いて! 退いて下さい! 連行の邪魔をしないで下さい! 守護騎士の職務の妨害はオススメしませんよ!」
「うるせー小娘!」
「守護騎士だって証拠を見せろやぁ!!」
セシリアが幾ら声を張り上げても、伸びてくる手は少なくならない。服を掴まれ、髪を引っ張られ、何より心をグサグサと滅多刺しにされた。正直に言えば、ちょっと泣きそうですらだった。確かに今のセシリアは制服を着てないし、そもそも制服を着ていたって守護騎士には見えないかもしれない。
けれど、ここでセシリアが怯めば背後のゼロはきっと非道い目に遭わされる。贖罪ではない、もっと別の、間違った何かの餌食になる。
だから、セシリアは折れる訳にはいかなかったのだ。怯みそうになる心を無理矢理鼓舞して騎士章を振り回し、怒鳴ったり唾を飛ばしたり嗤ったりしている周囲のヒトビトを逆に睨み付ける。
「通して! ええぃ、通しなさい!!」
無我夢中だった。そうでもなかったらちっぽけなセシリアの意地なんて、数の暴力に押し潰されていただろう。その意味では、セシリアの状態はある意味妥当だったとも言える。
けれどその時のセシリアは、意識を野次馬達に向け過ぎていた。銃口を向けておくべき肝心の相手の事を忘れ、ハッキリ言って彼に対する注意が疎かになっていた。
だからセシリアは、ゼロが黙って付いて来てくれているという状況が如何に幸運だったかをきちんと理解していなかった。そもそもゼロの動向をきちんと把握する事すら念頭から消えかかっていたので、ゼロが自らの背中をどんな表情で眺め、何を想って息を吐いたのか、知る由も無かったのだった。
「――……変なヤツ」
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