街角交響曲⑤
「おい、あれ洒落になってない――」
「血がいっぱい出てる」
「守護騎士呼んだ方が――」
「多勢に無勢なのに」
「笑ってる」
「うわ、腕が」
「ちょっ、あれ絶対ヤバいだろ」
「――え、嘘、あれまさか死んでる?」
「流石に止めた方が――」
「――でもあんなん近付けるか?」
前に進めば進む程、野次馬達の声が深刻なものになっていくのは、決してセシリアの気の所為ではないだろう。緊張と不安が胸の中に広がっていくのを感じながら、セシリアは大急ぎで人だかりの中を進んでいく。
「すみません! 通して下さい!」
大声を出すのは得意ではないが、こうでもしなければ非力なセシリアはヒトの壁を突破出来ない。
慣れないながらも努力は功を奏し、野次馬はセシリアに気付くとやや迷惑そうながらも脇に退き、道を開けてくれた。
やっとの思いで壁を抜け、セシリアは息もろくに吐かないまま顔を上げ──
「……ッ!!?」
反射的に、殆ど横っ飛びする形でその場から退いた。直後、悲鳴の尾を引きながら誰かが砲弾の如く飛んで来て、直前までセシリアが立っていた場所を突き抜け、人垣の中に突っ込んでいった。巻き込まれた野次馬達の悲鳴や怒号を聞きながらも、セシリアは素早く視線を巡らせ、ヒトが飛んで来た方を見遣る。
そして、
「――……!!」
言葉を失った。
岩のような――というか岩そのものの大きな拳が空を切る。ヒトの形をした岩そのものが意志を持って動き出したかのような外観の、岩人間。大地の民、或いはノームと呼ばれるその種族は、
最初は彼が、ヒトをセシリアの方へ投げ飛ばして来たようにも思えた。
だが違う。セシリアに対して背を向けた彼が、横から巻き込むように拳を振るったその瞬間、彼の両足の間をスライディングで潜り抜けた者が居た。標的を見失ったノームがその姿を探して視線を彷徨わせたその一瞬の隙に、そいつは素早く反転してノームの背中へ向き直り、彼の膝関節に向けて鋭く突き込むような蹴りを見舞う。完全に不意を打たれたらしく、ノームはバランスを崩してその場に膝を突き――
「ハハッ」
その時には、ノームの背後を取った人物は、その手に携えていた細めの角材を大きく振りかぶっていた。
「ゲームオーバーだ」
ガツッ、と、固い物同士がぶつかり合う音がその場に響いた。
真横からフルスイングされた角材はノーム特有の固い表皮に耐えきれず、中程から破裂するみたいに折れてしまった。
だが、比較的強度が低い首に角材を叩き付けられたノームの方もまた、無事では済まなかった。微かに首を傾げさせ、膝を突いたまま一拍静止していた彼は、やがてゆっくりと前のめりに傾いていき、どうと音を立てて倒れる。頑丈なノームがあの程度の打撃で死ぬ筈もないだろうが、逆にあの打撃で首を打ち抜かれて無事で済むとも思えない。事実、うつ伏せに倒れ伏したノームは、そのままピクリとも動く気配を見せなかった。
よくよく見れば、倒れているのはノームだけではなかった。
粉砕された屋台の残骸。路面にブチ撒けられた商品らしき物の数々。本来なら様々な飲食の屋台が整列していたであろう即席の広場のあちこちには、種族を問わず様々なヒトビトが屋台や商品の残骸に埋もれるように倒れていた。
状況を見る限り、その惨状は彼が作り上げたのだろう。
たった今倒したノームの後頭部に向けて、折れた角材を無造作に放り捨てたその男は、つまらない冗談を目の当たりにしたかのように肩を竦め、低く嗤った。
「……威勢が良い割にどいつもこいつも大した事なかったなぁ、オイ?」
無造作に伸びた、どこか狼の毛皮を思わせる赤銅色の髪。フードにファーの付いた真っ黒なコートを着ていて、そのコートの裾が主の身体をすっぽり覆ってしまうくらいに長い為、背後のセシリアの位置からではその人物の詳細はよく分からない。先程から何度か聞こえている声からして若い男である事と、全体的なシルエットから人間かそれに近い亜人族である事は推察出来るが、それだけだ。
「んで?」
そしてもう一つ。
どうやら彼は、相当に勘が鋭いらしかった。
「お前はどうなんだ? わざわざ飛び入りしてきたからには、ちったぁ楽しませてくれるんだろうな?」
唐突と言えば唐突で、最初セシリアはその言葉の意味を掴み損ねた。そもそも自分に言われた事すらも理解していなかったが、彼の言葉を脳が反芻し、ついでに周囲の観戦者達の視線が自分に集中しているのを感じて、否が応でも理解せざるを得なくなった。
つまりセシリアは、この乱闘騒ぎの参加者としてこの場から認識されてしまった訳だ。
「た、楽しませるつもりなんて毛頭ありません!!」
注目を浴びるのは苦手だ。元々の性格でもそうだったし、
だが、今のセシリアは守護騎士だ。どのような理由があれ、過度な暴力でヒトが傷付けられている場面を見過ごしていい立場ではない。ポケットから騎士章を引っ張り出しつつ、しかしそうは言っても黒コートの男は此方を見ていないので、代わりにせめて威厳を演出出来るように、セシリアは声を張り上げる。
「守護騎士です! そこの貴方! 今すぐ両手を頭の後ろに置いて、両膝を地面に突きなさい! て、抵抗するなら、実力行使も止む無しですよ!!?」
「……」
守護騎士、という単語に反応したのか。それとも、聞こえてきたのが若い女の声で意外だったのか。
とにかく、黒コートの男の反応はセシリアの予想以上に大きなものだった。凄まじい勢いで振り返り、彼はセシリアの顔をマジマジと見詰める。髪と同じ赤銅色の瞳。耳の形に特徴がある訳でも、毛深かったり牙が生えている訳でもない彼は、どうやらセシリアと同じく人間族らしい。鋭くて凶悪な、一言で言ってしまえば目つきが悪いその双眸は、何故か今は驚愕に見開かれていた。目どころか口まであんぐりと開いて、驚愕と言うよりは放心に近い感じがする。……そんなに驚くような事だろうか? 確かに今のセシリアは私服だし、守護騎士と言っても説得力は皆無かもしれないが、一応ちゃんとした守護騎士なのに。
「聞こえませんでしたか!?」
とは言え、相手の男がそんな調子でセシリアとしては助かった。ただでさえ暴力的な相手を前にすると足が竦んでしまうのだ。どうせ同じ仕事をしなくてはならないのなら、やり易い方がずっと良い。
「両手を頭の後ろに置いて、両膝を地面に突きなさいと言いました! 次はもう警告しません! ほ、本気ですよ!?」
「……」
そう言えば、こういう台詞って武器を向けながら言うモノではないだろうか。セシリアは魔術師だから武器なんか持たなくとも対象を無力化出来る術は持っているが、なんかこう、相手にも状況が分かり易いように。
今更ながらその事に思い当たったセシリアだったが、気付いた時には既に後の祭りだった。驚愕の形に緩んでいた相手の表情が、さながら雪が溶けていくように無表情に変わり、ややあってから、また同じような感じでその口の両端が吊り上がっていく。
「――ああ、悪い悪い。ちっとばかり驚き過ぎちまってよ?」
紡がれたその言葉からは、彼がセシリアの言う通りにするつもりなどさらさら無い事が感じられた。
絶望的な気持ちになるセシリアの内心を知ってか知らずか、彼は軽く肩を竦め、これ見よがしに溜息など吐いて見せた。
「で、なんだって? お前が? 守護騎士?」
……完全に、舐められている。
当たり前と言えば確かにそうかもしれないが、何故だろう、セシリアは妙に腹の底に燻るものを感じた。わざとらしく驚いたような口調も、肩を竦める仕草も、何故か、妙にセシリアの神経を逆撫でするというか。そのお陰でボルテージの上がっていた緊張が緩まり、思考が冷静になったのはセシリアにとってプラスだったが、だからと言って相手に感謝する気が起きないのは事実だった。
「……ええ。ですから大人しく此方の指示に従って下さい。逃走も抵抗も考えないように。先程も言いましたが、抵抗するなら実力行使も止む無しですので、そのつもりで」
「おお、怖い怖い」
一応、セシリアとしては本気で本気の最終警告のつもりだったのに、相手の男は小さな子供を馬鹿にする調子でそう返してきただけだった。ニヤニヤと笑っているばかりで、両手を頭の後ろに回す様子も、その場に膝を突く様子も見せない。完全な警告無視である。
義務は果たした。言葉を破棄し、"実力行使"に移ったって、セシリアは非を問われないだろう。
「……」
やらなくては。やるべきだ。
内心で何度も自分にそう言い聞かせつつ、セシリアは覚悟を固める為に軽く目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
「おいおい」
呆れたような赤毛男の声が、至近距離から聞こえてきたのはその瞬間の事だった。
「敵を目の前にして目ぇ閉じんてんじゃねぇよバーカ」
「!!?」
反射的に目を開けたセシリアだったが、もう遅かった。
セシリアが目を閉じた瞬間に音も無く接近してきていた赤毛男は、セシリアの懐に潜り込みながらその片手を掴み、自らの方に引き込んでしまう。軸足を払われ、体勢を崩されて、あれよあれよという間にセシリアの身体は赤毛男の背中に乗せられる形になってしまった。所謂「背負い投げ」だ。この技が八割方完成してしまっている今、もう投げられずにこの場を乗り切る事は不可能だ。
「……!!」
何時の間に、とか。どうやって、とか。ごちゃごちゃと余計な事を考えている時間は、セシリアには残されていなかった。代わりに捕まえられていない方の手を赤毛男の背中に突き、背中を自ら反らせる。イメージとしては、相手の背中の上で側転をする感じだろうか。自ら相手の背の上を
――だが。
「おお」
赤毛男も、何時までも放心していてはくれなかった。驚いた……と言うより、感心したような彼の声は、距離を離している最中である筈のセシリアに、ピタリと付いて来ていたからだ。
「やる事が派手だなお前」
(!? 追い掛けてきた!?)
これ以上、逃げても距離は開けられない。
そう確信したセシリアは、その時点でバック転を止めた。覚悟を決め、バック転の勢いを殺す為に地面にしゃがみ込むような姿勢で着地。と同時に、そんなセシリアを追い掛けてきていた赤毛男が間合いの内に踏み込んで来た。追い掛けて来る最中に拾い上げたらしい。その手には、屋台の骨組みを形成していた思われる細い角材が握られていた。
(やば……!!)
振りかぶられた角材の角度から振り抜かれる軌道を予測し、セシリアがその場で思い切り跳躍するのと。赤毛男が角材を、地を這うような低い軌道で薙ぎ払うのはほぼ同時の事だった。
「! ははっ!」
空中で背中を反らし、後方へ宙返りして距離を取ろうとしたセシリアだったが、地面に着地しようとしたその時には、再び角材を振りかぶった赤毛男が、間合いの内に入って来ようとしていた。
「うぅ……っ!」
これは、ダメだ。
地面に着地し、衝撃を吸収する為に再びしゃがむような体勢になったセシリアは静かにそう悟った。時間の流れが本当に遅くなった訳ではないだろうが、赤毛男が間合いを詰める最後の一歩を踏み込んで来たその瞬間、そしてセシリア目掛けて角材を真っ直ぐに振り下ろして来たその瞬間を、セシリアはハッキリと目撃したのだ。今まさに自分がそれに巻き込まれようとしているのにも関わらず、その光景を静止画としているような感覚。無限にも思えるような一瞬の中、セシリアの思考は自らが取り得る手段を全て吟味し、そしてその全てが無駄だと断じた。
回避はもう間に合わない。重心を地面に預ける程に深く沈ませた今のセシリアの体勢では、どう動いたとしても相手の角材に脳天を捉えられる方が早い。
防御するのは得策とは言えない。口惜しい事に、セシリアの腕は分厚くも固くもない。急所を打たれたとは言え、ノームですら耐えられなかった打撃に耐えられるとはとても思えない。
回避も、防御も出来ない。つまりセシリアには、刻々と近付いてくる角材を前にして何も出来ないのだ。
……ただ、一つ。たった一つ。
回避でもなく、防御でもない、第三の手段を除いては。
「――……ッ!!!!」
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