街角交響曲④
○ ● ◎
海上都市ポセイドンは、同時に階層都市でもある。
嘗て、術式が現在のように多岐の分野に系統付けられてはおらず、独自の理論や新しい着想を基に編み出された術式が『異端』と見なされた時代。主流派の魔術師達から故郷を追われた異端の魔術師達は、誰の手も届かない海上に自分達の第二の故郷を作り上げた。少なくもなかったが多くもなかった彼等が作り上げた最初の海上都市は、せいぜい大きめの村程度の規模しかなかったという。時代が進み、嘗ては排他的だったその人工島が外部からのヒトを受け居れるようになると、交流、交易が発生するようになり、やがてヒトそのものが移り住むようになった。術式のみで構成されていた元々の人工島を基盤として、土と木、そして石を術式で固めて新たな街並みが構成され、いつしか『村』は『街』となった。中世後期の街並みの特徴を色濃く残したこの区画は、現在ではポセイドンの最下層、完全に海中に沈んだ“底層”となっている。陽の光が完全に届かない事から、住人達の間では“常夜の街”とも呼ばれているらしい。
更に時が進み、ポセイドンが世界の交易の中継点となり、それに伴って移住してくるヒトは更に増えた。これ以上街を横に広げられないと悟ったヒトビトは、横ではなく縦に、中世の街並みのその上に新たな街を建て始めた。術式に頼らない機械技術が発達し始めていた当時の影響もあり、その区画は元々の土木と石の街並みと鉄と蒸気の街並み、その二つが組み合わさった奇怪とも言える様相となった。これが現在の下層、その更に上に乗っかっている上層の隙間から漏れてくる光を中途半端に浴びる“黄昏の街”である。
そんな下層区の一角にセシリアの姿が現われたのは、上層の隙間から漏れてくる陽の光に赤みが混じり始めた時間帯の事だった。雑多で何処か混沌とした、けれど上層にあるものに勝るとも劣らない賑わいを見せる繁華街。位置的には上層の
古き良き、とヒトによってはそう称する街の大通りを、セシリアはヒトの流れに身を任せるようにゆっくりと歩いていた。既に守護騎士としての時間は終了し、帰宅している最中だ。当然、軍服めいた黒の制服ではなかったが、白のワイシャツにそれに見合った簡素な黒のスラックス、全体に見合う簡素な上着と、年頃の娘にはありがちな洒落た雰囲気は全く無い。輝くような白髪は仕事の時と同じく項の辺りで束ねたままで、珍しい
それもその筈。昼にダグラス邸に呼び出されてから、彼女はずっと働き通しだったのだ。
死体発見時の状況を確認し、殺害現場やその他の場所の物理的な証拠の調査。そして何より、セシリアが呼ばれた一番の理由である残滓魔力の感知調査。
単純な労働時間で言えば一般的な労働者に比べるべくもないが、初めての殺人事件の現場で覚える事は沢山あったし、且つ其処まで人付き合いが得意ではないセシリアにとって、初めて出会うヒトビトと接し通しというのはそれなりに気疲れする案件だった。
そして極めつけは、『調査の結果』だ。
ヨグや鑑識課のヒトビトから、“現場の歩き方”から始まる様々な事を詰め込まれつつ、集中力を必要とする魔力感知をダグラス邸のあちこちで行った結果。正直セシリアにとっては煩わしいものでしかないが、それでも“
端的に言ってしまえば、『痕跡無し』だった。術式を使った事を前提としなければ色々と不自然な現場であるにも関わらず、その肝心の術式痕がまるで見つからない。犯人は何らかの手段で術式痕を完全に隠す術を持っているのか。それとも何か奇想天外な方法で、術式を使わずにダグラス・ダラスを獣に喰わせて殺害したのか。半日使った調査の結果は、要するに『成果無し』だったのだ。
(……自分に出来る事はやるべきだ、なんてベッカーさんには言われたけど。結局私、全然役に立ってなかったな……)
何処かから聞こえてくる、誰かの笑い声。
小さく溜息を吐きながら、セシリアは足下を歩いていたケット・シー――直立する猫。成人しても人間の膝くらいまでの背丈しかない――を避けて歩く。この辺りは旧商業区画のすぐ近くであり、道も大勢のヒトで混雑している。下層は他の二層に比べて住人の数が最も多く、人口密度も高めな為、こういうヒトが多く集まる場所はごった返しているのが常だ。多くのヒトビトが好き勝手に話し、笑い、時には怒鳴ったりする声が重なり合って、ひどく騒がしい。
セシリアはこのような、雑多な人混みの中を散策するのが好きだった。気疲れする要因も多々あるが、個としての自身が極端に薄くなり、群衆を構成する名も無き一個体になれる感覚が、他には中々無いからだ。落ち込んだり、逆に特別な事がある度にそうしてきた、一種のクセみたいなものである。既に守護騎士の制服を脱いでいるにも関わらず、真っ直ぐ家に帰らないでこんな所を寄り道しているのも、捜査で自分の使えなさっぷりに嫌気が差して落ち込んでいたからだ。
「……はー……」
無意識の内に零してしまった溜め息は、喧騒に紛れて呑み込まれ、誰かに届く事も無く消えてしまった。
胸に重く圧し掛かって来る悩み事も、同じように綺麗サッパリ消えてくれればいいのに。
内心でチラリとそんな事を考えたセシリアだったが、勿論そんな都合の良い事は実際には起こってくれない。胸の内の悩みはどんどん大きく重くなっていて、その内耐えられなくなってしまう。そうなったら、身体が勝手にそれを吐き出そうとして、再び溜め息を零してしまう。その繰り返し。
(……凄かったなぁ)
捜査中の皆の様子を思い出し、セシリアは胸中で独りごちる。
どのヒトも皆真剣だった。ヒトが殺されたのだから当然だけれど、それを差し引いても、誰もがセシリアとはどこか違うような気がした。
いや、違う。
皆がセシリアと違ったのではない。セシリアの方が皆の中で一人、浮いていたのだ。
どの人もこの人も経験を積んでいる、その場に相応しい守護騎士だった。
セシリアが把握している中では主に動いていたのはグインを始めとする鑑識課のヒトビトだったが、ほんの微かな手掛かりも見逃すまいという気迫じみた真剣な雰囲気は、見ていて少し怖いくらいだった。
セシリアだけだ。『自分が今、何をするべきか』を正しく理解せず、周囲のヒトビトに迷惑を掛けて現場を右往左往していたのは。ヨグやベッカー、グイン達は『最初はそんなモンだ』等と言って笑って励ましてくれたけれど、他ならぬ自分自身の事だ、セシリアにはちゃんと分かっている。今日の現場で、一番周囲に迷惑を掛けたのはセシリアだ。それだけなら『新人だから』でまだギリギリ許されるかもしれないが
、肝心の術式痕探しで一切役に立たなかった件、それは間違い無くグイン達をガッカリさせた。わざわざ頼って呼んでくれたのに、セシリアはその期待に応えられなかったのだ。
「……はぁー……」
もう何度目になるか分からない溜息は、やはり誰にも聞き咎められないまま溶けて消えた。セシリア自身ですらその溜息を置き去りにして、いつもより重く感じる両足を引き摺って歩く。
目的地は無い。周囲のヒトの流れに合わせて、頭を空っぽにして、ただ歩く。笑い声も話し声も、怒鳴り声ですらも不快には思わない。室内で聞く雨の音みたいに、思考を泳がせるには最適だ。考え事をしなかったとしても、聞いているだけで面白かったりする。昨日が今日と同じ日ではないように、ヒト混みの様子だって日によって違う。
例えば今日は、いつもよりヒトの密度が厚く、騒がしい。ヒトビトの発するざわめきがいつもより大きく、上手く言葉に表す事が出来ないが、こう、《連動している》ような、そんな感じがする。ついでに言えば、大勢のヒトビトがそれぞれの目的地に向かう事で形作るヒトの流れを、急に立ち止まったり、或いは方向転換するなどして乱す者が多いような、そんな感じもする。
「……?」
何だろう。
今更ながらこの場を支配する奇妙な雰囲気に気付いたセシリアは、一先ずこれまで全く気にしていなかった周囲のヒトビトの話し声の内容に耳を傾ける事にした。
「どうした?」
「何事?」
「分かんない」
「さぁ?」
「なんか、若い男が」
「角材」
「武器持って」
「相手は複数」
「善戦」
「大立ち回り」
「半殺し」
「凄いらしい」
「見に行く?」
「見に行こう」
自身に関わりの無い群衆特有の、緊張感の無い話し声。
ヒトの数が多い分、一度に耳に入ってくるそれらの量も膨大で、咄嗟にどこに焦点を合わせればいいのか分からなくなる。
それでも皆が似たような事を話していれば、耳に入ってくるキーワードは自然と絞られてくる。
若い男。武器。複数。大立ち回り。半殺し。
「……喧嘩?」
連想ゲームの答えを思い付いたかのように、セシリアは思わず呟いてしまった。
正解を知らせる――為のものでは勿論ないだろうが、物が壊れる音や悲鳴、怒号が少し離れた所から聞こえてきたのは、まさにその瞬間の事だった。
「喧嘩!?」
意外と結構近い所だったんだとか、何で今まで気が付かなかったんだろうとか、瞬時に色んな考えが浮かび、消えていく。そしてそんな頭の中の出来事を余所に、セシリア自身の身体は、バネ仕掛けの玩具の如くその場から飛び出していた。武器に複数に半殺しと、仮にも守護騎士の端くれならば聞き逃せない。そうでなくとも、喧嘩やイジメ等といった“暴力”を見れば黙っていられないのは性分だ。父親の影響を強く受けたのかも知れない。
『いっその事、守護騎士を目指してみるのはどうだ?』
勇気を振り絞っておっかなびっくり声を掛けに行くセシリアを見て、
『ひょっとしたら天職かもしれないぞ? 気が弱いクセにそういうのに首を突っ込もうとするお前の悪癖は、ある意味才能とも呼べるものなのかもしれないからな』
まさか自分のこの
『馬鹿、何考えてんだ!! あんなの気弱なお前に務まる訳無いだろ!?』
自分が言い出したクセに酷い言い草だった。流石のセシリアもムッと来て、売り言葉に買い言葉、気が付いたら口喧嘩に発展してしまっていた。結局その日から今日に至るまで、セシリアは彼女とは口を利けていない。
けれど、きっと彼女は彼女なりに、セシリアの事を心配して言ってくれたのだろう。少しだが時間が経った今はセシリアも素直にそう思えるし、彼女の言う事が半分正しかった事も実感している。
凶悪な事件に挑む守護騎士。ただ憧れるならまだしも、自分自身がそれに成るには、セシリアには覚悟も決意も能力すらも、本当は足りていなかったのではないか――
「……」
嗚呼、危ない。また落ち込んでしまいそうになった。
走りながら自分の両頬を叩き、セシリアは自らに喝を入れた。ウジウジと縮こまりそうになる気弱な気持ちを強引に脇へ追いやって、取り敢えず今は目の前の事に集中するべきだと自身に言い聞かせる。
出来なかった事は仕方無い。胸に刻んで次の糧にした方がいい。大事なのは、今の自分に出来る事をコツコツと積み重ねていく事。その経験が、自負が、将来の自分に繋がっていく。これもまた、父親の教えだ。
今、セシリアに出来そうな事。
言うまでもなく、この近くで起こっているらしい喧嘩を止める事だ。
ヒトビトの間をすり抜けて、音の聞こえる方を目指し、走る。途中まではまだヒトとヒトの間に隙間があって進みやすかったが、その内急激にヒトの密度が高い所にぶつかってしまい、中々思うように進めなくなってしまった。
(うわ、野次馬!?)
ヒトビトのその向こうは、ちょっとした屋台村になっている筈だ。主に上層から流れてきた食材を使った飲食の屋台が集まっている所で、ポセイドン下層の名所の一つでもある。ヒトの壁、多少の雑多な臭いの壁なんか打ち消す密度で、食欲をそそる匂いが此処からで感じられるくらいである。
ただ、ちょっとばかり場の空気が元気過ぎると言うか、露店の店主達の威勢が良過ぎると言うか。率直に言えば、此処のヒト達はあまりガラがよろしくない。遠巻きに眺める分には構わないが、いざその場に勢い良く飛び込んでいかなくてはならないかと思うと、セシリアとしてはほんの少しだけ気後れしてしまう。
「「「――おぉぉ!!」」」
が、次の瞬間に聞こえた野次馬の歓声や、ついでに何かが破壊されるような音が、セシリアの背中を押してくれた。「ぶっ殺せ」とか「囲んで袋叩きにしろ」とか、殺気すら滲んでいる怒号の数々が、セシリアの気持ちを奮い立たせた。
(行かなきゃ……!)
半分急かされるようにして、セシリアはヒトの壁の中へ飛び込んで行こうとする。
──ボスン、と何かが勢い良く足元にぶつかって来たのは、その瞬間の事だった。
「わっ!?」
「ゥ!?」
咄嗟の感覚ではそこまで重くなかったが結構な勢いがあったし、何より足元だ。セシリアは危うく前のめりに転びそうになり、すんでの所で堪えて見せた。
何事かと思って視線を下げれば、丁度セシリアの足元にぶつかってきた物体もまた、セシリアの顔を見上げてきた所だった。
銀色。の、毛玉? いや、違う。何だろう?
セシリアがその正体を咄嗟に把握出来ずに硬直している間も、“それ”は表情の読めない透明な視線で、セシリアの顔をジッと見上げて来る。
そして何よりも特徴的なのが、髪と同じ色をした獣の耳とフサフサした尻尾。恐らく髪とこの尻尾の所為で、最初は銀の毛玉に見えたのだろう。
漸く把握出来た。それは、いやその子は、恐らくまだ十にも満たない、小さくて幼い亜人の少女だった。
セシリアの足にぶつかったのは、彼女にとっても予想外だったらしい。眠そうな無表情は動かないが、セシリアをジィッと見つめているのはひょっとしたら呆けているのかもしれない。
……と、言うか。
「……あ」
これとほぼ同じ状況に、セシリアは心当たりがあった。
「貴方、昼間の――」
「……るる」
少女の無表情が、崩れた。固く結ばれていた口元が少しだけ裂かれ、鋭く尖った犬歯が僅かとは言え剥き出しになる。喉を鳴らすような奇妙な音は、もしかして獣が他者を威嚇する唸り声だろうか。
「え」
どうして自分が威嚇されているか分からず、セシリアが更に硬直時間を更に延ばしてしまっている間に、少女は尻餅を突くような姿勢から素早く体勢を立て直した。セシリアに声を掛ける間も与えず、彼女は四つん這いのまま素早く駆け出し、器用にヒトの間を縫いながら走り去っていく。一般的に、彼女のような獣の特徴をその身に宿す亜人は人間より身体能力が高い傾向があるが、それにしたって彼女のそれは目を瞠るものがある。セシリアがその小さな姿を見失うのは、あっと言う間の事だった。
「……」
昼間と言い、今の出来事と言い、自分は彼女に嫌われる事をしただろうか?
そんな事を考えながら少女が消えていった方角を呆然と眺めていたセシリアだったが、そうしていても誰かが答えを教えてくれる訳でもない。
再び人垣の向こうから派手に物が壊れる音を聞いて、セシリアはそこでようやく自分が何の為に此処まで来たかを思い出した。すぐさま踵を返し、今度は躊躇う事無く人垣の中へと飛び込んでいく。人々の壁を掻き分けるのにはかなり苦労しなければならなかったが、耳に入ってくる野次馬の会話を聞く限り、あまり悠長な事も言っていられないようだった。
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