街角交響曲③

「なるほど。良いでしょう。グインさん?」


 そう言って、ハインツは脇に控えていた背の低い守護騎士に目配せをした。「騎士」と言うにはやや恰幅が良過ぎ、また目尻が下がった糸目の所為で常に柔和な笑顔を浮かべているように見えるその男は、背の低さ、顔の半分を覆う立派な髭からどうやらドワーフであるらしい。鑑識課の所属であると手短に自己紹介した彼は、とにかく困り切った様子で状況を説明し始めた。


「結論から申し上げますと、この件には間違い無く魔術師が関わっています」


 荒々しく、粗暴な言葉遣いや振る舞いが目立つ――と言うのがドワーフの一般的なイメージだが、ハインツがグインと呼んだこの男はそのイメージを真っ向から否定するような物腰だった。口調は穏やかで、物腰は柔らかく、荒々しさの欠片も見当たらない。現代の文明圏で進行しているグローバル化の影響か、それともグイン本人がドワーフの中で変わり種なのか。或いは、一般的なイメージの方が間違っているのかもしれない。


「被害者はどうやら帰宅した所を二階の寝室で待ち伏せを喰らい、家から逃げだそうとしましたが、加害者にリビングに引き摺り込まれたようです。どうやら抵抗もしたようですが、まぁ……残念ながら力及ばなかったようですな」


 無意識的にかそれとも視線を説明の代わりとしたのか、グインはその場でチラリと室内を見回した。天井、壁、それから床。室内のあらゆる場所にブチ撒かれた血痕が

、事件の凄惨さを示している。


「被害者が逃げるのを封じる為でしょうな。犯人は被害者の両足を切断し、それからどうやら、何らかの獣に喰わせたようです」


「……獣?」


「はい。どうやら、相当な数が居たようで。遺体に残されていた牙の跡から察するに、少なくとも十数種類居たと思われ……あの、大丈夫ですか、お嬢さん?」


 リビングの扉を見た時点で顔面蒼白だったが、どうやらいよいよ辛くなってきたらしい。セシリアが口元を押さえ、そっぽを向いてしまうのを見て、グインが気遣わしげな声を掛ける。現場を荒らされるくらいならいっそ外に出て貰った方がマシだと、脇に居たヨグが彼女を外に連れ出し掛けたが、結局彼女は何とか持ち堪えた。


「すみません。ご迷惑を……」


「ああ、いえ。此方こそ。場所を移しましょう。此処は些か刺激が強過ぎますからな」


 そう言って、柔和なドワーフは率先してその場から移動を始めた。話をする彼が歩き始めては残る三人はそれに付いていくしか無く、そのままその場の四人はリビングルームを後にした。


「そう、それで。お嬢さん。いや、何時までもお嬢さんでは失礼でしたな。ええと……?」


「セシリアです。セシリア・ファングバイト」


「では、ファングバイトさん。貴方が呼ばれた理由なのですが」


「はい」


「貴方は、術式適性がズバ抜けて高いのだと伺っております。魔術院アカデミー史上最高の才女で、少し前は新聞を賑わせておりましたな?」


「あぅ……」


 四人は階段を上る。四人分の足音に混じって聞こえるグインの声は楽しそうだが、気分を悪くしたセシリアの気を他に逸らそうという心遣いもあるのかも知れないが、どちらにせよ彼女は何処か気まずそうだ。


「貴方がベッカーさんの下に就いたという話を思い出して、私が彼にお願いしたのですよ。ところで、私が最初に言った事を覚えておられますか?」


「あ、はい。この件には魔術師が関わっている、ですよね? でも……」


「でも?」


「術式が使われた形跡、あんまり無いような……?」


「ほう!」


 グインが感嘆したような声を上げるのと、四人が二階に上がりきるのはほぼ同時のタイミングだった。リビングの様子が異質だったのは言うまでも無いが、此処には此処で一つ、明らかにおかしな点があった。廊下を挟んで、とある部屋に繋がる扉、その向かい側の壁。其処に、大きく抉られた窪みがあったのだ。「ダグラスが寝室で待ち伏せを受けた」という推測は、この破壊痕から描き出されたものか。


「その通りです。幻燈鏡カレイドスコープで調べてみたところ、この家で使われた術式は、リビングルームでダグラスが使用したと思わしき黒式が複数、それきりでした。それ以外の術式痕は、今の所見つかっていません」


 幻燈鏡カレイドスコープと言うのは特殊な魔導具の名前で、主に魔力そのものを観測する時に使用される。「過去にその場で術式が使われたか」どうかを調べるのも使用例の一つだ。術式を発動する際に使われた魔力の残滓を調べる事で、現場において過去に術式が使われたか否か、若しくはどんな術式が使われたかを調査する事が出来るのである。時間が経てば経つ程魔力の残滓は消えていくし、最初から微弱な魔力しか残って居なければ計測するのも難しいが、例えばヒト一人を殺傷する程度の術式であれば、二四時間以内なら観測可能だ。


 グインは扉を開けて、抉られた壁の向かい側の部屋へと入る。


 其処にも、幻燈鏡カレイドスコープを使って部屋の中を調べている守護騎士が数人居た。誰もが一瞬顔を入口に向けたが、グインやハインツの顔を見れば何事も無かったように自らの仕事に戻っていく。


「ですが、それではおかしいのです。被害者が帰宅してこの部屋に居た時、犯人は確かに此処に居た。しかし、何処から侵入したのか? 何より殺害に使ったと思われる幾多の獣達はどうやって此処に運び込んだのか? 物理的な痕跡が全く見つからない以上、犯人は間違い無く術式を使った筈なのに、術式痕が一切見つからないのは一体どういうことなのか?」


 どうやらここで調査していた守護騎士達も、誰一人として報告出来るような発見は得られていないらしい。それが残念だったのだろう。グインはセシリア達に説明しながらも、微かに落胆したように肩を落とした。


「……正直、初めてのパターンでして。困り果てた時に、ふと貴方の事を思い出したのです。術式の事は、その手の専門家に尋ねるのが筋だ」


「コイツはまだ新人ですよ?」


 セシリアが何かを言うよりも早く、ヨグがグインの言葉に応えた。言葉だけ聞けば、早々に白旗を上げたばかりか新人に泣きつこうとしているグイン達を非難しているように聞こえなくも無い。実際、世の中にはグイン達をそう言って非難する者達も確実に居るだろう。


 だが、高度な術式を見抜けるのは優秀な魔術師だけだ。便利な魔導具どうぐを使えるだけでは、見抜ける事にも限界がある。


 ヨグは優れた魔術師ではないが、その事を重々承知している守護騎士だ。年若くとも優れた魔術師であるセシリアに意見を求める事も、最も現実的な手段だと頭では理解しているだろう。


 だが同時に彼は――彼は自分がとは絶対に認めないだろうが――少し過保護であるようだ。グインからセシリアを庇うように前に出た彼は、少し歯切れの悪い口調で言葉を続けた。


「確かにコイツは優れた魔術師ですがね。まだ、こういう事件に関わらせるのは、あー……その、ちっと早いんじゃないかと……」


「僕の下に来た以上、これはいずれ必ず通る道だよ、ヨグ」


 尤も、その“過保護”は年若い上司にあっさり潰されてしまったが。ハインツは何を思ったか、それまで他の三人と作っていた輪を抜けて寝室の窓際まで寄っていくと、其処から窓の外を眺めた。彼は素行は良いし、その気になれば礼儀と忍耐を発揮できるが、本来は長時間続く堅苦しい話は苦手な性質たちだ。それは、彼と少し付き合えば誰でも知り得る事である。


「ポセイドンは平和ですが、犯罪が無い訳じゃない。寧ろ多い。将来を期待出来る人材はビシバシ鍛えて、少しでも早く活躍して貰わないと」


「……まぁ、それはそうですが」


「確かにヨグの言い分も分からなくはないですけどね。ですが、今回は本当に“優秀な魔術師”の力が必要になる事件だ。自分の力が役に立つなら、新人だろうと何だろうと活かしてみせる。ですよね、ファングバイト君?」


「は、はい! 勿論です!」


 振り返りすらしないで言われた言葉だったが、セシリアにとっては威力十分な台詞だったらしい。未だ顔色は良くなかったが、セシリアは思わずと言った調子でそれに答える。


 そんな彼女を見て、ヨグは小さく溜息を吐いて頭を振った。


「……良いでしょう。ですが、俺ぁコイツとセットで行動させて貰いますよ。俺をコイツの教育係に指名したのはアンタだ。いきなり捜査にぶっ込むってんなら、せめて捜査現場の歩き方ってヤツを教えてやらないと」


「うん。だから君も呼んだのさ」


 事も無げに答えて見せたその声に微かに笑いが滲んでいたのは、ヨグの言う事が予め予想出来ていたからか。


 外の様子を眺めているのにも飽きたのか、それとも長い話もそろそろ締め時だと察したのか、ハインツはその場で反転し、室内を、正確にはその入口付近に居たセシリア達を振り返る。何処となく芝居がかった仕草だったが、陽の光が差し込む中、絵に描いたような美形がそのように振る舞う様は中々絵になった。


「さて、諸君。亡霊探しゴースト・ハントと行こうじゃないか!」


「……亡霊ゴースト?」


 聞き返したのはセシリアだ。突然のワードに反応しただけの、単なる素朴な疑問といった体だったが、対するハインツは、ニンマリと笑って見せた。


「痕跡もなく、証拠もない。なのにヒト一人を惨殺してのけるなんて。そんなの、亡霊と呼ばずして何と呼ぶんだい?」



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