街角交響曲②
「そ、それより! ハインツさんからの呼び出しの内容って何でしょうか?」
「あー……」
露骨な話題変えだったが、ヨグは素直にその話題に乗っかり――何故か、渋い顔をした。
「ま、何だ。この仕事を続けるなら、誰でも通る道ではある」
「よ、ヨグさん……?」
「期待されてんのさ。お前は自分に出来る事をやりゃあいい」
海辺の近く、
「そ、それで、私は何をやらされるんでしょう?」
尤も、セシリアはと言えば、自身に任される何らかの“仕事”の内容が気になって窓から見える光景どころではない様子だったが。元々、彼女は都市の人間だ。都市の光景など見慣れていて、今更見るようなものでもないのだろう。
「勿論、何事も全力を尽くす所存ではありますがっ。でもその、出来れば心の準備みたいなものを、です、ね……?」
「……」
変に語尾に力が入ったり、そのくせ次の瞬間には尻すぼみになったり、セシリアの声は端から聞いている分にはいっそ面白いくらいに不安定だ。それもその筈、彼女は守護騎士としてはまだ研修中の新人だ。今日も本来ならば、街の構造を知り尽くす為の特定区域の見回りと、一つ二つの簡単な業務、それから他の騎士達に混じっての戦闘訓練で一日を終える筈だったのである。見回りの途中で部署のトップに当たる人物から呼び出しを喰らう事なんてこれまでは無かったし、守護騎士全体に話を広げてみてもそんな話は前代未聞だ。
ハンマーで叩けば粉々に砕けるんじゃないかと思えるくらいに緊張しているセシリアを横目でちらりと眺め、ヨグは数拍の間を置いた。卑屈になりがちな新人を心配しているのか、それとも単に車の運転に集中しているだけなのか。人間とは根本的に構造が違う彼の横顔から、その心中を読み取るのは難しい。
「……ダグラス・ダラスの名前を知ってるか?」
結局、ヨグはその心中を明かす事はなく、代わりにセシリアの要望にある程度応える事にしたらしい。ややあって彼が挙げた名前は、ポセイドンでも有名な成り上がりの名前だった。
「ダグラスさんですか? キングマテリアル社の?」
「ああ、そいつだ。なんだ、最近の学生はあんなのの名前も普通に知っているものなのか?」
自分から聞いておいて、そのくせヨグはセシリアがあっさり返してきた事に軽く驚いたらしい。その言い草には、ヨグ自身のダグラス・ダラスなる人物の評価が何となく顕われていて、セシリアはやや苦笑しつつこれに答える。
「一応、父の知り合いですので。ほら、同じ商人ですから。何度かお会いした事もありますよ」
「……ああそうか。お前はファングバイトの……」
言いかけて、そこでヨグは一旦口を噤んだ。ハンドルを切り、何時の間にか多くなってきた高層ビルの角を曲がる。高度を下げて列を他の車に合わせ、またハンドルを切る。かつては車と言えば地上に舗装された専用の道を走るものだったらしいが、今ではそんな旧式の車には滅多にお目に掛かれない。皆が同じ平面しか走れないから片方を閉鎖し、その間片方を開通させるという独特の交通ルールがあったらしいが、今ではそれぞれ高度を変えて道を設定する事で、そんなものは必要無くなった。その代わり、車に乗ると車酔いする者が多くなったらしいが。
「ま、そのダグラスなんだが」
新たな車の列に滑り込んでから数拍置いて、ヨグは話を再開した。
「今朝、死体で発見されたらしい」
「……え!?」
「詳しい事は俺も知らん。だがまぁ、他殺なのは間違い無いって話だ」
「ちょ、ちょっと待って下さい! ダグラスさんが? 本当に?」
ひどく狼狽えた様子で、セシリアが口を挟む。その様は自身にこれから降りかかるであろう難題の心配すら何処かに飛んで行ったようで、その姿に何か思う所があったのだろう、ヨグは微かにその頬を緩ませた。
「知り合って間も無い俺が言うのもなんだが、実にお前らしい反応だな」
「え?」
「守護騎士に向いてるって言ったのさ。とにかくだ。ハインツの大将は、お前に何かやらせたい事があるらしい。入団してせいぜい一ヶ月の新人には、中々ハードな研修になるやもしれんが……」
そう言って、ヨグは再びセシリアを横目でチラリと眺めた。
「まぁ、早い所一人前に育て上げたいって考えなのかもしれん。世界の交易の中心ってだけならいいが、同時にこの街には犯罪も多い。この間検挙した麻薬組織は氷山の一角だって話だし、最近は身寄りの無いガキ共が次々と消えていくって噂も出てるよな。特別な話題が無くても、今も昔も底層区画は犯罪の温床だ。使える人材は、幾ら育てても困るって事はない」
セシリアは答えない。ヨグの言葉に思う所があるのか、それとも自分が本当にヨグの言う『使える人材』足る人物になれるかと不安に思っているのか。その神妙な表情からでは判別が付かないが、少なくともヨグの言葉を重く受け止めているのは確かなようだった。
「……私、上手く出来るでしょうか?」
「出来るさ。お前はもう少し自信を持った方がいいな」
「……」
「それに、ハインツの大将はあんな顔してスパルタだが、何の意味を無い事をやらせて苛めるような御仁でない事も確かだ。あの人がやれと言うんなら、それには何らかの意味があるんだろう。……具体的に、何をやらされるのかは俺も知らんが」
「それ、それですよ! 結局私は何をすれば――」
何時の間にか話が一周回り、セシリアが再び不安に囚われ、ヨグがそれをやや不器用且つ少ない語彙で宥めている間にも、車はポセイドンの街並みを進んでいく。鉄筋とコンクリートの街並みを抜け、術式と機械の複合化が進んだ黒鋼の中央区画の外周を回り、やがて適度に自然の緑を取り入れた閑静な住宅区画に辿り着いた。
他の区画を眼下に臨むように、高台に位置する場所へ展開されたその区画は、近年ポセイドンに増設された上級住宅街である。海港区や工場区画からは最も距離があり、底辺区画の入口も付近には無い。公園や人工林などといった擬似的な自然環境も多数作られており、雑然とした環境が目立つポセイドンの中では珍しく落ち着ける場所として人気が集めているらしい。
セシリアとヨグを乗せた車は、その中の一角にある住宅の前に停まった。多くの守護騎士が忙しそうに立ち回り、近隣の住民が遠巻きに眺めているその家に、車から降りたヨグとセシリアはそれぞれの足取りで進んでいく。
「うわ、ひどいな」
「……」
見張りの守護騎士に軽く会釈し、玄関を潜り抜けた時点で、惨劇の気配は伝わってきた。血や汚物の入り交じった臭いが辺りに漂っていたし、玄関に入って真っ先に見えるリビングへの扉、その硝子部分には飛び散った血の飛沫が見えていたからだ。ヨグの方はせいぜい軽く驚いただけの様子だったが、セシリアに至ってはこの時点で顔面蒼白になっていた。
血塗れのリビングの扉を潜ると、その中でも複数の守護騎士が立ち回っていた。血塗れの扉を越えた先は、やはりと言うべきか血塗れの光景が広がっている。床にも、壁にも、果ては天井までにも派手にブチ撒けられた血糊の跡は、ここで起きた凄惨な事件をありありと想像させる。
「隊長」
忙しく動き回る守護騎士の中に、どことなく目を引く男が居た。キラキラと輝く柔らかそうな金髪に、見る者全てに慈愛を注ぐかのような水色の双眸。細身で背が高く、何より甘く整った顔立ちを持っていて、一見するとエルフのように見えなくもない。が、ヨグが隊長と呼んだその男は、耳が尖っていなかった。どうやら外見が見目麗しいというだけで、彼はセシリアと同じ人間族であるらしい。それまで部屋の中央で他の守護騎士達と話していた彼は、ヨグの声に反応して振り向くと、ふわりと柔らかい笑みを浮かべて見せた。
「やぁ、思ったよりも早かったですね」
「お待たせしました。ヨグ・ポー並びにセシリア・ファングバイト、招集に応じて参上いたしました」
「はっは、君は何処でも真面目ですねぇ」
ハインツ・ベッカー。外見の麗しさもさることながら、彼は守護騎士の中でも特別目を引く存在である。
第一に、彼は他の守護騎士とは格好からして違う。ヨグやセシリアを含め、他の守護騎士達が軍服を思わせる黒い制服しか着ていないのに対し、彼は銀の胸当て、肩当て、籠手に脚甲と、より「騎士」を思わせる格好をしている。嘗て守護騎士団がポセイドンの盾として発足した頃の名残であり、現代では儀礼用としての正装として残っているだけだ。日常的に着ている者は、たった一人の物好きを除いて一人もいない。更に言えば、腰には剣帯、それに吊されたサーベルとスティレット。申請して許可が出れば好きな武装が出来るとは言え、時代と共に武装の近代化が進んでいる守護騎士団に於いて、剣などといった時代遅れな武器を装備しているのも彼くらいのものだろう。
だが、それよりも何よりも、彼はポセイドンで多くの伝説を残している人物だ。守護騎士としてポセイドンに入り込んだ多くの犯罪組織を検挙し、様々な脅威からポセイドンの住人を守ってきた。何より、彼がポセイドンの住人から“英雄”として認められる切っ掛けとなった、「大海獣襲撃事件」。これはポセイドンのみならず、文明圏全体でも有名な話である。神代の生き残りではないかと言われる巨大な海獣が海の底から現われ、ポセイドンに襲い掛かってきた時、ハインツ・ベッカーは誰よりも早くこの怪物と相対し、混乱した都市が体勢を整えて防衛に移るまでの時間を稼いだ。神代の怪物とすら互角に渡り合ってみせた彼を、ヒトビトは「ポセイドンの英雄」と褒め称え、都市は守護騎士を創設した人物にあやかって、彼に“黒騎士”の称号を与えたという。
……尤も。
今、気安い調子でヨグに近付き、その肩を軽く叩いてみせたその美青年には、そんな大仰な人物にありがちな気取った様子などまるで無かったが。
「急に呼び出したりして申し訳ないな。君も――」
そう言って、ハインツはセシリアの方へ目を向けた。ハインツは気が付かなかった様子だったが、その瞬間セシリアは明らかに背中に氷でも入れられたかのように硬直した。ハインツの方は無頓着でも、セシリアの方はしっかり彼を“現代を生きる英雄”として認識しているらしい。
「君がまだ守護騎士に入団して日が浅いという事は重々承知しているつもりではあるのですが。いきなりこんな凄惨な事件現場に呼び出されて、君も困惑しているでしょう?」
「い、ぃえ! 新米とは言え、自分も守護騎士の末席を汚す者でありま、あり、ありますです! ここ、このよう、な現場も、いずれ来るものと――!?」
「おい、落ち着け」
明らかに無理をしているセシリアを見かねてか、隣のヨグが苦笑交じりに助け船を出した。このまま放っておけば緊張のあまり舌を噛みかねない有様だったから、当然と言えば当然だったかもしれない。セシリア自身も、緊張で全然上手く喋れていないのは自覚していたらしい。緊張の影響か、それとも羞恥のあまりか(恐らくは両方だろうが)、顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。
「……はは、すいません、隊長。コイツのアガリ症は中々手強くて」
「ふむ。そうみたいですね」
「しかし、コイツがこうなってしまうのも、今回ばかりは止むを得ないかと。コイツはまだ入って間も無い新人だ。こんなひどい……いや、本当にひでぇな。まぁそんなひっでぇ殺人現場に連れて来るには、まだ早いのでは? 勿論、俺達の直属の上司はアンタだ。来いと言われれば行くし、やれと言われた事はやりますがね」
「しかし、せめて真意は教えて欲しい。君が言いたいのはそういうことかな?」
「話が早くて助かります」
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