14

「カンナ様! 追いつけて良かったです! おおアナ、君もいたのか!」


 だばだばと追いついてきたカルガオーは我々を見つけると、喜色を浮かべて走り寄ってきた。


 魔王アナスタシアはその姿を見て、ぽかんとして言葉も出ない様子だった。


 無理もない。


 上半身簀巻きで顔をペーストまみれにして、おまけに裸足であちこち葉っぱをくっつけて、おまけに血まみれの大男が走ってきたら、大抵は唖然とするものだ。


 ……しかも、その大男は愛する男――は言い過ぎかもしれないが、少なくともオキニの勇者ではあるのだ。そりゃ驚くだろう。


「あっ、カンナ様、レンタロー君、トーコちゃん!」

「すまねえ、見ての通りだ、逃げられちまった!」

「得物を封じたので十分かと思っていましたが……申し訳ありません、勇者の体力を侮っていました」


 チャコさん、ジルさん、ロッテちゃんの三人も追いついてくる。その手に握られたロープは簀巻きになっているカルガオーの背中に繋がっていたが、それが用を成さなかったのは一目瞭然だった。


 それぞれに謝罪を口にするが、縛られた状態で三人を引き摺って魔獣のいる森を抜けて追いついてくるなど、予想できなくて当然である。


 その三人も、すぐに目の前に魔王がいることに気づいて、はっと口を噤んだ。皆服装に乱れがあり、道中もカルガオーを止めようと頑張ってくれていうたことがわかるが、事ここに至っては成り行きを見守るしかないと察したようだった。


「カンナ様、大丈夫ですか?!」


 と、この場で一番大丈夫じゃない男が言った。


「え、ええ……。どうして来たの?」


 神奈先輩の『どうして』には『なぜ』と『一体全体どうやったらあの状態から来れるんだよこの筋肉』という二つの含意があるように聞こえたが、当の勇者はそれに気づいたふうもなく俺を指差して、


「どうしても何も、復活すると同時に此奴らが私を拘束したのです! 何とか脱して信徒に聞いてみればカンナ様自ら魔王のもとに向かったというではありませんか。この騎士カルガオー、一も二もなく馳せ参じた次第でございます」


 と、批難を込めて言った。


 カルガオーを簀巻きにした場面に神奈先輩はいなかったため、どうやら先輩とは関係なく俺が主犯格だと思っているらしい。まあ『確保ーっ!』とか号令出してたの俺だしな。


「いやあのね、あなたね……」

「とりあえずカンナ様お手数ではございますが、この縄を解いて頂けませんか? 顔に塗られた謎の植物が染みるのなんの……」

「あんななってたのにカルガオーすごいのねー」

「……」


 何を言えばいいか分からなくなっている神奈先輩、上半身を縛られたまま目をしばたたかせるカルガオー、呑気に勇者の体力に感心している塔子。そして少し距離をとってフリーズしているレジスタンス三人組。


 カオスな状況の中、俺は恐る恐る魔王アナスタシアの方を見た。


 事態のあまりの急変にぽかんと呆れていたアナスタシアだったが、今はその呆れは明らかに別の感情に移行していた。


 すなわち、怒りである。ゴゴゴという擬音とともに怒りがオーラとして見えそうになっている。


「カルガオー」


 アナスタシアは押し殺すような声で、勇者に語りかける。


「おお、アナ、こちらは大変だったのだよ、とりあえず縄を……」

「それは、そいつ等にやられたのか?」


 カルガオーの言葉を遮って尋ねる。こちらが口を挟めないほどのシリアスな雰囲気だ。


「ああ、どういう事情があったのかは分からないがレンタロー君たちにやられてね、だから縄を……」

「そうか、そうか……」


 瞬間、ぞわっと鳥肌が立った。今や魔王の怒りは隠すことなく、俺たちに向かっている。


 それは単なる怒りではなく、国主の館で赤の波動を食らったときのような、わずかな力の放射も感じられた。


「私のカルガオーをこんなにしたのは、お前らか……。一瞬でも気を許した私が馬鹿だったようだな」

「そ、その……これには事情が……」

「ほう?」


 あ、やばい。魔王の眼がさらにつり上がった。ここは下手に言い訳をせず、開幕でジャンピング土下座するべきだった!


「私のお気に入りの玩具を、どういう事情があって汚したのか、言ってみろ」


 ぶっちゃけカルガオーに関してはノリと勢いで簀巻きにしたのが十割なので、魔王が納得する事情があるはずもない。


 今からでも遅くない、土下座しよう。いやこちらの習慣に土下座というものがあるか分からないが、とにかく全力でごめんなさいするしかない。


 と、そう思っているのだが、体がうまく動かなかった。


 魔王の恐怖に体が竦んでいるのか、と思ったが、そうではなかった。カルガオーが血相を変えて叫んだ。


「アナ、何をやっているんだ! 黒の波動を使ってはいけない!」


 黒の波動。魔王が使うという三つの波動のうちで、使われた記録がないというものだ。赤が人をはじめとした生物に、青が物体に作用するため、黒は両方を割るものではないか、とチャコさんは言っていた。


 だが今受けているらしいこれは、明らかに異質なものだった。


「カルガオー、お前は下がっていよ」


 アナスタシアは勇者の言葉に耳も貸さず、ぐいと縄を引っ張ってカルガオーを自分の後ろに押しやった。魔王の正面にいるのが、俺たちだけになる。


「ぐっ、なにこれ……? 赤の波動の時とは違う、力が奪われるような……」


 神奈先輩も動けなくなっているらしく、言葉に焦りが滲む。後方にいたチャコさん達も苦悶の声を上げている。塔子だけは「おおおおおお」という苦悶なのか何なのかよく分からない声を出しているが、たぶん苦しんでいるのだろう。


「がっ、防盾形態ガードフォームっ」


 力を振り絞って折りたたみ傘を開き、防盾形態ガードフォームをとる。


 が、防げない。変化がない。


 足元を見ると、地面から立ち上る黒い靄のようなものが、自分の体に絡みつくように立ち上っているのが分かる。傘は上から降るものを防ぐためのものだ。下からくるものは防げない。


 神奈先輩と塔子もどうにかそれぞれの得物――シナイ・ブレードとたて笛を構えることはできていたが、それ以上動けなくなっているようだ。


「ふん、無駄だ、黒の波動は得物では防げん」


 アナスタシアはその唇に残酷な微笑を浮かべていた。


「これは魔王の“技”ではない“特権”だ。私の力は無差別にお前たち人間を復活させてしまう。だからそれを、没収する」


 そう説明されている間にも、どんどん体に力が入らなくなっていく。それでいて、地に倒れ伏すこともできない。空中に縫い止められた状態だ。


「……お前らはここで、死ぬがよい」


 と、魔王は『死ぬ』という言葉を使った。ダメージを受けても割れるだけ、後で復活するというこの世界ではついぞ聞かなかった言葉だ。


 周りに生えていた植物や木がジュンッと音を立てて消滅する。黒の波動は万物を『割る』などという生易しいものではないのだ。それは万物を『殺す』。消滅させるという魔王の“特権”だった。


「や、やだ、消えたくないよ……」


 ロッテちゃんのか細い悲鳴が耳に届く。


 この世界の人間ではない俺たちはどうなるのか分からないが、ロッテちゃんたちは確実に消滅させられてしまうだろう。無論俺たちだってどうなるか分からない。


 このままではまずい。しかし体が動かない。


「やめるんだ、アナ!」


 視界の向こう、魔王の背後で勇者が叫んでいる。どうやら黒の波動は正面のみに放射させられるようで、勇者はその影響を受けていない。


「黒は使ってはいけない! 君は心優しい魔王だったじゃないか!」


 こちらは言葉もろくに発せない以上、もう勇者だけが頼りだ。がんばれカルガオー! 負けるなカルガオー!


 だがアナスタシアはカルガオーの言葉に耳も貸さない。諦めるなカルガオー! こういうときの定番だ! 分かっているだろう!


 カルガオーは言葉を聞き入れてもらえないと見るや、意を決した表情でアナスタシアに近づいていく。いいぞ、その調子だ。


 勇者は上半身を縛められたまま、魔王のすぐ隣にまでやって来る。


「危ないぞ、下がっていろカルガオー」


 という魔王の言葉を無視して、勇者はもう一歩を踏み出し――


「やめるんだ、これ以上カンナ様たちを傷つけるな!」


 と、魔王の前に立ち塞がった。




 ……。




 あ、アホーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!


 ちがーう! 違うでしょうが! ラブコメ主人公的には、魔王を後ろから抱きしめるシーンでしょうが!


 両手は縛られているだろうって? もちろんそのために縛られているんでしょうが! 怒りにとらわれた少女を抱擁したい、けど両腕は自由にならない。そんな状況で勇者は逡巡を断ち切り――


 ――キス。


 これでしょうがあああああああああ!


 ……。


 ……まあ、そこまでコテコテにラブでコメらなくてもいいんだけどさ。ここで神奈先輩を庇うのは、考えうる限り最悪の行動だよ。


 立ち塞がったもんだから、カルガオー本人も苦しんで動けなくなってるし。あと地面から立ち上る波動だから、別に立ち塞がったところで防げてないし。


 魔王なんか頬をひくひくさせながら、


「そうか……望み通り貴様ごと消してやろう!」


 とか言ってるし。この状況で他の女を庇われたら、そりゃ激おこですよ。


 そして勇者自身も、波動に捕らわれて動けなくなってるし。



 ……。



 ……詰んだ。



 RPGで言うなら、パーティ全員が麻痺と毒を同時に食らった状態。もう二度と俺たちのターンは巡ってこない。


 今までの思い出が走馬灯のように浮かんでは消える。ああ、父さん母さん。異世界で消滅していく不孝な息子をお許しください。


 そんな風に、俺の意識が途切れかけていたとき。



 ♪~ ♪~



 どこか懐かしい音色が聞こえてきた。これも走馬灯だろうか。


 通っていた小学校の風景が思い浮かぶ。俺は音楽室にいた。懐かしいなあ、夜中にベートーベンの絵が夜な夜なライムを刻むとかいう七不思議があったなあ。


 音楽室で、俺はたて笛を吹いていた。そう、兎を追ったり小鮒を釣ったりする、あの曲だ。音楽の時間の課題曲になっていて、家で塔子と一緒に練習したっけ。


 そう、この音色は――


「はっ!」


 俺は走馬灯から覚醒した。


 目の前には相変わらず、怒りに眼を染めた魔王と、間抜けに立ち塞がっているカルガオーがいる。が、意識がはっきりしている。重たいが、体が動く。


 そうだ、これはたて笛の音色だ。


 俺の横で、塔子がたて笛で「ふるさと」を一心不乱に吹いていた。


「な……黒の波動を相殺しているだと?! 何だその得物は!」


 驚きの表情を浮かべる魔王。俺だって驚きだ。たて笛にこんな効果もあったとは。


「でかしたわ、塔子ちゃん!」


 神奈先輩も顔色は悪いが、動けるようになっている。これなら何とかなるかもしれない。俺は先輩と目線を合わせて、頷きあった。


 黒の波動の影響は完全に消えたわけではない、体が動くようになった今のうちに、なにか手を打たなければ……。


 ……ピヒョッ。


 と、気合を入れた途端、塔子の演奏が止まった。また体が鉛のように重くなる。


「ぐぅっ! と、塔子、どうした……!」

「……この先、わすれた」

「そんなんいいから! 間違っててもループでも何でもいいから吹いてくれー!」


 懇願すると、塔子は納得のいってない顔でまた最初から吹き始めた。なんかこいつだけ余裕だな……。


 っと。塔子に突っ込んでいる場合ではない。俺は素早く広げたままの折りたたみ傘フォービドゥン・アンブレラをたたみ、刀剣形態ブレードフォームに変化させる。


 今のうちに魔王を何とかしなければ、と折りたたみ傘を振りかぶったその瞬間。



「だらっっしゃああああああああああああああ!」



 神奈先輩の絶叫が響き渡り。


 それはもう見事なドロップキックが。


 ……勇者カルガオーの後頭部に、炸裂していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る