11
その夜。
俺たちは遅くまで作戦について話し合い、深更に及んでようやく解散となった。
「カンナ、こっちだ」
「はいはい……」
神奈先輩は妙に懐かれてしまった塔子と一緒に寝ることになり、俺たちの使っている地下室に降りてきた。神奈先輩と同じ部屋で一夜を過ごすというシシュエーションに少し胸が高鳴る。
まあ塔子も一緒にいる以上、何も起こりようがないのだが。
「……で、あなた達、何をしようとしてるの?」
ランプを点け、部屋の隅に立てかけてある机をがたがたと出してくる俺たちに、神奈先輩が怪訝な顔をした。
「何って、宿題ですよ」
「しゅくだいする」
と、当然のように夏休みの宿題を取り出した俺たちに、神奈先輩は思い切り嫌な顔をした。
「……あんたら、なに異世界にロマンもへったくれもないもの持ち込んでんのよ。台無しじゃないの」
呆れられ、『あなた達』だったのが『あんたら』にランクダウンしてしまった。
「俺も最初は置いてきたんですよ? でも塔子が持ってきちゃったもんで」
「われがもってきた」
ふんー、と得意げな塔子に、先輩はため息をつく。
「ま、好きにしたらいいけど……。さすがに今日はもう遅いし、明日に備えて寝ましょうよ」
「だめ」
塔子は頑なに首をふった。
「しゅくだいは毎日しないといみぬい」
「……変な所で真面目なのね」
「真面目というか、妙に習慣を大事にするとこがあるんですよね、こいつ」
普段はそんな真面目っ子じゃないのだが、たぶん塔子の中の異世界生活に、『夜は宿題をする』っていうのがインプットされてしまったのだと思う。
「カンナもいっしょにする」
「はいはい……」
抵抗しても無駄だと悟ったのか、袖を引かれて塔子の隣に座る。
俺も自分の宿題に取り掛かりながら、ちらりと正面の二人を見る。先輩は塔子が解いている数学の教材が懐かしいのか、けっこう興味深そうに眺めていて、頭の中で問題を解いている様子だった。
時折「ここの途中の式も書かないと駄目よ」などと塔子に教えてやってもいる。まるで仲の良い姉妹のようだ。
姉妹か。塔子と姉妹だったら、俺にとっても先輩がお姉ちゃんになるのか。先輩みたいなお姉ちゃんがいたらよかったのにな、と思いながら自分の宿題をやっていく。
……。
……って、いやいや! 俺は先輩が好きなんだから、『お姉ちゃん』じゃダメじゃないか。危ない危ない。
頭をブンブン振る俺に神奈先輩は若干引きつつも「……分からないとこあるなら教えてあげようか?」と言ってくれた。
「おやすみなさい」
「お休み」
「ぁゃすみー」
日課の宿題をこなし。
さすがに夜も遅いので、俺たちは挨拶をしてランプを消した。布団の予備はあったが、塔子にせがまれて先輩は塔子と同じベッドで寝るようだ。
しばらくもぞもぞと神奈先輩にひっついて「こら、苦しいわよ」などと言われていた羨ましい塔子はさすがに疲れていたのか、すぐにひゅこー、ひゅこーと規則正しい寝息をたて始めた。
「……すいませんね、塔子に付き合わせちゃって」
「……いいえ」
ぽつりぽつりと会話をする。沈黙すると、塔子の寝息だけが暗闇の中に満ちる。
「ねえ、レンタローくん」
「……はい?」
「なんでみんな、私のために協力してくれるのかな?」
神奈先輩はそうぽつりと呟いた。
「うーん、チャコさんたちは、面白ければなんでもいいってとこありますからねえ」
そもそもレジスタンス活動を(実際にやっていたかどうかは別として)始めたのも、何か面白いことをやりたいというだけの理由だと言っていた。そのあたりは神奈先輩と似ているかもしれない。
あとまあ一応レジスタンス的には、先輩が満足して帰ってくれたら目的達成なわけだし。
「そうじゃなくて、いや、それもなんだけど……あなたのことよ」
はて。
「レンタロー君は、どうして私のためにそこまでしてくれようとするの?」
異世界に来てまで、と神奈先輩はつぶやいた。
「計画のことだって、元は完全に私のわがままじゃない。放っておけば解決することを、英雄になりたいなんて私の子供っぽいわがままでややこしくしようとしてる」
塔子を起こさないよう気遣っているせいか、先輩の声はどこか掠れて、ふるえているように聞こえた。
「どうしてそんな私のわがままを、必死に叶えようとしてくれるの?」
「それは、好きだからですよ。神奈先輩が」
自分でもびっくりするほど自然に、いざとなったらどぎまぎして言えないだろうと思っていた言葉が出てきた。
暗闇の中で、神奈先輩が寝返りをうつ気配がする。
「……それは、元の世界での私でしょう?」
「え?」
「いつもクールで、成績優秀な風紀委員長。あなたが好きだったのは私じゃなくて、そういう私のイメージじゃないの?」
「……」
「何度か私に言ったわよね、『イメージと違う』って。本当の私は、わがままで見栄っ張りで、押し付けられたイメージを守るのに必死な、ただの子供よ。それでも私が好きって言える?」
「……俺もいろいろ考えてみたんですよ、こっちに来てから」
先輩ができる限り本音で話そうとしてくれているのが分かる。俺もできるだけ自分の気持ちに正直になれるように、言葉を選んでいく。
「先輩に対して抱いていたのは、ただの憧れなんじゃないか、とか、好きっていっても、遠くで眺めてるだけの好きなんじゃないか、とか……」
姉だったらいいな、と思ってしまったり、さっきのようにさらっと「好き」と伝えられてしまったり。もしかしたら俺は、本気で先輩を手に入れたいとは思ってないのかもしれない。
だけど。
「だけど、俺は元の世界にいた頃よりも、今の先輩をずっと身近に感じてます。物理的な距離が近いからとか、それだけじゃなくて……。本当に好きかどうかは分からない部分もありますけど、率直に先輩を助けたい、願いを叶えてあげたい、って思う気持ちは、本物だと思います」
「……そう」
ぼふっと、枕に顔を埋める音が聞こえる。
「それに、そんな深く考えなくていいじゃないですか。ちょっと勘違い勇者にお灸を据えつつ、街の危機も救っちゃうだけです。このくらいのわがままは許されますって」
「……うん」
元の世界で憧れていた神奈先輩も素敵でしたけど、自分の弱いところとちゃんと向き合って、ちょっと弱気になってるいまの先輩も素敵ですよ。
とは、言わないでおいた。
「カンナ、兄のこと好きか?」
「わひゃっ」
唐突な塔子の言葉に、先輩が可愛い悲鳴をあげた。
「と、トーコちゃん……起きてたの?」
「隣でずっとしゃべってたら、ふつう寝られぬい」
「……ごめんなさい」
それきり先輩は何も言わず、塔子の質問の答えは聞けなかった。
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