10

 その夜。


 俺はすでに店じまいしたチャコさんの店で、アツカンを飲んでいた。


 おっと、勘違いしてはいけない。日本酒の熱燗などというものではなく、アツカンという飲み物だ。


 そもそもこっちの世界にはアルコールというものはないらしく、アツカンはどちらかというとコーヒーや紅茶みたいな感覚で飲まれている。わずかに白くにごったとろみのある液体で、温めて飲むとぽかぽかと温かい気持ちになれて、こちらの飲み物ではお気に入りなのだ。


「神奈先輩、どうぞ」

「……どうも」


 温め終わったアツカンをカップに注ぎ先輩に手渡すと、鍋の下の打火石うちひいしを火箸で叩いて火を消す。打火石は文字通り叩くと火が出たり消えたりする石のことで、調理の必需品なのだ。こちらの世界の道具の扱いにもだいぶ慣れてきた。


「……ん、これ、おいしいわね」

「でしょう。ひょっとして飲んだことなかったですか?」

「ええ。……ようやく人心地ついたという感じがするわ」

「今日はいろいろありましたもんねえ」


 と言いつつ、神奈先輩と一緒にアツカンを飲んでいる俺はニッコニコである。なんかこう、夫婦みたい、は言い過ぎかもしれないが、グッと距離が縮まったという気がする。


 と、幸せを噛み締めている俺の袖を引っ張る者がいた。ジルさんだ。笑顔だが、眼が笑ってない。少し離れたところでは、チャコさんとロッテちゃんもこちらを冷たい眼で見守っている。


「……レンタローさん、だいたいの事情はトーコちゃんから聞きましたよ。聞きましたけど、何故カンナを連れて帰って来たんですか」


 と、小声で囁く。


「いやー、俺が勇者割っちゃいましたんでね」




 魔王が去った後。


 周辺を見て回ったところ、館やその他の設備は無事だったが、魔王の赤の波動は人だけを的確に割っていた。敷地内に詰めていた元国主と兵士、その他の文官などはきれいに全滅していたのだ。


 その上で俺が軽い気持ちで突っ込んだら、勇者が割れてしまった。


「神奈先輩がばしばし叩いてても割れてなかったんで、大丈夫かなーと思ったんですけど」


 うんうんと神奈先輩も頷く。


「あいつが割れるところ初めて見たから、驚いたわ」

「……あのなあ、勇者だって無敵じゃないんだぞ。一般人なら10回は割れてる魔王の攻撃を耐え抜いて、気を抜いたところを不意打ちされたら割れるに決まってんだろ」


 と、チャコさんが説明してくれる。


「っていうか得物を突っ込みに使うなよ。武器だぞそれ……」

「ですよね……。いや、元の世界ではただの傘なんで、つい」


 今は反省しております。


「でも、それでどうしてカンナ様がうちに来ることになるの?」


 と、ロッテちゃんが塔子を膝上に乗せてかくかく腕を動かしながら聞いてくる。塔子はまんざらでもないらしく、大人しくおもちゃにされている。


「……私たちは異邦人だから、今回の件でどういう影響が出るかわからなかったのよ」


 そうなのだ。


 国主の館内の人間が消えたということは、神奈先輩の身の回りの世話をする人たちも皆消えてしまったということだ。


 がらんとした館に神奈先輩をひとり置いてくるわけにも行かないし、かといって国主がそのへんで宿を取るのもおかしい。事情を説明しようにも……


「魔王が攻めてきたっていうのが、どのぐらい深刻なことなのか分からないんですよね。下手に拡散して街が恐慌状態になっても困りますし」

「うむ、相談できる人が他にいぬい」


 と、塔子も頷く。


「それでまあ、俺たち異世界人の事情も分かってて、魔王とかそのへんの事情にも詳しそうな人っていうと……」

「うちらしかいないわな。まあ事情は分かったし、言いふらさなかったのは懸命だったな」


 チャコさんが頭をかきかき、ため息をついた。


「だが、レジスタンスの本部に当の国主を連れてくるって、どうなんだよ」


 と、後半部分は小声で言った。おっしゃる通りですが、レジスタンスらしい所がまったくないから黙ってたらバレないかなと思って。


「まあ確かに、魔王が攻めてきて勇者も割れたとなると、騒ぎになるでしょうね」

「やっぱり、そうなのね」


 ジルさんの言葉に、神奈先輩は頷く。


「赤の波動を使ってくるとなると魔王もかなり本気ということですし、一度割れて弱体化した勇者では対応できないかもしれません。それに、次は街を消しに来ると言っていたんですよね?」

「ああ、次は青の波動を使うってことだろうな……」

「その、赤とか青ってなんなの?」


 と聞いたのはロッテちゃん。こちらの世界の人でも知らないことらしい。


「魔王は赤、青、黒の三つの波動を使うそうなのです。赤は人だけを、青は物だけを広範囲に割ります。黒は使われた記録がないそうですが、たぶん両方を、って感じでしょうね」


「ああ。正直人は割れても復活するが、家も食料も何もかも割っちまう青の方が厄介だ。街を消すってことは、次は青の波動を使う、って警告だろうな」


 なるほど、生物以外のものは割れると復活しない。人が復活してもそこが何もない荒野だったら、路頭に迷ってしまうだろう。人間を消すよりも器物損壊の方が恐ろしいというのは俺たちには馴染みにくい感覚だが。


「詳しいのね、助かるわ。正直彼らの紹介だったから不安だったのだけれど、頼って良かった」


 と、神奈先輩に感謝され、チャコさんとジルさんはすごい微妙な表情になった。まあそういう顔になりますよね。たぶん魔王の情報も、レジスタンス活動の一環で調べたんだろうし。


「でもその話だと、この街凄くヤバいって事じゃないの? 肝心の勇者も弱くなっちゃってるわけでしょ?」


 と、ロッテちゃんが心配顔をするが、その膝の上に乗っていた塔子は即座に


「心配ぬい」


 と答えた。そうだろうなあ。


「ええ、話を聞く限り今回の件って、魔王と勇者の、その……痴話喧嘩ですよね」


 ジルさんの言う通りである。なので、


「ああ。ぶっちゃけ勇者を一人で送り込んで、ごめんなさいさせりゃ済む話だろ」


 と、チャコさんの言う通りの解決方法になるわけだ。


 しかし。


「それじゃ困るのよ!」


 と、神奈先輩は大声を出して、ばんっと立ち上がった。


 その場全員の視線が先輩に集中する。


「コホン……失礼」


 恥ずかしそうに座りなおす神奈先輩。別にここでは取り繕う必要はないと思うのだが、染み付いたキャラを崩すのは恥ずかしいんだろうな。


「蓮太郎くん、あなた言ってたわよね。私の望みを教えて欲しいって」

「はい」

「教えてあげるわ」


 神奈先輩は真剣な眼で俺を見据えながら、はっきりとこう言った。


「私は、魔王を倒したいのよ」


 一瞬、場がしんと静まり返る。


「はああっ?!」


 一拍の間のあと、最初に声をあげたのはチャコさんだった。


「魔王を、倒す?! お前、それがどういうことかわかってんのか?!」

「わかってないわよ!」


 と神奈先輩は力強く断言。でしょうなあ。


「わかってないっておま……なんでそれで魔王倒したいなんて言えるんだよ!」

「あなた達には分からないでしょうけどね! レンタロー君、塔子ちゃん、あなた達なら分かるでしょう?! 魔王、倒したいでしょう!」


 いきなり水を向けられて、俺は塔子と目を見合わせる。


「いや、見た目幼女を倒すのはちょっと……」

「われはレジスタンスの方がいい」

「なんでよおおおおお!」


 俺たち兄妹に否定されて、机に突っ伏す神奈先輩。なんというか、元の世界の人たちには見せられない光景である。あと妹はさらっとレジスタンス言うな。チャコさんがキョドってるだろ。


「突如街に現れ、街を滅ぼすと宣言して帰っていった魔王! それを防ぐために国主が単身魔王の城に乗り込むのよ! そういう展開を味わうために異世界でファンタジーな国に来たのよ! わけわからない書類と格闘するためじゃなくて!」


 と、まくしたてる神奈先輩。だいぶストレスが溜まっていたらしい。


「ま、まあ個人的に倒したいかと聞かれるとあれですけど、気持ちは分かりますよ。王道ですもんね、魔王討伐」

「そうでしょ?! そうよね!」


 がしっと神奈先輩に肩を掴まれる。おお、いつも遠くから眺めていた先輩をこんな間近で見られるとは。せっかくなのでしっかり観察しておこう、とまじまじと見ていると、先輩は急にかっと赤くなって離れてしまった。我に返ったらしい。


「コホン、と、とにかく、私は国主として、勇者の手を借りずに魔王を何とかしたいのよ」


 神奈先輩の豹変ぶりにぽかんとしているレジスタンスの面々に、俺も補足する。


「俺たちの世界では魔王を倒す英雄譚、みたいのが流行ってましてね。特別な思い入れがあるものなんですよ。俺はできるなら神奈先輩の希望に協力したいんですけど……ちなみに先輩、魔王を倒せたら元の世界に戻りますか?」

「むっ……まあ、そうね。そのくらいの体験が出来たら、一旦帰っても良いわ」


 言質をとり、俺はチャコさんたちに『ホラ、レジスタンス的にもいいことでしょ?』と目配せを送る。が、食いついてくるかと思っていた彼女らは微妙な表情をしたままだ。


「えーっと、魔王を倒すってそんなに無理なんですか? めちゃくちゃ強かったりします?」

「強いかどうかで言えば……まあ強いんですけど、勇者に匹敵する力を持つコーコーセーとチューガクセーが三人もいれば、倒せる可能性はあるのかもしれません」


 でもそういう問題じゃないんです、とジルさんは言った。


「そうだな、だいぶ魔王って存在に対する認識に齟齬があるようだが、まずあたしたちにとって、魔王は倒すべき悪じゃないんだ」

「何ですって?」


 神奈先輩が驚きの表情を浮かべる。


「今日の魔王しか見てないんならそう思うのも無理はないんだが、魔王は確かに畏れの対象ではあるが、この地の守り神でもあるんだよ」


 そう言ってチャコさんとジルさんが説明してくれたところによると。


 まず生物が割れても復活するのは、魔王がこの地に闇の女神より賜った魔力を満たしているかららしい。生物は夜の闇とともに広がる魔王の魔力を吸って、復活するのだそうだ。だから魔王のいるところからあまりにも離れた場所では生物が復活せず、不毛の地となる。


 魔王城が街から半日のところにあると聞いたときは近っ! と思ったが、そういう事情でこの世界の街は必然的に魔王の住む場所の近くになるわけだ。


 また魔王には外敵から街を守る役割もあり、強い魔王のいる街は繁栄するらしい。


「じゃあ勇者っていうのは、魔王を倒すためにいるんじゃなくて……」

「ああ、魔王の怒りを鎮め、この地を末永く守ってもらうために人間と魔王の橋渡しをする、儀礼的な役割だな」


 とのことで、我々が知っている勇者と魔王の関係とはずいぶん違うらしい。神奈先輩が目に見えて肩を落としたのが分かった。


「勇者、巫女みたいねー」


 と、塔子がつぶやく。確かに元の世界で喩えるなら巫女の役割に近そうだ。でもそれなら素直に可愛い巫女さんを出してほしかったよ。アゴの割れた筋肉ムキムキマッチョマンじゃなくて。


 とまれ、魔王を倒すということはつまり、この街を滅ぼすことになってしまうわけだ。


「ちょ、ちょっと待ってよ」


 が、神奈先輩は得心がいかないという顔である。


「勇者カルガオーは最初私に会ったとき、『魔王を倒すつもりなんでしょう』とかなんとか言ってたわよ。私が闇の女神の化身だとか言って。だから私はずっと、魔王って倒すべきものだと思ってたんだけど」


 と、神奈先輩がカルガオーと会ったときのことを説明した。あいつそんなこと言ってたのか。


 話を聞きながら顎に手をやり考え込んでいたジルさんが口を開く。


「それは、きっとカンナさんの髪が黒いからではないでしょうか?」

「髪?」

「ええ、お気づきかと思いますが、この世界では黒髪は非常に珍しい……というか、まず見ることがないんです。聞けば魔王も黒髪だったそうですし、光主教としてはそれが闇の女神の力を賜っている証だと考えているんじゃないでしょうか?」

「ああ、なるほどな。それが魔王城の近くで魔物狩りしてたもんだから、今の魔王を倒して新しく魔王になろうとしている、と考えたんじゃないか?」


 それはまた。そうだとするとなかなかの勘違い突っ走りマンだな。


「そう考えると、勇者がカンナ様を国主にしたのは、カンナ様に今の魔王を倒させないためってことだよね? 魔王は勇者がカンナ様に靡いたのを怒ってたらしいけど、それもそもそも魔王を庇ってのことだったわけで……」

「……そのあたりのことを説明すれば、一発で鎮まりそうですね。魔王の怒り」


 結論らしきものが出て、一同は微妙な表情で黙り込んだ。ことの始まりから、我々は勘違いと痴話喧嘩に振り回されていただけだったらしい。


 はあ~、と、神奈先輩が長い長いため息をついた。


「ようやく、面白そうな展開になったと思ったのになあ……」


 がっかりと机に突っ伏す先輩。塔子に「生きてればいいことある」と頭を撫でられているが、無反応だ。


 痛ましい先輩の姿に、俺はなんとかならないものだろうか、と考える。


 魔王を倒すと、街は滅んでしまう。


 かといってこのまま放っておいても、怒った魔王に街を滅ぼされてしまうかもしれない。が、簡単な解決方法がある。ラブでコメってる勇者を送り込んで、ごめんなさいさせれば良いだけだ。


 しかしそれでは、先輩の望みは叶わない。魔王を倒して、街を救った英雄になりたいという、ちょっぴり子供っぽくて可愛らしい望みが。


「……あ」

「どした、兄」

「あの、神奈先輩は魔王を倒したいっていうよりは、要するに街を救った英雄になりたいんですよね?」

「……まあ、そうかもしれないけど」


 先輩は机に突っ伏したまま肯定する。


「……なら、英雄になっちゃえばいいじゃないですか」


 俺の言葉に、先輩の頭がぴくりと震えた。

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