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カルガオーが国主執務室のドアを開けると、神奈先輩ははじめ苦々しげな顔をしていたが、俺の顔を見てさらに険しい顔になり、続いて入ってきた塔子の顔を見ると一瞬目を丸くしたのちに、諦めの無表情になった。先輩、こっちに来てから表情豊かになりましたね。
「拝謁を許され光栄でございます、カンナ様」
神奈先輩の前まで進み出て跪いたカルガオーの頭を、先輩はいきなりばしっと竹刀でしばいた。あっと息を飲んだが、カルガオーは「ぐおぅっ!」と呻いただけで割れずに留まっている。さすが勇者、道中に聞いた『心が折れない限り割れない』というのは本当らしい。
「い、いきなり何をなさるのです」
「割れないんだからいいでしょ」
「いや、痛みはあるのですが……。いえ、痛みといえどカンナ様からの賜り物に変わりありません。どうぞ存分に叩いてくださいませ」
「……」
無言でもう一発を振り下ろす先輩。
「ありがとうございますっ!」
と、顔を歪めながらカルガオーは耐えた。うわあ。
先輩と塔子がこれ以上ないほどに真顔になっている。うん、同じ神奈先輩信奉者の俺でも今のは引く。紳士的な人だと思っていたが、変態紳士というやつだったようだ。
「……もういいわ」
真顔のまま先輩は竹刀を背中に収める。
「で、なんでアレを連れてきたの? あとあの知らない子は?」
と、先輩は俺を指差す。
「はっ、カンナ様の朋輩と聞き及びましたので。その子はレンタロー殿の妹だそうです」
カルガオーの説明に、先輩は眉をつりあげて俺を睨む。いや、違うんですよ先輩、その勇者が勝手に勘違いしたんです。
「トーコだ。兄がお世話なってる」
そんな空気の中、マイペースに塔子が進み出て、ふんーと胸を張った。違う、そこはお辞儀をするとこだから。
神奈先輩は少しためらうような様子を見せた後、
「……星屑神奈よ。別にお世話はしていないけれど」
と、素直に自己紹介に応じた。たぶん、子供相手に無視するのは大人げないと思ったんだろうな。
「さて、初対面で悪いのだけれど、お兄さん連れて帰ってくれる?」
「わかった」
「おいっ!」
快諾した妹にびしっと突っ込みを入れる。そりゃここに来たのは予定外だったが、せっかく神奈先輩に会えたんだ。話したいこともある。
「その、先輩の気持ちはわかりますが、少しでいいので話をしませんか? その、この間は俺も強硬に過ぎたと反省しましたんで」
先輩はふんと鼻を鳴らして腕を組み、無言でじっとこちらを見る。話してみろということだろうか。「朋輩ではなかったのですか? なぜそのような険悪な雰囲気に……」とオタオタしている勇者は無視して、俺は言葉を選んで先輩に話しかける。
「この間は急だったのでつい、すぐにでも帰ろう、的な言い方をしてしまったんですけど……今は、それは先輩が決めたらいいと思ってるんです。考えてみたら、先輩がなんでこちらに来たのかとか、こちらで何をしたいかとか、そっちの方が大事ですし」
先輩は俺の真意を見透かすように目を細めるが、これは俺の真意だ。
「ただ、これだけは聞きたいんですけど、神奈先輩の望みは、ずっとこちらにいることなんでしょうか? この世界で、一生を過ごしたいと考えてますか?」
「……」
「……もしそうじゃないなら、高校は行ったほうがいいんじゃないかと思うんです。今は夏休み中だからいいんですけど、もし退学なんてことになったら、色々その後の進路がめんどくさいことになりますよね」
俺もこの数日間、何も考えずにパクトゥばかり作っていたわけではない。ちゃんと考えてはいたのだ。『勝手な印象を押し付けないで』と言われたことや、生き生きとこのファンタジーな世界について語る先輩について。
「……そんなこと、あなたには関係ない」
「関係ないですけど」
眼をそらした先輩に、被せるように言葉を続ける。実際じじむさい説教じみたことを言っている自覚はあるのだが、それでも先輩を追ってこちらの世界に来た以上、言いたいことは言っておきたい。
「関係ないですけど、先輩の望みを教えてくれませんか。俺は協力するつもりですし、協力できることはあると思います。もし夏休みの間で終わらないようなことなら、俺が戻って休学届を出すとか、そういう形でも力になれると思うんで」
神奈先輩は変わらず沈黙を保ったままだが、その瞳はわずかに揺れている。俺はじっと言葉を待った。
隣の塔子が「レジスタンス……」と呟くが、無視だ。レジスタンスの面々には悪いが、俺はもともとあくまで神奈先輩の味方だ。その結果がレジスタンスにとってもプラスになれば、それに越したことはないけれど。
……第一、あれが本当にレジスタンスなのかって気もするしな。レジスタンスらしいことなんて一度もやったことないぞ。
「……私は」
長い沈黙の末に、神奈先輩が口を開くかと見えたまさにその時。
執務室に、けたたましいノックの音が響き渡った。
「カンナ様、大変です!」
そして返事も待たずに、一人の兵士が駆け込んできた。兵士は一瞬俺たちの姿に驚いたようだったが、そんなことを気にしている場合じゃないといった風に叫んだ。
「魔王が、魔王が攻めてきました!」
全員の視線が勇者に向かう。勇者カルガオーは、その場の誰よりも驚愕した表情を浮かべていた。
魔王は国主の館の中庭まで来ているらしい。血相を変えた勇者とどこか嬉しそうな神奈先輩につれて、俺と塔子も駆け出した。
駆けながら、魔王にこんな街の中心にまで攻め込まれるとか兵士何してんの? と思ったのだが、中庭に出てその姿を認めると、なるほどな、と納得した。
禿頭に白髭をたくわえたお爺さんが慌ただしく指示を飛ばす中、円形に取り囲むように得物を手にした兵士たち、その中心に。
幼い少女が立っていた。
「おお」
と塔子が声をあげる。そう、見た目は塔子と同じくらいの年格好に見える。
吸い込まれそうな漆黒の髪を背丈ほどの大きなツインテールにまとめ、真っ赤な瞳を駆け付けた勇者の方に向けている。服装も髪色と同じ黒一色で、元の世界でいうゴスロリに近い格好だ。
この子が一人で来たのなら、知らないと誰も魔王だとは思わないだろう。さすがに兵士たちは知っていたようだが、街の人達は素通ししてしまってもおかしくない。
「勇者様!」
「ああ、遅くなったな」
勇者と神奈先輩が到着したのを見て、兵士たちはざっと魔王から距離を空けた。勇者と先輩と、ついでに俺たちの四人が魔王と対峙する。
「カンナ様、ここはわたしにお任せください」
カルガオーはそう言って、一歩前に進み出る。魔王はその言葉を聞くと、カルガオーは無視してきっと神奈先輩を睨みつけた。
「お前がカンナ・ホシクズか」
見た目の印象とは違った大人びた低い声で、魔王の威厳を感じさせる。
「そう、私がカンナ・ホシクズ。この街の国主よ!」
神奈先輩はそれに答え、ノリノリで名乗った。魔王との対峙という異世界イベントにちょっとワクワクしているようで、心なしか嬉しそうだ。
「そうか……私は魔王アナスタシア。カンナ、お前が……」
魔王は真っ赤な瞳を怒りに揺らめかせながら、言いはなった。
「勇者カルガオーをたぶらかしているというのは、カンナ、お前か!」
ん?
勇者は魔王を抑える存在で、言わば両者は敵同士。
その魔王が言うセリフにしては、なんかおかしかった気がするが。
「何をいうアナ! 私はたぶらかされてなどいない!」
カルガオーが神奈先輩をかばうように手を広げる。
アナ? 愛称で呼んでいるのか……? なんかいろいろ違和感があるが、勇者と魔王のやりとりを見守ることにする。
「たぶらかされているではないか、勇者の責務を忘れ、女にかまけているとは情けない」
「勇者の責務を忘れたことなどない!」
「勇者の責務はわたしを見張ることだろうが! 最近まったくわたしの城に来ないではないか!」
「それは、君が心優しい魔王だから、監視の必要がないからで……」
「こっ、心優しいだと? か、勘違いするな! わたしは心優しくなんてないんだぞ! 怖い魔王なんだぞ!」
このあたりになると、俺たち三人は真顔になっていた。
これは、アレだ。
「……ラブコメ」
塔子が小声でつぶやく。そう、それ。
遠くから見守っている兵士たちにまではやり取りが聞こえていないようで、警戒態勢を保っている。が、輪の中の俺たちはもうすっかり気が抜けていた。ほら、神奈先輩なんかすごいガッカリしたオーラ出しちゃってるし。
そんな俺たちが真顔になっている間も、魔王と勇者のやり取りは続いている。
「だが、アナは私たちの街を襲ったりしないだろう? だから私は安心して……」
「だからといって! まったく城に来なかったら……その……」
「来なかったら?」
「さ、寂しいじゃないか……」
と真っ赤になって言う魔王アナスタシアに、
「ん? なんだって? よく聞き取れなかった」
と、難聴を発動させる勇者カルガオー。だからラブコメか! お前はラブコメの主人公か!
「な、なんでもない! ただ……今までしょっちゅう来てたものが来なくなったら、気になるだろうが!」
「おお、それはそうか。気が付かなくてすまない」
そう言われると、カルガオーは素直に詫びた。いきなりラブコメを始められて面食らったが、どうやら丸く収まりそうだ。
「だがアナ、これからはそう気軽に会いには行けないのだ」
丸く収まりそうだと、思っていたのだが。
「今の俺は勇者ではなく、このカンナ・ホシクズ様に仕えるいち騎士なのだ。その職責を放棄して君という友人に会いに行くことはできない」
と、勇者はめちゃくちゃ余計なことを言った。神奈先輩もものすごく迷惑そうな顔をしている。
「いや、別に私のことは放っといていいから、会いに行ってあげたら……」
「そう、やっぱりその女がいるからいけないのね!」
アナスタシアもやはり神奈先輩の言うことを聞かず、先輩に向かってすっと手をあげた。
「……! アナ、何をする! カンナ様、私の後ろに!」
カルガオーは焦りを露わにし、どこからともなく取り出した剣を構えた。それが彼の得物なのだろう。
……っていうかみんなパイプ椅子とか変な武器ばっかりなのに、勇者だけ剣ってずるくないか。
と、そんなことを言っている場合でもなさそうなので、俺も折り畳み傘を取り出して、塔子をかばうように立った。
「赤の波動!」
魔王が叫ぶと同時に、折り畳み傘をばっと広げる。
「
ついでにせっかく考えておいたので技名も叫んでおく。その瞬間――
パァン!
重なるような凄まじい破裂音と共に、傘以外の視界が真っ赤に染まった。
「うごおお?!」
同時にすごい衝撃が伝わってきて、思わず声をあげる。しっかりと傘を構え直すが、その取手からすさまじい熱が伝わってくる。
もうこれ以上は持っていられない――
というところで、辛うじて赤い閃光が退き、視界が戻ってきた。
「大丈夫か、塔子っ!」
振り向くと、たて笛を握りしめた塔子が元気そうにピースサインを作っていた。
「へいき。兄が守ってくれたから。ふんー」
と、なぜか嬉しそうである。まあ、無事みたいでよかった。
ついで神奈先輩の方を顧みると、竹刀を構えて汗をぬぐう先輩と、その前でがっくりと膝をつく勇者の姿があった。
「ぐっ……! ぶ、無事ですか、カンナ様……」
「え、ええ……」
こうなってしまった原因であることはともかく、剣で体を支えながらカンナ先輩を庇うカルガオーの姿はいかにも勇者らしく格好いい。塔子がいなければ代わってもらいたいポジションである。
「アナ……どういう、つもりだ……?」
カルガオーの言葉にはっとして見ると、魔王は右手をあげたそのままの格好で立っていた。
そして気づく。遠巻きに見守っていたはずの兵士たちの姿がないことに。
かなりの距離をとっていたにも関わらず、全員が割れてしまったのだ。魔王の恐るべき攻撃によって。そう、その容姿や言動はともかく、繰り出された攻撃は確かに恐るべき魔王のものだった。
「ふん、変なのが残ったな」
魔王アナスタシアは意外そうに俺のほうを見やると、あげていた右手を下ろす。
「……今日のところは退いてやろう。だが」
アナスタシアはくるりと踵を返すと、
「次は、街を消しに来るぞ」
と言い放って、背を向けて歩き出した。
……。
……。
……こういうときってシュイン! て消え去るイメージだったけど、徒歩で帰るんだな。
そんな馬鹿なことを考える俺の横で、カルガオーは呆然とつぶやいた。
「アナ……心優しい君が、一体どうしてこんな事を……?」
「いや、お前のせいだろ」
ばしっと傘で突っ込みを入れると、心が折れない限り割れないはずの勇者はぱあん、と音をたててあっさりと割れた。
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