8
なんか違う。
星屑神奈は玉座で頬杖をつきながら、そう思った。
玉座、といっても豪華な宝飾が施されていたり下に赤ジュウタンが引いてあったりはしない。単に国主が座る席であるというだけのがっしりした木製の執務椅子であり、その前には執務机がある。
部屋も質実剛健そのもので、広さはそこそこあるものの両脇は書棚に埋められ、執務机の背後には書き物に向くよう大きめに明り取りが切られている。
部屋の中央にはやや低い楕円形のテーブルと、応接用の長椅子が両脇に。それがこの部屋にあるもののすべてである。
元の世界にいた頃の神奈なら、無駄がなくていい、とでもコメントしただろう。
「でもさー」
独りごちながら神奈は机の上に足を置き、椅子を傾がせて明り取りから空を見上げる。
「異世界でぐらい、ゼイタクを夢見たっていいじゃない……」
大理石のホールにずらりと騎士を並べ、宝石と黄金で飾られた玉座から、跪くものたちを睥睨する。
ファンタジーな世界で王になるといったら、それくらいのことを想像したってバチは当たらないだろう。
それなのにこの部屋ときたら……と、神奈がまたため息をついていると、ほとほととドアがノックされた。
「どうぞ」
「失礼しますぞ」
入ってきたのは頭の禿げ上がったジジイである。こう見えて40そこそこらしいが、この世界での寿命と考え合わせればジジイであることに変わりはない。
「……そんな格好をなされて、カルガオー殿が見たら取り乱されますぞ」
「ん……」
別にカルガオーのことはどうでもよかったが、ジジイとはいえ男の前で、スカートで足を机に乗せているのは少し恥ずかしいことに気づいて、神奈は座り直した。
「来月分の為政方針をまとめて参りました。ご確認を」
と、紙束を執務机に置くこの男はショシュトフ・モンポウ。このティールの街のもと国主である。
街の国主、というと違和感があるが何ということはない。ここは元の世界でいうところの都市国家で、ティールの街とその周辺の寒村だけが支配区域なのであり、街と国とはほとんど同義なのだ。国のトップも王とは名乗らず、ただ国主と呼ばれている。
そのティールの街を収めていたショシュトフも、今はいち執政官として神奈のもとで為政に携わっている……というのは名目で。
この街を動かしているのは以前と変わらず、このジジイだ。
「……どうせ私が読んでも分からないでしょう」
神奈はそう言いつつ、目の前に置かれた紙束を取り上げた。そこに書かれているのは、主に作物や素材の買い取り、備蓄状況。並びに育成計画である。
作物や家畜にも寿命はあるため、また人口もゆるやかに増えていくため、まれにドロップする種などを民間から買い取って計画的に採取地を拡大していくのである。
国主という地位は神奈にとって魅力的に見えた。現代で歴史や政治経済を学んだ身で遅れた異世界にやってきて、斬新な政治を行い賞賛される、というのは誰もが一度は憧れることだろう。
だが神奈の誤算は、この異世界が元の世界とあまりにも違いすぎたことだった。
作物が即時収穫でき、毎日復活する世界で、農業知識がなんの役に立つのか。
悪意を持って人を傷つけても死にはせず割れるだけの世界で、元の世界の治安維持機構がどれほど有効だというのか。
住民全員に素材が行き渡る豊かな国で、誰が参政権を、民主主義を求めるだろうか。
……簡単に言うと、神奈の持っている知識は、この世界ではさっぱり役に立たなかったのである。
「読まれないのでしたら、持ち帰りましょうか?」
と、ショシュトフが髭を弄びながら、癇に障ることを言う。
「読むわよ、一応。あなたは下がりなさい」
「かしこまりました、国主様」
ショシュトフはわざとらしく丁寧にお辞儀をすると、退室していった。ショシュトフは聞かれたことには慇懃に答えるが、積極的に為政について教えることはしない。まあ、彼にとって神奈は簒奪者なのだから、良い感情を持っていなくて当然だ。
居心地の悪い執務室でちんぷんかんぷんな書類を眺めながら、神奈はふたたび思った。
なんか違う、わたしが思っていたのと違う。
これというのも、あの勇者に会ってからおかしくなったのだ――
小さい頃から笑顔が苦手だった。そのせいか友人ができてもどこか遠巻きで、「クール」「かっこいい」と言われたことはあっても、「かわいい」なんて親にしか言われたことがない。
そんなキャラが確立してしまったがために、風紀委員なんて七面倒臭い役職に推薦され、さらには委員長になってしまい、ますますクールキャラが定着する。元はと言えば、そんな悪循環から抜け出したくてこの世界にやってきたのだ。
自分探し、とかそんな意識高そうなものではない。まあ、軽い息抜き程度の気持ちだっただろうか。
こちらの世界ににやってきたばかりの神奈は、程なくシナイ・ブレードの威力に気づき、街の外で魔物を狩りまくっていた。
魔物といっても野生動物とさして変わりはなく、徒党を組んで街に攻めてきたりはしない。生息域も魔王城の周りだけなので、街の人間たちは好き好んで獰猛な野生動物のいる場所に近づこうとはしない。
しかし神奈にとっては、異形の怪物たちをバッタバッタとなぎ倒していくのは漫画やゲーム的な胸踊る体験であった。シナイ・ブレードは無敵の威力を誇り、たまに魔物の不意打ちで痛い思いはするが痛いだけで、むしろ適度な緊張感を与えてくれる。
いわば神奈は新しいスポーツにのめり込むような感覚で、異世界に来て最初の一月ばかりを魔物狩りに費やし、たまに落ちるドロップ品を売って生活していたのだった。
その頃の神奈はそんなファンタジー冒険者っぽい暮らし(もっとも、この世界に「冒険者」などという職種はなかったが)に満足していたし、ひととおり遊んだらもとの世界に帰るつもりだった。
が、いつものように神奈がシナイ・ブレードを携え、最近お気に入りの巨大トカゲを追い回していた時。
物陰から飛び出してきた男が、神奈の前に立ち塞がったのだ。
「お待ち下さい!」
「ひぇっ!」
いきなり森の仲で熊のような大男に立ちふさがられて、びびらない女子高生がいるだろうか。星屑神奈はびびった。びびったので、思わず持っていたシナイ・ブレードで斬りつけた。
「ぐおっ!」
男はそれを避けようともせず、肩で受け止めた。苦しそうにうめき声を上げるが、割れてはいない。
「この威力……やはり!」
「なっ、何故割れないの!」
動揺する神奈のシナイ・ブレードを男はがっしりと握り、それを自分の首筋に押し当てたまま、男は恭しく跪いた。
「わたしは勇者カルガオー・カルガ。貴女の一撃は重く、わたしを割るに十分な威力でしたが、勇者はその心が折れぬ限り割れることはありません」
何だそのチート。
そう思う神奈をよそに、カルガオーは熱っぽい視線を神奈に向け、
「昼夜を問わず鬼神のごとき勢いで魔物を狩る美しい少女がいると聞いて駆け付けて参りました。実際目の当たりにしてみればなるほど、想像以上の美しさだ。この世のものとは思えません」
と、歯の浮くようなことを滔々と語りだした。
「そしてわれら尋常の人間にはあり得べからざるその宵闇を閉じ込めたような漆黒の髪色……。貴女様はもしや、光主さまの妻たる、闇の女神様の化身ではいらっしゃいませんか?」
ぞぞぞっ。神奈は鳥肌が立つのを感じた。顎の割れた大男に陶然とキザな台詞を並べられたら、たいていの女子高生は鳥肌を立てて真顔になる。
「ち、違う」
離れようとするが、カルガオーは竹刀を握ったまま離さない。
「いえ、まさしく貴女こそが闇の女神の化身であらせられます。この世に顕界され、魔物に脅かされる我らを憂い、魔王を倒そうと考えていらっしゃったのでしょう」
やばい、この男、話を聞かないタイプだ。
「しかしご心配召されるな、この地の魔王は本当は心優しく、人を傷つける意志など持っておらぬのです。ですから……」
「いや、違うから。なんとかの化身でもなんでもないから。竹刀を離し……」
「我が国の主になり、国を導いて頂けませんでしょうか!」
「……え」
異世界で王になる。そのことに神奈は魅力を感じていた。
残念ながら、それは大きな間違いであったのだが。
「なんであんなヤツの口車に乗っちゃったかなあ……」
そこからはとんとん拍子だった。光主教とかの教会に連れて行かれ、そこで教徒たちに跪かれるのはまあまあ気分がよくて、ついつい国主になることを了承してしまった。
あとは信者たちの間で勝手に根回しが進み、神奈は国主の館で少しの力を示して見せただけで、新しい国主となることができた。
しかし待っていたのは為政はちんぷんかんぷん、カルガオーからも魔物狩りに出ることは止められ、殺風景な部屋で知れば知るほど意味不明な異世界の常識を学んでいく日々だったのだ。
おまけにカルガオーや光主教の信者たちからまた勝手なイメージを押し付けられて、結局この世界でもクールな女王様キャラを演じさせられている。
「これじゃ、何のためにここに来たのか分からないわね……」
しかし負けず嫌いな神奈は、帰りたいとは思わなかった。
むしろこうなったら、楽しめるまで、いや、自分が楽しめるような冒険活劇をこの国で作り上げるまでは、帰れない。
絶対に帰るものか、という気持ちで、理解に遠い資料を必死に頭に叩き込んでいたのである。
そんな神奈の執務室の扉が、再度叩かれた。
「カンナ様! カルガオー・カルガ、ただ今戻りました。拝謁の許可を請います!」
また面倒な奴が来た。
神奈は背中から竹刀を引き抜きつつ、入室の許可を出すのだった。
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