7
「ふむ……」
そういったわけで俺と塔子は、街のメインストリート、カルガ通りを歩いていた。
商店が軒先を並べ、安息日ほどではないがあちこちに屋台も見られる。がおー車もよく通るので、ふらふらしないよう塔子と手を繋いでおく。
「しかし、もう一週間か」
こちらに来てからおよそ一週間。当たり前のように生活しているが、異国どころか異世界である。
「父さん母さん、元気してるかな」
「まだ一週間よー」
「……そうだけどさ」
まあ父さん母さんの方は元気だろうが、俺たちのことは心配しているだろうな。割と放任主義の両親とはいえ、高校生の息子と中学生の娘が一週間以上も親元を離れているのだから。
「つーか、俺は強引に出てきたからともかく……よくお前を行かせたよな」
「われがかわいいからねー」
と、突然塔子は自分の容姿を自賛し始めた。どういう意味か考えることしばし。
「……ああ! かわいい子には旅をさせよってことか!」
「ふんー」
意味が通じたことに満足げな塔子。
「……お前、その調子でクラスメイトとかと会話できてるか?」
「会話じょうずー」
「本当か……?」
少なくとも会話が上手だとはとても思えないが……今度中学校に潜入して様子を見に行ってみるか。
などとくだらない会話をしながら歩いて行くが、今日は無目的ではない。とりあえず国主の館に行ってみようと思っている。
なんてチャコさんに言うと、「考えなしに突っ込んで捕まったらどうする」と言われそうだが、俺の目的はやはり神奈先輩なのだ。初日はじゅうぶんに話し合えないまま喧嘩別れみたいになってしまったので、まずはお互いにちゃんと話をしたい。
問題は、どうすれば話を聞いてくれるかというところなのだが……。
「カルガ焼きー、カルガ焼きはいらんかねー」
思い悩んでいると、そんな呼び声が耳に飛び込んでくる。カルガ焼きは平日でも休みなく出ている屋台のひとつで、しっとりとした甘辛いせんべいみたいなやつだ。
「カルガ焼きくうー」
「はいはい」
チャコさんからいくらかのお小遣いは貰っているので何枚か買ってやり、歩きながら食べる。
「しかし、この世界の人たちは呑気だよなー」
平和そのものの街を見ながら、あらためてそう思う。
「いくら暮らしが変わらないとはいえ、国のトップがすげ変わったらそれなりの騒ぎになりそうなもんだが」
そんなことをぼやくと、塔子はカルガ焼きを呑み込んで当然のように
「教会はカンナを支持してるから、しかたぬい」
と言った。
「教会? へえ、この世界にもやっぱ教会とかあるんだな」
「……兄、なんにもしらぬいー」
と、塔子に呆れられる。そんな塔子が訥々と説明してくれたところによると……
この街唯一かつ最大の宗教組織として『光主教会』というのがあるらしく、そこは神奈先輩が国主になったことを歓迎しているのだそうだ。
こっちでは子供でも知っていることで、人々の口の端にもよくのぼる話題らしい。が、店でウエイトレスをやっている塔子と違ってこっちはバックヤードでパクトゥを作っているのだ。情報収集力に差が出るのは仕方ない。
「しかし、先輩は何で教会なんてお堅そうなとこの支持を取り付けられたんだ?」
「勇者がカンナについたからねー」
「勇者? 勇者っていうのは……おっと」
塔子に向かってかがみ込むように話をしながら歩いていたせいで、俺は前方から来た人物にぶつかってしまった。
「と、すいません」
「いや、こちらこそ不注意だった。怪我はないかね?」
「は、はい、どうも」
ぶつかったのはかなりデカい男性だった。190センチぐらいあるだろうか。体つきもがっちり……というレベルじゃない。服の上からでもその下にあるはちきれんばかりの筋肉がオーラとして見えそうになっている、ガチのマッチョマンだ。
そのマッチョマンを、塔子が指差した。
「そいつ」
「こら、人を指差しちゃいけません、っていうかそいつってのもやめなさい」
俺は慌てて塔子の手を押さえる。
「で、この人が何だって?」
「だから勇者。この人」
「えっ?」
改めて俺は、塔子が勇者という男性の方を振り返る。勇者と呼ばれた男は、はにかむように笑った。
「こんな小さなお嬢さんにまで知ってもらえているとは光栄だな。私は勇者カルガオー・カルガ。以後お見知りおきを」
そう言って、勇者カルガオーは俺に右手を差し出した。この世界における勇者というのがどんなものか分からないが、カルガ通りというのはこの勇者の家名からつけられたものだろう。メインストリートの名前になるぐらいだから、この街ではかなりの有名人に違いない。
「ど、どうも……」
いきなり現れたビッグネームに緊張しつつ差し出された手を握り返すと、俺の手はごつい手にすっぽりと包み込まれた。俺だって決して小さい方ではないのだが、この男はデカ過ぎる。俺は握手しながら、あらためて勇者だという眼の前の男を見上げた。
蜂蜜色の柔らかな短髪を鉢金でまとめた下から、意志の強そうな碧い瞳が覗いている。精悍でありながら暑苦しさを感じさせない、整った顔立ち。ひとことで言うなら、男らしいイケメン(?)であった。ただ惜しむらくは……
……アゴさえ割れていなければ、イケメンという言葉に(?)をつけなくてもよかったものを。
「……勇者カルガアゴー」
「ぶっ」
塔子がぼそっとものすごく失礼なことを言い、俺も思わず噴き出してしまう。
「……僕の名前はカルガオーだよ、お嬢ちゃん。間違えないでくれるかな?」
本人もちょっと気にしていたようで、勇者カルガオーは顔をひくひくさせていたが、それでも笑顔を保っているあたりなかなかの人格者である。
「し、しかし勇者ですかー。凄いですねーあこがれちゃいますねー」
と、塔子が追撃をする前に話題を変える。
「やっぱり、魔王城目指して旅とかしてるんですか?(わくわく)」
「……? 君は勇者について何も知らないのかね?」
と、藪蛇だったか。こっちの世界では知らないのが不自然なほどの常識らしい。怪しまれたかと思ったが、カルガオーは、
「いや、誰もが知っていると考えるのは僕の驕りか……。失礼した、よろしければ僕から説明しよう」
と、紳士的に申し出てくれた。なんかすごいまともな人だ。
「勇者という称号は、光主さまの認可を得て代々カルガ家で受け継がれているものだ。私は正確にはカルガオー十四世となる」
光主様っていうのは、さっき塔子が言っていた光主教とかいう宗教のご神体だろう。認可というからには、こっちでは神も実在するんだろうか。
「勇者の役目は君の言う通り、魔王を抑えることだ。といっても旅をする必要はないがね。魔王の住む城は街から半日ほどの場所にあるのだから」
「近っ?!」
大丈夫なんですかそれ。
「それを大丈夫なようにするのが、勇者の役目なのだよ」
と、カルガオーはにこりと微笑む。
「といっても、今代の魔王は……いや、これはいい。ともかく、僕がいる限り魔王や魔物が君たちを脅かすことはない。約束するよ」
頼もしい。体中から満ち溢れる自信は、そう言い切れるだけの強さがあってのことだろう。それでいて物腰は柔らかだし、かえすがえすもこれでアゴが割れていなければ完璧な人間なのだが……。
「……どうしたね?」
っと、つい視線が顎に吸い込まれていた。俺は慌てて首を振る。
「いえ、なんでもないです! その、日夜街の安全のために魔王と対峙してる、勇者様はすごいなって思いまして!」
と言うと、カルガオーは少しばつが悪そうにはにかんだ。
「いや、そう言われると何なのだが……。今のわたしは勇者としての自分よりも、カンナ様の騎士としての自分が第一なのだ」
カンナ様の騎士。塔子の言っていた『勇者がカンナについた』とはこれのことか。しかし、神奈先輩の騎士などというまことに羨ましいポジションに、この男はどうやって潜り込んだのだろうか。
「騎士ですか……。どうして神奈先輩の騎士になることに?」
「カンナ……“先輩”? 先輩とは、君はカンナ様とはどういう関係なのだね?」
失言を聞き咎められ、塔子が後ろから無言でアキレス腱を蹴ってくる。痛い痛い、言ってしまったことは仕方ないではないか妹よ。
「その、同じ学校で学んだ仲といいますかですね……」
「ガッコウ? ガッコウというものは何だね?」
しまった、こっちの世界に学校なんてものはないんだった。妹よ、兄が悪かったから左右のアキレス腱を交互に蹴るのはやめてくれ。
「えーと、読み書きとか計算とかを教えてくれる場所のことで、俺は神奈先輩と同じところで学んでいたのです」
言うとカルガオーはしばらく考え込んでいたが、
「そうか、ひょっとして君も、カンナ様のよく言っている“コーコーセー”という奴なのだね!」
と言って、はたと手を叩いた。脳筋っぽい見かけに反して、なかなか察しが良い。
「は、はい、まあだいたいそんな感じというか……」
俺が神奈先輩と会って、『コーコーセーは二人もいらないのよ!』と言われたとき、周囲には多くの兵士がいた。
目の前の勇者も神奈先輩サイドの人間らしいし、コーコーセー捕らえるべしの命令が下されていてもおかしくはない。そう思って警戒していたのだが……
「そうか、何故もっと早く気が付かなかったんだ!」
と、カルガオーは先程までの他所向けな笑顔ではない、満面の笑みを浮かべた。
「そういえばふたりとも、カンナ様と同じ黒い髪をしているではないか。カンナ様を援けるためにやって来てくれたのだな!」
そのカンナ様とすでに会っていることは知らないらしく、勇者カルガオーはそうかそうかと一人合点して頷いている。そして再び俺の手をがしっと掴むと、力強く言った。
「すぐにわたしがカンナ様のもとに案内しよう! 歓迎するぞ、同士よ!」
カルガオーの勢いに、俺は思わず首をタテに動かしていた。
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