2

「神奈先輩!」

「なんだ貴様!」


 警護兵らしき人たちが止めに入って来るが、俺は無視して輿の中に向かって呼びかけ続けた。


「先輩! 見つかってよかったです! もとの世界に帰りましょう!」


 俺を取り押さえようとする兵たちを静止し、神奈先輩は馬車を降りるとスタスタと俺の前にやってきた。


 腰まで伸ばした、真っ直ぐで吸い込まれそうなほどに黒い髪。意志の強そうな瞳。紛れもなく俺の知っている、星屑神奈先輩だった。こちらの世界の服装ではなく、見慣れた制服姿だ。


 俺は変な集団に追い回されるというハードな状況からいきなり目的の人物発見という急転直下、いや直上ぶりに舞い上がり、俺は先輩が兵士を引き連れているという状況も忘れてまくし立てた。


「こんなに早く見つかるとは思いませんでした! 棘付き肩パッドの世紀末な人たちに追いかけられるし、引き続き無一文だしで、これからどうしたもんかと思ってたんすよ。ってそれはどうでもいいんですけど、先輩、もとの世界に帰りましょう!」


 久しぶりの先輩との会話に緊張して早口になりつつ、俺は用件を告げる。


 が、先輩はじっと俺を見つめたままなにも言わない。


「……帰りたくないんですか? ダメですよ、ご両親も心配してましたし、学校なんかもう留年確定ですよ。このままじゃ退学ということだって……」

「あなた、誰?」

「ええええっ!?」


 こ、このイケメンの後輩を覚えておいででない……?


「どっかで見たような気はするわ。どこだったかしら……」

「いやいやいや、一年間同じ委員会だったんですよ? 二回ぐらい会話もしたことありますよ? 頑張って思い出してください!」


 ちなみに会話の内容は『余ったプリントは職員室でいいですか?』『ええ』と『ホチキス止め終わりました!』『どうも』の二回である。合計で五文字も喋っているのだから、しっかり思い出してほしい。


「……佐藤、くん?」

「……斎条蓮太郎です。今絶対勘で言いましたよね」

「と言われても、名前を聞いても心当たりがないんだけど」


 そう言えば、名乗ったことはなかったかもしれない。


「……で、その顔見知り未満のあなたが、どうしてここに?」

「そりゃ、先輩が学校に来ないから、心配して連れ戻しに来たんですよ。神奈先輩のお母様から異世界に行ったって聞いたんで」

「えっ、顔見知り未満のくせに私の家まで行ったわけ? 怖っ! しかもなんで下の名前呼びなの? 怖っ!」


 しまった、どん引きされてしまった。ていうか二回も怖って言われた。このままではストーカーだと思われてしまう。


「い、いやね? ほら、同じ風紀委員じゃないですか。だからその、先、先生に頼まれたんですよ。様子を見てきてくれって」

「……他にいくらでも頼む人がいると思うのだけれど。明らかにキョドってるし」

「うぐっ、と、とにかく!」


 まずい方向に進み始めた会話を強引に戻す。


「とにかく、ご両親も先生方も心配してるのは本当ですからね! ちゃんと元の世界に戻ってきて頂きます!」


 今度は先輩の方が痛いところを突かれて目をそらす。そりゃ、何ヶ月も家に帰ってないんだから後ろめたさはあるだろう。


「い、嫌よ。帰らない」

「嫌だって……」


 それでも拒絶する先輩。何か理由があるんだろうか。というかそもそも、なぜこちらの世界に来たのだろうか。


 なんか家庭内のドロドロとかそういうのから逃げてきた、というのなら、無理やり連れ帰るわけにもいかない。お宅訪問したときにはそんな問題のあるご家庭には見えなかったけど、部外者じゃ分からないこともあるかもしれないし。


「……何か、帰りたくない事情があるんですか? 何故急に、この世界に来たんですか?」


 こちらが歩み寄ると、先輩も少し態度を軟化させる。


「何故って、決まってるじゃないの。あなたはこの世界に来て何も思わないの?」


 と、神奈先輩は両手を広げる。


「車を引くトカゲ、火を噴く不思議な石、未開拓な土地……全部元の世界には存在しないものじゃない。わくわくするでしょう? 元の世界のしがらみを捨てて、冒険に出たくはならないの?」


 突然いきいきと語り始めた先輩を、俺はぽかんと見つめる。まあ、少なくともご家庭の問題とかではなかったみたいで何よりなんですが。


「何よ」

「いえ、何かイメージ違うなって……。先輩ってほら、クールな印象でしたから?」

「何がイメージと違うよ。勝手な印象を押し付けないで」


 ふんっと先輩は鼻で笑う。


「あなたが私の何を知ってるの? あなたが知ってる私は周囲が作り上げたただの都合のいい幻影よ。分かったらさっさと……」

「素敵です!」

「は?」

「確かに先輩にはクールな一面とは別に、奥底に渦巻く何か熱いものの存在を感じてました! それがこの異世界で花開いたんですね! 今の先輩は、何倍も輝いて見えますよ!」

「そ、そう……」


 学校での神奈先輩はちょっと近寄りがたい雰囲気を出していたけど、今の先輩は表情豊かで楽しそうで、これはこれですごく魅力的だ。


 とはいえ。


「でもやっぱり学校サボるのはダメですよ先輩。冒険に出たいなら俺みたいに長期休みを使うか、土日を使って計画的に冒険をしないと」

「あなた、変なところで常識的ね……」


 と、表情を引きつらせる先輩。


「計画的な冒険のどこが冒険なのよ。とにかく、私は戻らないからね」

「ダメですって。俺たち高校生なんだから、親の許可もなく……」


 と、俺が口にしたところで、ざわりと周りを取り囲む兵士たちの空気が変わった。


「コーコーセー……あの少年も?」

「カンナ様とお知り合い? みたいだし……」

「まさか、二人目のコーコーセーが……」


 どうやら、高校生というキーワードに反応したらしい。神奈先輩が何か高校生についての評判を広めたのだろうか。

 と思って先輩を見ると、苦々しげに舌打ちをして、


「そういうわけだから、あなたはとっとと元の世界に帰りなさい」


 と言う。

 そういうわけにはいかない。周囲の反応は気になるが、まずそこははっきりと意思を示しておかねばなるまい。


「帰りませんよ。俺が帰るのは先輩と一緒にです。それまではずっと俺もこっちの世界にいます!」


 できれば夏休み中に終わってくれると嬉しいけども!


「……そう。そのつもりなら」


 先輩はじろりと俺をひと睨みすると、ぐいと背中に負っていたものを掴む。話に集中していて気づかなかったが、竹刀を背負っていたらしい。

 するりと竹刀を構える先輩に、兵士たちがざわめいて距離を取る。


「出たぞ……」

「ああ、カンナ様のシナイ・ブレードだ!」


 どうでもいいが護衛としてぜんぜん役に立ってないなこいつら。


 先輩は俺をびしっ、と指差して言い放った。


「力ずくでも帰らせてあげるわ。この世界に、高校生は二人もいらないのよ!」


 ……おおおおお!


 先輩の台詞に兵士たちが歓声を上げる。いや、そんな決め台詞っぽく言われても「なんで?」としか言いようがないんですが。誰か高校生というものについて俺に教えてほしい。


「あの先輩。一体高校生が二人いると、何の不都合があるんですか?」

「……」

「っていうかそれ、シナイ・ブレードって呼んでるんですね。その……いや、うん、俺はカッコいいと思いますよ?」

「……」


 真っ赤になる先輩。うん、先輩にもこういう子供っぽい面があったんですね。


「うるさい!」

「ちょっ?!」


 顔を真っ赤にしたまま、先輩がいきなり竹刀を振り下ろしてくる。ちょっと照れ隠しとしてはシャレになってない。


「痛い!」


 当然である。竹刀で殴られたら痛い。

 が、周囲の兵たちにとってはそうではなかったようで、ざわめきが漏れる。


「割れないだと?!」

「やはり、あの少年もコーコーセーなのか!」

「コーコーセー同士の決闘か……見物だな!」


 いやいや、見物だな、じゃないでしょうに。仕事しろよ兵士。

 そんなギャラリーは気にもせず、先輩はばしばしと何度も竹刀を叩きつけてくる。


「痛い! 痛いですって先輩! それ人に向けて振り回したらいけないやつですって!」

「あなたが元の世界に帰るというまで、殴るのをやめないわよ!」

「それは無理です、帰りません! ……って痛っ!」


 俺はリュックサックを両手で突き出し、へっぴり腰になりながら神奈先輩の攻撃をガードする。どうやら先輩は、特に剣道をやっていたとかそういう訳ではないらしく、ただめちゃくちゃに竹刀を振り回しているといった感じだ。


 ……が、残念ながら俺も空手をやっていたとかそういうわけではないので、リュックサックガードでは全然防げず、時々手とかに当ってすごく痛い。お互い素人でも剣道は三倍段、長物を持ってるほうが有利である。


 せめてなんか長い棒でもあれば……。辺りを見回すが、取り囲んでいる兵士たちも武器らしきものは持ってないし、地面にもちょうどいい枝切れは落ちていない。


 ばしっ ばしっ


 その間にも先輩の容赦ない痛い攻撃は続いている。痛い。

 何か……何か棒状のものがあれば……。


「……そうだ!」


 俺は先輩から距離をとりつつリュックサックのジッパーを下げ、中身を探る。確か荷物にはあれが入っていたはずだ。


「何を……えいっ!」


 俺の動きを警戒したのか、神奈先輩は一気に距離をつめ、俺のリュックサックを横薙ぎにはじき飛ばした。


 が、すでに俺の手にはそれが握られていた!


「……それは?」

「ふっ、見てわかりませんか?」

「いや分かるわよ……折りたたみ傘でしょ?」


 その通り。


「そう、封印されし傘フォービドゥン・アンブレラです」

「いや、タダの黒い折りたたみ傘……」

「シナイ・ブレードに合わせたつもりなんですけど、ダメでしたか?」

「……ぐっ」


 悔しそうに押し黙る先輩をよそに、俺はノリノリで続けた。


「今その封印を解き放つ!」


 折りたたみ傘の短い柄を握ると、真一文字にブン! と振る。

 慣性に従い、柄がジャキン! という音をたてて伸びた!


「フォービドゥン・アンブレラ、刀剣形態ブレードフォーム!」


 おおっ、と周りがどよめく。


「なんだあの武器は、見たことがない……!」

「長さが可変なのか?!」

「あれがあいつの得物か!」


 思惑通りどよめいてくれてちょっと嬉しい。さっきから先輩が決め台詞でモブたちをどよめかせていたのが、ちょっと羨ましかったりしたのだ。


 なお、神奈先輩だけは真顔である。


「ふふ、これでリーチは互角ですよ先輩」

「いや、全然互角じゃないから。せいぜい半分ぐらいでしょ」

「その半分が大きいんですよ、えいっ!」


 俺は傘を思い切り振りかぶって、先輩が持っている竹刀めがけて思い切り振り下ろした。


 ばしっ


「きゃっ?!」


 先輩は竹刀を取り落としそうになり、慌てて構え直す。ていうかけっこう可愛い悲鳴上げるんですね先輩。


「どうです? 案外馬鹿にならないでしょう?」


 折りたたみ傘の柄だけを伸ばしたものだから、先端が重い。柔らかいので殴られても大して痛くはないだろうが、もとより俺に神奈先輩を殴る気はない。武器を落とす程度の重さがあれば十分だ。


 後はうまいこと竹刀だけ叩き落として、取り押さえられればいいのだが。

 先輩は俺のフォービドゥン・アンブレラを警戒しつつ竹刀を構えていたが、やがてふっと力を抜き、数歩後ろに下がった。


「……私の力を見せつけておきたい所だったけど、仕方ないわね」


 と言って、びしっと俺を指差す。


「そいつを取り押さえなさい!」


 なっ?!


 しばしフリーズしていた周りのモブたちだったが、弾かれたように声を上げ、俺に突進してくる。この後に及んでやっと仕事するのかお前ら!


「得物は使わなくていいわ! とにかく掴んで動きを止めなさい!」

「くっ!」


 俺は苦し紛れに、一番に突進してきた兵に向かって傘を振り下ろす。すると……


 ぱあん!


 傘が触れたとたん、兵が跡形もなく弾け飛んだ。


 一瞬、頭が真っ白になった。やっぱり、この世界では人は「割れ」るんだ。


 割ってしまった。割れるってなんだ? この世界における死なのか? それじゃあ……


 俺は、人を殺してしまった――?


「ひるむな、今よ! 掴んで得物を奪え!」


 俺の逡巡を見透かしたような先輩の号令に、次々と兵が組み付いてくる。振り払おうと傘を振り上げたが――


 ――それを振り下ろすことは、出来なかった。


 為す術もなく俺は地面に引きずり倒され、何人もに圧し掛かられて身動きできない状態になる。


「何やってるの、早く得物を奪って!」


 が、俺は折りたたみ傘だけは封印形態シールドフォーム――つまり柄を畳んだ状態――にして、渡すまいと胸元にがっちりと抱え込んでいた。


 先輩がさっきから言っている、またこの世界に来てから何度も聞いた『得物』というのがどういう意味を持つのかは分からない。しかし、俺にとっての『得物』がこの折りたたみ傘であることはなんとなく分かる。


 そして、それを奪われてはいけないということも。


「こいつ、観念して手を離せ!」

「ひっくり返せ!」


 だが、兵たちは数が多く、俺は完全に押さえ込まれている。この体勢からでは傘を振り回すこともできない。


 奪われるのも時間の問題か――


 ぱん! ぱんぱんぱん!


 そう思った瞬間、何かが割れる音が連続で響いた。同時に俺を押さえつけていた重みが軽くなった。


 一体何が起こったのか、確かめようと振り返る。すると――


 パイプ椅子を振り回し、近づく兵士を次々に割っていく青髪の少女。


 ボクサーのごとく的確に拳を繰り出し、メリケンサックで撃ち漏らしを割っていく緑髪巨乳の女性。


 そして、同じく緑髪で、世紀末な棘付き肩パッドによる突進で、進路上の全てを割っていく女。


 口のあたりに申し訳程度に布を巻いて顔を隠しているつもりらしいが、明らかにこいつらは――


「さっきの頭のおかしい三人組!」

「「「誰が頭のおかしい三人組かっ!」」」


 異口同音に息の揃ったツッコミを返される。いや、初対面の相手にいきなりパイプ椅子とメリケンサックと棘付き肩パッドで襲いかかってくるとか、頭がおかしいと言われても文句は言えないと思うのだが。


「何だお前ら?!」

「邪魔です!」


 ぱん、と俺を押さえつけていた最後の一人が割れる。三人の奇襲によって、兵は最初の半分ほどに数を減らしていた。


「あなたたち何者? 私に逆らう気!?」


 一旦後方に下がっていた先輩が、怒りをにじませて竹刀を振り振り近づいてくる。


「おっと、コーコーセーとまともにやり合えるかっての! 逃げるぞ、レンタロー!」

「えっ」

「えじゃねえ! 早くしろ!」


 いや、逃げるのは別にやぶさかではないんですが……。なぜ俺は、さっき俺を殺そうとした人たちに助けられているのだろうか。


「疑問はわかりますが、あとで説明します! 今は私達を信じて付いて来てください!」


 俺はチャコさんとジルさんの姉妹に両側から腕を掴まれ、半ば無理やり引き摺られるようにして逃げ出した。


 かくして、つい先程殺されかけた頭のおかしい三人組に、俺は窮地を救われることになったのだった。

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