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 というわけで、異世界である。


 どうやって来たのか? などと聞くのは野暮というものだ。現代人たるもの、やたらと異世界に転移したり転生したりするのはもはや常識なのだから。


 そういうわけで俺は異世界の街で、食事処らしい、大きく道路側が開放された一軒の店に足を踏み入れた。


「いらっしゃいませー」


 給仕らしき巨乳の女性が声をかけてくる。ボリュームのある緑色の髪、この色がコスプレ感を出さずに自然に馴染んでいるのだからさすが異世界だ。


 俺は店内を見渡す。カウンターの奥に料理を作っている女性が一人。客は少女が一人だけと、閑散としている。


「あの、お客さん? どうしました?」


 暇そうだし、この給仕さんも優しそうなので、いけるかもしれない。


 俺はびしっと手を挙げて、声を張った。


「私はお金を持っておりません! 一文無しです! でもお腹を空かせております!」


 店内がぴしりと凍るが、構わず続ける。


「お金はない! でも食べたい! さあ、店の方でもお客様でもどなたでもけっこうです! この二律背反を見事解決できる方はいらっしゃいませんか!?」


 腹が減っては戦はできぬ。母さんの弁当はおいしく頂いたが、こちとら育ち盛りの高校生。物珍しい異世界をあちこち歩きまわっているうちに、あっという間に腹が減ってしまうのむ無理からぬことなのだ。


 俺は手を挙げたままの姿勢で店内の様子を伺った。さっきまで営業スマイルだった巨乳の娘の顔が、ものすごい真顔になっている。


「……姉さん? どうします?」

「つまみ出せ」


 彼女は真顔のままカウンター内の女性に確認をとると、無言でパキパキと指の骨を鳴らし始めた。すごい怖い。


 俺は直立不動のまま退散するタイミングをはかっていたが、そこに救いの声が飛び込んできた。


「お兄さん、その命題、あたしが解決してあげよっか?」

「ちょっと、ロッテ!」


 救いの手を差し伸べてくれたのは店内唯一の客、小柄でほっそりとした体躯に、空色のショートヘアの少女だった。


「こっち来なよ、ご飯ぐらいおごってあげるから」

「あざっす!」


 気が変わらないうちにと素早い動きで彼女の正面に着席。カウンター内にいる店主らしき女性が呆れたように声を上げる。


「ロッテ、お前はまた変な気まぐれを……」

「いーじゃん。あんな堂々と飯をたかろうとする奴、初めて見たもん。服装も変わってるし、面白い話が聞けそうじゃん?」

「ま、あんたが払うってんなら、こっちは別にいいんだけどさ」


 と、食事を用意し始める。少女は常連なのか、店主と親しい間柄のようだ。俺はようやく飯にありつけることになって、ほっと息をついた。


 異世界に来る前「お金とかどうすんの?」とは家族からも言われていたし、自分でも「どうすんだろう」とは思っていたが、考えるまでもなくどうしようもない。


 日本円との為替レートなんてものがあるわけでもなく、現地でどうにかするしかない。まあきっと誰か親切な人が見つかるだろう、という甘い考えでやってきて、こうして現に親切な少女に出会えたわけだ。


「……ここに来る前に、三軒ほど追い返されてきたかいがありました」

「って、他の店でもアレやってたの?!」


 少女が驚きの声をあげる。


「ええ、見事に追い返されました」

「やっぱ面白い人だね~。あたしはロッテ。お兄さんは?」


 俺を助けてくれたロッテという少女は、見た目年齢的には俺よりやや下ぐらいだろうか。活発そうな美少女だ。


「俺は斎条蓮太郎です。いやあ、助かりました。ロッテさん」

「レンタロー君か、変わってるけどいい響きの名前だね。あ、あとさん付けはやめてよ。可愛いロッテちゃんって呼んでいいよ」

「ありがとうございます、可愛いロッテちゃん」

「……すいません、普通に呼んで下さい」


 俺が真顔で礼を言うと、ロッテちゃんは恥ずかしそうに目を逸らして、耳のあたりの髪をいじり始めた。

 少女らしく可愛い仕草に和みつつ、そんな子に飯をたかる自分は何なんだという気がしてくるが、あまり深く考えないことにしよう。


「でもさ、ホントに一文無しなの?」

「ええまあ、残念ながら」

「ふうん、風変わりだけど良さげな仕立ての服着てるし、清潔だし、そんな風に見えないけどね」


 まあ色々と事情がありまして、と適当にごまかしているうちに早くも食事が届く。


「はい、チチェン肉のパクトゥそば、お待ちどうさまです♪」

「あんがとー、ジル。はい、レンタロー君どうぞ」


 先程すごい真顔を披露していた巨乳の女性はジルという名前らしい。ジルさんは一応俺をお客さんとして扱うことにしたようで、最初のようなおっとりした笑顔に戻っていた。


 食事は小ぶりな餃子のようなものが浮いた、灰色の汁麺である。どうやらメニューなんていう贅沢なものはなく、この店で食事と言えばこれのことを指すらしい。


「はふはふ……お? うまい! これうまいです!」


 パクトゥという餃子みたいな奴はもちっとしていて、噛むとチチェンとかいう謎の動物の肉汁がじわっと染み出してくる。麺はざらりとした感触で蕎麦に似ているが、スープはどちらかというと魚介系のラーメンに近い気がする。こってり気味のスープが麺に絡んで、口に入れると何とも幸せな味である。


「ふふん、あたしのそばはこの街一番だからね、当然よ!」


 俺が感想を述べると、店主らしき女性は満足げに胸を張った。


「あたしはチャコ、あんたなかなか味が分かるみたいじゃん。良かったらまたチャコの店を贔屓にしてよね」

「……もちろん、お金があったらの話ですけど」


 と、補足するジルさん。そう言えば先程ジルさんはチャコさんのことを『姉さん』と読んでいたので、二人は姉妹なのだろう。


 チャコさんはおっとりとしたジルさんと比べて凛々しい顔立ちだが、セミロングの髪の色はジルさんと同じく緑色をしている。タイプは違うが、二人とも整った顔立ちの美人姉妹である。


 常連らしいロッテさんも可愛いし、飯もうまいし、これは何としても金を稼いで贔屓にせねばなるまい。


 ……いや、まあもちろん俺は神奈先輩ひと筋で、先輩を探すという目的を忘れたわけではない。ただ、男の子として可愛い女の子とたくさんお知り合いになりたいと思うのはしょうがないことなのだ。


「で、レンタロー君は遠い国から来たらしいけど、この街になにしに来たの?」


 飯を食い終えてひと息ついていた俺に、ロッテちゃんが尋ねる。

 遠い国から来た、というのはさっき適当にごまかした俺の経歴だ。


「実は人を探しに来てまして。そうだ、皆さんも心当たりがありませんか? 長い黒髪の女性で……」

「長い黒髪……?」


 ぴくりと、チャコさんが頬を引きつらせる。

 そういえばこの世界に来てから自分以外の黒髪は見かけていないし、珍しいのかもしれない。


「背は俺よりちょっと低いぐらいの、ちょー美人で……」


 そのまま俺は思いつくかぎりの特徴を挙げていく。


 先輩の素晴らしさを言葉のみで語り尽くすのは困難であることだなあ、と心の中で嘆きつつ、ノリノリでその美しさを語っていたのだが。


 ふと気づくと、三人とも先程までとは違う、険しい表情になっていた。


「えっと……何か?」

「そういえば、レンタローさんも黒髪なんですね?」


 ジルさんに冷たい笑顔で睨まれる。そ、そうですけど……。


「……お前、カンナ・ホシクズの関係者か?」

「チャコさん、神奈先輩を知ってるんですか!」


 俺はさっそく手がかりが見つかったと、喜色を浮かべて問いかけるが……。


「質問に答えろ」


 先程までの温かい雰囲気はどこへやら。


 チャコさんは無表情でカウンターを出て、こちらに近づいてきた。

 いつのまにかロッテちゃんも立ち上がり、俺の退路をふさぐ位置に回り込んできている。どう見ても、穏やかに話をしようという雰囲気ではない。


 ……ひょっとして神奈先輩、こっちで何かやらかしてます!?


「へ、へい、関係者と言えば関係者というか、まあそんな感じでして……」


 思いっきりビビりながら答える俺に、チャコさんが尋ねる。


「質問を変えよう。レンタロー、お前は……」


 そしてじりじりと間を詰めてくるチャコさんの口からは、意外な単語が飛び出してきた。


「お前は……“コーコーセー”なのか?」


 コーコーセー、高校生?

 なんでそんなことを異世界の人が聞くんだ? と疑問に思いつつ……


「ええまあ、神奈先輩と同じ高校生ですけど……」

「確保ーーーーーーーーー!」

「えええええっ!?」


 チャコさんの号令と同時に、ロッテちゃんがタックルをかましてきた。

 俺はそれをかろうじて躱し、テーブルの後ろに回り込む。なにこの人ら、高校生に親でも殺されたの?


 高校生だとわかったとたん確保ってなに? 補導? 俺異世界で補導されんの!?


「本当に高校生ならどうせ割れない。得物を使え!」


 チャコさんの指示に頷き、ロッテちゃんはどこからともなく取り出したパイプ椅子を振りかぶった。


 いや、ホントにどっから出した。世界観ぶち壊しだし。


 ちなみにジルさんはこれまたどこからともなくメリケンサックを出し、指に嵌めている。何か武器のチョイスおかしくないですか!?


 そして当のチャコさんはというと、がちゃりと何かを右肩に装着するところだった。それには大きなトゲがいくつもついていて……。


「まさかの棘付き肩パッド?!」

「うおおおおっ!」


 そしてタックル。なんかもうちょっと他にマシな攻撃手段はなかったのか、と言いたくなるが、突っ込んでいる暇はない。手近にあったテーブルでタックルを防ごうとしたが……。


 ぱん!


 と、肩パッドのトゲに当たった瞬間にテーブルが消滅した。


 どすっ


「ぐえっ」


 遮るものがなくなり、俺のみぞおちにまともに棘付き肩パッドが食い込む。


 すごい痛い!


「やっぱり割れないね!」


 タックルで倒された俺に、ロッテちゃんがパイプ椅子を振り下ろしてくる。危ない危ない! ていうか痛い!


 なんとかもがいて立ち上がるところを、ジルさんがメリケンサック付き拳で殴ってくる。なんとか腕でガードして距離を取る。


 ヤバイ。俺はじりじりと距離を詰めてくる三人に追い詰められながら思った。


 三人ともまったく躊躇がない。殺される。


 ぱん!


 椅子を振り回して応戦しようとするも、先程のように相手の武器にぶつかるとはじけて消滅してしまう。


 さらに不思議なことに、さっきから殴られたり刺されたりするとすごい痛いのだが、逆に言うと『すごい痛いだけ』なのだ。

 血も出ないし、痛みも持続はしない。そのおかげで、俺は何度も攻撃を受けながらもなんとか掴まらずに攻撃をやり過ごせているのだ。痛いけど。


「おのれ、しぶといっ!」


 またも突進してくるチャコさんを辛うじてかわす。かわされたチャコさんがつんのめって壁に激突すると見るや……


 ぱん!


 と、その壁の一部が消滅した。


「姉さん、店を壊さないでくださいよ!」

「つっても、こいつが案外すばしっこくて……」


 ……今だ!


 俺はわずかに注意が逸れた瞬間に、消失した壁の合間から裏路地に転がり出た!


「あっ、待ってー!」


 と言われても待つはずがない。俺はどこへ続くとも分からない路地をめちゃくちゃに走り始めた。



 ……追いかけっこをすることしばし。俺はどうにか変な武器の世紀末集団を撒いて、息を切らしてへたり込んでいた。


 辺りはそこそこ人通りのある表通りである。ここなら奴らに見つかっても、変な武器を振り回してくることもないだろう。


「ていうか、マジで何だったんだ……」


 あらためて自分の体を確認してみる。やはりどつき回されたにしては傷一つ見当たらない。


「そういえば『どうせ割れないから』とかなんとか言ってたな……」


 『割れる』という言葉から連想されるのは、ぱん、という音と共に消滅していた家具や壁である。あれが『割れる』ということなんだろうか。この世界の人間は、死ぬとああやって『割れる』ものなんだろうか。

 などと考え込んでいると、にわかに周囲の人々がざわつき始めた。


「国主様がお通りになるってよ!」

「やべえ、露天を片付けろ!」

「あの暴君が……」

「よせよ、聞かれたらことだぞ!」


 と、人々は怒鳴り合いながら慌ただしく露天を片付け、四方に散っていってしまった。気がつけばぼんやりと座り込んでいるのなんて俺一人である。

 人通りが多いからここにいたのに、これではまたあの頭のおかしい奴らに見つかったらことだぞ、と思って立ち上がると、ざむ、ざむ、と規則正しい大勢の足音が聞こえてきた。


 見ると、通りの向こうから甲冑らしきものを着込んだ集団がやって来ている。国主が来るとか口々に言っていたので、それだろうか。大名行列みたいなもんか。

 さっさと退散しようかとも思ったが、この世界の大名行列にも興味がある。俺はすぐ路地に引っ込める位置に移動して、様子を伺うことにした。


 集団は2~30人程度といったところで、大名行列というほどの規模はないらしい。皆西洋騎士ふうの甲冑は着込んでいるが、見てそれとわかる武器は持っていないようだ。


 そして彼らがガードする中央を、羽の生えたでかいトカゲみたいのが引く馬車(?)ががらがらと進んでいる。あれに国主様が乗っているのだろう。


 さっき街の人がひそひそと暴君とかなんとか言っていたが、どんな人なのだろう。


 目をこらすと、すだれが風に煽られて、中に乗っている人物がちらりと見えた。


「なんだ貴様は!」


 その人物を垣間見た瞬間、俺は集団の真ん前に飛び出していた。

 

 先頭の兵が叫ぶが、俺の耳には入らない。


「先輩……神奈先輩!」


 そう。


 馬車に乗った『国主様』。それはまぎれもなく俺の探し人、星屑神奈先輩だった。

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